きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

 

自分の最期は自分で決める
胃ろう、抗がん剤、延命治療
いつやめますか?

 

尊厳死」と「安楽死

 平穏死、自然死、尊厳死は、ほぼ同義語と考えていい。「平穏死」は、老衰や認知症の終末期、あるいは末期がんや臓器不全によるもの。「自然死」は文字通り、自然な経過の先にある死。一方で「尊厳死」という言葉は、交通事故などで意識が戻らなくなった昏睡状態における延命中止も含む、もう少し広いイメージで使われます。一方、「安楽死」は不治かつ末期の患者の希望で「人為的に死期を早める処置」です。ですから尊厳死安楽死は全く別物です。

 

自宅は世界最高の特別室

 末期がん患者に限らず多くの患者は「在宅で過ごしたい」と思う。家族との生活に満足し、天気のいい日は家族に車椅子を押してもらい、近くを散歩されることも。「抗がん剤治療を止めてからバリバリ元気になったし、明るくなった」という人も。著者は「自宅というモルヒネ効果」と呼んでいる。そして、痛みの緩和についても在宅医療でも麻薬の量でコントロールは出来ると言います。

 

生きることは食べること
 老衰における平穏死への戦略は「最期まで食べることにこだわり、胃ろうはしない」、「ご本人やご家族の希望に応じて、ときに少量の点滴をすることはある」、「毎日の生活を楽しむ」の3点を提示しています。
 病院から逃げてきたある患者さん。「一生食べさせてはいけません。食べると誤嚥性肺炎で死にます」と言われて帰ってきたのに、その1時間後には水を飲み、2時間後には少しの夕食を食べ、4時間後にはかなり元気になり、12時間後にはまるで別人のように復活されたのです。「たとえ死んでもいいから、家に帰ってご飯を食べたい」と強く希望した父に、希望が叶って本人も満足な最期だったと。家族の口から自然と「満足死」という言葉が出てきた。

 

転倒による骨折から悪循環の始まり

 歳を取るということは、筋肉量が落ちること。その結果、転倒しやすくなる。そうした転倒・骨折が「悪循環」の始まりとなる場合がよくあり、転倒→入院。これを2回繰り返すと、ある程度の年齢の方なら必ずと言っていいほど認知症が出るという。手術は成功したが寝たきりになった。そして認知症が始まって自宅に帰れなくなった、生活の質が落ちたというケースが多い。寝たきり状態になると全てが悪循環となる。だから平穏死できない原因は転倒に端を発しているという。

 

病院から患者を追い出すための胃ろう

 寝たきりになり認知症が進行。さらに口から充分に食べられなくなった場合、そのまま入院し続けられると急性期病院は大変困ることに。そこでどうするか。「とりあえず、胃ろう」となることが多いと。胃ろうさえしておけば、とりあえず栄養補給が確保され、在宅移行にせよ介護施設にせよ、老人アパートやサービス付き高齢者住宅にせよ、次の施設に移ることが可能になるだろうと「先手」を打つ場合が多い。実際、世の中には「胃ろう専門の老人マンション」まであるそうです。

 

デンマークでの「もう治療しません」

 ドイツのある養護老人ホームでは、入居者はそのホームで死を迎えることがほとんど。病院に移されることは稀で多くの場合、徐々に食事がとれなくなって衰弱して来る。老衰と判断され、そのまま見守っているうちに静かに息を引き取る。
 デンマークでは「自宅で死にたい」と意思表示しているお年寄りは、ほとんどの場合、願いが叶うらしい。最後の最後、食事も受け付けず水も飲めなくなったとすると、日本だったら病院に運ばれて、経管栄養や点滴が行われるだろう。こちらでは、水が飲めなくなったらおしまい。もう死ぬとわかったら、点滴もやらない。延命策はとらない。病院に運ばない。そして、担当のドクターの往診記録にドクター自身の手で「もう治療しません」といった言葉が記されるのだと。これらが欧米の感覚です。

 日本人の平均寿命がまた延びたと話題になっていますが、点滴や胃ろうなどで苦痛を与え、無理に寿命を延ばしているのではないでしょうか。ただの統計上の数字というだけのようです。「平穏死」や「尊厳死」という概念において、死生観や宗教観などがとても重要になってきます。

 

 

「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか (講談社文庫)

「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか (講談社文庫)

 
「平穏死」 10の条件 胃ろう、抗がん剤、延命治療いつやめますか?

