きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『私の個人主義』 夏目漱石

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

 

漱石の根本思想
近代個人主義の考え方

 

学習院大学での講演の記録

 本書『私の個人主義』は、漱石が1914年に学習院大学で行った講演の記録です。文豪漱石は、座談や講演の名手としても定評がありました。
 明治という新しい時代を迎え、社会が大きく変革を遂げていた当時、若い人たちは、「自分のやりたいことがわからない」という悩みを抱えていました。この悩みはそのまま漱石の悩みでもあったのです。

 

ロンドンで生きる指針を手にする

 漱石は官費留学先のロンドンでノイローゼになり、「夏目発狂セリ」という電報が日本に届けられたほどでした。ロンドンの狭く寂しい部屋で悩み苦しみ抜いた結果、手にした答えが「自己本位」という言葉です。他人に対する気遣いではなく、自分のやりたいことから出発して目的を作っていこうという思いに至ったのです。
 この講演のなかで漱石は、
「多年の間懊悩(おうのう)した結果ようやく自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がした」
「いままで霧の中に閉じ込められたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた」
と語っています。
 漱石は「自分は教師が嫌で、どうにも定まらなかった」と言いますが、結果として国民作家という日本全体の教師になった人です。

 

他人本位への疑問

 漱石は他人本位ではなく、自己本位という考えを持つようになります。ではこの他人本位とはなんでしょうか。本文にこうあります。
「私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまう、いわゆる人真似を指すのです。 ... たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです」
 この発言の背景としてあったのは、漱石の、日本人が英文学を学ぶことに対する疑問でした。英語を母語としない日本人に英文学が理解できるのか。
 この場合、「他人本位」とは、自分の頭で読み、理解し、味わうのではなく、他人の目を借り、解釈をしてもらい、わかったような気になること。イギリス人の解釈や評価を鵜呑みにしてしまう。さらに漱石のこの問題意識は文学にとどまることなく、日本における西洋文化の移入についても通じていく。当時の日本の文化自体も他人本位のものである、と考えていた。

 

自己本位にとどまらず

 自己本位とは、「自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行く」ことであると述べている。さらに、自己本位にとどまらず、他人の個性をも尊重すること。これが漱石が言う「個人主義」と考えることができる。一方、日本文化に関しては、漱石はたとえそれが外発的なものであっても、「上皮を滑ってゆく」ものであったとしても、そうした開化は避けられないと考えていた。そのなかで個人が生きていくには「個人主義」に徹するしかない、と考えた。

 

権力や金力の危険性を警告

 漱石は持って生れた個性を自己の幸福と安住の地位をうるために発展させることの意義を強調するとともに、上流社会の子弟として恵まれた権力や金力を個性の拡張のために利用することの危険を警告した。
 英国経験論哲学に養われた漱石は、進化論の教えるように、金力や権力が奸智な利己主義に利用され、「万人の万人に対する闘争」(ポップス)の修羅場を、いかに険悪なものにするかを知らされ、また体験として知っていた。そこで、近代個人主義思想は「正義」や「義務」や「責任」の観念を導入した「道義上の個人主義」として性格づけられる。

 

漱石個人主義への思い

 何だか個人主義というとちょっと国家主義の反対で、それを打ち壊すように取られるが、そんな理窟の立たない漫然としたものではない。事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもある。国家が危うくなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨張して来る、それが当然の話です。一体国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。
 だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きを置く方が、私にはどうしても当然のように思われます。

(本書解説より)