人は文学や文化なしに生きられるか

 

強制収容所から聞こえてきた
アンナ・カレーニナ
不思議なことが起こった

 

生きる証しを求めて

 神が創造した最初の男女、アダムとイヴ。旧約聖書によると、ある日二人は蛇に誘惑されて神から禁じられていたりんごの実を食べてしまい、楽園から追放された。下界に降りた二人が最初にしたことは何だったのだろう。アダムはイチジクの葉をまとい、イヴは花で髪を飾る。そして二人の心に愛が芽生えたとき、アダムは木の実でつくった首飾りをイヴにかけ、つる草の指輪を交換し、お互いの気持ちを確かめ合ったのかも知れない。

 文化と呼ぶには程遠い、衣食住にも事欠くような厳しい生活をしていた原始古代の時代から、人間の内に秘められた「精神世界」への欲望は想像以上に強い。文化がなくても物質的な死には至らない。しかし、それがないと私たち固有の精神的世界をつくることはできない。心を豊かにするという精神性は、文明創造の原点なのかもしれない。

 

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

 

 

極限の中での生きようとする力

 ロシア語の通訳だった米原万理の著書『オリガ・モリソヴナの反語法』にソ連時代のスターリン粛清における、強制収容所の話しが出てくる。

 それは、その時期、外国人との接触をスパイ行為とみなされて、逮捕される人々が相次いだ。またかなり乱暴な容疑でいろんな人たちが逮捕され、処刑された。夫が逮捕された家庭では、その妻や子供たちも逮捕され、収容所へ送られた。
 次々に送られてくるラーゲリ強制収容所)で餓死する人、また極寒の地での重労働で命を落とす人々。そんな中でも人間には何とか生きよう、生き延びようとする力が残されている。それはまぎれもなく、内に秘められた「精神性」だった。

 本書『オリガ・モリソヴナの反語法』にある、収容所での「精神世界」を物語る哲学的な出来事を以下に抜粋してみた。

 

生き地獄から抜け出せるなら死も甘美

 ...  わたしたちが到着したのも真夜中で、収容手続きには朝方までかかった。まず、全員が素っ裸にされ、髪を止めるためのピンや髪飾りなど先の尖ったものはことごとく取りあげられた。それから、屈辱的な姿勢をさせられて膣と肛門の中を調べられた。

 水の配給は、薪の配給と同じくらい稀だった。毎日一回、食料が配られた。それは、いつも決まってカチカチに凍った黒パンと塩漬けニシンだけ。
「食べたい、食べたい、食べたい」
 空っぽの胃袋は絶えず悲鳴を上げる。
「暖まりたい、暖まりたい、暖まりたい」
 飢えと寒さと喉の渇きに苦しんでいたのだ。

 このいつ果てるともない生き地獄から抜け出すことができるならば、死でさえ甘美なものに思う。そんな気力や思考力さえ萎えてしまった。

 ラーゲリには華やかな経歴の持ち主が多かった。女優やオペラ歌手やダンサーや詩人、作家、学者がいた。その夫たちも有名な文学者や学者や映画監督や軍人や党の指導者だった。皆、何らかの悪意に基づいて逮捕され、従って、自分たちの夫も父も、自分たち自身も無実であると分かっていた。だから、収容所の女たちのあいだには、無言の連帯のようなものが漂っていた ...

 

強制収容所から聞こえてきた『アンナ・カレーニナ

 ... ある晩、女たちが日中の労働で疲労困憊した肉体を固い寝台に横たえる真っ暗なバラックの中で、やわらかなアルトが聞こえてきた。女たちが耳をすますと、それは一人芝居だった。

 芸達者な役者は、たった一人で何時間ものあいだ観客を舞台に釘付けにすることが出来る。幸運にも、バラックには、そういう役者がいた。キーラ・ザフトマン。本職は女優ではなく、化学者だったのだが、女たちはたちまちキーラの舞台の虜になった。

 キーラは次々に書物を朗読してくれた。『モンテ・クリスト伯』や『アンナ・カレーニナ』や『三銃士』や『罪と罰』やその他何冊もの本を読んで聞かせてくれた。

 収容所には本が無かった。だからキーラが読んだのは、記憶の中の本。一晩で、キーラは、一章分の朗読をし、女たちは続きを聞くのが楽しみで次の晩を心待ちにした。どの長編小説も、誰もが一度は目を通したことがある名作だった。

 触発されて元女優の女囚が、シェイクスピア『オセロ』の舞台を独りで全役をこなしながら再現してくれたりもした。そのようにしてトルストイの『戦争と平和』やメルヴィルの『白鯨』のような大長編までをもほとんど字句通りに再現したのだった。

「あんな悲惨な境遇にいたわたしたちが、アンナ・カレーニナに同情して涙を流し、イリヤ・イルフとエヴゲーニイ・ペトロフの『十二の椅子』に抱腹絶倒していたなんて、信じられないでしょうね」

 夜毎の朗読会は、ただでさえ少ない睡眠時間を大幅に侵食したはずなのに、不思議なことが起こった。女たちに肌の艶や目の輝きが戻ってきたのだ。

「自由の身であった頃、心に刻んだ本が生命力を吹き込んでくれたんですよ」

「もう、毎晩が学芸会。どんなに身体がヨレヨレに疲れていても、歌を聴き踊りを見ていると、不思議と元気になるんですもの。収容所当局には、歌舞音曲は無用の長物だったかも知れないけれど、わたしたちにとっては、生き続ける気力の元でした」 ...