『お金の流れで読む日本の歴史』 「悪質金融業者」だった寺の坊主たち

 


「悪質金融業者」だった寺の坊主たち

 寺社は、全国規模で展開する悪徳金融業者でもあった。そして、その代表格が、あの比叡山延暦寺だったのだと。当時、金貸業者は「土倉」と呼ばれていたが、その多くは比叡山が関係していたともいわれている。土倉は今でいう質屋とほぼ同様の形態をとるものである。質草をとって金を貸す。質草を保管するのが土倉であることが多かったので、彼らのことを「土倉」と呼ぶようになった。
比叡山の土倉は、「山門気風の土倉」と言われた。山門とは比叡山のことであり、つまり比叡山は土倉の代名詞となっていた。なぜ、比叡山が土倉となったのか? その起源は平安時代にある。

 

出挙という高利貸し

 寺社として日本有数の存在だった延暦寺は、広大な荘園を持ち、またあらゆる人々から莫大な寄進を受けていた。延暦寺には、当時もっとも大事な物資であった米が大量に集められていた。この米を比叡山にある日吉大社が、出挙(すいこ)として高利で貸し出していたのだ。出挙というのは、古代、国家が貧しい農民に種籾を貸し出し、秋に利息をつけて返還させたことに端を発している。当初は、貧民対策だったものが、次第に「利息収入」に重きが置かれるようになり、いつの間にか国家の重要な財源となった。また、私的に出挙を行う者も出てきて、それは「私出挙」と呼ばれ、貸金業と同様の業態になっていった。この私出挙を、延暦寺日吉大社が始めたのである。

 

全国の土倉にも影響

 日吉大社というのは「古事記」にもその記述がある由緒ある比叡山の神社である。延暦寺比叡山に建立された際、日吉大社を守護神とした。そのため、中世から戦国にかけて、日吉大社延暦寺と表裏一体となって隆盛を究める。そして日吉大社は、平安時代から実質的な金貸業である「私出挙」を精力的に行った。中世になり、貨幣経済が発展し「私出挙」は本格的な貸金業である「土倉」へと進化していったのだ。延暦寺日吉グループは、「土倉業界」でも首領的な存在となり、全国の土倉にも影響を及ぼしていた。

 

暴力的な取り立て

 この土倉は利息が非常に高かった。当時の普通の利息が年利48~72%だったという。現代の消費者金融をはるかにしのぐ「超高利貸し」である。そして、借り手が債務不履行になったときの「所業」が、またひどかった。現在の闇金さながらの非情な取り立てを行ったのだ。彼らは、自分たちが寺社であることを盾にして、「金を返さなければ罰が当たる」と言って脅かした。また彼らは武装した集団をかこっており、この武装集団が暴力的に借金を取り立てることも多々あった。
 比叡山に限らず、当時の有力な寺社は、金貸業を営んでいることが多かった。熊野、高野山なども有名な土倉オーナーだった。明確なデータはないのだが、中世の金貸業のほとんどは寺社が関与していたのではないか、とされている。

(本書より抜粋)

 

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