きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

ロシア料理の名店「スンガリー」60周年

 

ロシア料理がこんなに美味しいとは知らなかった
東京で食べられる唯一のお店が60周年
その歴史を見てみよう

 

 

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本格的なロシア料理店

 2017年に60周年を迎えた、歌舞伎町の老舗ロシア料理店「スンガリー」。歌舞伎町に店舗を移転したのは1960年。それ以来ここで営業し、現在は新宿に2軒の店舗を構える。
 本格的なロシア料理を堪能でき、文化人・著名人が訪れて知的な会話を交わし、ロシア人客も多く訪れる店として長い間親しまれてきた。そんな名店スンガリーは「百万本のバラ」を歌った、歌手の加藤登紀子さんがオーナーを務めるお店でもある。初めて来店されるお客様から「ロシア料理がこんなに美味しいとは知らなかった」と言われるという。

 

ハルビン移住から始まった

 スンガリーの歴史は、オーナー加藤登紀子さんのご両親が1935年、日本から旧満州ハルビンへと移住したことから始まった。1943年に加藤登紀子さんはハルビンで生まれる。当時のハルビンはロシア人が多く住み、加藤家もロシア人の住居に間借りしていた。ハルビンに住む日本人とロシア人の仲は親密で治安も良く、インフラも整った人気の街だった。

 

ハルビンを流れる川、スンガリ

 ご両親は、1946年に日本に帰国した後もロシアに対する郷愁の想いや、満州から日本に引き揚げてきたロシア人たちに安定した職場を提供したいという目的もあり、1957年東京新橋にロシア料理店「スンガリー」をオープンする。店名はハルビンを流れる川の名である「スンガリー(松花江)」から名付けた。以後ロシア人スタッフとともに、日本で本格的なロシア料理を提供する老舗店舗としての歴史をスタートさせた。1958年に京橋、そして1960年に新宿歌舞伎町に移転、1967年には新宿西口店をオープン、1972年には京都にキエフ京都店がオープンしている。

 

 

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亀山郁夫ロシア文学者・東京外国語大学名誉教授)

あの東口の地下のほの暗い空間に漂う不思議な雰囲気こそが、母なる湿潤の大地そのもののぬくもりではないか。私の活動拠点は名古屋に移ったが、それでも3か月に一度はそのぬくもりを求めて東口に出る。

 

佐藤 優(作家・元外交官)

スンガリーはウラル風だ。エリツィン元大統領の大好物がペリメニだった。ペリメニソ連時代に人気があったウオトカ「ストリチナヤ」を飲む。こういう風にして、私はスンガリーで至福のときを過している。

 

松本零士(漫画家)

あれは18か19歳の時だったか、上京当日のその日の夜、新宿コマ劇場の裏に編集部が連れて行ってくれたのが、その名も懐かしい「スンガリー」。そういう大人の行く場所の体験はこれが生まれて初めてのことでした。

 

加藤登紀子(歌手・オーナー)

このスンガリーには、日本に流れ着いたロシア人たちが毎晩集まり、閉店後に歌ったり踊ったり楽しんでいました。そんななかで、コック長のクセーニヤの長男ビーチャが御茶ノ水ニコライ堂で結婚式を挙げたのです。ウェディングドレスの花嫁を抱き上げて踊るビーチャ。「ゴーリコ! ゴーリコ!(苦しい、苦しい)」と囃し立てられながら、花嫁花婿だけじゃないすべてのカップル達がウオッカを乾杯! その果てしない素晴らしい宴会の一部始終、それが私の歌手としての原点といってもいいかもしれません。

 

 

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ボルシチ

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フレッシュサーモンマリネのブリヌイパンケーキ包み

 

ロシア料理「スンガリー」ホームページ
Russian Restaurant Sungari

 歌舞伎町文化新聞
https://kabukicho-culture-press.jp/all/spot/877

 *上記は「歌舞伎町文化新聞」や「スンガリー60年史」からの抜粋です。

 

松花江(スンガリー)を越えて 少年の見た満洲引き揚げの記録〈1945~46〉

松花江(スンガリー)を越えて 少年の見た満洲引き揚げの記録〈1945~46〉

 

 

 

 

 

 

 

 

