きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『沈黙』 遠藤周作

 

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 


あらすじ

 島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制のあくまで厳しい日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる ... 神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける。舞台となるのは大村、諫早、長崎だ。

 

神の沈黙

 その海の波はモキチとイチゾウの死体を無感動に洗いつづけ、呑みこみ、彼等の死のあとにも同じ表情をしてあそこに拡がっている。そして神はその海と同じように黙っている。黙りつづけている。最大の罪は神にたいする絶望だということはもちろん知っていましたが、なぜ、神は黙っておられるのか私にはわからなかった。

 

泥沼に敗れた切支丹

井上筑後守が言う「この国は切支丹の教えはむかぬ
切支丹の教えは決して根をおろさぬ
この日本と申す泥沼に敗れたのだ
日本とはこういう国だ。どうにもならぬ」と

 

神が罰を下す

 一読しただけでは、はっきり言って今の自分にはよくわからない。罪は罰となって罪人の所に戻ってくるという。全能の神は罪から罰への流れを食い止めることができるはずで、食い止めることなく、流れに任せるのならば罪は罰となって罪人を襲うことになる。その意味では神が罰を下すともいえる。食い止められるのにそうならないのは、そこに神の意志が働いている証拠なのか。このキリシタン禁制の日本へ来た司祭たちは、死をも覚悟していたと思う。しかし「東洋のうちで最も基督教に適した国」と言った聖フランシスコ・ザビエルは、布教活動の金を稼ぐため大名に武器の輸出を斡旋している、言わば武器の商人。信長もイエズス会を利用した。他にも日本人を奴隷として世界中に売り飛ばしている。また基督教を広めるために寺社を破壊していった。