きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『雪国』 川端康成 中学生はR指定?

 

国境(くにざかい)の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 

 

雪国 (新潮文庫 (か-1-1))

雪国 (新潮文庫 (か-1-1))

 

 

『雪国』あらすじ

 親譲りの財産で、無為徒食の生活をしている島村は、雪深い温泉町で芸者駒子と出会う。島村は、許婚者の療養費を作るため芸者になったという駒子の一途な生き方に惹かれながらも、ゆきずりの愛以上のつながりを持とうとしない。冷たいほどにすんだ島村の心の鏡に映し出される駒子の烈しい情熱を、哀しくも美しく描く。

 

国境の長いトンネルを抜けると

 川端康成の「雪国」と言えば、中学校の教科書にも出てくるあの有名な冒頭。

国境(くにざかい)の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 もう何十年も前のことだが、当時先生に読めと積極的にすすめられた記憶もないし、長い間読んだこともない。そして、大きな大人?になってやっと読んでみた。

 

不朽の名作 ...

 ページをめくっていく。さすが、川端文学の美学が開花した不朽の名作!と言いたいのだが、読み始めてすぐに妙に引っかかる箇所があった。そのまま読みすすめればよかったのだが、頭の片隅に何か気になる表現が残ってしまう。まさか 川端先生が、そのような ...? まぁ、気のせいかと思い、読み進めるも気になってしょうがない。もうこうなっては真相を確かめるしかない。

 

清楚な?ブランドイメージはどこへ

 いまの時代、わからないことがあれば、すぐに調べられる。ものの数分もしないうちに分かった。そう解決はしたのだが、今度は、なぜこれが世間の話題になっていないのか余計気になってくる。でもそれは大したことではない、のです。しかし、タイトルの「雪国」といい、川端康成という清楚なブランドイメージから受ける印象とは違う。まあ、「眠れる美女」の ”片腕を一晩お貸ししてもいいわ” などと、そっち系の実績もある先生ですから、その片鱗を忍ばせたまでですね。というわけで、以下の説明はR指定でしょう。すくなくとも中学生には。

 

子供たちに勧めにくい理由(ワケ)

 簡単に言うとこの作品は、東京の舞踊評論家島村が越後湯沢に遊びに来て、汽車で出合った娘、葉子を横目に芸者駒子を買う話なのです。有名な冒頭の一節とは裏腹に「大人の話」なので、学校の先生も生徒たちには勧めにくい。問題の箇所は読み始めてすぐに訪れる。

 「もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差し指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった」

 突然、葉子の「女の片眼」が飛び出してくるあたり、かなりシュールだが、内容は要するに性的な行為の記憶で、かなりエロい。「この指だけが、~ なまなましく覚えている」や「この指だけは女の触感で今も濡れていて」、「鼻につけて匂いを嗅いでみたり」と大人でもドキっとするような表現が、こともなげにさらりと続く。思わず人差し指でなく中指だろう、とツッコミを入れたくなるが。

 

改めて大人の眼で読む

 中年太りした島村には妻子がおり、駒子にもしがらみがあって決して実る恋ではないことを自覚しているが、それでもつのる思いがあるのは島村が文学の仕事に携わっているからだろうか。駒子はもともと文学好きで毎日、日記をつけ、これまでに読んだ小説についても書きとめている。これについては湯沢温泉での川端康成自身の実体験にもとづいた話しでもあるらしい。物語は唐突な火事のシーンで終わりを告げるが、トンネルを抜けたあとの川端文学の世界を、改めて大人の眼で読むと、さらに味わい深いものになるかもしれない。