きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

一期は夢よ ただ狂え 閑吟集

 

「何しようぞ  くすんで  一期は夢よ  ただ狂え」
閑吟集より)

 

何になるだろう
真面目くさってみたところで
しょせん、人生は短い夢よ
ただひたすらに面白おかしく
遊び暮らせ

 

 

閑吟集(かんぎんしゅう)とは

 室町時代後期の小歌の歌謡集。永正15年(1518年)に成立。ある桑門(世捨て人、出家した修行者)によってまとめられた歌謡集で、編者は不明。室町びとが感情を託して歌った311首がおさめられている。恋愛歌が中心。小歌230首のほか、大和節・田楽節・早歌・放下歌・狂言小歌・吟詠などを収める。

 

「何しようぞ  くすんで  一期は夢よ  ただ狂え」

 閑吟集のなかのひとつだが、印象に残る歌だ。大意は「真面目に生きたところで何になろう。人生は所詮、幻のようなもの、我を忘れて何かに興じよ」か。
 本来は恋愛歌からきているので、根本的には男女愛欲の海のなかで両手両脚を奔放になげだし狂い游ごうよという意味。

くすんで = 真面目くさる、生真面目である、悟りすます
一期(いちご) = 人の一生、生涯
夢 = あっという間に消え去る「はかないもの」の例え
ただ狂え = 狂ったように一生懸命生きればいい

 

無常観から享楽主義へ

 仏教的無常観によって悟りを求める現実拒否の悲観的な考え方を否定し、享楽的に人生を送ろうという現実肯定的な内容の歌。「憂き世(つらい世の中)」を「浮世」としてとらえ始めた室町時代末期の風潮を背景にしている。weblio古語辞書より)

 

人生の終わりに思う

 我が人生の来し方行く末を鑑みても、可もなく不可もない、しょぼくれた人生がだらだらと続き、ある日だれにも知られず、あっけなく死んでいくのだろう。思いどおりにならない人生前半戦もとうに過ぎ、気がつけば、はや終盤にも達しようかという齢に。ひとは人生の終わりになってやっと「一期は夢よ」、そう思うのだろう。

 

 

世間はちろりに過ぐる  
ちろりちろり

何ともなやなう  何ともなやなう
浮世は風波の一葉よ

何せうぞ  くすんで
一期は夢よ  ただ狂へ

 

 

一期は夢よ、ただ狂え

一期は夢よ、ただ狂え

 
新訂 閑吟集 (岩波文庫)

新訂 閑吟集 (岩波文庫)

 
閑吟集を読む

閑吟集を読む

 
閑吟集―孤心と恋愛の歌謡 (NHKブックス (425))

閑吟集―孤心と恋愛の歌謡 (NHKブックス (425))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知らないことはスマホでググる

 

 

知らないことは調べる
スマホググる、とにかくググる
それでもわからないときは本を買う

 

 

f:id:muchacafe:20180708014511j:plain

 

スルーしないでその場で調べる

 普段、本を読むときに特別に心がけていることなど、あまりないのですが、なにか無意識にいろいろなことをしているようです。
 そのひとつに、読めない漢字や忘れてしまった漢字が出てきますが、そんなときはなるべくそのままにしないで調べるようにします。いまの時代、スマホでかんたんに調べられますから。そして読みや意味を同じようにスマホにメモしておきます。そうすると自分だけの辞書ができます。漢字だけでなく、知らない用語も同じように調べ、またちょっとしたひと言なんかもメモしておきます。

 

調べることをクセにする

 以前は、わからないことは辞書で調べるか、あるいは人に聞くという手段くらいしかありませんでした。ネット検索できる現在は、おおよその情報を即時に把握でき、また画像検索もできます。名前はわかるけど顔がうかばない、時事用語を知りたい、テレビやラジオで取り上げられた本を調べるなど、ググればその場で知ることができます。調べた本は購入することも可能ですしね。とにかく、すぐに調べられるわけですから、これをクセにしてしまうことです。

 

生活や学習のクオリティをあげてくれる

 Wikipedia などネット上の辞書にはときに誤りがあったり、Google翻訳も品質的に疑問が残ることもありますが、おおよその情報は得られます。そのような心配をするより、まずググってみる。それでもわからなければ、その関係の本を見てみる。そして自分で考える。これが生活や学習のクオリティを確実にあげてくれます。

 

