きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『キャラメル工場から』 もうひとつのプロレタリア文学

 

大江健三郎も認める
現代文学の流れのなかで
最上の短編小説の書き手である
佐多稲子

 

小林多喜二の『蟹工船』と同時期に発表された、佐多稲子の『キャラメル工場から』にも労働者の姿がありのままに描かれている。そこにあるのは「少女たちの集団労働」だ。 

 

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佐多稲子(さたいねこ)
1904年(明治37年)-1998年(平成10年)。長崎市生まれ。本名は佐多イネ。小説家。出生当時、両親はいずれも学生で十代だったため、戸籍上は複雑な経緯をたどっていた。母親を結核で亡くし、小学校終了前に一家で上京、稲子は神田のキャラメル工場に勤務する。このときの経験がのちに『キャラメル工場から』という作品にまとめられ、彼女の出世作となる。ほかに『くれなゐ』『樹影』『夏の栞』など。女流文学賞、野間文学賞川端康成文学賞毎日芸術賞読売文学賞などを受賞。1998年、敗血症のため死去。

 

 

大江健三郎も認める近現代の文学者

 大江健三郎の講演集である『「話して考える」と「書いて考える」』に、日本近代・現代の最良の文学者たちと信じる、中野重治の「美しさ」や佐多稲子の「おもい」につい語っている。

 佐多稲子は、もちろん長編小説の秀作を幾つも残していますが、日本近代・現代文学の流れのなかで誰もが認める、最上の短編小説の書き手でありました。今日私が申しあげたことを、たとえば『私の東京地図』や『時に佇つ』の短編連作で読みとっていただければ、それは読む人にとっての新しい幸いともなることだろうと思います。
 さらに、あらためて『夏の栞』を読む方には、この長編の第三部としてまさに優れた短編がしめくくっている

 

 

プロレタリア文学

 以前、小林多喜二の『蟹工船』(1929年)が若い世代を中心にベストセラーになった。船員たちの「厳しい労働条件」を描いた『蟹工船』の世界観が「非正規雇用」や「所得格差」などの「経済不安」に通じるものがあったからだろう。このような「労働者の厳しい現実」を描き「その苦しさからの解放」を訴えた作品は「プロレタリア文学」と呼ばれている。蟹工船と同時期に発表された佐多稲子の『キャラメル工場から』(1928年)は 作品名の「キャラメル工場」から「チャーリーとチョコレート工場」などファンタジーな内容を想像してしまうが、実際には作者が幼少期に体験した「少女たちの集団労働」の現場が描かれている。

 

 

『キャラメル工場から』

時代背景

 大正時代以降は大都市に「資本」そして「工業」が集中するようになり、東京にもたくさんの労働者が流れ込んだ。しかし、このような都市への人口の流入は「貧富の差」を大きく拡大することに。上京した佐多一家もこうした都市への流入者の一家族だった。

 

「一家の窮状」を助けるべく「女工」へ

 大正4年「主人公のひろ子」は尋常小学校5年生の11歳。上京した父親は東京での新しい生活に適応できず自ら仕事を探そうともしない。同居していた父の弟も病気で床についたままだった。母親の内職だけでは暮らしていけず、一家は生活に窮していた。そしてある晩、新聞で「キャラメル工場の求人」を見た父は「ひろ子も一つこれに行ってみるか」と思いつきのように言い出した。父親はひろ子の気持ちなど全く無視して話を進めてしまった。こうしてひろ子は「一家の窮状」を助けるべく「キャラメル工場」へ「女工」として通うことになった。

 

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「少女たちの集団労働」の現場

 ひろ子はまだ薄暗い中、朝ご飯を済ませ急いで仕事へと向かう。工場には「遅刻」がない。工場の門が閉められるのは「朝7時」。少しでも遅れるとその日は否応なしに休まされた。彼女たちの「わずかな日給」から遅刻の分を引くのが面倒だったからだ。
 工場では「すきま風」が遠慮なく吹き込む中で「立ち仕事」が延々と続く。夕方には足が棒のようにつり、体中もすっかり冷え込み「目まい」や「腹痛」を起す子もいた。
 従順に働く女工たちだったが、退勤前にはキャラメルを無断で持ち帰らないように毎日チェックを受けた。「袂(たもと)」・「懐(ふところ)」・「弁当箱」の中を全て調べられた。みんなは自分の番が来るのを「吹きさらし」の中、ずっと待っていた。

 

