坊っちゃん 夏目漱石

 

坊っちゃん (新潮文庫)

坊っちゃん (新潮文庫)

 

 

あらすじ

子どものころから無鉄砲で直情型の”坊っちゃん”。数学教師として着任した中学で手の焼ける生徒たち、臆病で無気力な同僚、ろくでもない教頭との葛藤を繰り返す。正義感に突き動かされ、反撥を重ねた末に ...

 

テンポがよく痛快

「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」で始まる「坊っちゃん」は明治三十九年(1906)、雑誌『ホトトギス』に「吾輩は猫である』と同時に発表されました。語りが生き生きしてて、テンポがよく痛快です。解説にもありますが、その根底には「尋常なる」生活者のように生きかつ書いたことでしょう。文壇という別世界にではなく、いつも世間の習俗の只中に身を置いて仕事をしていたのです。作家である以上、その眼に映じる人間の真の姿を描かずにはいられない。ところで、夏目金之助(本名)は東大英文科を特待生として卒業し、大学院にも進学。文部省の命で英国留学し、その後、朝日新聞社に入社。いわばエリートでした。そこが漱石という人間のユニークさが潜んでいるのかもしれません。ぜひ巻末の注釈も読んでください。「坊っちゃん」をより楽しめますよ。

 

清の存在

この小説をいっそう面白くしているのは、清の存在するところが大きい。十年来召し使っている清と云う下女(女中)。

母が染んでから清は愈々おれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。

もう松山へ立つと云う三日前に清を尋ねたら、風邪を引いて寐ていた。田舎へ行くんだと云い、「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。

おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落とした。おれも余り嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。

その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。