 

f:id:muchacafe:20180706171711p:plain

父親の質問には検索して答えていた

 研究者で大学教員、メディアアーティストの落合陽一は小さい頃から父親によく質問をされていたという。その質問にスマホでググって調べてから答えるようにしていた。8歳からインターネットをやっていた彼は、とにかく知らないことわからないことがあればすぐに検索していたのだ。

 

わからないままにしているのはもったいない

 昔はネットがなかったので、ググるなんて言葉もなかった。しかしいまは調べようとする意思があるかどうか。つまりだいたいのことは調べればわかるのに、「わからないことをわからない」ままにしている姿勢の人間はもったいない、と話す。

 

わかるようになるまで調べる

 落合陽一はこう続ける。わからないことを学ぶために大切なのは、頭の良さではなく、「しつこさ」だという。わかるようになるまで調べる。「 Aの本では〇〇といっているのに、Bの本では△△って、主張がちがうじゃん。どっちが本当か徹底して調べなきゃ気がすまない」と。

 

10年後の仕事図鑑

10年後の仕事図鑑

 

 *上記の紹介書籍は今回の本文内容とは関係ありません

 

 

 

 

 

 

 

村上春樹 ロシア語版

 

 

村上春樹が、はじめて自分自身について真正面から綴った
エッセイ集『走ることについて語るときに僕の語ること』
今回は、そのロシア語版です

 

 

f:id:muchacafe:20180703135425j:plain
(ロシア語版)

 

ХАРУКИ  МУРАКАМИ 
「ハルキ ムラカミ」

О ЧЕМ Я ГОВОРЮ, КОГДА ГОВОРЮ О БЕГЕ 
「走ることについて語るときに僕の語ること」

 

f:id:muchacafe:20180703135513j:plain

 

 『走れ、歩くな』

 2007年、文藝春秋より刊行された「走ること」と自身の小説執筆の相関性を語るエッセイ。一部を除き、書き下ろしの作品。上記の写真はそのロシア語版になる。
 タイトルはレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』に由来する。なお本書は1998年頃から出版が予定されていて、そのとき村上が考えていたタイトルは『走れ、歩くな』だった。なお、本書は世界各国の言語に翻訳されている。Wikipediaより)

 

翻訳言語

英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語カタルーニャ語ガリシア語、オランダ語ポルトガル語デンマーク語、ノルウェー語、スウェーデン語、フィンランド語、ポーランド語、チェコ語スロベニア語、ハンガリー語ルーマニア語ロシア語トルコ語ヘブライ語、中国語、韓国語、ベトナム語Wikipediaより)

 

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『万引き家族』 パルム・ドール作品

 

盗んだものは、絆でしたが ...
何が正しくて何が幸せかを判断するのは難しい

 

f:id:muchacafe:20180626211123j:plain

 

パルム・ドール

 親の死亡届を出さずに年金を不正に貰い続けていたある家族の実際にあった事件をもとに、是枝が家族や社会について構想10年近くをかけて考え、作り上げた。
 第71回カンヌ国際映画祭において、最高賞であるパルム・ドールを獲得した。日本人監督作品としては、1997年の今村昌平監督の「うなぎ」以来21年ぶり。

 

あらすじ

 東京の下町に暮らす、日雇い仕事の父・柴田治とクリーニング店で働く治の妻・信代、息子・祥太、風俗店で働く信代の妹・亜紀、そして家主である祖母・初枝の5人家族。家族の収入は初枝の年金と治と祥太が親子で手がける「万引き」。5人は社会の底辺で暮らしながらも笑顔が絶えなかった。
 冬のある日、近所の団地の廊下にひとりの幼い女の子が震えているのを見つけ、見かねた治が連れて帰る。体中に傷跡のある彼女「ゆり(のちに、りん)」の境遇を慮り、「ゆり」は柴田家の6人目の家族となった。
 しかし、柴田家にある事件が起こり、家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれの秘密と願いが次々に明らかになっていく。

 