07-1628

「学ぶ力」 内田 樹

 

学力低下」という事態の本質は
「プライドが高い」ことにある

 

 

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内田 樹(うちだたつる)
1950年東京都大田区生まれ。日本の哲学研究者、コラムニスト、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学人文学部客員教授東京大学文学部卒。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。主な著書に『寝ながら学べる構造主義』『先生はえらい』『下流志向』『日本辺境論』などがある。
WikipediaAmazon


下記の文章は、内田樹氏が「学ぶ力」とはどのようなことかを論じたものです。学力とは「昨日の自分」と比べたときの「力」の変化をいい、「プライドが高い」ことが「学力低下」という事態の本質だという。以下は、オリジナル文章より抜粋しています。
*出典:小論文セミナー配布資料より

 

学ぶ力

「学力」とは何か

 日本の子どもたちの学力が低下していると言われることがあります。この機会に、「学力が低下した」とはどういうことなのか、考えてみましょう。
 そもそも、低下したとされている「学力」とは、何を指しているのでしょうか。「学力って、試験の点数のことでしょう」と答える人が、ほとんどだと思います。本当にそうでしょうか。学力はそのような数値だけで捉えるものではありません。「学力」を訓読みしたら「学ぶ力」になります。私は学力を「学ぶことができる力」、「学べる力」として捉えるべきだと考えています。数値として示して他人と比較したり、順位をつけたりするものではない。

 
点数化できない能力

 例えば、ここに「消化力」が強い人がいるとしましょう。ご飯をおなかいっぱいに詰め込んでも食休みもしないで、すぐに次の活動に取りかかれる人はまちがいなく「消化力が強い」といえます。しかし、それを点数化して他人と比べたりしようとはしないはずです。「睡眠力」や「自然治癒力」というのも同様のものだと思います。私は「学力」もそういう能力と同じものではないかと思うのです。

 
昨日の自分と比べたときの変化

 「学ぶ力」は他人と比べるものではなく、個人的なものだと思います。「学ぶ」ということに対して、どれくらい集中し、夢中になれるか、その強度や深度を評するためにこそ「学力」という言葉を用いるべきではないでしょうか。そして、それは消化力や睡眠力と同じように、「昨日の自分と比べたとき」の変化が問題なのだと思います。人間が生きていくために本当に必要な「力」についての情報は、他人と比較したときの優劣ではなく、「昨日の自分」と比べたときの「力」の変化についての情報なのです。

 
無知の自覚

 「学ぶ力が伸びる」ための第一の条件は、自分には「まだまだ学ばなければならないことがたくさんある」という「学び足りなさ」の自覚があること。「無知の自覚」といってよい。これが第一です。「私は知るべきことはみな知っているので、これ以上学ぶことはない」と思っている人には「学ぶ力」がありません。ものごとに興味や関心を示さず、人の話に耳を傾けないような人は、どんなに社会的な地位が高くても、有名な人であっても「学力のない人」です。


教えてくれる「師」を見つける

 第二の条件は、教えてくれる「師(先生)」を自ら見つけようとすること。学ぶべきことがあるのはわかっているのだけれど、誰に教わったらいいのかわからないという人は残念ながら「学力がない」人です。いくら意欲があっても、これができないと学びは始まりません。
 ここでいう「師」とは、別に学校の先生である必要はありません。書物を読んで、「あ、この人を師匠と呼ぼう」と思って、会ったことのない人を「師」に見立てることも可能です。会っても言葉が通じない外国の人だったり、亡くなった人だって「師」にしていいのです。街行く人の中に、ふとそのたたずまいに「何か光るもの」があると思われた人を、瞬間的に「師」に見立てて、その人から学ぶということでも、かまいません。生きて暮らしていれば、いたるところに師あり、ということになります。ただし、そのためには日ごろからいつもアンテナの感度を上げて、「師を求めるセンサー」を機能させていることが必要です。

 
「師」を教える気にさせる

 第三の条件、それは「教えてくれる人を『その気』にさせること」です。こちらには学ぶ気がある。師には「教えるべき何か」があるとします。しかし、それだけでは学びは起動しません。もう一つ、師が「教える気」になる必要があります。
 どのようにしたら人は「大切なことを教えてもいい」という気になるのでしょう。師を教える気にさせるのは「お願いします」という弟子のまっすぐな気持ち、師を見上げる真剣なまなざしだけです。