「平穏死」 10の条件 胃ろう、抗がん剤、延命治療いつやめますか?

 

 

 

 

『桜田門外ノ変』 吉村 昭


吉村昭の『桜田門外ノ変

 安政七年(1860年)三月三日、雪にけむる江戸城桜田門外に轟いた一発の銃声と激しい斬りあいが、幕末の日本に大きな転機をもたらした。
 安政の大獄、無勅許の開国等で独断専行する井伊大老を暗殺したこの事件を機に、水戸藩におこって幕政改革をめざした尊王攘夷思想は、倒幕運動へと変わっていく。襲撃現場の指揮者・関鉄之介を主人公に桜田事変の全貌を描き切った歴史小説の大作。(本書より)

 吉村昭の『桜田門外ノ変』は、登場人物それぞれを個性的に表現したり、ストーリーを際立たせるという手法よりも、あくまでも資料を重視し、とことん歴史的事実にこだわるタイプの歴史小説家です。なので物語というよりは記録的な小説に近く、すべてノンフィクションの如く、惹きこまれていきます。

 

黒船来航

 長年にわたって争いのなかった江戸時代。ある日、アメリカからマシュー・ペリー提督が乗った黒船がやってきて開国を迫られます。
 その頃、江戸幕府を牛耳っていたのは大老井伊直弼。お飾りであった将軍に対して、実質的に政治を仕切っていた権力者でした。井伊直弼は外国からの圧力に屈し、日米和親条約を結んでしまいます。日本はどうなってしまうのでしょうか。武力で対抗しようと思う人もいました。また、日本には江戸幕府の将軍の上に天皇がいます。その天皇を飛び越えて、勝手に外国と条約を結ぶということはとんでもないことだという声も上がってきます。そう尊王攘夷(そんのうじょうい)ですね。

 

尊王攘夷の思想

 「尊王」は天皇を敬うこと。「攘夷」は外敵、異民族を追い払う意味です。この尊王攘夷という考えは、やがて倒幕運動に繋がっていきます。このような幕府を危機においやるような動きに対して井伊直弼は完全に封じ込めようとしました。
 吉田松陰橋本左内、瀬三樹三郎など、尊王攘夷の思想を持ち、なおかつ人々を率いていくような恐れのある人物を捕まえて処刑していきました。(安政の大獄
 江戸幕府の権力を一手に握り、外国と勝手に手を結び、はむかうものは処刑していった井伊直弼。やがて人々は日本を変え、新しい時代を作っていくには巨悪である井伊直弼を殺すしかないと思うようになります。

 

暗殺計画

 そしてついに藩に迷惑がかからないよう、脱藩した水戸藩士らによって井伊直弼の暗殺計画が実行されます。暗殺が実行された場所は、江戸城桜田門の前。そう、この暗殺事件こそが世に言う『桜田門外ノ変』です。

 

桜田門外ノ変』は正しかったのか

 さて、江戸幕府の考え方が正しかったのか、それとも倒幕を目指した志士たちの理念が正しかったのか。結果的には江戸幕府は倒され、明治政府が出来ました。
 権力者が反乱分子によって命を落したこと、これは間違いなく大きな事件です。桜田門外ノ変は、歴史の分岐点とも言うべき事件でした。しかし、井伊直弼の暗殺は本当に必要だったのか、そしてこの桜田門外ノ変が後の倒幕運動にどれほどの影響を与えたのか、そうした判断は実は極めて難しいです。結局、暗殺に関わった志士たちは捕らえられ、死罪など全員命を落としました。また井伊直弼を護衛した方も暗殺された責任を取らされ、全員死罪となったのです。義に殉じた美しき革命運動というよりも、どこか虚しさ、切なさの残る『桜田門外ノ変』です。