母性と法律

 街角のスーパーで万引きをする父のリリーフランキーと息子の祥汰、祖母の樹木希林、妻の安藤サクラ、風俗で働く彼女の妹で松岡茉優の5人の家族。ある日、虐待を受けていた女の子りんを父が連れて帰り、母性という名の絆の物語が始まる。
 駄菓子屋で祥汰が、5歳のりんに万引きをさせるシーン。祥汰の万引き行為を知っており許していたおじいさん(柄本明)が、妹にだけはさせるなと注意する。ここは祥汰と妹りんへの母性を感じさせる。また風俗嬢の亜紀こと松岡茉優を、血のつながらない孫にも関わらず彼女を愛する樹木希林の母性。そして妻安藤サクラの、すれすれの状況で生きているリリーフランキーへの母性がある。特に印象に残るのは、安藤サクラがりんを育てるという母性だ。職場でりんの誘拐を知られてしまうと、バラしたらお前を殺すとまでいう。
 法律のなかで生活する市井の人々。この家族はすでに法律の外で生きている。その法律によって捕われ、解体され、取り調べで子どもを持てなかった母性が崩壊していく。 
 こまったもの同士が助け合い、血がつながっていなくても支えあう家族。人類が誕生し、法が生まれるまではこのような世界であったかもしれない。悪にも理由があるかのように。

 

俳優の個性を尊重

 是枝監督は、俳優の個性を優先させるために、ときに役者にセリフの一部を任せるらしい。だから場面によって役者のアドリブもあるとか。これが上手くいけば自然の流れが期待され良い結果につながるが、役者本人の想像力とセンスが必要になる。ややもすると、現実的で俗っぽいもので終わってしまう可能性もあるということ。
 ラストで妻の信代が捕まり、取り調べの若い女性警察官に確か「あなたが産んだ子じゃないから母親にはなれないのよ」と言われ、両手で涙を何度も拭うシーンがある。たぶんこの演技も役者に任せたのだろう。監督の思惑通り、印象に残るほどの何とも言えぬいい演技だった。ただ、このときの信代の返しのセリフが「そうね ... 」だった。なおさら、ここでは何かヒカる「ひとこと」があるとよかった。

 

 

f:id:muchacafe:20180626212331j:plain
(祖母の初枝を演ずる樹木希林と妻信代の安藤サクラ

 

 

 

 

 

吉本隆明 『読書の方法』

 

なにを、どう読むか

偉大な思想家・詩人であり、また類まれな読書家でもある著者が、読書をとりまくさまざまな事柄について書いた、はじめての読書論集成。

 

読書の方法―なにをどう読むか (光文社文庫)

読書の方法―なにをどう読むか (光文社文庫)

 

 

f:id:muchacafe:20180526093125j:plain

吉本隆明(よしもとたかあき)
1924 - 2012年。東京月島生まれ。日本の詩人、評論家。東京工業大学電気化学科卒。東京工業大学世界文明センター特任教授。「隆明」を音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い。漫画家のハルノ宵子(はるのよいこ)は長女。作家のよしもとばななは次女。代表作は『固有時との対話』『転位のための十篇』など。2012年、肺炎で死去。享年87歳。
影響を受けたもの。今氏乙冶、宮沢賢治高村光太郎萩原朔太郎など。

 

 

読みおわったらなにもない

 ここ一年間で、小説やら何やら新刊本を百冊近く読んでみたんです。正直な感想を言わせていただけば、やっぱりこりゃまいったなぁー、そうとうひどいなぁー(笑)。
 いわゆる大衆小説には、面白おかしいものがたくさんあるんです。登場人物も、比較的健全ですしね。しかし、たしかに読んでりゃ楽しいが、読み終わったらなにもない。僕自身の中流意識は満足できても、僕のなかの深刻な部分は、” あれ~!? ” と思わざるをえないわけです。やっぱり、主人公に ” おまえ、そんな健全さでいいのか? ” といいたくなっちゃう(笑)。

 

いまの純文学はちっとも新しくない

 ろくな主人公が出てこないんですねぇ。性的不能者、倒錯者、精神を病んでいたり、おかしなやつばっかり(笑)。たしかに病的なのは文学の特権でもあります。病的な登場人物が、文学者の鈍感さの証明だとしたら予言的ですらあるんです。
 ところが、いまの純文学は読んでいても、ちっとも新しくない。この程度の異常さを読み取るなら、経済統計でも眺めていたほうが、よっぽどいい。

 

この次に何を書くか期待させる作家

 たとえば、この東京という都市を扱うにしても、進歩か退廃かという原理的な視点からは、何も見えてこない。東京はきわめて便利で、しかも退廃しているという意味では、不気味な都市なんです。
 そこで未来に挑戦している村上春樹村上龍は、ホープだと思いますね。ときどき、 ” 通俗的でかなわんよな ” とは思っても、成功しているときは、やはり凄い。都市のわからない部分、気味悪いところへ感覚で挑んでいく。この次に何を書くかなと期待させる作家は、この二人だけだね。

 

