きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『縁起のいい客』 吉村 昭 

 

縁起のいい客 (文春文庫 (よ1-44))

縁起のいい客 (文春文庫 (よ1-44))

 

 

「脚」で書く作家

 吉村昭にしては、珍しいエッセイ集ですが、『破獄』や『桜田門外ノ変』『大黒屋光太夫』などの裏話が楽しめます。基本的に歴史小説が多い作家ですが、綿密に取材を重ね「脚」で書いている印象です。
 「大切なのは実地をふむことだと思っている。小説の主人公が道を歩いてゆく時、その日の天候は? 左右どちらに山が見えるのか? 山に紅葉がはじまっているかどうか。そのようなことを確実に知らなけれな小説は書けない」と語っています。

 

三島由紀夫との出会い

 吉村昭学習院大学在学中に、教授からの紹介で三島由紀夫と顔を合わせています。この頃の三島は華やかに文壇に登場し、注目の的になっていた新進作家。やがて、『金閣寺」が文芸誌「新潮」に連載され、格調ある文体と鋭い感性に類い稀な名作になることを予感します。やがて連載が完結し、単行本になりました。これこそ、みじんもゆるぎない小説なのだ、と思ったといっています。。この『金閣寺』ほど、何度も読み返した小説はないと。
 「三島由紀夫という作家は、私にとって『金閣寺』を書いた作家なのである。書き出しから最後の一行まで、簡潔に、そしてこれ以上考えられない的確さで日本の文字をつらねることに終始した傑作である」と述べています。

 

名著多数の吉村昭

 その吉村も前での作品や『漂流』『三陸海岸津波』『戦艦武蔵』『羆嵐』など、すばらしい作品が多数あります。
 最後に、小説家と編集者の関係についてもふれています。「小説家というのは、じつは自分のことがはっきりとわかっていないものなのです。編集者は最初の読者であり、真剣勝負で渡り合っている敵なんです。こうした方がいいのではありませんか、という編集者の指摘で作品はずいぶん良くなるものです」と綴っています。

 

 

 

ヤマザキマリの「男性論」 ECCE HOMO

 

男性論 ECCE HOMO男性論 ECCE HOMO
 

 

古今東西の魅力ある男たち

 古代ローマ、あるいはルネサンス。エネルギッシュな時代には、いつも好奇心あふれる熱き男がいた。ハドリアヌスプリニウスラファエロスティーブ・ジョブズ、安倍公房まで。「テルマエ・ロマエ」のヤマザキマリ古今東西、男たちの魅力を語り尽くす。男性論というよりは人間論でしょう。

 

「変人」は生きにくい世の中

 ヤマザキ流の「ワキワキ・メキメキ」勇士が登場するなか、わが日本からはあまり熱き男は出てこないのか?「変人」はおもしろい。しかしながらいま現在の日本で「変人」は生きにくいのかもしれない。「空気を読む」という、もはや慣用句になった最近の言葉がある。いまほど周囲の人間との同調を求められる時代があったろうか。逆にいえば、「不寛容」が進んでいるともいえそうだ。「自分もハジけずに我慢しているのだから、おまえがハジけるのも許さないぞ」と。

 

本音と建て前の国

 日本は昔から、「本音と建て前の国」と言われ続けている。しかもネットがあることによって、本音と建て前の乖離がますます激しくなっている。表では「空気を読む」ことを求められるあまり、ひじょうに抑圧を感じながら自分を押し殺し、裏の、しかも匿名のネット社会などで「本音」と称して聞くに堪えないひどい言葉をまき散らす。日常では人に対して面と向かって意見を言う勇気のない人が、ネットという顔の見えない発言権を得て、別人格なのかという勢いで憎悪感を発露させるのをみたりすると、おそろしさすら感じると。

 