(立宮翔太さんの「文学どうでしょう」投稿記事を引用させて頂きました)

 

桜田門外ノ変〈上〉 (新潮文庫)

桜田門外ノ変〈上〉 (新潮文庫)

 

 

  

映画『ちはやふる 上の句』





累計1,700万部を超える人気漫画
ちはやふる』を映画化 

 

競技かるた人気

 競技かるたを題材とした青春漫画『ちはやふる』(末松由紀)の大ヒットで、日本の伝統文化の競技かるたが有名になり、人気が高まっています。また外国人の競技かるたへの関心も高まっているというのです。競技かるたに没頭する少女の青春を描いた作品は、現実社会の競技かるた浸透にも影響をおよぼしました。漫画は累計1,700万部を超え、いまも連載が続いています。

 

ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川
からくれなゐに 水くくるとは
在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

神代(かみよ)の昔にも、こんな神秘的なことがあったとは聞いたことがありません。龍田川(たつたがわ)の水面に紅葉(もみじ)が舞い散って、水を真っ赤にしぼり染めにするとは。

 

ちはやふる』とは

 タイトルになっている『ちはやふる』とは百人一首の中の一句で、1200年前の稀代の歌人在原業平が、禁じられた恋の相手を想って詠んだとされ、上記の歌が元になっています。歌には「私の燃える想いが、激しい水の流れを真っ赤に染め上げてしまうほど、今でもあなたを愛しています」という思いが込められており、” ちはやふる ” は ” 勢いの強いさま ” 、そしてその勢いがただ一点に集中している状態を表し、” 神 ” の枕詞として使われます。主人公の千早(ちはや)を表現し、また作品を象徴する歌なのです。

 

 映画として

 競技かるたを扱った漫画なんて珍しいですね。地味な?文化的世界にスポットライトを当てた作家さんがすごいです。そして映画自体とてもスリリングで、歌のことも学べます。思わず引き込まれ、涙するところも。競技かるたや歌の面白さが伝わってきて、とても新鮮でした。競技で目指す日本一は世界一ということ。主演は広瀬すず野村周平ほか。主題歌は Perfume で『FRASH』。本作のために書き下ろした曲です。

 

ちはやふる(1) (BE・LOVEコミックス)
 

 

 

「土用の丑の日」と万葉集 起源は1200年前

 

夏バテに鰻を食べる、は1200年前から
実は縄文時代から食べられていた

 

 

マーケティングの達人、平賀源内もびっくり

 「土用の丑の日に鰻を食べる」が習慣になったのは、江戸時代に平賀源内がひろめたとして知られています。しかし、源内はゆえなく夏にうなぎを食べようと言い出したわけではありません。もともと「夏バテには鰻でスタミナをつけよう」という風習があったのを、夏に売れない鰻を夏にも売れるようにと頼まれたため、「土用の丑の日」を鰻の日として利用したというお話し。平賀源内は今でいう、マーケティングの達人だったんですね。実は夏バテに鰻を食べるという文化の歴史は古く、1200年前の万葉集にすでに登場しています。縄文時代の遺跡「浦尻貝塚」から、魚の骨や貝殻などと一緒にウナギの骨も見つかっているということなので、実際はもっと古くから身近な食べものだったようです。

 

大伴家持万葉集 NHK短歌 2013年8月号より

石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻とり喫せ
痩す痩す生けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな

 『万葉集』巻十六には「戯笑歌」つまり人をからかって詠んだ歌が多く収められていますが、大伴家持の二首は、そのなかの「痩人(やせひと)を嗤笑(わら)ふ歌」です。

  やせっぽちの石麻呂さんに詠みかけます。「石麻呂殿に申し上げます。夏痩せに効果てきめんということですぞ、鰻を捕って召し上がりなされ」。少ししゃっちょこばった言い方に、家持のいたずら心がうかがえます。石麻呂さんのほうもたぶん、からかわれていると知りながら、「鰻ねえ」なんて思ったりする。そこをすかさず「痩せに痩せているとはいえ、生きていけるなら儲けもの。はてさて、鰻を捕ろうとして川に流されなさるな」と、先ほど言ったことの揚げ足を取るように詠んでいます。