大女流作家の王道を歩く

 女流では、一時の山田詠美さんには ” これは凄まじいぜ ” って迫力があった。こんなスゲエことをババアになるまで書き続けるのか(笑)。しかし、いまはわかんないところがないんです。あれは、何を書くのかわかっているよさですね。ますますウデも良くなって、大女流作家の王道を歩いている。
 僕は、何から読み始めてもいいと思うんです。現代文学がつまらない人は、夏目漱石とか芥川龍之介太宰治などの一昔前の新古典から読み出すのもいい。むろん評論でもいいし科学本でもいい。

 

書物は滅亡するメディア

 このままいけば、客観的に考えて、書物は滅亡するメディアです。即時性も、同時性も、ない。新たな性格を与えないと生き延びられないかもしれませんね。もちろん、開かれた書き方をする作家も必要だが、開かれた読み方をする読者の出現を期待しているんです。
 ” 自分が読みにくいものばかり書いているのに何だ ” と言われれば、” はい、もうしわけありません ” と言うしかないけれど、なかなか理想通りにはいかないんですよ(笑)。

 

2001年11月・光文社刊
2006年5月初版『読書の方法』より抜粋

 

 

 

 

 

 

 

『日本の名著』 この50冊の名著を読む理由

 

私たちは近代の思想遺産、少なくともこれらの50の名著は活用せねばならぬはずである

 

f:id:muchacafe:20180618215404j:plain

 

日本の名著―近代の思想 (中公新書)

日本の名著―近代の思想 (中公新書)

 

 

『日本の名著』  近代の思想(改版)桑原武夫

 人間は虚無から創造することはできない。未来への情熱がいかに烈しくても、現在に生きている過去をふまえずに、未来へ出発することはできない。
 私たちは、明治維新から1945年までの日本人の思想的苦闘の跡をどれだけ知っているであろうか。日本の未来を真剣に構築しようとするとき、私たちは近代の思想遺産 ― 少なくともこれらの50の名著は活用せねばならぬはずである。
 私たちは近代国民としての自信をもって、過去に不可避的であった錯誤の償いにあたるべき時期にきている。(本書より)

 

すぐれた作品がきわめて多い

 『日本の名著』というタイトルで、明治維新から1945年までのすぐれた本を選びだしており、それぞれに解説がついている。この95年間にはすぐれた作品がきわめて多いという。文学上の創作は除き、そこで対象を哲学、政治・経済・社会、歴史、文学論、科学にかぎり、「近代の思想」という副題をつけている。夏目漱石など文学者は、評論から選び、創作は除いてある。
 ここでは、その50の本のタイトルを挙げておきます。各著者の紹介文を読んでいるだけでも人生の縮図をみているようで面白く、当然その著書にも興味がわいてきます。

 

福沢諭吉 『学問のすゝめ』
田口卯吉 『日本開化小史』
中江兆民 『三酔人経綸問答』
北村透谷 『徳川氏時代の平民的理想』
山路愛山 『明治文学史
内村鑑三 『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』
志賀重昂 『日本風景論』
陸奥宗光 『蹇蹇録(けんけんろく)
竹越与三郎『二千五百年史』
幸徳秋水 『廿世紀之怪物帝国主義

宮崎滔天 『三十三年之夢』
岡倉天心 『東洋の理想』
河口慧海 西蔵チベット旅行記
福田英子 『妾(わらわ)の半生涯』
北一輝  国体論及び純正社会主義
夏目漱石 『文学論』
石川啄木 時代閉塞の現状
西田幾多郎善の研究
南方熊楠 『十二支考』
津田左右吉『文学に現はれたる国民思想の研究』

原勝郎  『東山時代に於ける一縉紳(しんしん)の生活』
河上肇  『貧乏物語』
長谷川如是閑『現代国語批判』
左右田喜一郎『文化価値と極限概念』
美濃部達吉憲法撮要』
大杉栄  『自叙伝』
内藤虎次郎『日本文化史研究』
狩野亨吉 『狩野亨吉遺文集』
中野重治 『芸術に関する走り書的覚え書』
折口信夫 『古代研究』

九鬼周造 『「いき」の構造』
中井正一 『美と集団の論理』
野呂栄太郎『日本資本主義発達史』
羽仁五郎 『東洋における資本主義の形成』
戸坂潤  『日本イデオロギー論』
山田盛太郎『日本資本主義分析』
小林秀雄 私小説論』
和辻哲郎 『風土』
タカクラ = テル『新文学論』
尾高朝雄 『国家構造論』