わずか1ヶ月で工場を辞めることに

 女工たちは「徒歩」で通える所に「働き口」を探すのが普通だった。しかし、ひろ子の父親が選んだ工場は電車で40分もかかる所にあった。実は彼女の日給は電車賃を引くといくらも残らなかったので働いても意味がなかった。
 さらに工場の求人は「13歳以上」と定めてあった。実際は11歳だったひろ子は13歳と偽って働いていたのだった。他の女工たちよりも体も小さく幼いため上手にキャラメルを包むことができない。夕方までにみんなはキャラメルを「5缶」仕上げてもひろ子は「2つ半」が限界だった。やがて工場の賃金は「出来高制」に代わり「2つ半」しか仕上げられないひろ子の賃金は「3分の1」に減らされてしまう。それが原因でひろ子はわずか1ヶ月でキャラメル工場を辞めることになった。

 

郷里の学校の先生からの手紙

 その晩、ひろ子は「もう働きに行かなくてもいいんだ」と思い久しぶりに「安心」して眠りについた。ところが、またもや父親の思いつきで今度は「中華料理屋」に「住み込み」で働かされることに。ある日、小学校時代の先生から手紙がきた。その手紙には次のように書いてあった。
だれかから、なんとか学費をだしてもらうよう工面して― たいしたことでもないのだから、小学校だけは卒業するほうがよかろう
 ひろ子は仕事中唯一自由になれる「便所の中」に隠れて手紙を読んだ。暗い便所の中で何度も読み返しては「涙」を流す。この時は既に「住み込み」で働いていた彼女に「学校に戻る道」はほとんど残されていなかったのです。

 

 

 

キャラメル工場から―他十一篇 (1959年) (角川文庫)

キャラメル工場から―他十一篇 (1959年) (角川文庫)

 
母六夜・おじさんの話 (21世紀版・少年少女日本文学館17)

母六夜・おじさんの話 (21世紀版・少年少女日本文学館17)

 

 

 

 

 

 

 

 07-2571

アメリカが「世界の警察」をやめたら

 

アメリカが「世界の警察」をやめたら
同盟国は国債を売りに走り
ドルは暴落することに

 

 

本書『ニュースの”なぜ?”は世界史に学べ2』から備忘録用として要約しています

 

 

ユーロの信用が一気に低下

 EUは、移民問題と統一通貨「ユーロ」の価値が下落したままという深刻な問題を抱えている。2009年、ギリシア財政赤字の危機的実態が判明し、ユーロの信用が一気に低下した。ギリシアの国家財政が破綻し、債務不履行(デフォルト)となる不安から、ギリシア国債が暴落し、それにつれてユーロも下落。これを「ユーロ危機」という。

 
EUはなぜギリシアを見捨てないのか

 ユーロ危機の引き金となったギリシアは、EUの問題児。それにもかかわらず、なぜEUギリシアを見捨てずにいるのか。理由のひとつは、ギリシア地政学的重要性。19世紀以来、イギリスやアメリカ、ロシアとの間で駆け引きの舞台となってきたこと。東地中海に突き出た位置にあるギリシアを重要視しているロシアと、ロシアの進出を食い止めたいEUの間で綱引きをしているため、問題児であってもギリシアを支援せざるを得なかった。各国が争奪を繰り返す、「地中海の朝鮮半島」ともいえるのがギリシアだ。

 

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「世界のお金」になりたいユーロ

 もうひとつ、EUギリシアを手放せない理由は、統一通貨「ユーロ」の価値下落にあった。それは目指す基軸通貨としての問題である。ここで「通貨の価値が何で決まるか」について考えてみる。お金は紙切れにすぎない。なぜ、ただの紙切れに価値があるのか。
 もともと紙幣は、金貨や銀貨と交換していた。「紙幣〇枚と金貨〇枚を交換しよう」という具合に取引が成立していた。つまり、金貨が本当のお金で、紙幣は「交換券」だった。これを金本位制という。そうした時代が長く続き、第2次大戦後は金と交換できる米ドルが、貿易決済で使われてきた。

 
アメリカが貿易赤字国に転落

 ところが、1971年、この金ドル本位制が突然、終焉を迎える。当時、世界でいちばん金持ちだったアメリカが、貿易赤字国に転落する。日本やドイツの自動車をアメリカ人がたくさん買ってしまったから、その代金を払う必要が生じた。それまで金とドルを交換する金本位制で取引していたから当然、日本やドイツの自動車会社は代金を金で請求する。その結果、アメリカが貯め込んでいた金(ゴールド)が、東京やドイツのフランクフルトに流出し、底を突きそうになった。