植民地化をまぬがれた日本

 イタリアがなぜ、コミュニケーションを重要視するかといえば、古代ローマ時代以来の国のあり方に関係がある。他国を侵略し、侵略され、流動の歴史を持つ。対外的な交渉術に関する英知がなければ、つねに劣勢に立たされるという危機感を持っている。いっぽう、日本は歴史的に完全に他国に植民地化された経験を持たない。ペリーが黒船で浦賀にやって来たときは驚いただろうが、ともあれ植民地をまぬがれつづけた、歴史的・地理的特異性が、日本の対外的なコミュニケーション力の低さ、ひいては内向きの志向性の強さを特徴づけてしまったのではないかと、仮説する。

 

平和な国の幼稚な国民

 電車がきちんと時間通りに来ることが当たり前の日本も内向き志向がうんだものか。ぴったりにくる電車しか知らなければ、5分遅れることがたまらなく許せない感覚に陥るのが、人間というもの。
 安土桃山時代の日本に来訪したイエズス会の宣教師は、各地を巡察したのち、日本についてこう書き記した。「この国の人たちは、心が清らかで親切でかわいらしい。だけど幼稚だ」と。いまから450年も前から変わっていないのだろうか。平和な国だ。

 

 

偶然って、神様の別名なのよ


印象的なフレーズ

 「偶然って、神様の別名なのよ」は、ロシア語の通訳者で作家の米原万里の著書『偉くない「私」が一番自由』に出てくるフレーズのひとつです。モスクワで出会ったペルシャ猫を日本へ連れてくるという奮闘記の中で使われていたもので、とても印象的でした。

 

双子のペルシャ猫を日本へ

 モスクワへ出張した際に、駅の近くで子猫の里親を求めている飼い主たちに会い、ペルシャ猫の双子を目にする。
「一匹百五十ドル。血統書付きですよ。買って下さいな」
「わたし、日本人なんです。いま出張でモスクワに来ていて、三日後には東京に戻らなくてはならない。連れて帰るのは、とても難しいと思うの」

 結局、気に入ってしまった米原万里は何とか日本へ連れて帰ろうとするが、税関を通過するには健康診断書にワクチン接種の証明書取得や機内に持ち込めるかなど、難問がまっていた。日本航空でなく、アエロフロートにし、知人の助けも借りて何とか飛行機に乗せることができた。さて、あとは無事、日本への入国が果たせるのか。

 

バッグに入れて通過すればいい

 「いざとなったら、バッグに入れて通過すればいいわ、ペルシャ猫は無駄哭きはしないから、ばれないわよ。飛行機に乗れたら、もうこっちのものよ。アエロフロートのスチュワーデスは猫好きばかりだから」などとニーナが物騒なことを言う。

 

神様との出会い

 日本に到着し、検疫関門へ近付くほどに身体中の血液の流れが速まっていく。
「どうしたんですか。顔色が悪いですね。お腹の具合はいかがですか」
いかん、いかん。わたしの方が伝染病の疑いで検疫に引っかかってしまうではないか。
そこに偶然、「マリさん、マリじゃないの」と。ゴスノスターエワさんだった。ブーニン、レーピン等、若手の天才ピアニストを次々に世に送り出したモスクワ高等音楽院の名教授だ。ヤマハ音楽教室のマスタークラスの教授として来日している。

「ねえ、助けて」
「どうしたんですか」
「これから検疫なんです。通してくれるかどうか心配で」
「大丈夫。ついてってあげるから」

係官はチラリとケージの中をのぞいた。
「健康に問題なさそうですね。はい、いいですよ」
「何か、証明書は?」
「猫ですからね。そんなもの、不要です」

なんというあっけなさ。今まで気をもんだのが馬鹿みたいである。しかし、、ゴルノスターエワさんが一緒に付いてきてくれなかったら、わたしはいまだに検疫官のところへ行けずにウジウジしていたことだろう。
「ゴルノスターエワさんに会えて、よかった」
「わたしも、マリさんに会えてよかった。こんな偶然てあるのかしら。神様っているのかもしれないわね」
「あら、知らなかった?
偶然って、神様の別名なのよ」

 

 米原万里の、このフレーズが好きです。カトリックでも、プロテスタントでもなく、もちろんイスラム教徒でもない私は、神の存在など問われることもなく、考えることさえなかったのに、このフレーズを目にしたとき、神はいるんだと思うようになったのです。単純なヤツだな、と思われそうですが。