矢内原忠雄帝国主義下の台湾』
大塚久雄 『近代欧州経済史序説』
波多野精一『時と永遠』
小倉金之助『日本の数学』
今西錦司 『生物の世界』
坂口安吾 『日本文化私観』
湯川秀樹 『目に見えないもの』
鈴木大拙 『日本的霊性
柳田国男 『先祖の話』
丸山眞男 『日本政治思想史研究』

 

総勢15名での選定と分担執筆

 上記の書目選定や解説については、桑原武夫をはじめ親しい友人など、以下15名の分担執筆によるもの。なお、本書執筆は1962年頃であり、選ばれた50の本のうち入手困難なものもあると想像できる。機会があれば古本屋をめぐり、探しだすのも楽しい作業になるかもしれない。

飛鳥井雅道 京都大学人文科学研究所
飯沼二郎  京都大学人文科学研究所
井上 健  京都大学理学部
上山春平  京都大学人文科学研究所
梅原 猛  立命館大学文学部
加藤秀俊  京都大学人文科学研究所
川喜田二郎 東京工業大学理工学部
河野健二  京都大学教養部
桑原武夫  京都大学人文科学研究所
高橋和己  立命館大学文学部
多田道太郎 京都大学人文科学研究所
橋本峰雄  神戸大学文学部
樋口謹一  京都大学人文科学研究所
平山敏治郎 大阪市立大学文学部
松田道雄  医学博士

以上、共同執筆者(五十音順 所属は執筆時)

 

 
桑原武夫著『文学入門』 

 

 

 

 

 

 

 

 

『江副浩正』 リクルート運命の岐路

 

なぜ彼にだけ見えたのか
なぜ彼は裁かれたのか

 

 

ボタンの掛け違いから生じた事件

 まるでドラマでもみているようだ。500ページにもおよぶ本書は、いっきに読みすすめられた。Amazon をはじめ、多くの書評には彼への称賛の言葉が並ぶ。稀代の経営者、偉大な起業家と。しかし、ひとつの成功体験がつぎの欲を生み、学生側に立つんだ、社会のためになるんだ、という大義のかげに隠れた欲の連鎖が、この悲劇を生んだともいえる。ボタンの掛け違いから生じたこの事件も、20数年ぶりに会う野村證券リクルート担当だった廣田光次のひと言が、涙を誘う。

 

 

江副浩正

江副浩正

 

 

 

 

 

f:id:muchacafe:20180617090513j:plain

 

 

江副浩正(えぞえひろまさ)
 1936年今治市生まれ。甲南中学校・甲南高等学校を経て、東京大学教育学部教育心理学科卒業。リクルートを創業し、大企業に成長させた。1988年(昭和63年)1月に会長に就任、同年6月に「リクルート事件」報道が始まり、1989年(平成元年)2月に逮捕。リクルート裁判は14年間、開廷数322回に及び、日本の裁判史上記録的であった。2003年(平成15年)3月、執行猶予付き有罪判決を受けた。2013年(平成25年)2月8日、東京都内で死去。


リクルート事件とは
 1980年代、情報サービス会社リクルートが、政界、官界、財界の要人に子会社のリクルートコスモスの未公開株を譲渡、贈賄罪に問われた事件。
 1985年から1986年にかけて自由民主党の有力者や野党国会議員のほか、労働省や文部省の高官、財界の大物などに対し、本人あるいは秘書名義などでリクルートコスモスの未公開株を譲渡し、店頭公開後に大きな売却益を上げさせた。
 1988年夏、神奈川県川崎市の助役がリクルートコスモス株の譲渡を受けていたと報道されたことを発端に、事件が中央政界に波及した。その過程でリクルートが政治家に多額の献金を行っていたことや、政治家主催パーティ券を大量に購入していたことが判明、国民の政治不信が一気に高まった。
 その責任をとり、1989年6月に竹下登首相が辞職した。リクルート会長の江副浩正をはじめ贈賄側4人、収賄側8人の計12人が起訴され、全員に有罪判決がくだされた。

 

 

 

f:id:muchacafe:20180617090757j:plain
安比高原スキー場創業者江副浩正記念碑)

 

