植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」

 

植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」 (小学館文庫)

植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」 (小学館文庫)

 

 

大正15年(1926年)12月25日、植木等は名古屋の病院で生まれた。イエス・キリストの誕生日(一応、そういうことになっている)と同じ日に生まれたというのも凄いが、その日に大正天皇が四八歳で逝去したというのも何だか凄い。つまり、昭和という時代は植木等の誕生と共に始まったのである。

昭和36年(1961年)この時、植木等35歳。6年前に「クレージーキャッツ」が結成され、この年から「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)が始まっていた。つまり、植木等もイケイケの時である。そんな植木に、「渡辺プロ」社長の渡邊晋はソロの歌を歌わせようと考えた。それが、植木初めてのシングルカット曲「スーダラ節」である。作詞はあの青島幸男

しかし、植木等は実はこの歌を歌うのが嫌で仕方がなかった。「こんな歌は歌いたくないと言ったら、”バカヤロー! これを聴いた人はホッとするんだよ。だから歌え” ってハナ肇に怒られた。

歌わざるをえなくなった植木は、レコーディングの前に、ある人に歌を聞かせようと考えた。相手は、「支離滅裂」な父親である。父の徹之助は親鸞の生き方に強い影響を受け、植木が3歳の時に浄土真宗の僧侶となって徹誠と改名していた。良くも悪くも、植木にとって父は常に大きな存在だった。そんな父親が、こんな歌を歌う息子のことを何と思うだろう。その反応が恐ろしかったが、しかし、だからこそまず最初に歌って聞かせようと植木は思ったのだった。

家に帰り、同居している徹誠にいった。
「お父さん、えらいことになったよ」
「なんだ?」
「僕の歌をレコーディングすることになったんだ」
「ありがたい話じゃないか、で、どんな歌だ?」

恐る恐る植木は歌い始めた。
「♪ちょいと一杯のつもりで飲んで
いつのまにやらはしご酒 ... 」
「うん、それで?」
「♪気がつきゃホームのベンチでごろ寝、
これじゃ体にいいわきゃないよ」
「そりゃそうだ」
「♪わかっちゃいるけど、やめられない。
あ、ほれ、スイスイ ... 」

「なに? ちょっと待て」
徹誠は植木の歌を途中で遮った。
「わかっちゃいるけどやめられない ... 」
徹誠は、少し考えてから頷いた。
「等、これはヒットするぞ」
「なにがヒットするだよ、こんな歌」

 

植木には父親の反応が意外だった。

「いや、”わかっちゃいるけどやめられない”って詞は素晴らしい。人間てものはな、みんな、わかっちゃいるけどやめられないものなんだ。医者にこれやっちゃいかん、先生にこれしちゃいかんと言われてもやりたくなるものなんだ。宗祖親鸞上人は、90歳で亡くなったけど、亡くなる時に、”我が生涯は、わかっちゃいるけどやめられない人生であった”と言ったんだ。それが人間てものなんだよ。青島君て人は実に才能がある。これは真理を突いた素晴らしい歌だ。ヒット間違いなしだから、自信を持って歌ってこい!」

なにが素晴らしい歌だよと植木は思ったが、蓋を開けてみれば父親の言うとおりの大ヒット。この歌が口火となり、植木は、それまでの日本にはいなかったタイプのシンガー・コメディアンとしての才能を開花させていくことになる。

 

植木 等(うえきひとし)
1926年 名古屋出身 東洋大学
1956年 クレージーキャッツに参加
1993年 紫綬褒章受章
2007年 呼吸不全により死去 享年80歳