 
私は学びたいのです

 この3つの条件をひと言で言い表すと、「私は学びたいのです。先生、どうか教えてください」というセンテンスになります。数値で表せる成績や点数などの問題ではなく、たったこれだけの言葉。これが私の考える「学力」です。このセンテンスを素直に、はっきりと口に出せる人は、もうその段階で「学力のある人」です。逆に、どれほど知識があろうと、技術があろうと、これを口にできない人は「学力がない人」です。

 
学力低下」の本質

 「学びたいのです。先生、教えてください」という簡単な言葉を口にしようとしない。その言葉を口にすると、とても「損をした」ような気分になるので、できることなら、一生そんな台詞(せりふ)は言わずに済ませたい。誰かにものを頼むなんて「借り」ができるみたいで嫌だ。そのように思う自分を「プライドが高い」とか「気骨がある」と思っている。それが「学力低下」という事態の本質だろうと私は思っています。自分の「学ぶ力」をどう伸ばすか、その答えはもうお示ししました。みなさんの健闘を祈ります。

 

 

*下記著書は今回の記事とは関係ありません

街場の読書論 (潮新書)

街場の読書論 (潮新書)

 
下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

 
 

 

 

 

 

 

 

08- 2586

『世界の名著』 マキアヴェリからサルトルまで

 

 ふるいもののなかにこそ真の新しいものがある過去の名著が現在をこえて未来につながる

 

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現代を支配してきた名著45冊

 あまりに強烈な影響を及ぼしてきたマルクス、人間行動のバネを性欲に見出すフロイト、奇怪な用語をあやつる実存主義ハイデッガー、そして近代経済の構造を大胆にデザインしたケインズなど、現代を支配してきた「名著」45冊の生々しい記録をとおして、現代日本の知識人として必読すべきポイントが何か、解かれずにのこされているナゾや批判されるべき点が何かを、30名におよぶ学界の権威が明快に解き明かす。

 

むかしの書物をなぜ読まねばならないのか

 「世界の名著」は、近代の哲学・社会思想に重点をおいており、芸術作品はすべて除外されている。「名著」とはいえ、数十年、数百年もむかしの書物を、こんにち、なぜ読まねばならないのか。ヴォルテールが、イギリス人にあててつぎのように書いた。
 「フランス人は新しいものを好むとみられています。しかし、それは料理やモードについてなのです。というのは、新しい真理はわたしたちのあいだでつねに禁じられているからです。新しい真理がうけ入れられるのは、それが古くなってからのことでしかないのです」
 本書はふるいものへの復帰を説こうとするものではない。そうではなく、ふるいもののなかにこそ真に新しいものがあることの実例を示すことが、わたしたちの意図であった。過去の名著が、目前の現在をこえて、未来につながるのである。
 本書にあつめられた著作は、すべて多少とも、当時の社会にあって異端邪説であった。世間の常識を批判するだけでなく、生命の危機さえおかして権力に抵抗して書かれたものもすくなくない。

(本書より)

 

以下は本書で紹介された45冊です

君主論マキアヴェリ(1513年稿)
ユートピアトマス・モア(1516年刊)
キリスト教綱要』カルヴァン(1536年刊)
『方法叙説』デカルト(1637年刊)
リヴァイアサンホッブズ(1651年刊)
『明夷待訪録』黄宗義(めいいたいほうろく/ こうそうぎ)(1663年稿)
『プリンキピア』ニュートン(1687年刊)
『人間悟性論』ロック(1690年)
『法の精神』モンテスキュー(1748年刊)
『人間不平等起原論』ルソー(1755年刊)

『諸国民の富』アダム・スミス(1776年刊)
純粋理性批判カント(1781年刊)
フランス革命省察エドマンド・バーグ(1790年刊)
人口論マルサス1798年初版刊)
『法の哲学』ヘーゲル(1821年刊)
『産業者のカテキスム』サン=シモン(1824年稿)
アメリカのデモクラシー』トクヴィル(1835~40年刊)
『死にいたる病い』キルケゴール(1849年刊)
種の起源ダーウィン(1859年刊)
『自由について』ジョン・S・ミル(1859年刊)

