「暮らしの手帖」とわたし

 


雑誌「暮らしの手帖」を創刊

戦後まもなく「しずこさん」は、のちの名編集者・花森安治と出会い、暮らしがもっとおしゃれに、豊かになるアイデアを集めた雑誌「暮らしの手帖」を創刊。28歳の女性がともした小さな灯は、日本の家庭をあたたかく包む大きな光となっていった。激動の昭和を駆け抜け、戦後の暮らしの復興に灯をともし続けた「しずこさん」、93年の物語。

 

商品テスト

「暮らしの手帖」の大きな柱である「商品テスト(日用品のテスト報告)」始めたのは昭和二十九年、「暮らしの手帖」二十六号から。たとえば、新しく出たトースターの性能を比較するために、パンを4万3千8百枚も焼いたりする。「4万3千8百枚」という数字がもう普通じゃないですよね。それも会社の商品開発の部署がやるのではなく、雑誌の一編集部がそこまでのことを毎回やるわけです。フライパンの品質を比較するのにホットケーキを百枚も、2百枚も焼いてみせたり、洗剤の品質テストのためにワイシャツを千枚洗ってみせたりするのだから、自分たちはここまでやるんだぞ、ちゃんと見ているぞという気迫が否応なしに伝わってくる。消費者目線に徹底した実験精神が貫かれていてた。
国境のない生き方(ヤマザキマリ)より引用

 

雑誌なのに広告がない

昨今の雑誌の主な収入は、雑誌自体の売上と広告収入で、それも広告収入の方が大きいという雑誌も多く存在する。それにも関わらず「暮らしの手帖」は自らの主義で広告収入を一切断っている非常に稀な出版社だ。ではどうやって経営しているのか。雑誌の売上だけで成り立っているのか。
「暮らしの手帖」が広告なしで経営できる理由は、実は別に収入源があるからという。そしてその収入源というのが雑誌のバックナンバー。たとえば、同誌の創刊号は発売時には7000部しか売れない散々な結果だったが、その後に知名度が上がるにつれてバックナンバーとして売れていく。そして昭和33年(1959年)までに創刊号は、累計でなんと36万部も売れている。社長だった大橋鎭子も同誌が広告を載せずに何とか経営できたのも、このバックナンバーのお蔭と語っている。
しかし「暮らしの手帖」がこれだけバックナンバーが売れたのも、同誌の内容と無関係ではない。編集長の花森安治のもと、決して流行を追ったりせず、良質の内容にこだわった。またその時々の庶民の暮らしに役立つ知恵や工夫なども満載だった。そのため雑誌にも関わらず、「賞味期限」は通常よりも遥かに長く、数年、ものによっては十年程度売れ続けた号もあったほど。
このように「暮らしの手帖」が広告なしに経営できるといった、類い稀な出版社であることは、その内容に徹底的にこだわり続けたからで、ほかの出版社が簡単にマネできることではない。