 
ニクソンショック

 そこで、当時のアメリカ大統領のニクソンは突然、「今日から金とドルの交換をやめる」と宣言した。世界の経済秩序を変革する大きな決断を他国に知らせずに、突然実行した「反則技」だった。こうして金ドル本位制が突如終わりを迎えた。これをニクソンショックという。
 しかし、アメリカは貿易赤字を続け、手持ちの金はほとんどないにもかかわらず、経済破綻することなく世界中で戦争を行うことができた。

 
ドルが持つ価値

 なぜだろうか。それは、金本位制の終焉後も、ドルが価値をもっていたからである。流通量と信用の点で他の通貨を圧倒していたからだ。基軸通貨として世界中で流通していたから、ドルは価値をもつことができたのである。
 たとえば、仮にアフリカのジンバブエ共和国が「石油を買いたい」といい、そして「代金はジンバブエ・ドルで払う」といわれたらどうか。ジンバブエという国の知識がある人であれば、「米ドルで払ってほしい」というだろう。ジンバブエは最貧国のひとつで通貨は紙くず同然で、財政破綻を意味する。

 
同盟国がアメリカの国債を引き受ける

 その点、アメリカという国家が財政破綻することは考えにくい。アメリカは多額の借金を抱えているが、一方でアメリカが発行する国債(借金証書)は必ず売れる。アメリカの同盟国が分担してアメリカの国債を引き受けてくれるから、アメリカはいくら借金をしても大丈夫なのである。
 財政破綻するリスクがきわめて低いということは、ドルが暴落する心配もない。だから、米ドルは金本位制をやめたあとも、価値をもち続けることができた。

 
アメリカの国債を最も多く買う日本

 ちなみに、アメリカの国債を最もたくさん買っているのは、日本だ。近年、中国が日本を上回る時期もあったが、最近は中国経済が下り坂のため、保有するアメリカ国債を売ってドルを調達している。
 では、なぜ日本はアメリカの国債をそんなに購入しているのか。敗戦国で「子分」になったから逆らえないという面もあるが、いちばんのポイントは「安全保障」である。

 
米ドルの信用を支える軍事力

 北朝鮮や中国の軍事的挑発にさらされている日本にとって、日米安保条約のもと、世界最強のアメリカ軍がバックについてくれることほど心強いことはない。米ドルの信用を支えているのは、米軍の軍事力だ。
 アメリカが「世界の警察」の役割を果たしているうちは、日本をはじめ世界中のアメリカ同盟国がアメリカ国債を買う。逆にいえば、アメリカが「世界の警察」をやめたら、同盟国は国債を売りに走り、ドルは暴落することになる。そういう意味では、アメリカが完全に「世界の警察」をやめるというシナリオは考えにくい。

 

 

 

本書『ニュースの”なぜ?”は世界史に学べ2』では、日本人が知らない101の疑問に答えています。以下はその一部です

・トランプを支持したのは誰か
アメリカとロシアは仲良くできるのか
プーチンはトランプをどう見ているのか
・フランスがドイツを恐れるのはなぜ
・イギリスの「EU離脱」はなぜ起きたか

プーチンはなぜ安倍首相と仲良くするのか
プーチンが日本と手を組む意外な理由とは
・なぜ共産主義の中国が経済成長できたのか
・なぜ中国は領土を広げようとするのか
・中国が尖閣諸島に執着する理由とは

・なぜ朝鮮半島は2つに割れたのか
金正男が暗殺されたのはなぜか
アメリカは北朝鮮を攻撃するつもりがあるのか
北方領土問題は解決するのか
・日本が北方領土を取り戻すシナリオとは

など

 

 

 

 

 

 

 

10-2571

凧になったお母さん 野坂昭如

 

昭和20年夏、アメリカの空襲で火の海となった町の中
カッちゃんとお母さんは近くの公園に避難しますが ...

 

 

 

 

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野坂昭如(のさかあきゆき)
1930年(昭和5年)-2015年(平成27年) 作家、歌手、作詞家、タレント、政治家。早稲田大学第一文学部仏文科。代表作は『おもちゃのチャチャチャ』、『アメリカひじき』、『火垂るの墓』など。主な受賞歴は日本レコード大賞作詞賞、直木賞吉川英治文学賞泉鏡花文学賞講談社エッセイ賞など。2015年に心不全で死去。85歳没。

凧になったお母さん
『凧になったお母さん』は、野坂昭如の小説、およびそれを原作としたアニメ。戦争童話集の一作で、太平洋戦争の戦火の中で、我が子が脱水症状にならぬように、自らの水分を与え続けた母親の物語。初版は1983年。中学3年生の国語の教科書に記載された。

