きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『おろしや国酔夢譚』 井上 靖 

 

幕末の開港前に
日本と
ロシアでは
民間レベルでの
交流があった

 

大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)

 1782年、船頭大黒屋光太夫ら17人の男と、廻米・木綿等を積んだ神昌丸は伊勢から江戸へ向かった。9か月後、彼らが流れ着いたのは、北の果てカムチャッカだった。望郷の思いに、ひたすら故国への途を求め、彼らは極寒のロシアを転々とし、終いにはペテルブルクへ。出航から10年近い歳月が流れていた。鎖国の世、漂流して異国へ渡った男たちのロマン溢れる冒険譚。

 

言葉を覚え、船を作る

 光太夫は、現地でロシア人と生活をともにしながら語学を習得。4年後、難破船などの材木をかき集めて船をつくると、ロシア人漂流民たちを乗せて脱出します。沖船頭を務めていた光太夫は、船の知識と指導力を発揮します。

 

ラクスマンとの出会い

 やがてたどり着いたイルクーツクで出会った博物学者キリル・ラクスマンは、日本に興味があったため極めて協力的でした。光太夫らは彼の手引きでサンクトペテルブルクに向かうとエカテリーナ2世に謁見、幸運にも帰国を許されました。

 

約10年後の帰国

 その後、根室に上陸しますが、漂流してから約10年の月日が流れていました。もっとも出航時いた17名のうち、12名はロシア領で死亡し、結局、江戸に送られたのは光太夫と磯吉のふたりだけでした。帰国後、光太夫は十一代将軍・徳川家斉の前で尋問を受け、その記録により後世に名が伝わります。そして光太夫がもたらした情報で北方での警戒に懸念を抱いた幕府は、蝦夷地防衛に乗り出していくことになります。光太夫と磯吉は江戸・小石川の薬草園に家を与えられ、余生を過ごしました。

 

エカテリーナ宮殿での撮影

 井上靖の『おろしや国酔夢譚(おろしやこくすいむたん)』は、映画化になりました。ロシア協力のもと45億円をかけた大規模なロケが行われたのですが、1991年のソ連崩壊の時期に重なり、緊張の続く撮影だったそうです。それにしてもエカテリーナ宮殿での撮影ができたのは奇跡的ですね。いまだったら不可能でしょう。それと当時のサンクトペテルブルク市長がサプチャークで、対外関係委員会議長はウラジミール・プーチンだったそうです。大黒屋光太夫といい、映画化における撮影においても絶妙な日露関係でした。

 

 

おろしや国粋無譚 [DVD]

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新装版 おろしや国酔夢譚 (文春文庫)

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