きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『ロシアについて』 司馬遼太郎

 

ロシアについて―北方の原形 (文春文庫)

ロシアについて―北方の原形 (文春文庫)

 

 

この巨大な国と日本は出会いの時から、誤解を積み重ねてきた。歴史を検証してロシアの本質に迫り、両国の未来を模索している。読売文学賞受賞。

 

 タタールのくびき

 ロシア人によるロシア国は、きわめて若い歴史であり決定的な成立は、わずか15、16世紀にすぎない。それ以前の時代、ロシア高原で農耕を営むということは、じつは危険なことだった。原スラヴ人ともいうべき農民たちが、アジア系の遊牧民族からどれほど害をうけてきたか、想像以上のものであった。
 13世紀にロシア平原に都市ができつつあり、その代表的な都市であるモスクワはモンゴル人によって破壊しつくされ、虐殺されつくした。この「タタールのくびき」といわれる暴力支配の時代が、259年のながきにわたってつづく。

 

シベリアについて

 その大地はロシアの東方にある。巨大な凍土、湿原、草原、森林が広がっている。探検家たちによって発見されたカムチャツカ半島はそれが列島であることも知った。そのはてに蝦夷島という大島があり、日本人が住んでいることまで知る。ロシアはシベリアからカムチャツカにいたるまで、要所に兵を駐屯させ、官吏を置き、毛皮商人や毛皮とりの労働者のための町をつくったが、ただ食糧や衣類だけは慢性的に欠乏した。シベリアにあっては病人や死者が多く、たえず労働力が不足し、食糧不足による飢えと野菜不足による壊血病に悩まされた。そこに日本列島がうかんでいる。ロシアと日本の因縁は、シベリアにおける飢えと渇えからおこるのです。

 

北方領土問題

 第二次世界大戦中の1945年初頭に、連合軍主要国家の首脳がソ連の保養地であるヤルタにあつまった。戦後処理についての会談がひらかれた。チャーチルは戦後、ソ連の力が膨張するだろうと予見した。また理想主義だったローズヴェルトソ連に、日本の武力圏を北方から攻めさせようとし、対日戦への参加を求めた。スターリンは対日戦をやる代償として、いくつかの条件をもちだし、承諾を得たのでした。いわゆるヤルタ協定です。全三項から成り、すべて日本および中国に関係する内容です。
 そのひとつに、千島列島が、ソヴィエト連邦に引き渡されること。これによって、いわゆる日本の「北方領土」はうしなわれた。この「千島列島」とはどの島からどの島までをさすのかという地理的規定は話し合われておらず、だからソ連が解釈しているままに島という島がごっそり対象にされ、事実上、ソ連はすべての島々をとりあげ、日本側がそこはいわゆる千島だけでなく固有領土だとする四つの島までとりあげた。当時の日本はなお交戦をつづけており、やがて敗者になる。それを見越しての三人の勝利者の分け前談義だった。
 なお、いまだに「北方領土問題」が解決できていないのには、このヤルタ協定の内容にある。それは決定的であり、致命的でもある理由があった。