きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『ロシア革命100年の謎』 亀山郁夫 × 沼野充義

 

ロシア革命善か悪か? 
1917年 知られざる真実

 

ロシア革命100年の謎

ロシア革命100年の謎

 

 

ロシア革命の謎

十月革命は、なぜ二月革命を否定し暴走したのか
・文学・芸術の革命は本当に政治の革命に先行したのか
・壮絶な内戦と粛清はなぜ起きたのか
・レーニンの死の時期が違ったら歴史は変わったか
・芸術家はなぜスターリンを支持したのか
テロリズムはなぜ19世紀ロシアで始まったか
ドストエフスキーは皇帝暗殺を予見していたか
ロシア革命はまだ続いているのか

 

亀山郁夫(かめやまいくお)
1949年栃木県生れ。日本のロシア文学者。名古屋外国語大学学長。東京外国語大学名誉教授。前東京外国語大学学長。専門はロシア文化・ロシア文学。1991~2000年にかけて、NHKでテレビ『ロシア語会話』の講師を務めた。2017年に「日本ドストエフスキー協会」を設立し、初代会長に就任。主に『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』などの訳書をはじめ、著書多数。

 

沼野充義(ぬまのみつよし)
1954年東京都生れ。日本のスラヴ文学者。東京大学教授。専門はロシア・ポーランド文学。現代日本文学など世界文学にも詳しい。妻の沼野恭子ロシア文学者(東京外国語大学教授)。『徹夜の塊』でサントリー学芸賞芸術・文学部門、『ユートピア文学論』で第55回読売文学賞をそれぞれ受賞。

 

レフ・トルストイ
1828 - 1910年。帝政ロシアの小説家、思想家でフョードル・ドストエフスキーイワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。

 

 

トルストイの家出と死

 本書は亀山郁夫氏と沼野充義氏の対談形式で構成されていますが、そのなかで印象に残った「1910年トルストイの家出と死」について少し抜粋します。

沼野 トルストイは相当な財産を持つ貴族で、世界的名声も獲得し、何一つ不自由はなかったはずですが、晩年ずっと悩んでいた。簡単には説明しにくいんですけど、一つは、家庭のごたごたがあって、奥さんとの関係がうまくいっていなかった。トルストイは質素な生活を旨としながら、その一方で裕福な貴族である自分に対して、内心忸怩(じくじ)たるものがあったのかもしれません。
 そこで、彼は著作権として入ってくる膨大な収入を全部放棄しようとしたんですが、奥さんは ー まあ、悪妻と言われることが多いけど、僕に言わせれば、普通の人ですよ ー トルストイのような過激な行動には走れない。そして、当然、子どもたちのためにも、自分の家の財産を守りたいから、トルストイの「奇矯な」行動を止めようとする。

沼野 家庭の不和に巻き込まれて打開できない状況、そして自分の主義主張に反して裕福な暮らしをしていることについての忸怩たる思い、などが重なって、1910年、すでに八十二歳という高齢であったトルストイは、ある日突然、家出を敢行するんです。ひょっとしたらチェーホフのサハリン行きのときのように、自己を閉ざしてしまった閉塞状況からの不条理な脱出願望に従ったのかもしれません。家出をしてどこに行こうとしていたのかも、実はよくわからないのですが、いずれにせよさほど遠くまでは行けず、アスターポヴォという寒村の駅で病に倒れ、家出後わずか一週間で亡くなってしまいました。1910年のことですからね、今みたいにテレビ中継はありませんが、世界的なメディア合戦になった。これほど亡くなったときに世界の注目を集めた作家は、ロシアだけでなく、全世界をみても、後にも先にもいないんじゃないですかね。

沼野 彼の家出と死の象徴性を考えてみると、これまでラディカルな仕事を続け、それなりに思想体系を築いてきたのに、最後に、次にどこにいくかが見えない泥沼状態に陥ってしまった。ロシアだけでなく、全世界に影響を与えるような仕事をしていた人なのに、あえて正宗白鳥的な卑俗な見方をすれば、自分の家の中すらまとめられなかったのは皮肉なことです。

亀山  つまり、トルストイ家そのものが帝政ロシアのミクロコスモスだった。

沼野 そう考えると、彼があんなふうに家出して亡くなったということは、ロシアそのものがこの先どこに行ったらいいかわからなくなるという事態を先取りしていたということでもある。

亀山 彼はその生き方において革命を予言していたということにもなりますね。

沼野 家出してどこに行こうとしていたかについては諸説あって、トルストイ主義者の住んでいるコミューンに行こうとしたんじゃないか、という説もありますが、まあ、現実的にはあの歳で家出したってどうしようもない。だからこそ、すべてを「ちゃら」にして、すべてを捨てて、自分を解放したい、というところまで追いつめられたのかもしれない。その家出の決断というか、破滅的なパストは、ロシア革命のパストそのものでもある。

亀山 確かに、ロシアの末期症状であるとともに、ロシア革命のパストでもある。この家出は、1910年ですから、第一次ロシア革命と第二次ロシア革命のちょうど真ん中くらいの時期ですよね。その意味では非常にシンボリックです。