江副浩正の最期

 本書冒頭は、江副浩正の死とその死体検案書からはじまる。88年、リクルート事件で江副は会長職を退任する。その3年後にはリクルート株を売却、完全にリクルートを離れた。昭和の最後の日まで戦後の日本を駆け抜けた起業家は、静かに表舞台を降りた。
 2013年1月30日、江副浩正は運転手に東京駅の八重洲口まで送ってもらうと、東北新幹線の改札に向かった。最近ではめっきり歩幅が狭くなり、歩行もおぼつかない。そしてはやぶさ号は盛岡駅に滑り込んだ。江副の乗ったタクシーは凍りついた高速道路の闇を、彼が開発を手掛けた安比高原に向かって進む。この日も思い切りロング滑降に挑もうとしていた。江副のスキーはプロ級の腕前だった。
「また来週、それでは」たった1泊の旅だった。16時24分、やまびこ48号は東京駅のホームに滑り込んだ。酔ったのだろうか、網棚にボストンバッグを置き忘れたことに江副は気が付かない。列車からホームに降りるとき、足がもつれた。ホームから改札口に向かって歩き始める。一歩を踏み出す。だが、体はそれに逆らうように、そのまま倒れた。ホームに後頭部がたたきつけられる。16時28分、脳骨が割れる音が鈍く響いた。駅係員があわてて駆け寄ってくる。だが、そのときにはすでに、江副に意識はなかった。
 病院に運び込まれて、そのまま眠り続けた江副浩正は、2013年2月8日、15時20分、息を引きとった。享年76歳だった。


情報誌の先駆け

 60年、江副は東大卒業と同時に大学新聞広告社を興す。その2年後にはわが国最初の情報誌となる「企業への招待」を創刊した。続けて中途採用者向けに「週刊就職情報」、女性向けに「とらばーゆ」を刊行。その後は進学、住宅、旅行、車、結婚など、様々な分野で情報誌を出し、いずれも成功させた。
 高校・大学の同級生に政治家が何人かいて、彼らが政治資金集めに汲々とする姿を江副は早くから見てきた。政(まつりごと)に集中してもらうためにと、これはと思う政治家には熱心に政治献金をしていた。
献金は、リクルートのためにしているわけではない。日本のために働いてもらいたいと思って個人的にしているものだ」
 江副は政治好きだった。


株式上場をしようと思う

 野村證券の第二事業法人部の廣田光次が江副のもとに耳寄りな情報をもたらす。「今度、店頭登録(後ジャスダック、現廃止)の公募増資規制が緩和されて、2百人の株主がそろえば 2年の実績審査を経て株式公開が可能になります。規制の厳しい1部や2部市場に比べて規制の少ない非常に自由な市場ですので、江副さんの感性にも合うはずです」。これまで所轄官庁の審査や規制に縛られず事業を展開してきた江副はいち早く反応する。『株式上場をしようと思う。土地の仕入れ資金を広く市場に求めるのです」

 

 

f:id:muchacafe:20180617085304j:image

 

野村には頼まない

 江副は、日本橋のたもとの野村證券本社ビルの前に立った。「大学新聞広告社を起こして20年余、歯を食いしばってきたかいがあった」
 横に座る引受審査部の取締役に社長の田淵は顔を向けると、大きな声で言った。「すぐに検討するように」
 しかし、田淵がすぐに検討せよと命じたにもかかわらず、一向に返事はなかった。江副はいらついた。この話を持ち込んだ事業法人部の廣田に何度も問い合わせた。しかし、引受審査部の情報が一切入らない彼らには、江副への返答は一つしかない。「いましばらくお待ちを」。それが何度か繰り返された。
「ならばもういい。野村には頼まない」
 江副は大和証券に向かった。会長の千野宣時、社長の土井定包ら首脳陣が、江副を笑顔で迎え入れた。
「私どもで主幹事を務めさせていただきます。早めに2百人の株主を確保してください。おつきあいのある人、お知り合い、社会的に信用のある人々に公開前の株を持ってもらうのは、どこの企業もやっていますし、証券業界では常識です」
 軽快に答える千野に対して、重ねて江副は問うた。
「政治家の方に持っていただくのはどうでしょう」
「問題ありません」
「不思議なもので、上場が近づくと創業時の苦しいときを思い出すのでしょうか、誰もがお世話になった方々に株を渡したくなるもののようです。証券業界の内規では、上場1年前からの株譲渡は禁じられていますので、お渡しになるならお早めにお願いします」。両首脳の笑顔に送られ、江副は満足して大和証券を後にした。その後、江副はことあるごとに、こう言って表情を硬くした。
「野村に断られた。いまに臍をかむのは野村だ」
 登録準備2年間の観察期間が終え、コスモスは86年10月店頭登録を迎えた。