 

 

 

空襲におびえる神戸でお母さんと暮らすカッちゃん

 港湾施設と軍需工場があるため、日々空襲におびえる神戸の町でお母さんと暮らすカッちゃん。お父さんは兵隊になって南方で戦っていた。
 聞き分けのいいカッちゃんだったが、ときおり父親を恋しがってむずかることもあった。そんな姿にカッちゃんの命だけは何があろうと守り抜こうと決意するお母さんでした。

 

焼夷弾を落とされ近くの公園へ避難

 ある日、ふたりの住む町にB29が来襲し、大量の焼夷弾を落とし始めます。燃え上がる家々。その炎に追われて逃げるお母さんとカッちゃんですが、お母さんは幼いカッちゃんを連れて遠くまで逃げることができません。
 そんな中、カッちゃんはお母さんに連れられなんとか近くの公園に避難することができました。しかし、火は次第にふたりに忍び寄り、カッちゃんの体は熱さでカラカラに。水を探しましたがありません。「熱いよう」と訴えて意識を失うカッちゃん。

 

もうお母さんは目も見えなくなりました

 そこで何とかカッちゃんを助けたいお母さん、滝のような自分の汗をカッちゃんの顔に塗りました。一時、カッちゃんの顔に潤いが戻ります。でも汗はすぐに出なくなりました。そしたらお母さん、何もしてあげられない自分が悲しくなったのでしょうか、涙が出てきました。
 世の中に、どんな苦しい病気があるのか知らないけど、じりじりと火にあぶり殺されるなんて、これほどの苦痛はないだろう、どんなわるいことをしたというの、カッちゃんが。お母さんは、自分の気持ちを悲しい方へ悲しい方へ追いやり、そのつどあふれる涙をカッちゃんの肌へうつしてやりました。そして遂に涙も出なくなりました。煙のせいか涙が枯れたせいか、もうお母さんは目も見えなくなりました。

おやすみなさい 勝彦さん
おめめをつぶれば あなたのお国
怖いものは 何もない
おねむりなさい 勝彦さん
怖いものなど 見なくていいのよ
あなたはまだ 五つだもの

 お母さんは、口から出まかせに唄い、本当にどうせ駄目なのなら、カッちゃんが寝ているうちに死んでくれればいいと思いました。

どうしても死ぬのなら 苦しみ少なく
どうしても死ぬのなら ねむりの内に
どうしても死ぬのなら 夢みている間に
どうしてもその分の苦しみは 私に与えて下さい
どうしても死ぬための おやすみなさい
どうしても死ぬための 子守唄を 私に与えて下さい

 

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次第に意識が薄れていきます

 意識がもうろうとする中、カッちゃんがお母さんの乳房を吸っているのを感じ、必死に乳房をわしづかみして母乳をしぼり出し、カッちゃんに塗ってあげます。しかし、やがて母乳も尽きてしまいます。
 次第に意識が薄れゆく中、どこかにカッちゃんを潤してくれる水はないか、ミズミズと呪文のように繰り返すうち、お母さんの毛穴から血が吹き出し、抱きすくめるカッちゃんの体をしたたり流れます。血はどんどん吹き出し、満遍なくカッちゃんを覆い尽くしたのでした。

 

凧のように空に吸われ天女のように舞う

 やがて火は衰えました。すべての水分を出し尽くして体がカラカラになったお母さんは風に吹き起され、凧のように空に吸われて天女のように舞いながら、やがて見えなくなってしまいました。

お母さん、どこへ行くの?

 8月15日、終戦詔勅天皇のことば)が焼け跡の上を流れる少し前、カッちゃんの痩せおとろえた体も風に吹かれて空に舞い上がりました。お母さんが迎えに来てくれたのです。まるで二つの凧のようにお母さんとカッちゃんは真夏の太陽の輝く空いっぱいに、はばたき舞いおどりながら、どんどん高く昇っていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 06-1955

なぜ約30年ごと? 次世代の新しい聖書

 

変わらない言葉を
変わりゆく世界に

31年ぶり、ゼロから翻訳した新しい聖書

 

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翻訳聖書も絶えず深化し発展

約30年ごとに出版される新しい翻訳「聖書 聖書協会共同訳」が2018年12月に発売された。聖書とは、神が人間一人一人へ語りかけている言葉。現代を生きるあなたにも日本語で語りかける。人々の言葉は、時代と共に変わり続ける。変わらない神の言葉を変わりゆく世界に伝えるため、翻訳聖書も絶えず変わり続ける。聖書を研究する学問は、神の言葉を現代に生きる私たちに、そして次世代へも正しく伝えるために絶えず深化し発展しているのだ。

