『蜘蛛の糸』 芥川龍之介

 

人間の本質を知りたければ 
芥川龍之介です

 

地獄に落ちた男が、やっとのことでつかんだ一条の救いの糸。ところが自分だけが助かりたいというエゴイズムのために、またもや地獄に落ちてしまう ...

「天国と地獄」を示す、この話の材源は、ドイツ生まれのアメリカ人作家で宗教研究家のポール・ケーラスが1894年に書いた『カルマ』の日本語訳『因果の小車』であることが定説とされています。『蜘蛛の糸』は学校の教科書にも載っていて、教材としても使われる、児童向けの短編小説です。

 

『蜘蛛の糸』の冒頭と最後の一文

 或る日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匀が、絶間なくあたりへ溢れております。極楽は丁度朝なのでございましょう ...

... そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匀が、絶間なくあたりへ溢れております。極楽ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう

 

お釈迦様は悪党にチャンスを与えます

 ある日、お釈迦様が散歩中に、ふと蓮池の底を覗いてみました。池の底は極楽とは正反対の血の池地獄で、たくさんの罪人たちが溺れそうな様子で、もがき苦しんでいました。その罪人の中に、お釈迦様の見知った顔がありました。その罪人はカンダタ犍陀多)でした。カンダタは数々の悪事を働いてきましたので地獄に落ちることは当然のことでしたが、お釈迦様はカンダタが以前、ひとつだけ善行を成したことを思い出します。
 それは蜘蛛を踏みかけた際に、すかさず止めて助けたことでした。命の尊さを知るカンダタは根っからの悪党ではないと察したお釈迦様は、そんなカンダタに極楽へと上るチャンスを与えることにしました。

 

この蜘蛛の糸は己のものだぞ

 蜘蛛の命をとらなかったことに免じて、天上から極楽へと続く1本の蜘蛛の糸をカンダタのいる地獄へと静かに垂らしたのでした。
 自分の上に垂れてきた蜘蛛の糸を見つけたカンダタは、喜んでそれを登り始めます。しかし地獄の底から極楽まで這い上がることは容易ではなく、疲れて一休みしたところで、ふと下を見下ろしました。すると下の方では、蜘蛛の糸を見つけた他の罪人たちが、カンダタの後を追うように無数に登ってくるのが見えました。
 か細い一本の蜘蛛の糸が、あの何百、何千とない罪人の重さに耐えられるはずがないと驚いたカンダタは叫びます。
「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。下りろ。下りろ。」と叫びます。
すると、その瞬間に蜘蛛の糸はプツリと切れ、カンダタはもとの地獄へと真っ逆さまに落ちていきました。その様子を天上からみていたお釈迦様は、悲しそうな表情を浮かべて、蓮の池から立ち去りました。 

 

懲りない人間

 数々の悪事を働いてきた悪党に、一つの善行でチャンスを与えるのもどうかと思うのですが、そのチャンスに、自分だけ助かればいいという気持ちで、他の罪人たちを見捨てようとし、その結果、もとの地獄へ落ちてしまったということは人間の根本的な部分というものはそう簡単にはかわらないということをいいたいのでしょうか。
 また、お釈迦様が大勢いるところに、一本の蜘蛛の糸垂らしたら争いが起こることも予想できます。ということはお釈迦様は、最初から争いが起こるのがわかっていて蜘蛛の糸を垂らしたということになります。実はカンダタの改心を試されたということになるのでしょう。自分は救われる資格はないと反省するべきだと。

 

神様が見ている

 ところで、「お釈迦様がその池のふちで蓮の葉の間から、ふと下の容子をご覧になりました」というのは、人の日常でも「神様が見ておられる」という言葉はよく言うもの。つまり本作でも、常に「自分の生き方というものは神様に見られている」ということですね。
 そして、「ふと蓮池の底を覗いてみました。池の底は極楽とは正反対の血の池地獄で、たくさんの罪人たちが溺れそうな様子で、もがき苦しんでいました。」は、「人は生まれながらにして罪人」なのでしょう。それでも、人は善行もする、その善の行いを貴重なものとして罪をも取り除くことができると教えています。「人にとって善行がいかに大事か」ということ。

 

大したことではない

 本作の冒頭部分にある「極楽は丁度朝なのでございましょう」と、最後の「極楽ももう牛ひるに近くなったのでございましょう」については何か意味がありそうです。
 下界であり地獄である地上(人間界)では、蜘蛛の糸、救いの糸を巡った壮絶なバトルが繰り返され、多くの人の言動や心の経過により幾日も経ったかのようだけれど、御釈迦様がいる天上界では「朝から昼まで」というごく短い時間の形容がなされています。それは「軽いもの」「大したことのない」という意味合いもあるのでしょうか。つまり、人には重大、甚大なことが、天上界ではべつに大した出来ごとではない、のでしょう。遠藤周作の『沈黙』にも通じそうです。
 それにしても深いですね。読みかたはひとつではありません。人間の本質を知りたければ、芥川龍之介です。

 

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

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