  「痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた」とはじつに調子がよく、しかもなんと念入りにからかっていることでしょう。いまのお笑いコンビでいえば、家持がツッコミの役割で、石麻呂がボケの役割。ゆっくりの石麻呂さんに早口の家持がツッコミを入れる。そんな場面ではないかしら。

 

今年の「土用の丑の日」は2回

 2017年は2回あります。7月25日(火)と 8月6日(日)です。ちなみに1回目を「一の丑」、2回目を「二の丑」といいます。ところで、この「土用の丑の日」は夏だけでなく、春夏秋冬それぞれにあるんです。以下は今年のものでが、これで鰻を食べる機会が増えそう !?

2017年の「土用の丑の日
冬  1月26日(木)
春  4月20日(木)、5月2日(火)
夏  7月25日(火)、8月6日(日)
秋 10月29日(日)

2018年の「土用の丑の日
春  4月27日(金)
夏  7月20日(金)、 8月1日(水)
秋 10月24日(水)、11月5日(月)
冬 1月21日(日)、 2月2日(金) 

 

NHK 短歌 2013年 08月号 [雑誌]

NHK 短歌 2013年 08月号 [雑誌]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『未来の年表』 人口減少日本でこれから起きること

 
小さくてもキラリと輝く国を
自分たちの手で作り上げられるか

 

 

少子化は国家を根底から揺るがす「静かなる有事」

 日本の喫緊の課題を改めて整理するなら4点に分けられると。1つは、言うまでもなく出生数の減少。2つ目は高齢者の激増。3つ目は勤労世代(20〜64歳)の激減に伴う社会の支え手の不足。そして4つ目は、これらが互いに絡み合って起こる人口減少となる。日々の変化というのは極めてわずかであり、影響を感じにくいがゆえに人々を無関心にもする。しかしこれこそが、この問題の真の難しさだという。ゆっくりとではあるが、真綿で首を絞められるように「静かなる有事」は、確実に日本国民1人ひとりの暮らしを蝕んでゆく。こんな日本に、もう輝く未来はこないのでしょうか。

 

人口減少カレンダー

 日本の人口が減っていくことで、この先の日本社会がどうなっていくのかを、カレンダーのように一覧にしたのが本書の特徴です。それにしてもじわじわと進行していきます。以下に抜粋してみました。

 

未来の年表

2017年 「おばあちゃん大国」に変化
2018年 国立大学が倒産の危機へ
2019年 IT技術者が不足し始め、技術大国の地位揺らぐ
2020年 女性の2人に1人が50歳以上に
2022年 「一人暮らし社会」が本格化する
2023年 企業の人件費がピークを迎え、経営を苦しめる
2024年 3人に1人が65歳以上の「超・高齢者大国』へ
2025年 ついに東京都も人口減少へ
2027年 輸血用血液が不足する
2030年 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える
2035年 「未婚大国」が誕生する
2040年 自治体の半数が消滅の危機に
2050年 世界的な食料争奪戦に巻き込まれる
2065年 外国人が無人の国土を占領する ...

 

世界史においても「極めて特異な時代」

 私たちは人口が激減していくという、世界史においても”極めて特異な時代”を生きています。しかも、少子化も高齢化も歯止めがかかる見通しはなく、この極めて特異な時代はかなり長期間にわたって続きそうです。100年後も豊かな社会であり続けるためにも、なにか手立てはないのでしょうか。そこで、著者は選択肢として「戦略的に縮む」ことを提言しています。

 