資本論マルクス(1867年第一巻刊)
『権利のための闘争』イェーリンク(1872年刊)
『世界史』ランケ(1881~88年刊)
ツァラトゥストラはかく語りきニーチェ(1883~91年刊)
『人生論』トルストイ(1887年刊)
『産業民主主義』シドニー&ビアトリス・ウェッブ(1897年刊)
『自殺論』デュルケーム(1897年刊)
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神マックス・ウェーバー(1904~5年刊)
『民主主義革命における社会民主党の二つの戦術』レーニン(1905年刊)
『哲学の諸問題』ラッセ(1912年刊)

精神分析入門』フロイト(1915~17年刊)
『民主主義と教育』デューイ(1916年刊)
『歴史と階級意識ルカーチ(1923年刊)
三民主義孫文1924年講)
存在と時間ハイデッガー(1927年刊)
イデオロギーユートピアマンハイム(1929年刊)
『近代国家における自由』ラスキ(1930年刊)
ロシア革命史』トロツキー(1932年刊)
『晩年に想う』アインシュタイン(1933~50年稿)
『新君主論グラムシ(1929~34年稿)

雇用・利子および貨幣の一般理論ケインズ(1936年刊)
『新民主主義論』毛沢東(1940年発表)
『自由からの逃走』フロム(1941年刊)
福音主義神学入門』バルト(1961年刊)
存在と無サルトル(1943年刊)

 

 

 

 

 

 

 

 03-1856

漢字の少ない文章のほうが読みやすい

 

ひらがなを多くすると
格段に読みやすい文章になる

 

 

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ひらがなが多い文章は早く読める

 漢字の多い文章は単に読みずらいだけでなく、堅苦しさや仰々しさが感じられる。逆に、ひらがなの多い文章は読みやすく、そして早く読むことができる。これは読み手への気づかいであり、ストレスを感じさせない配慮でもある。
 ある言葉を漢字で書くか、ひらがなで書くかを適切に判断するのは簡単なようでむずかしい。日ごろよく使う言葉で漢字ではなく、ひらがなで書くのが一般的なものをまとめてみた。読みかけの文庫本や新書をあらためてそういう観点で見てみるのも参考になるだろう。

 漢字の多い文章
利用者は限られた時間ので、有益な情報に素早く辿り着くを目的に、検索サービスを利用して居ます例えば「〇〇うどん」と言う店名だけで無く、「〇〇うどん 住所」「〇〇うどん 地図」と言った一層具体的な言葉の組み合わせで検索する傾向が有ります。

適度にひらがなの多い文章
利用者は限られた時間のなかで、有益な情報に素早くたどり着くことを目的に、検索サービスを利用していますたとえば「〇〇うどん」という店名だけでなく、「〇〇うどん 住所」「〇〇うどん 地図」といったいっそう具体的な言葉の組み合わせで検索する傾向があります。

 

*下記の「web文章入門」参考

 

 

 

ひらがなが一般的な言葉

という事 → ということ  
という物 → というもの
その為 → そのため  
その様に → そのように
その時 → そのとき
その他 → そのほか
その上 → そのうえ
何故 → なぜ
如何に → いかに
僕 → ぼく
私達 → 私たち
我々 → われわれ
貴方/貴女 → あなた
或いは → あるいは
及び → および
即ち → すなわち
但し → ただし
尚 → なお
今更 → 今さら/いまさら
更に → さらに
敢えて → あえて
余り → あまり
予め → あらかじめ
有る → ある
改めて → あらためて
併せて → あわせて
言う → いう
致します → いたします
頂く → いただく
至って → いたって
一旦 → いったん
未だ → いまだ
居る → いる
色々 → いろいろ
嬉しい → うれしい
恐らく → おそらく
且つ → かつ
下さい → ください
位 → くらい
頃 → ころ
迄 → まで
先程 → 先ほど/さきほど
様々 → さまざま
難しい → むずかしい
従って → したがって
暫く → しばらく
既に → すでに
全て → すべて
全く → まったく
是非 → ぜひ
最も → もっとも
分かる → わかる
沢山 → たくさん
例えば → たとえば
丁度 → ちょうど
遂に → ついに
繋げる → つなげる
出来る → できる
通り → とおり
共に → ともに
無い → ない
一つ → ひとつ
二つ → ふたつ
一人 → ひとり
方 → ほう
殆ど → ほとんど
先ず → まず
又は → または
良い → よい
僅か → わずか
後で → あとで
後ほど → のちほど
上手く → うまく
面白い → おもしろい
愉しむ/楽しむ → たのしむ
極めて → きわめて
過ぎる → すぎる
大変 → たいへん
使う → つかう
作る → つくる
付ける → つける
続く → つづく
何となく → なんとなく
始め/初め → はじめ
久々 → ひさびさ
真面目 → まじめ