売り上げ1千億円達成

 1983年10月12日、東京地裁ロッキード裁判丸紅ルートで田中角栄元首相に対して懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を言い渡した。
 その年の12月、リクルートは初めて売り上げ1千億円を達成した。そして次は「これだ。リクルート1兆円の事業基盤はニューメディアだ」。早速、IBM出身でコンピュータに詳しい位田尚隆を室長としたニューメディア室を立ち上げる。

 

 

f:id:muchacafe:20180617093346p:plain
日経BP社)

 

マスコミの江副たたき

 江副は押しも押されもされぬ若手ナンバーワン経営者として躍り出ていた。だが、リクルートが大きく成長し、経済界で江副に対する声望が高まるのと反比例するように、好意的だった一部マスコミが江副たたきに転じ始めた。
「売り上げが1,500億円、急成長江副リクルート商法に騙されるな」
「女連れ新財界人たちの沖縄旅行、リクルートノエビア両社長 ... 」
日経ビジネス」に金融界で噂されるリクルートの借入金の多さを報じられ、担保は成長力しかなく、成長が止まればリクルートの経営は危うくなると警鐘を鳴らした。
 不動産やノンバンク事業に傾斜し、ニューメディア事業で疾走する江副のなりふり構わないワンマンぶりに対して、社内ではひそかにこう言い交され始めていた。「江副2号」と。敬愛の念を込めて「江副さん」と言っていた社員たちが、絶対君主のようにふるまう江副にとまどい、その変容ぶりを嘆くかのようにそう呼んだのである。「住宅情報」を開発したころの江副が「江副1号」だとすると、いまの江副は「江副2号」だというわけだ。企業というものは、繁栄の最中に崩壊の芽をはらむものなのか。 


疑惑報道

 「『リクルート川崎市誘致時、助役が関連株取得、公開で売却益1億円 資金も子会社の融資 川崎市が計画した『かわさきテクノピア地区』へリクルートの進出が決まった時期に」。「いかにも江副さんだな、地方の公務員にも渡していたか」
 江副は無類の贈りもの好きだった。リクルートに「政治部長」との異名をとる元教科書出版会社の営業経験者が入ってきてから、さらに様相が変わってきた。接待営業に慣れたその男の指図で、リクルートの歳暮・中元時の贈り先は顧客だけでなく政官界にまで広がり、贈答物は年々派手になっていった。


次々と暴かれる株ばらまき

 7月に入り、新聞各社は未公開株の譲渡先として渡辺美智雄自民党政調会長加藤六月前農水大臣、加藤紘一防衛大臣塚本三郎民社党委員長、中曽根康弘前首相、安倍晋太郎自民党幹事長、宮澤喜一大蔵大臣と、要職に就く政治家の名前を次々に暴いていった。
 そのほとんどが、コスモス株店頭登録当日か翌日に株を売却。3千万から5千万円、多い政治家は1億円を超える売却益を手にしていた。庶民には増税を迫る一方で、政治家たちは、一般人にはまず手に入らない未公開株で巨額の金を手にする。その事実が白日の下にさらされ、庶民の怒りに火がついた。


自宅に銃弾撃ち込まれる

 江副はリクルートの会長職を辞した。眠れず、食欲もなく、汗だけが限りなく流れる日々に、江副の心身は急激に疲弊していく。7月26日、毎年人間ドックを受診してきた半蔵門病院に、倒れるように担ぎ込まれた。
 8月10日南麻布の自宅に銃弾が撃ち込まれた。意味不明の犯行声明が通信社に届く。
「コスモスは反日朝日に金をだして反日活動をした。赤報隊一同」
 

 

f:id:muchacafe:20180617205824j:plain

 


社内の一斉捜査

 10月20日東京地検は松原コスモス社長を贈賄容疑で逮捕した。それを受けてコスモス、リクルート社内を一斉捜査、大量の書類を証拠物件として持ち帰った。
 多くの人が江副と疎遠になっていくなか、立っていられないほどに消耗し自死の誘惑に耐えている。
 89年1月7日、昭和天皇崩御。一つの時代が終わった。
 89年2月13日、江副は逮捕を告げられた。小菅拘置所に向かう車に乗せられた。
 丸裸にされると、10人ばかりの看守が見守るなかを江副は歩かされた。真ん中に立つ看守の所に行きつくと、男は四つん這いになれと命じた。言われるままに伏すと同時に、江副の肛門にガラス棒が突き入れられ、看守はその棒をぐりぐりと前後にかき回した。苦痛が走る。屈辱感のなかで、涙を流す。そのあとから悔しさが追いかけてきた。
「126番立て」
 自分はものではない。頼む、名前で呼んでくれ。いや、おまえでもいい。番号で呼ばれるのは、ごめんだ。


