きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『ロシア語だけの青春』 黒田龍之助

 

外国語を学ぶ楽しさを
愛情を持って語ってくれる
黒田龍之助の最新エッセイ です

 

ロシア語だけの青春: ミールに通った日々
  

 

厳しくも楽しいミール・ロシア語研究所の日々
黒田先生が青春時代を振り返る

 ロシア語学習にいそしむヘンな高校生が人気語学教師になるまでの、厳しくも楽しいミール・ロシア語研究所の日々。外国語を学ぶ楽しさを語らせたら右に出る者はいない黒田先生が、青春時代を振り返る。

 

黒田龍之助(くろだりゅうのすけ)

1964年東京生まれ。日本のスラヴ語学者、言語学者。執筆と講演を中心に活動している。上智大学国語学部ロシア語科卒。東京大学大学院露文科博士課程単位取得満期退学。東京工業大学助教授(ロシア語)、明治大学理工学部助教授(英語)、2007年に退職。NHKテレビ及びラジオのロシア語講師を務める。父は落語家の6代目柳亭燕路。母は絵本作家のせなけいこ。妻はチェコ語学者の金指久美子。 
主な著書に『外国語の水曜日 学習法としての言語学入門』『羊皮紙に眠る文字たち スラヴ言語文化入門』『『ロシア語のしくみ』など。

 

 

『ロシア語だけの青春・ミールの通った日々』

 わたしはここに、ミール・ロシア語研究所の物語を書き留めようと思う。高校3年生から10年以上、多くの時間を費やしてここに学び、のちには教えることになった大切な母校。ロシア語のことしか考えていなかった青春の日々。いま振り返れば、あまりの恥ずかしさに居たたまれないほどなのだが、混乱する現在の外国語教育をもう一度考え直すため、恥を忍んでここに記すのである。(本書プロローグ)

 

その先はロシアだった

 1982年早春、午後6時の代々木駅。西口には予備校が林立し専門学校や政治政党などもあって、人どおりが激しく賑やかだ。それに比べると東口はひっそりとしている。入口に扉はなく、いきなり狭くて古い階段である。薄暗くて、入るのにちょっと躊躇うが、看板が出ているのだから間違いない。その先はロシアだった。

 

アネクドートという小咄

 アネクドートといわれても、あまり馴染みがないかもしれない。逸話、奇談、さらには風刺小話などと説明される。英語でも anecdote という。ところが、これがなんとも微妙なのだ。

「アフリカと月とでは、近いのはどちらでしょうか?」
「月です」
「月ですって? どうしてそう思うのですか?」
「だって月は見えますが、アフリカは見えませんから」

 

あなたは何年に生まれましたか

多喜子先生は、わたしにロシア語で質問した。

Как вас зовут? 《お名前はなんとおっしゃいますか?》
《黒田といいます》

В каком году вы родились?  《あなたは何年に生まれましたか?》
 生まれた年?  これは予想していなかった。
《ええと、せんきゅうひゃ...  》」

Я родился в тысяча девятьсот шестьдесят четвёртом году.
《わたしは1964年に生れました》

 これがどうしてもいえないのである。先生に助け船を出してもらって、発音するのがやっと。ボロボロだ。なんとも不甲斐ない。
 後にロシア語教師になって分かったことなのだが、数詞がきちんと使いこなせるかどうかは学習者のレベルを判断するときに有効である。外国語の読解では、多くの学習者が数詞を疎かにしている。

 

 

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ウダレーニエが弱いんです!

 入門科では『標準ロシア語入門』(白水社)を使って学習する。著者は東一夫先生と多喜子先生ご夫妻。つまり市販されているはいるが、これはミールのための教材といっても過言ではない。
「ウダレーニエが弱いんです!」
 ロシア語の単語は、音節のどこか一箇所が他に比べ強く、そしてすこしだけ長めに発音される。これを「ウダレーニエ」という。英語風にアクセントということもあるが、とにかくミールではこのウダレーニエを、思い切り強調して発音しなければならない。それがひどく難しいのである。

 

突然の閉校

 2013年2月、わたしはNHKのスタジオで、ラジオ講座まいにちロシア語」の収録をしていた。テキストの編集者がふと、こんな話をした。
「そういえば、ミールが閉校になるらしいですね」
..... え?
「黒田先生はかつて、ミールに通っていらしたんですよね」
「ご存じありませんでしたか。人づてに聞いたのですが、3月いっぱいで終わりらしいですよ」
「外国語の勉強の仕方をここで学んだ。建て付けが悪く、薄暗い教室で同じやり方を続け、ここだけ時が止まったようだったが、永遠ではなかった」

 2013年8月24日、多喜子先生は最後の授業をおこなった。今度こそ本当に最後である。授業終了後、生徒たちは会食を計画したが、先生は参加しなかった。すべてが終わった。わたしはひと月後に、49歳になろうとしていた。

 

ミール・ロシア語研究所

 ミール・ロシア語研究所は1958年6月に創立され、2013年に閉校した。55年もの長きにわたって、多くの生徒が学び、ロシア語の専門家として巣立って行った。この学校は東一夫先生、東多喜子先生ご夫妻が中心となって教えておられました。

 

 

東京毎日新聞 2013年4月2日 地方版記事より

 都内でも数少ないロシア語専門の学校の一つ「ミール・ロシア語研究所」(渋谷区千駄ヶ谷5)が、55年の歴史を終える。発音を中心に基礎を徹底的に指導し、個人経営で生徒が数十人程度の小規模校ながら大学教員、通訳、大使館員らを多数輩出した。しかし、亡夫の後を継いだ経営者の東(あずま)多喜子(たきこ)さんが今年76歳になり「心身ともに限界、潮時」と閉校を決めた。【青島顕】

 出身者らによると、ロシア語で「平和」「世界」の意の「ミール」は、翻訳者の東一夫さんが1958年に都内で開校。まもなく、JR代々木東口の雑居ビルの2室に移り、多喜子さんや教え子らが講師を務めた。一夫さんは、05年に死去した。

 厳しい指導で知られ、宣伝をほとんどしなくても口コミで生徒が集まった。レベルごとに1クラス7人前後で構成。週2回の授業では、一人一人にテキストを読ませて発音を矯正した後、決められた範囲の露文を暗記してきたかチェックする方式がとられた。

 欧米や中国、韓国語に比べて学習者が少ないロシア語だが、50年間講師を務めた多喜子さんは「今後も隣国だから重要言語であり続ける」と学習を勧める。東夫婦の共著で入門クラスのテキストでもある「標準ロシア語入門」(白水社)は、「71年の刊行以来、改訂版を含め4万部発行された当社の語学書で指折りのロングセラー」(担当者)だ。同書にはこんな例文もある。「すべての国でロシア語を学んでいる人の数がふえています」