 

 

 参考「公用文における漢字使用等について」

①代名詞はかな書きする
(例)ぼく あなた あれ これ それ だれ どれ ここ そこ
*ただし、私 彼 彼女は漢字で書く。 

②形式名詞はかな書きする
(例)うち ため こと とき ところ はず ふう ほど もの わけ

③接続詞はかな書きする
(例)あるいは および しかし したがって すなわち そのうえ ただし ところが なお

④助動詞・助詞はかな書きする
(例)ごとき(ごとし) そうだ べき(べし) くらい(ぐらい) だけ ながら など ばかり ほど

⑤補助的に用いられる用言はかな書きする
(例)ある いる まる できる てあげる ていく ていただく ておく てください てくる てしまう てみる(動詞)

⑥接頭語・接尾語はかな書きする
(例)お願い ご依頼 み心 うち消す かき消す 子供ら 若者たち 6時間ごと 淋しげ

感動詞はかな書きする
(例)ああ あら いえ

⑧連体詞はかな書きする
(例)ある あの この きたる

⑨副詞はかな書きする
(例)あくまで いよいよ おおよそ かなり くれぐれ こもごも さほど すぐ しばしば たまたま とにかく なかなか ほぼ もはや よほど

 

 

 

 

 

 

 

河合隼雄 『こころの処方箋』

 

人間関係のしがらみに泣きたくなったとき
助けになってくれる一冊

 

こころの処方箋 (新潮文庫)

こころの処方箋 (新潮文庫)

 

 

河合隼雄(かわいはやお)

1928 - 2007  兵庫県生まれ。京都大学理学部卒。京都大学名誉教授。日本におけるユング派心理学の第一人者であり、臨床心理学者。文化功労者。元文化庁長官。著書に『昔話と日本人の心』『猫だましい』『こころの最終講義』『泣き虫ハァちゃん』など多数。冗談好きで、日本ウソツキクラブ会長を自称していた。脳梗塞で死去。79歳没。

 

 

『こころの処方箋』

 「耐える」だけが精神力ではない。心の支えは、時にたましいの重荷になる。あなたが世の理不尽に拳を振りあげたくなったとき、人間関係のしがらみに泣きたくなったとき、本書に綴られた55章が、真剣に悩むこころの声の微かな震えを聞き取り、トラブルに立ち向かう秘策を与えてくれるだろう。この、短い一章一章に込められた偉大な「常識」の力が、かならず助けになってくれるだろう。(以下は本書より抜粋)

 

100%正しい忠告はまず役に立たない

 ともかく正しいこと、しかも、100%正しいことを言うのが好きな人がいる。非行少年に向かって、「非行をやめなさい」とか、煙草を吸っている人には、「煙草は健康を害します」という。何しろ、誰がいつどこで聞いても正しいことを言うので、言われた方としては、「はい」と聞くか、無茶苦茶でも言うより仕方がない。

 もちろん、正しいことを言ってはいけないなどということはない。しかし、それはまず役に立たないことくらいは知っておくべきである。たとえば、野球のコーチが打席にはいる選手に「ヒットを打て」と言えば、これは100%正しいことだが、まず役に立つ忠告ではない。ところが、そのコーチが相手の投手は勝負球にカーブを投げてくるぞ、と言ったとき、それは役に立つだろうが、100%正しいかどうかはわからない。彼は「その時その場の真実」に賭けることになる。それが当たれば素晴らしい。もっとも、はずれたときは、彼は責任を取らなければならない。

