きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『父と暮せば』 井上ひさし

 

父と暮せば (新潮文庫)

父と暮せば (新潮文庫)

 

 

原爆投下後の広島が舞台 

 原爆投下後の広島を舞台にした二人芝居。こまつ座にて日本各地で上演され、フランスやモスクワ、香港など海外公演も行われた。第二回読売演劇大賞優秀作品賞や朝日舞台芸術賞寺山修司賞、紀伊国屋演劇賞などを受賞。また2004年に映画化。2006年に日独対訳版が出版されている。

 

魂の再生の物語

 「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」。愛する者たちを原爆で失った美津江は、一人だけ生き残った負い目から、恋のときめきからも身を引こうとする。そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」をかってでて励ます父・竹造は、実はもはやこの世の人ではない。「わしの分まで生きてちょんだいよォー」。父の願いが、ついに底なしの絶望から娘を、よみがえらせる、魂の再生の物語なのです。

 

前口上

 ヒロシマナガサキの話しをすると「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あのころの日本人はアジアにたいしては加害者でもあったのだから」という人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。しかし、前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりではなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。
 あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、世界五十四億人の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである、と。

 

笑いと涙の芸術作品

 Amazonの書評にもあったのですが、作品の中に出てくる被爆者たちの言葉は、手記のなかにあるだけでは、光を秘めた小さな原石に過ぎないが、井上ひさしはそれを磨き上げて美しい宝石にした。それらを織り込んで創られた、笑いと涙の芸術作品だと思う。