 

 

 

 

『奔馬 豊饒の海(二)』 三島由紀夫

 

奔馬―豊饒の海・第二巻 (新潮文庫)

奔馬―豊饒の海・第二巻 (新潮文庫)

 

 

あらすじ

 今や控訴院判事となった本多繁邦の前に、松枝清顕の生まれ変わりである飯沼勲があらわれる。「神風連史話」に心酔し、昭和の神風連を志す彼は、腐敗した政治・疲弊した社会を改革せんと蹶起を計画する。しかしその企ては密告によってあえなく潰える... 。彼が目指し、青春の情熱を滾らせたものは幻に過ぎなかったのか?-若者の純粋な〈行動〉を描く『豊饒の海』第二巻。

 

日輪は瞼の裏に赫奕と昇る

 神前奉納剣道試合でひとりの少年、飯沼勲に会う。少年の脇腹のところへ目をやると、三つの小さな黒子(ほくろ)をはっきりと見た。本多は清顕の別れの言葉を思い出していたのである。「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」。彼がありありと見た転生の不思議は、正しく滝の下で、清顕の生まれ変わりに会った。飯沼少年には清顕の美しさが欠けている代わりに、清顕にかけていた雄々しさがあった。
 恋愛的青春の『春の雪』(第一巻)とは打って変わって奔馬の如く、生まれ変わった勲の真っすぐな純粋性が描かれている。

 勲のねがいは昇る日輪のもとに、輝く海をまえに死ぬことだった。「正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼(まぶた)の裏に赫奕(かくやく)と昇った」の一節で、第二巻「奔馬」は終わる。主人公は志を果して海岸で切腹したのが深夜だった。だから太陽が昇って輝く時刻ではない。解説にもあるが、勝利を収めたのは勲で、夢こそが現実に先行するものであり、著者である三島由紀夫はこの一行に託したのではないか。

 

登場人物

飯沼勲(18-19歳)第二巻の主人公。國學院大學予科学生。剣道三段。昭和の神風連たらんと行動をおこす。滝の下で本多と会う。清顕と同じく脇腹に三つの黒子がある。満20歳の年を目前に切腹する

本多繁邦(38-39歳)大阪控訴院判事となる。後に退職して勲のために弁護士になる。

本多梨枝 本多の妻。つつましい性格。夫婦に子供はいない。

飯沼茂之43-44歳)勲の父。松枝家を出た後、みねと夫婦になり、右翼団体「靖献塾」の塾長となっている。

飯沼みね 勲の母。中年肥りしている。6年前に塾生の一人と浮気し、夫に打たれ入院したことがある。

鬼頭謙輔 陸軍中将。名高い歌人。鬼頭家と飯沼家は家族ぐるみのつき合いがある。

鬼頭槇子(32、33歳)鬼頭中将の娘で、当人も歌人。勲の恋人。離婚経験者。

堀中尉(26、27歳)陸軍歩兵中尉。清顕と聡子が最初に密会した下宿屋・北崎に住んでいる。

洞院宮冶典王(44-45歳)山口で聯隊長としている。剛毅な宮様軍人。

佐和 靖献塾の年長塾員。世事に長けている。勲の理解者だが、一筋縄ではいかない人物。

井筒、相良(18-19歳)勲の学友。要人刺殺計画の仲間。

藤原武介 資本家。財界の黒幕。辺幅を飾らない人柄で愛嬌がある。伊豆山の密柑畑に別荘を持つ。

新河亭(新河男爵) (53-54歳)軽井沢に広大な別荘を持つ豪商。日本の風習を嘲笑する。右翼に狙われブラックリストに載る。勲の暗殺計画にも名前が上がり、刺殺する担当は勲であった。

新河男爵夫人 自分たちを野蛮な国(日本)に滞在している白い肌の文明人と思い、ロンドンに「帰り」たがっている。

松枝侯爵(61歳位)清顕の父。実権がなくなり、新河男爵家の別荘に集まる客の中で、唯一右翼に狙われない。

 

 

 