 このあたりに忠告することの難しさ、面白さがある。「非行をやめなさい」などと言う前に、この子が非行をやめるにはどんなことが必要なのか、この子にとって今やれることは何かなどと、こちらがいろいろと考え、工夫しなかったら何とも言えないし、そこにはいつもある程度の不安や危険がつきまとうことであろう。そのような不安や危険に気づかずに、いい加減なことを言えば、悪い結果がでるのも当然である。

 ひょっとすると失敗するかも知れぬ。しかし、この際はこれだという決意をもってするから、忠告も生きてくる。己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間が良くなるのだったら、その100%正しい忠告を、まず自分自身に適用してみるとよい。「もっと働きなさい」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても、それほど効果があるものではないことは、すぐわかるだろう。

 

目次から一部を紹介

・人の心などわかるはずがない
・「理解ある親」をもつ子はたまらない
・言いはじめたのなら話合いを続けよう
灯台に近づきすぎると難破する
・イライラは見とおしのなさを示す
・説教の効果はその長さと反比例する
・男女は協力し合えても理解し合うことは難しい
・うそは常備薬、真実は劇薬
・物が豊かになると子育てが難しくなる

 

 

こころの最終講義 (新潮文庫)

こころの最終講義 (新潮文庫)

 
こころの読書教室 (新潮文庫)

こころの読書教室 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

『知の越境法』 池上 彰

 

すぐ役立つものは、すぐに陳腐化する
「役に立つこと」は教えない

 

知の越境法 「質問力」を磨く (光文社新書)

知の越境法 「質問力」を磨く (光文社新書)

 

 

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Wikipedia  Liberal Arts  自由七科と哲学

 

リベラルアーツの起源

 アメリカはプラグマティズム実用主義)を体現する効率一点張りの国で、大学でもすぐに役立つ学問を教えている、というイメージがある。ところが意外なことに、アメリカの有名大学になると、リベラルアーツが重視されている。

 リベラルアーツの起源は、ギリシャ、ローマでは、肉体労働は奴隷に任せ、自由人は「自由七科」と言われる教養を身につけることが求められた。その7つとは、文法、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽だ。

 13世紀にヨーロッパで大学が誕生すると、専門家養成に進む前の基礎学問としてリベラルアーツは位置付けられ、この伝統は欧米の大学に受け継がれた。特にアメリカではハーバード大学のように学部4年間はリベラルアーツを学び、専門は大学院で学ぶ、というのが一般的だ。

 

教育は国家百年の計

 戦前の日本でも旧制高校リベラルアーツ教育が行われ、戦後は4年制の新制大学の教養課程で教えられた。しかし、学生から一般教養は高校の延長で面白くないという声が上がり、また企業からは即戦力としての専門教育が求められた。
 文部省は、大学での教育内容に関して細かく指示を出すのを止め、大学の自主性に任せるようになった。その結果、多くの大学で教養学部を解体していった。ところが、今度は学生を受け入れる企業側が文句を言いだした。教養や常識のない新入社員が増えたというので、再び教養教育重視を掲げたのだ。ネコの目のように方針が変わるようでは、いい人材など育ちようがない。

 

「役に立つこと」は教えない

 そのうな日本から見ると、アメリカが育ててきたリベラルアーツの奥深さには嫉妬さえ覚えると。MIT(マサチューセッツ工科大学)は世界トップレベルの理工科系大学。ところが意外にも音楽教育が充実していて、音楽のできる学生が多い。音楽は数学的な構造を持つものだと言われる。ところで、このMITでは当然のごとく最先端のことを教えていると思うのだが、実際はまったく違うのだ。
「いま最先端のことは4年程度で陳腐化します。すぐに陳腐化することを教えても仕方ありません。新しいモノを作り出す、その根っこの力をつけるのがリベラルアーツです。すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなります」
 一見、すぐには役に立たないかに見える哲学が、やがて量子力学を発展させることに役立つ。「すぐに役に立たない」ことは、「いずれ役に立つ」のだ。