「戦略的に縮む」

 時代を先取りし、” 小さくてもキラリと輝く国 ” を自分たちの手で作り上げようと提案しています。取り組むべきは、人口が少なくなっても社会が混乱に陥らず、国力が衰退しないような国家の土台を作り直すことだと。日本を救う「戦略的に縮む」ための、10の処方箋を提示。一つは、高齢者の定義を変えて数を減らしてしまおうと。次は、24時間社会からの脱却。それは「便利過ぎる社会」からの脱却ということ。三つ目は、非居住エリアの明確化。ほかには都道府県の飛び地合併など。そして最後に、公費負担分を遺産相続から徴収する「社会保障費循環制度」を提言しています。これらの処方箋が、すべてを解決してくれるわけではないでしょうが、かといって大胆な政策を打たずして起死回生などありそうもないのです。

 

 

 

 

 

 

 

本を読むときに無意識にしている8つのこと

 

 

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本を読むときの8つの習慣

普段、本を読むときに特別に心がけていることなどあまりないのですが、なにかいろいろなことをしているようです。以下に、思いついた8つのことを箇条書きにしてみました。最初は意識的にしていたこともありましたが、慣れると無意識にしています。

 

 

① わからない漢字や用語はその場で調べる

本を読んでいて、読めない漢字や忘れてしまった漢字が出てきますが、そんなときはスルーしないで、その場で調べるようにしています。いまの時代、簡単に調べられますから。そしてスマホにでも読みや意味をメモしておきます。そうすると自分だけの辞書ができますね。知らない用語も同じように調べます。たとえばこんな感じです。

勅語(ちょくご)天皇が国民に対して発する言葉
云々(うんぬん)でんでんではない
喫緊(きっきん)差し迫って大切なこと
杞憂(きゆう)無用な心配
出色(しゅっしょく)際立って他より優れている
毀損(きそん)物をこわす、信用をそこなう、名誉棄損(毀損)
帰結(きけつ)決着するところ、落ち着くところ
今上天皇(きんじょうてんのう)在位中の天皇
ネトウヨ(ネット上の右翼の総称)
ガバナンス(統治能力、支配、管理、そのための機構や方法)
ジェンダー(社会的意味合いから見た性区別)
ダイバーシティ(多様性、多様化)
ポピュリズム(大衆に迎合し人気を得る政治姿勢)
ネグレクト児童虐待、障害者虐待、高齢者虐待、育児放棄、監護放棄など)

儚い(はかない)、穢れ(けがれ)、煽る(あおる)、憤り(いきどおり)、蔑む(さげすむ)、貶める(おとしめる)、逞しい(たくましい)、掌(てのひら・たなごころ)、滲む(にじむ)...  読めそうで読めないものもありますね。書くのも大変です。

 

② 引用できそうな文章や言葉はメモしておく

本を読んでいて面白い言い回しや、よく出てくる言葉、ほかで使えそうなフレーズなどが出てきたら、メモしておきます。

たとえば「糊口(ここう)をしのぐ」。意味は、貧しい生活を内職をしてしのぐとか。米原万里の「通訳で糊口をしのぐ」や、樋口一葉は逆に「文学は糊口の為になすべき物ならず(文学では内職にならない)」と、2つの書籍で目にしたのでメモしておきました。

 

③ 巻末の参考文献は要チェック

一冊の本を完成させるのに、著者はたくさんの本を読んでいるはずです。その著書に参考文献が記載されていたら、それにも目を通しておきます。その中からまた読みたい本がでてきたりしますしね。

 

④ 注釈や解説にも目を通す

巻末の注釈・注解や、解説も読みます。特に内容が難しくて、すぐに理解できないときは解説が助けになります。それでもわからないときは、ネットで調べたり、解説本を探したり。注解があまりにも多い本などは、読むのも一苦労ですが。

 

⑤ 冒頭と最後の一文に注目

特に、出だしの部分は作家が全神経を注ぐところです。ここに注目します。たとえば、夏目漱石の『坊っちゃん』の冒頭部分を見てみると ...
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校の時分、学校の二階から飛び降りて一週間程、腰を抜かした事がある。同級生が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい、弱虫やーいと、囃したからである」
本当に無鉄砲で、やんちゃな主人公というイメージと、これからはじまる小説全体の面白さや雰囲気が伝わってきます。

