スピッツ『楓』 切なすぎる歌詞

 

午後の紅茶、新CMで
上白石萌歌さんが名曲「楓」を歌う


 現役高校生で女優の上白石さんは、小さい頃からよくスピッツの曲を聴いていたという。爽快感あふれるメロディラインや美しい言葉選びが昔から好き。今回は『楓』を通して、遠く離れた大切な人への思いを表現した。

 

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KIRIN 午後の紅茶 CMより

 

歌詞に込められた意味

 1998年リリースされた8枚目となるアルバム「フェイクファー」に収録され、その後シングルカットされた名曲中の名曲である『楓』。
 草野マサムネスピッツのほとんどの楽曲の作曲と全歌詞を手がけている。メロディの心地よさもさることながら、その歌詞には比類するものなきセンスを感じる。しかしその意味を解釈するにはけっこう難解だ。『楓』を検索してみたら、ロッキンライフさんという方の歌詞の解説がありそれが印象的だったので、以下にその内容の一部を掲載させて頂いた。
 




 

歌詞の解釈と考察について

 ここからは先ほどのロッキンライフさんの歌詞の解釈と考察からの抜粋です。その解釈はとても切ないのですが、メロディにのると聴くものを優しく包み込んでくれるような不思議な魅力があります。
 その解釈をひとことで言うと ...  すでに死んで天国に行ってしまった君に会いたい。君との思い出を抱いて、いまの僕のままで君のところへ行きたい。僕も死んで君のところへ行くよ、でも会えるだろうか、とこんな感じでしょうか。

 

『楓』 作詞・作曲  草野正宗


忘れはしないよ 時が流れても

いたずらなやりとりや
心のトゲさえも 君が笑えばもう
小さく丸くなっていたこと

冒頭からなんだか暗い。
いきなり君とはもう別れてしまったことを示唆する言葉が登場する。

心のトゲを丸くしてくれる(君といれば穏やかな気持ちになる)、いたずらなやりとり(君とは恋人なのであろう)をしていた君となぜ別れることになったのか。

忘れはしない、とあることからすでに君と別れて時間が経っているようだ。
一体何が起こったのだろうか。


かわるがわるのぞいた穴から
何を見てたかなぁ
一人きりじゃ叶えられない
夢もあったけれど

かわるがわるのぞいた穴、とは何だろうか。
何を見てたかな?、と訪ねているということは、穴をのぞいていたのは君であるということだ。

そして、のぞくための「穴」は季節や時期によって変わるものだろう。
君のまなざしのことを「穴」と表現しているのか。
次の、一人きりじゃ叶えられない夢、であるがこの夢とは例えば「子どものいるあたたかい家庭」とかそんな感じのことじゃないだろうか。

そしてサビに入っていく。

さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう

ついに「さよなら」と明言したので、君と別れたことが確定である。

君の声を抱いていく、とは君との思い出を大事にしてこれからも生きていくということなのだろうが、単純に恋人と別れただけなのであれば、そこまでするのはおかしい。
ということは、スピッツのことだから、君とは死別したのではないか。

そして次の、僕のままでどこまで届くだろう、というのが実に意味深い。
何をどこに届けようとしているのだろうか。

僕のままで、ということは届けようとしているものは変化してしまうものだろうし、届けようとしている場所は僕がいまいる場所からずいぶん遠いところなのだろう。

ここで考えられるのが天国 ...

君はすでに天国にいて、僕の形に近い状態でなんとか思い出のようなものを届けたい、というニュアンスかもしれない。

 

探していたのさ 君と会う日まで
今じゃ懐かしい言葉
ガラスの向こうには 水玉の雲が
散らかっていた あの日まで

探していたものが、何なのか明示されていないが、なんとなくそれは「愛」に近いものであることが想像される。

懐かしい言葉とは「愛している」とかそんな感じだろうか。

君と出会ったことで愛を見つけられたからもう愛を探す必要はなく、(つまり君を本気で愛していたわけだ)君と別れてからそれなりの歳月が経つから、「愛している」をいうこともなくなって、それは懐かしい言葉になってしまったのだろう。

ガラスの向こう、と表現していることから、おそらく窓越しで水玉の雲を見ていたのだろうが、(これで僕はいま部屋の中にいることがわかる)実際に僕が水玉の雲を見ているとともに、それはひとつの比喩にもなっているはずだ。

散らかっていたあの日まで、というのは君を出会うまでのめちゃくちゃだった僕の日々を指しているのであろう(君と会うまでは僕は荒れていたのかもしれない)。

探していたのさ、と振り返っていることからもそれがわかるだろう。

君と出会う前のことを回想しながら、君との思い出をたどっている場面なのだ。

それで、水玉の雲は君と会う前の日々と、君とあってからの日々、そして君がいなくなった日々を繋げているものとして登場している。

それぞれの日々は目でみえれば繋がっているが、それぞれ実は断絶しており、その距離感みたいなものをガラスとして例えているわけである。

雲はすぐに消えてしまいそうなものの象徴であり、本当は記憶で繋がっていたはずの日々はいま途切れようとしており、それをなんとか水玉の雲が繋ぎとめているようなイメージだろうか。