13年に及ぶ長き私戦

 逮捕から、113日目の6月6日、江副は、NTT、労働省、文部省、政界4ルートの供述書のすべてに署名して保釈金2億円を払い、大勢のカメラマンが取り囲むなか小菅拘置所を出た。その後、江副は13年3カ月におよぶ私戦を戦い続けた。2001年12月20日、318回続いた公判審はようやく終わった。2003年3月4日、ようやく判決の日を迎えた。
「被告人を懲役3年に処する。この裁判の確定した日から5年間の執行を猶予する」


気になっていた人物

 江副の逮捕から17年。マスコミ報道があおり検察を動かす劇場型事件の図式は、一向に変わらない。通産官僚出身の投資会社社長、村上世彰とともに逮捕され、堀江貴文は車に乗り込む。その映像を、かつての自分を見るような既視感にとらわれながら、江副は見つめ続けた。
 江副には長い間気になっている人物がいた。野村證券の事業法人部でリクルート担当だった廣田光次だ。冷徹に市場を読む力と、新しいビジネスの萌芽を見つけだす才能に長けていた。店頭登録制度の規制緩和がコスモスにとって有利なのではないかと、最初に知らせてくれたのが廣田だった。主幹会社を野村に断られたため、その後、つきあいは疎くなってしまったが、できる男だ。調べてみると、野村證券を辞した廣田は外資系証券会社に転じていた。


江副の勘違い

 江副は廣田に店頭登録を断られたことについて言った。
「コスモスの店頭登録を野村に断られたことですよ。結果、私は大和証券に主幹事会社をお願いし、そして事件を起こしてしまった」
 江副の言葉を聞くなり、廣田が一気に話しだした。
「江副さん、いつかお話ししたいと思っていました。あのコスモス上場はあのとき田淵節也がお約束した通り、野村で主幹事会社をお受けする体制が整っておりました。ただ引受審査部の審査が慎重で結論が長引いておりました。私があとで審査部から聞いたところでは、コスモス社内の経理体制を私どもの基準に変更できれば、あと少しで店頭登録できるところまで来ていたそうです。それを...  」
 廣田はそこで言葉を切った。江副は初めて廣田から聞く野村の内部事情に驚きながら、廣田の言葉を受けとった。
「それを私が、野村に断られたと勘違いしたと言うのだね」
「そして、私は自分から大和証券に駆け込んだと。本当かね廣田さん」
「ええ、あれだけ話題になったコスモスさんの店頭登録でした。私どもは主幹事会社を逃してじだんだを踏みました。だからあのとき野村にコスモスさんを断る気など毛頭ありませんでした」
 廣田の話を聞きながら、江副はか細い声でたずねた。
「もう一度聞きますよ。野村に、断られた、の、で、は、ないと」
「もちろんですとも。それが証拠に、役員の鈴木と私が、偶然、同時に大阪転勤になりました。社内ではコスモスを落とした左遷人事だと噂されていました。入院なさっていたのでごあいさつもままならず、失礼してしまいましたが」


身体を張ってでも止めていた

 立っていられないくらいに憔悴した江副の口から、とぎれとぎれに言葉が漏れる。
「もし、もしもだよ、もし、野村に、主幹事の、会社を、その主幹事を、お願いしていたら、廣田さん。どうなっていました?」
 廣田は江副を支えるようにして、手を取ると、きつく握りしめながら言った。
「私がコスモスさんを担当していれば、どんなに江副さんがお望みになっても、政治家、官僚への株式譲渡は必ず止めていました。確かにあの当時、世間では未公開株の譲渡は誰もがやっていたことかもしれません。ただ私ども野村證券では、政治家、官僚への譲渡は、どなたがお客様であろうとも認めてまいりませんでした。私は体を張ってでも止めていたはずです」
 初めて告白する廣田の目に涙があった。
「それが悔しい。いかにも悔しいです」
「そうか、そうだったのか」

 江副の手を持ち、左右に強く揺さぶり続ける廣田に身を任せながら、江副はうめくように声をあげた。野村に断られた悔しさで動かなければ、リクルート事件は起こらなかったのか。ましてその後の長い裁判生活もなかったというのか。江副のなかで何かが音を立てて崩れていった。
 

 

 

 

 

 

 

017-6371