日本人に「宗教」は要らない
ひと粒の米も残さず食べる精神性
ドイツ人住職から見た「日本人の宗教観」
曹洞宗の開祖である道元禅師は、「坐禅だけでなく、日常生活も大事である」と説かれました。日々の一挙手一投足に「仏性」が宿るとされたのです。料理や掃除の作法からトイレの使い方まで、生きていく上での「実践」に重きを置いています。この日常生活の実践を、身をもって行っているのが、日本人です。
さらに日本人は、他宗教にとても寛容です。寛容だからこそ、仏教と神道とキリスト教が喧嘩せず、日本社会にうまく同居しているのです。反対に、宗教心に篤いと言われるキリスト教やイスラム教の国々では、宗教間の争いが絶えません。日本のような安定した社会、争いごとの少ない社会は、世界の中でも珍しいのです。
書名である「日本人に宗教は要らない」の真意は、まさにそこにあります。日常生活の中に、仏教や神道の教えが根付いているからこそ、日本人は宗教に無関心だったのではないでしょうか。日本人は、宗教を考える必要がなかったのです。
日本語の中にある宗教心
日本人の日常会話はとても宗教心にあふれている。「ありがとう」「すみません」「いただきます」「ごちそうさま」「もったいない」「お互いさま」など、通常の生活の中に宗教的な言葉をたくさん見つけることができる。その中でも「お陰さま」。この言葉には、何か大きなものに見守られている安心感、生かされていることへの感謝の気持ちなど、多様な意味を含んでいるように思う。それはご先祖様のお蔭でもあるし、神様や自然のお蔭でもある。
・日本人は決して無宗教ではない
・ひと粒の米も残さず食べる精神性
・親鸞聖人の「悪人正機」は禅にも通ずる
・先祖の墓の場所を覚えていないドイツ人
・長生きは幸せか
・能動的な欧米人と受動的な日本人
・日本人には理解し難いキリスト教の「親子関係」
・キリスト教のグロテスクさ など
ネルケ無方
1968年ドイツ・ベルリン生まれ
ベルリン自由大学日本学科卒
曹洞宗「安泰寺」住職