だから、雲は積乱雲とかではなく、水玉の雲なのである。

 

風が吹いて飛ばされそうな
軽いタマシイで
他人と同じような幸せを
信じていたのに

 タマシイをカタカナにしたのは死別をテーマで扱っているゆえ、霊魂的な魂と混同しないようにするためである。

ここでいうタマシイとは思いとか決意とかそんなニュアンスであろう。
要は、僕ももう少ししたら君と結婚して、幸せな家庭を築いていくんだ、というようなことをかるい気持ちで考えていたのだろう。

なのに、突然それは叶わない夢になってしまったわけだ。

 

これから 傷ついたり 誰か 傷つけても
ああ 僕のままで どこまで届くだろう

1番と似たようなフレーズであるが、言っていることはまったく違う。

先ほどは、僕と君のことについて語っていたが、このフレーズでは君の不在のものとして表現されている。

君がいなくなった僕はやがて君以外の誰かと恋愛をする。

でも、そのとき僕は偽ってその人のことを愛しているふりをするのだろう。
君のことを忘れるなんてできないから。

その人はどこまで僕のままでいさせてくれる人なのだろうか。
そもそも、はたしてそんな人に出会うことができるのだろうか、いやできないだろう。

 

瞬きするほど長い季節が来て
呼び合う名前がこだまし始める
聞こえる?

瞬きとはとても一瞬のことなのに、それを「長い」と形容する歪さがここにはあるが、これは一旦置いておこう。

季節というと、いつなのか気になるが、これは歌のタイトルになっている楓を考えてみればわかるだろう。
楓は紅葉のイメージが強く、秋の季語にもなっている。ゆえに、この季節とは秋、しかも晩秋をを指している可能性が高い。

そして次のフレーズであるが、名前を呼び合っているのは僕と君だろうか。

聞こえる?と尋ねているのは僕から君に対してなのであろう。
でも、どういう状態なのか少しイメージがしにくい。

だって僕と君は別れてしまい、離れているのだから。
声の届くような距離にいないはずなのに。

このフレーズも一旦おいてしまって、先に最後のサビをみてみよう。

 

さよなら 君の声を 抱いて歩いて行く
ああ 僕のままで どこまで届くだろう

ああ 君の声を 抱いて歩いて行く
ああ 僕のままで どこまで届くだろう

ああ 君の声を ...

 ここで気になるのは、僕はどこかに向かっているということである。
先ほどのフレーズで、聞こえる?と尋ねていることから僕は君に近づこうとしている雰囲気が漂ってくる。
しかも、なるだけ僕のままであるようにして君に近づこうとしているような。
おまけに最後のサビは途中で終わっている。
これは途中で僕が意識をなくしてしまっているかのように見えないだろうか。

ここで予測(仮説)をひとつたてる。
僕は死んだ君に会いに行こうとして、僕も死んでしまったのではないか、と。

つまり、僕は死んでしまうため、サビの途中で言葉が中途半端なとこで途切れてしまうわけであり、文字通り魂になってしまうから、本当なら瞬きをするほど一瞬で過ぎ去ってしまうはずの季節も「長くなってしまう」わけだ。

だって僕はもう死んでしまうから、季節が変わることもなくなってしまうわけだ。

そして「さよなら」とは、ずっと僕が君にむかって言っているものだと思っていたかもしれないが、実はこれ、君以外の人に対していっている言葉なのだ、と捉えたら全ての辻褄があう。

つまり、僕は君に会うために今から死ぬよ、今までお世話になったお父さんお母さん友達たち、みんなさよなら。僕は君の声を抱いて天に昇っていくよ。僕のままでなんとか天国まで昇って会えたらいいなあ、と思っているわけである。

けれど、こんなわがままな理由でこの世を去る僕が必ずしも君がいる同じ天国にたどり着けるなんて思ってもいない。もしかしたら、地獄に落ちる可能性だってある。

だから僕のままでどこまで届くだろうと自問しているのだ。

 スピッツ「楓」の歌詞の意味は?解釈と考察!

 

歌詞には無限の広がりがあった

 スピッツ草野マサムネの歌詞には直接的な表現がほとんどみられない。だから『ロビンソン』などは失恋した人、片思いの人、恋愛中の人など置かれた立場がまるで違う人々が共感することができるのだろう。また「歌詞の意味を考えるより、曲そのものを感じる方が自然だった」とスピッツのメンバーも語っている。
 歌詞を読んだだけでは見えなかった世界が、メロディに乗った瞬間に色づきはじめ、言葉が強いインパクトを呈しはじめるという奥深さを、草野マサムネの歌詞は内包しているのだろう。