きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『阿弥陀堂だより』 南木佳士

 

f:id:muchacafe:20170603235605j:plain


そう、こういう小説を読みたかったんです

 普段、この手の小説はあまり手に取らないのですが、読メで取り上げられていたので軽い気持ちで読んでみました。しかし、これが予想外に素晴らしく、久しぶりに良い作品に出会えました。お医者さんが書いた小説です。決して華麗でも壮大でもない、しかし、ひっそりとした山里の冬枯れした光景と取り巻く人々の美しさにすっかり心打たれました。寺尾聰樋口可南子主演の映画にもなっています。

 

あらすじ

 作家としての行き詰まりを感じていた孝夫は、医者である妻、美智子が心の病を得たのを機に、故郷の信州へ戻ることにした。山里の美しい村でふたりが出会ったのは、村人の霊を祀る「阿弥陀堂(あみだどう)」に暮らす老婆、難病とたたかいながら明るく生きる娘。静かな時の流れと豊かな自然のなかでふたりが見つけたものとは ...  

 

南木佳士(なぎけいし)

 昭和26年(1951年)群馬県出身。秋田大学医学部卒業。現在、長野県南佐久郡に住み、佐久総合病院に勤務。地道な創作活動を続けている。平成元年に「ダイヤモンドダスト」で芥川賞受賞。他に「医学生」「ふいに吹く風」「エチオピアからの手紙」など。

 

阿弥陀堂だより

 村の広報紙のコラムを書いている、声を失った助役の娘、小百合がおうめ婆さんのインタビュー記事を「阿弥陀堂だより」として載せていた。

... 目先のことにとらわれるなと世間では言われていますが、春になればナス、インゲン、キュウリなど、次から次へと苗を植え、水をやり、そういうふうに目先のことばかり考えていたら知らぬ間に九十六歳になっていました。目先しか見えなかったので、よそ見をして心配事を増やさなかったのがよかったのでしょうか。それが長寿のひけつかも知れません。

... お盆になると亡くなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやってきます。迎え火を焚いてお迎えし、眠くなるまで話をします。話しているうちに、自分がこの世の者なのか、あの世の者なのか分からなくなります。もう少し若かった頃はこんなことはなかったのです。怖くはありません。夢のようで、このまま醒めなければいいと思ったりします。

 

祖先の霊を守る大切な役割

 冬になると、集落は白一色に静まりかえる。炭火の暖房しかなく、身寄りのないおうめ婆さんを、町の老人ホームに入った方が楽に冬を越せるのではないか、などと九十六歳の老体を案じていた。おうめ婆さんに食料や炭を届けるのは区長が交代で月に一度行う役目になっていた。孝夫は区長の田辺のおばさんに聞いてみた。田辺さんは答えた。

 六川集落の祖先の霊は山にいる。古い霊ほど山の奥にいる。おうめ婆さんは阿弥陀堂に入った時点で里の人ではなく、山の人になってしまっている。我々よりもずっと霊に近い存在になってしまっている。
 おうめ婆さんは祖先の霊を守ってくれている人なので、こちらからお布施として食べ物を持って行くのはあたりまえなのである。祖先の霊を守る大切な役割を果たしている人なので、勝手に老人ホームに入れるなどとんでもない。

 おうめ婆さんに運ばれる食料が生活保護的なものではなく、祖先の霊を守ってくれているお礼として提出されているというのはすっきりした説明だった ...

 

透明感のある明るさが悲しみを救う

 はじめにもいったように、華美なところがまったくないんです。美智子のパニック障害の進行が気になるものの故郷の信州へ戻り、徐々に以前の自分を取り戻していきます。その過程は著者の実体験に基づくものでもあるらしく、共感する気持ちが自然に湧いてきます。そして、全体を通して透明感のある明るさが感じられるのです。読み終わって、自分が読みたかったのはこういう小説だったのだと、しみじみ思えるそんな1冊でした。

 

 

阿弥陀堂だより (文春文庫)

阿弥陀堂だより (文春文庫)