映画『イミテーション・ゲーム』 アラン・チューリング

 

 

第87回アカデミー賞脚色賞受賞・作品賞含む8部門ノミネート作品
コンピュータ科学の祖として知られる科学者アラン・チューリングの波瀾の人生を映画化。

 

映画化になった波瀾万丈の人生

 彼がいなければ今日のコンピュータは存在していなかったかもしれない。コンピュータの概念を初めて理論化し、エニグマの暗号解読により、対独戦争を勝利に導いたアラン・チューリング。しかし彼の生涯は罪に問われた同性愛者としての私生活や、さまざまな説が流れる死まで、波瀾万丈なものだった。映画「イミテーション・ゲーム」に、その短くも激動の人生が描かれています。

 

チューリングのもう一つの顔

 チューリングは、1947年に行われたマラソン競技で、2時間46分3秒という記録を残している。当時としては世界記録クラスのかなり速い長距離ランナーだった。ケンブリッジ大学の学部生だった頃は、往復の通学路50キロメートルを走っていたという。映画でも、走っているシーンが出てくる。

 

暗号機エニグマの解読に挑む

 英国政府が50年以上隠し続けた、天才アラン・チューリングの真実の物語。1939年、イギリスがヒトラー率いるドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が開幕。天才数学者アラン・チューリングは英国政府の機密作戦に参加し、ドイツ軍の誇る暗号エニグマ解読に挑むことになる。エニグマが世界最強と言われる理由は、その組み合わせの数にあった。暗号のパターン数は、10人の人間が1日24時間働き続けても、全組み合わせを調べ終わるまでに2000万年かかるという。

 

解読に成功するも手を出せない

 暗号解読のために集められたのは、チェスの英国チャンピオンや言語学者など6人の天才たち。そして、チューリングは遂にエニグマを解読する。しかし、解読した暗号を利用した極秘作戦が計画されるが、チューリングの人生はもちろん、仲間との絆さえも危険にさらすものだった。それは暗号解読により、ドイツ軍の攻撃目標が暴かれるが、策を取れば暗号が解読されたことを意味する。攻撃されることがわかっていても手を出せない。そして計画は実行されてしまう...

 

 

 

『雪国』 川端康成 中学生はR指定?

 

国境(くにざかい)の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 

 

雪国 (新潮文庫 (か-1-1))

雪国 (新潮文庫 (か-1-1))

 

 

『雪国』あらすじ

 親譲りの財産で、無為徒食の生活をしている島村は、雪深い温泉町で芸者駒子と出会う。島村は、許婚者の療養費を作るため芸者になったという駒子の一途な生き方に惹かれながらも、ゆきずりの愛以上のつながりを持とうとしない。冷たいほどにすんだ島村の心の鏡に映し出される駒子の烈しい情熱を、哀しくも美しく描く。

 

国境の長いトンネルを抜けると

 川端康成の「雪国」と言えば、中学校の教科書にも出てくるあの有名な冒頭。

国境(くにざかい)の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 もう何十年も前のことだが、当時先生に読めと積極的にすすめられた記憶もないし、長い間読んだこともない。そして、大きな大人?になってやっと読んでみた。

 

不朽の名作 ...

 ページをめくっていく。さすが、川端文学の美学が開花した不朽の名作!と言いたいのだが、読み始めてすぐに妙に引っかかる箇所があった。そのまま読みすすめればよかったのだが、頭の片隅に何か気になる表現が残ってしまう。まさか 川端先生が、そのような ...? まぁ、気のせいかと思い、読み進めるも気になってしょうがない。もうこうなっては真相を確かめるしかない。

 

清楚な?ブランドイメージはどこへ

 いまの時代、わからないことがあれば、すぐに調べられる。ものの数分もしないうちに分かった。そう解決はしたのだが、今度は、なぜこれが世間の話題になっていないのか余計気になってくる。でもそれは大したことではない、のです。しかし、タイトルの「雪国」といい、川端康成という清楚なブランドイメージから受ける印象とは違う。まあ、「眠れる美女」の ”片腕を一晩お貸ししてもいいわ” などと、そっち系の実績もある先生ですから、その片鱗を忍ばせたまでですね。というわけで、以下の説明はR指定でしょう。すくなくとも中学生には。

