日本哲学の歴史 「神道」
鷹揚さと柔軟性を備えた神秘的な思想
日本固有の民族宗教である神道は、外国人の目にはもっとも神秘的な思想に映るようです。なにしろ西洋の諸宗教とは異なり、教義も経典もないのですから。
この点について小泉八雲ことラフカディオ・ハーンはだからこそ日本の神道は西洋の宗教にはない利点があるのだといいます。それは宗教としての鷹揚さや柔軟性を備えている点です。
もともと神道は単なる自然崇拝でした。それが次第に仏教と肩を並べる日本の代表的な思想へと発展していったのです。海外から入ってきた仏教が事実上国教化される中、それでも神道が生き延びてきたのは、やはり他の宗教に対して神道が寛容だったからでしょう。
自然崇拝から始まった土着信仰
日本の神道はどのようにして形成されてきたのか。古来神々への信仰は、土着の素朴な信仰であって、共同体の安寧を目的としたものでした。この段階における神道は、自然崇拝としての原始神道(古神道)と呼ぶことができます。自然崇拝から始まっていることもあって、万物に神が宿るとする八百万神信仰があるのはたしかです。人間はそのような八百万神に生かされているのだから、自然に感謝しなければならないと説かれるのです。
神道は国家を支える思想に
神道に大きな転機が訪れるのは神武天皇の頃です。天皇は神の子孫であるという神話イデオロギーが成立したため、神道は仏教と共に国家を支える思想として重んじられるようになります。この神話イデオロギーが俗に「記紀神話」と呼ばれるものです。具体的には、『古事記』と『日本書紀』という8世紀初めに著された日本初の歴史書のことです。
神の作った神の国
法律に基づいて統治することを目指した古代律令国家の完成期に、国内、国外に向けて、天皇を中心とした新たな国家像が明確にされた点に注目する必要があります。しかもそれが神につらなるものとして描かれたところがポイントです。これらの物語によって、その後日本は現代に至るまで、「神の国」としてたびたび取り沙汰されるようになるからです。
神仏習合へ
中世に入ると、神仏習合といって神道は仏教と一体のものとして理解されるようになります。いわゆる本地垂迹思想です。本体としての仏が、神の形で現れるという意味になります。こうして神は共同体を守護する存在から、仏教と同じく個人を救済する存在へと変化していったのです。
政策的につくられた国家神道
現代に入ると、神道はナショナリズムを強化するための手段として利用されるようになります。明治政府によって政策的につくられた国家神道もその一つとして挙げることができるでしょう。なぜなら、国家神道は、政府が神社を通して天皇を中心としたナショナル・アイデンティティの国民教化を図ろうとして導入したものだったからです。戦後、国家神道は解体されましたが、いまもなお閣僚の靖国神社への参拝や、政教分離が問題となっています。