きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

川端康成 『掌の小説』

 

この掌編小説122編に川端康成という作家のあらゆる要素がふくまれている

 

掌の小説 (新潮文庫)

掌の小説 (新潮文庫)

 

  

「掌」という漢字の読みかた

 しょう、たなごころ、てのひら、と読む。「掌中」「合掌」「車掌」「分掌」など。
 『掌の小説』は「たなごころのしょうせつ」、上記の新潮文庫では「てのひらのしょうせつ」と読む。川端康成が 20代の頃から40年余りにわたって書き続けてきた掌編小説、122編を収録した作品集だ。

 掌編(しょうへん)小説とは、短編小説よりもさらに短い小説を指す。「短い短編小説」であるショートショートよりも短い小説とされるが、明確な基準はない。掌(てのひら)にかきつけた小説とか、掌にはいってしまうささやかな小説ともうけとれる。

 たなごころ、とは「てのひら」のことである。たなごころの「た」は「て(手)」の交替形であり、「な」は「の」にあたる連体助詞で、「たな」は「手の」を意味し、たなごころは「手の心」を意味する。手の中心、手の内側・裏側、手の平をいう。また「掌(たなごころ)を合わす」とは、すなわち「合掌」のこと。神仏を拝むときの動作になる。

 

『掌の小説』「有難う」

 「有難う」は川端の掌編小説の中の代表的作品で、1936年(昭和11年)に清水宏により映画化もされた。あらすじは、バスに乗って町へ売られていく娘を、母親がせめてもの情けで娘の好きなバス運転手と、はじめての一夜を過ごさせるが、そのために母は娘を売りに行けなくなるという物語で、運転手の明るい人がらと、人生の底辺に生きる娘の喜びと悲しみが、簡潔な表現で描かれている。

 

「有難う」はじまりの一節

 今年は柿の豊年で山の秋が美しい。
 半島の南の端の港である。駄菓子を並べた待合室の二階から、紫の襟の黄色い服を着た運転手が下りて来る。表には大型の赤い定期乗合自動車が紫の旗を立てている ...

「お婆さん、一番前へ乗んなさいよ。前ほど揺れないんだ。道が遠いからね。」
 母親が十五里北の汽車のある町へ娘を売りに行くのである ...

 

三島由紀夫も評価

 三島由紀夫は、この作品を掌の小説の中でも優れたものの一つだとし、「母に連れられて売られにゆく少女が、その途中で自分たちが乗って行ったバスの運転手と図らずも結ばれる」という思いがけない結末を「作中の人物も作者も皆の目がやさしくゆるしている」と指摘しながら、やがてその夫となる運転手も、「運命に対して極度に純潔な人々」であると解説している。そして彼らについて「到底、運命に抗争するというような人柄ではない。しかも彼等は運命に盲従する怠惰にして無智無力な存在とも言い切れぬ。むしろこう言うべきだ。かれらは運命に対して美しい礼節を心得ている人たちだ」と述べている。

Wikipedia

 


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