そして最後の一文に注目するのは、たとえば、芥川龍之介の『羅生門』。平安京の都に天災や飢饉で、羅生門に運びこまれた多くの死体。門の下で雨宿りをしていた一人の下人(男)はここで飢え死にするか、盗人になるか、生きのびる道を探します。そして、盗人になるより外に仕方がないと。死体から髪の毛を抜いていた老婆の着物をはぎ取り、足にしがみつこうとする老婆を蹴り倒して、またたく間に夜の底へかけ下りた。
鬼がすむ平安京の闇。現代には鬼はもういない、本当にそうでしょうか。羅生門で鬼となった下人のその後を、芥川龍之介は最後にこう書いています。
「下人の行方は、誰も知らない ...  」
鬼はいまも心の闇にすんでいるのです。

 

⑥ 繰り返し読む

せっかく出会った本です、一度読んだきりで処分してしまうというのはもったいないですね。気に入ったものは何度も読みましょう。読むたびに発見があります。

大江健三郎の著書にフライ(文学理論の専門家)のことばをこう引用しています。「あらためてもう一度その本を読む、つまりリリーディングすることは、はじめてその本を読んだ時とは別の経験なのだ」と。真面目な読者とは「読みなおすこと」をする読者のことだと述べています。

ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、読書するとは自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだといいます。本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻(はんすう)し、じっくり考えたことだけだと。

 

⑦ 面白くなかったら読み飛ばす

なかには興味をそそらない本もあります。そんなときは軽く読み飛ばすか、あるいは思い切って読むのをやめてしまう。また、ちょっと難しそうなものは少し時間をおいてみるか、解説本やマンガ・コミック化してるものがあるのなら、そちらに目を移してみるのもいいと思います。勿体ないのは、難しそうだからと敬遠してしまうことです。

 

⑧ 作家・著者の顔写真を見てみる

夏目漱石川端康成の顔は知っていても、はじめて読む作家などは、どんな人物なのか興味がありますね。どんな人生を送ってきた人なのか、また風貌やエピソードも小説の内容と一緒に頭の片隅に入れておくと、あとでイメージしやすくなります。

跡取りとして医者を期待された中原中也は、弟の死で文学の道へすすみます。30歳で亡くなるまで350編以上の詩を残しました。銀座の有賀写真館で撮った写真が残っていますがイケメンでしたね。「汚れっちまった悲しみに、なすところもなく日は暮れる... 」

  

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Wikipedia

 

 著作 : きょうも読書

 

 

 

 

 

 

 09-2449

『桜の樹の下には』 梶井基次郎 

 

桜の樹の下には
屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ

 

 

桜の樹の下には

 前回の『檸檬』に続いて、今回は『桜の樹の下には』です。わずか4ページの小品ですが、いきなり屍体(したい)が桜の樹の下に埋まっているという、衝撃的なはじまりです。
 桜があれほど美しいのには何か理由があるのだ、と桜の美しさに不安を感じる主人公が、死体という醜いものが樹の下に埋まっていると想像することで不安から解放される、という内容です。この「桜の木の下には死体が埋まっている」は都市伝説の元ネタにもなっているようです。

 

小説の冒頭部分と最後の部分

 桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二、三日不安だった。しかしいまやっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ ...

 ... 今こそ俺は、あの桜の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒がのめそうな気がする。

 

生と死の均衡

 著者である、梶原基次郎の生活の背景は『檸檬』をはじめとして、いずれも病鬱と倦怠の世界が中心になっているようです。逆にこのような境遇だったからこそ、文学的作品が生まれたともいえますね。常に、そこには生と死の対比があり、かれの青年期を苦しめ抜いてついに死にいたらしめた結核、それに随伴する神経衰弱がそのまま作品に反映したものです。檸檬爆弾に続きこんどは、屍体爆弾で均衡を取ろうしたのが、次の一節からも読み取れます。
 俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になってくる。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心はなごんでくる ...

 

檸檬 (角川文庫)

檸檬 (角川文庫)