 

子供たちに勧めにくい理由(ワケ)

 簡単に言うとこの作品は、東京の舞踊評論家島村が越後湯沢に遊びに来て、汽車で出合った娘、葉子を横目に芸者駒子を買う話なのです。有名な冒頭の一節とは裏腹に「大人の話」なので、学校の先生も生徒たちには勧めにくい。問題の箇所は読み始めてすぐに訪れる。

 「もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差し指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった」

 突然、葉子の「女の片眼」が飛び出してくるあたり、かなりシュールだが、内容は要するに性的な行為の記憶で、かなりエロい。「この指だけが、~ なまなましく覚えている」や「この指だけは女の触感で今も濡れていて」、「鼻につけて匂いを嗅いでみたり」と大人でもドキっとするような表現が、こともなげにさらりと続く。思わず人差し指でなく中指だろう、とツッコミを入れたくなるが。

 

改めて大人の眼で読む

 中年太りした島村には妻子がおり、駒子にもしがらみがあって決して実る恋ではないことを自覚しているが、それでもつのる思いがあるのは島村が文学の仕事に携わっているからだろうか。駒子はもともと文学好きで毎日、日記をつけ、これまでに読んだ小説についても書きとめている。これについては湯沢温泉での川端康成自身の実体験にもとづいた話しでもあるらしい。物語は唐突な火事のシーンで終わりを告げるが、トンネルを抜けたあとの川端文学の世界を、改めて大人の眼で読むと、さらに味わい深いものになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

『ポケットに外国語を』 黒田龍之助

 

ポケットに外国語を (ちくま文庫)

ポケットに外国語を (ちくま文庫)

 

 

外国語の面白さを感じさせるエッセイ

 世界に通用するために外国語を勉強しなければ! そんな気持ちを脱力させて、言葉本来の面白さを感じ取りたい。古本屋で知らない外国語のテキストを買ってみたり、時には現地にいってみたりとあちこち思考をめぐらした結果がこのエッセイに詰まっている。外国語をもっと楽しく勉強したい人へ向けたアドバイスとして読める。

 

黒田さんの語学エッセイはどれも面白い

 肩書きは、スラヴ語学者・言語学者で英語のほか、ロシア語やウクライナ語、ベラルーシ語にも通じる言語のプロだが、著書は非常にわかりやすくて読みやすい。そしてどれも言語に対する愛情やぬくもりで溢れている。それはたぶん、絵本作家のお母様(せなけいこ)の影響があるのではないしょうか。絵本に囲まれて育ったんでしょうね。

 

春は外国語の季節

 大学ではその専攻にかかわらず外国語を学ぶ。大学生に限らない。桜の咲く頃には外国語を新たに始めようか社会人も考える。ではどんな外国語を学んだらいいか。明確な目的があればいいが、その選択がきわめて難しい。著者は、身近な人に尋ねないで自分で選ぶのがいちばんいいという。また語学の学習法には決定版はなく、レトロな方法だが基本は読書(原書)で身につける。語学には目からの情報が欠かせない。

 

お薦めの書

 著者のお薦めは、サマセット・モームの『人間の絆』。身体的コンプレックスを抱えた主人公フィリップの成長を追った物語だ。この『人間の絆』は「外国語学習小説」だという。主人公が外国語を学習する姿が克明に描かれる物語で、ヘッセの『車輪の下』あたりは典型で、外国語を学ぶことだけに熱心だった当時の私は、小説を読んでもそんなことばかりが気になっていたと。

 

黒田龍之助(くろだりゅうのすけ)

 1964年東京都生まれ上智大学国語学部ロシア語科卒東京大学大学院修了東京工業大学助教明治大学理工学部助教授などを歴任2008年NHKラジオ「まいにちロシア語」の講師を担当。著書は『外国語の水曜日』『羊皮紙に眠る文字たちスラヴ言語文化入門』『ロシア語のかたち』など多数。