きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

ヤマザキマリの「男性論」 ECCE HOMO

 

男性論 ECCE HOMO男性論 ECCE HOMO
 

 

古今東西の魅力ある男たち

 古代ローマ、あるいはルネサンス。エネルギッシュな時代には、いつも好奇心あふれる熱き男がいた。ハドリアヌスプリニウスラファエロスティーブ・ジョブズ、安倍公房まで。「テルマエ・ロマエ」のヤマザキマリ古今東西、男たちの魅力を語り尽くす。男性論というよりは人間論でしょう。

 

「変人」は生きにくい世の中

 ヤマザキ流の「ワキワキ・メキメキ」勇士が登場するなか、わが日本からはあまり熱き男は出てこないのか?「変人」はおもしろい。しかしながらいま現在の日本で「変人」は生きにくいのかもしれない。「空気を読む」という、もはや慣用句になった最近の言葉がある。いまほど周囲の人間との同調を求められる時代があったろうか。逆にいえば、「不寛容」が進んでいるともいえそうだ。「自分もハジけずに我慢しているのだから、おまえがハジけるのも許さないぞ」と。

 

本音と建て前の国

 日本は昔から、「本音と建て前の国」と言われ続けている。しかもネットがあることによって、本音と建て前の乖離がますます激しくなっている。表では「空気を読む」ことを求められるあまり、ひじょうに抑圧を感じながら自分を押し殺し、裏の、しかも匿名のネット社会などで「本音」と称して聞くに堪えないひどい言葉をまき散らす。日常では人に対して面と向かって意見を言う勇気のない人が、ネットという顔の見えない発言権を得て、別人格なのかという勢いで憎悪感を発露させるのをみたりすると、おそろしさすら感じると。

 

植民地化をまぬがれた日本

 イタリアがなぜ、コミュニケーションを重要視するかといえば、古代ローマ時代以来の国のあり方に関係がある。他国を侵略し、侵略され、流動の歴史を持つ。対外的な交渉術に関する英知がなければ、つねに劣勢に立たされるという危機感を持っている。いっぽう、日本は歴史的に完全に他国に植民地化された経験を持たない。ペリーが黒船で浦賀にやって来たときは驚いただろうが、ともあれ植民地をまぬがれつづけた、歴史的・地理的特異性が、日本の対外的なコミュニケーション力の低さ、ひいては内向きの志向性の強さを特徴づけてしまったのではないかと、仮説する。

 

平和な国の幼稚な国民

 電車がきちんと時間通りに来ることが当たり前の日本も内向き志向がうんだものか。ぴったりにくる電車しか知らなければ、5分遅れることがたまらなく許せない感覚に陥るのが、人間というもの。
 安土桃山時代の日本に来訪したイエズス会の宣教師は、各地を巡察したのち、日本についてこう書き記した。「この国の人たちは、心が清らかで親切でかわいらしい。だけど幼稚だ」と。いまから450年も前から変わっていないのだろうか。平和な国だ。