 ボストンにあるエリート女子大のウェルズリー大学ヒラリー・クリントンを輩出した名門のリベラルアーツの大学だ。ここでは経済学は学ぶものの、経営学は教えないという。理由は「役に立ちすぎるから」。これには驚く。経済学は人間を知るためには大事な学問だが、経営学は役に立つ分、すぐに陳腐化する。そうした実学は「ビジネススクールで学べばいい」という考え方だ。「企業からもっと役立つことを教えろ、と圧力があります。でも、大学が断固としてはねつけているんです」という。

 

越境のすすめ

 リベラルアーツを学ぶ意味は、短期的な成果を追わず、人間としての成長を目指すということ。すぐには専門を学ばず、さまざまな学問を越境して学ぶということである。また「リベラルアーツは人を自由(リベラル)にする学問」だともいう。

 本書での越境とは、「ちょっといつもの道を外れ、隣の道を進んでみる」ことであり、独学での学びをいう。角度が変わっただけで風景が違って見える。
 年齢を重ねるほどに学びとしての越境の機会が減る。黙っていても減るわけだから、無理にでもその機会を作る必要がある。自分にとって異なる文化と接すること。目の前の高い壁を乗り越えるのは大変でも、自分の横にある壁は、簡単に飛び越えることができるかもしれない。前の壁を越えるのではなく、隣へ越境してみよう。

 

 

 

 

 

 

 

川端康成 『掌の小説』

 

この掌編小説122編に川端康成という作家のあらゆる要素がふくまれている

 

掌の小説 (新潮文庫)

掌の小説 (新潮文庫)

 

  

「掌」という漢字の読みかた

 しょう、たなごころ、てのひら、と読む。「掌中」「合掌」「車掌」「分掌」など。
 『掌の小説』は「たなごころのしょうせつ」、上記の新潮文庫では「てのひらのしょうせつ」と読む。川端康成が 20代の頃から40年余りにわたって書き続けてきた掌編小説、122編を収録した作品集だ。

 掌編(しょうへん)小説とは、短編小説よりもさらに短い小説を指す。「短い短編小説」であるショートショートよりも短い小説とされるが、明確な基準はない。掌(てのひら)にかきつけた小説とか、掌にはいってしまうささやかな小説ともうけとれる。

 たなごころ、とは「てのひら」のことである。たなごころの「た」は「て(手)」の交替形であり、「な」は「の」にあたる連体助詞で、「たな」は「手の」を意味し、たなごころは「手の心」を意味する。手の中心、手の内側・裏側、手の平をいう。また「掌(たなごころ)を合わす」とは、すなわち「合掌」のこと。神仏を拝むときの動作になる。

 

『掌の小説』「有難う」

 「有難う」は川端の掌編小説の中の代表的作品で、1936年(昭和11年)に清水宏により映画化もされた。あらすじは、バスに乗って町へ売られていく娘を、母親がせめてもの情けで娘の好きなバス運転手と、はじめての一夜を過ごさせるが、そのために母は娘を売りに行けなくなるという物語で、運転手の明るい人がらと、人生の底辺に生きる娘の喜びと悲しみが、簡潔な表現で描かれている。

 

「有難う」はじまりの一節

 今年は柿の豊年で山の秋が美しい。
 半島の南の端の港である。駄菓子を並べた待合室の二階から、紫の襟の黄色い服を着た運転手が下りて来る。表には大型の赤い定期乗合自動車が紫の旗を立てている ...

「お婆さん、一番前へ乗んなさいよ。前ほど揺れないんだ。道が遠いからね。」
 母親が十五里北の汽車のある町へ娘を売りに行くのである ...

 

三島由紀夫も評価

 三島由紀夫は、この作品を掌の小説の中でも優れたものの一つだとし、「母に連れられて売られにゆく少女が、その途中で自分たちが乗って行ったバスの運転手と図らずも結ばれる」という思いがけない結末を「作中の人物も作者も皆の目がやさしくゆるしている」と指摘しながら、やがてその夫となる運転手も、「運命に対して極度に純潔な人々」であると解説している。そして彼らについて「到底、運命に抗争するというような人柄ではない。しかも彼等は運命に盲従する怠惰にして無智無力な存在とも言い切れぬ。むしろこう言うべきだ。かれらは運命に対して美しい礼節を心得ている人たちだ」と述べている。

Wikipedia

 


2010年 4編のオムニバス映画