『富嶽百景』 太宰 治 「富士には月見草がよく似合う」

 

苦しい時期の
太宰治の心境を
富士にたとえて語る

 

浮上のきっかけを掴む富士

 富嶽百景は、太宰が29歳のときの自身の生活を綴った私小説です。20代前半に華々しく文壇デビューしたものの、当時の太宰は私生活や作品づくりに問題を抱え、芥川賞も貰えず、幼馴染の女性と自殺未遂の末、断筆に入ってしまいました。そんな中、浮上のきっかけを掴むべく、師である井伏鱒二を頼って、甲州の御坂峠にある天下茶屋を訪ねます。

 

 富士と自分の心境を対比

 この小説には、十余りの富士がでてきます。しかし、単に山としての富士を描写した文章はひとつもなく、富士を書いているようで、実はすべて心境を描いています。つまり「富士山」と自分の心境、思いを対比させています。

・東京のアパートの窓から見る富士は、くるしい。冬にははっきりよく見える。真白い三角が、地平線にちょこんと出ている、クリスマスの飾り菓子だ。

甲府市からバスにゆられて一時間。御坂峠に着き、この峠の天下茶屋から見た富士は昔から富士三景のひとつらしいが、あまり好かなかった。好かないばかりか軽蔑さえした。あまりに、おあつらえのむきの富士である。

・私は、部屋の硝子越しに、富士を見ていた。富士はのっそり立っていた。偉いなあ、と思った。「いいねえ、富士は、やっぱりいいとこあるねえ。よくやってるなあ。」富士には、かなわないと思った。

・おい、こいつらをよろしく頼むぜ、そんな気持ちで振り仰げば寒空のなか、のっそりと突っ立っている富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して傲然とかまえている大親分のようにさえ見えたのであるが。

 結婚相手も決まり、甲府に戻ってきたときの太宰は、きっととても安心して平和な気持ちになっていたのではないでしょうか。そんな心境で眺めているとき、「富士山」は何処か懐かしく、やさしく、自分の子どもの頃を思い出させる「酸漿(ほおずき)」として映ったのではないか。

 

富士には、月見草がよく似合う

「三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草はよかった。富士には、月見草がよく似合う。」
 月見草のような小さな存在であっても自分というものをしっかり持っていれば、富士の山と比べても見劣りしない...

 苦しい時期を乗り越えようと旅に出た太宰治。富士の見える茶屋にて人々の温かさや善意・好意を受け、新たな出発の過程を描いた。太宰自身と小さな存在の月見草を重ね、富士に向かって真っ直ぐに生える月見草のように生きようとする、前向きな太宰治の気持ちが込められているのでしょうね。

 

ピース・又吉「太宰治の感覚は芸人的」 ダ・ヴィンチニュースより)

 井伏氏の仕事も一段落ついて、或る晴れた日にふたりで三ツ峠へのぼった際の出来事でした。頂上へ着くも霧で何も見えず、井伏鱒二がつまらなそうにして「屁をこいた」シーンがあります。それに対して、芸人・小説家のピース・又吉直樹さんが語っています。

(本文)「井伏氏は、ちゃんと登山服着て居られて、軽快の姿であったが、私には登山服の持ち合わせがなく、ドテラ姿であった。(中略)とかくして頂上についたのであるが、急に濃い霧が吹き流れて来て、頂上のパノラマ台という、断崖の縁に立ってみても、いっこうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸いながら、放屁をなされた。いかにもつまらなそうであった。」

 おもしろい話を人に伝えるときに、実際起こったのと同じことを書いても、うまいこと人に伝わらへん。実際にその場におった人よりどうしても質が落ちるじゃないですか。そこで起こったことと同じだけの感動を呼びおこすには、そのための仕掛けが絶対に必要で、たとえば『富嶽百景』で太宰は、井伏鱒二さんが放屁したと書いてるけど、実際は退屈そうに岩に座っていただけなんですよ。それをそのまま伝えても、そのときの感じは伝わらない。 
 よく〈話を盛る〉って言いますけど、その盛り方が嘘じゃないっていうか、盛らへんほうが嘘になる。盛ることによって、その場にいたのと同じことを感じさせようとしてる。たぶん太宰は井伏さん見て、おもしろかったんだと思うんですよ。なに、この人。頂上まで来て、こんな退屈そうにして ...  ここで屁をこくぐらいが井伏さんのその時の感じが明確に伝わる。そのための工夫やったんじゃないか。井伏さん、否定してますからね。俺は屁はこいてないって。

 

 

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