 

「聖書協会共同訳」なぜ約30年ごとなのか

およそ1世代にあたる30年が経つと、聖書学、本文批評学、翻訳学が進展するだけでなく、言語が変化すると言われている。使い方や、その言葉への感じ方も変化する。また動植物、宝石、建造物などの名称は、聖書の動物学、植物学、考古学などの発展により、より正確になっているという。

 

人類史上最大のベストセラー

聖書は世界で20億人にも及ぶ人々が信奉する書物。いわば人類史上最大のベストセラーといってもいい。聖書は天地創造から世界の終末までがひとつの壮大な物語となって構成された書物だ。日本に住んでいると、それほど宗教を意識することはないが、海外とくに欧米理解には必須であり、文化だけでなく人の生き方まで影響する。30年ぶりの新翻訳版が発売されたこの機会に聖書に触れてみてはどうだろうか。手もとに置いておくだけでも意識が変わるかもしれない。

 

 

聖書 聖書協会共同訳 引照・注付き SIO43
 

 

 

 

*試されるイエスが発した言葉。人を裁く権利や資格をもつ者はいない

 

*「地球は青かった」が有名なのは日本だけ? 天に神はいたのか?

 

*「初めに言葉あり」「言葉は神と共に有り、言葉はなりき」

 

*「原罪」で人類は数々の労苦を背負うことに

 

*あらゆる知的生産は「問う」と「疑う」ことから始まる

 

*日本人信徒たちに加わえられた残忍な拷問と悲惨な殉教に苦悩

 

*人類誕生からの永遠の課題「罪と罰」。罪はブーメランのように

 

*ドイツ人住職から見た「日本人の寛容な宗教観」

 

 

 

 

 

 

 

 

03-1055

学歴より大切なもの

 

新たな階級社会となりつつある
今の日本社会をどう生きるべきか

学歴より大切なものを
日本史から学ぶ

 

 

*本書『ニュースの”なぜ”は日本史に学べ』から、あくまでも備忘録用として要約しています

 

 

日本は階級社会なのか

 日本は弥生時代以降、明治維新までずっと階級社会の国だった。縄文時代までは、ほぼ貧富の差は存在しない。弥生時代になると稲作が入ってきて余剰生産物が生まれる。定住することで土地や水、青銅器、鉄器などが「資産」として価値をもつようになった。資産という発想が生まれたことによって、貧富の差が固定され、階級社会になっていった。階級社会が解消されたのは明治時代のこと。人々は華族・士族・平民という違いはあっても基本的には平等になる。

 

学歴が重視されるようになる

 しかし、現実的にすべての人が平等ということはあり得ない。階級に代わり、人を判断する新しい基準が生まれていく。それが藩閥、②軍閥、③学閥の3つだ。1894年から始まった高級官僚の採用試験である現在の「国家公務員採用総合職試験」により学閥(学歴)が重視されるようになっていく。東大や京大などの旧帝国大学卒業者のブランドが価値を持つ時代になった。

 

なぜ福沢諭吉は『学問のすゝめ』を書いたのか

 藩閥軍閥、学閥、これらは一見、新しい階級のような印象を受けるが、これらは従来の封建的な階級社会を打破するためのものだった。本来、学歴は平等を実現するためのもの。出自に関係なく、頑張って勉強することによってチャンスをつかむことができる。福沢諭吉はそのことを誰よりも理解したうえで、『学問のすゝめ』を執筆した。その中で「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」という言葉を残している。「志を立て、苦学して学問を身に付けることにより、世に出ることができる」と、当時の若者に爆発的に読まれた。

 

「機会の平等」が失われている

 藩閥軍閥と学閥の3つによって、旧来の封建的な階級社会は打破されたが、現代ではすでに藩閥軍閥は存在しない。じつは、現在も平等を求められる装置として機能しているのは、学歴(学閥)だけだ。ところが、その学歴を得るために必要な教育を受けるには、親の経済力がモノを言うようになっている。お金がないと塾に通えない、優秀な学校に入れない、という世の中に。つまり、スタートラインが平等ではない。「機会の平等」が失われている状態である。

 

 新たな階級社会の誕生

 高度な教育を受けた子どもは高学歴(大卒や院卒)、高学校歴(旧帝大早慶)を手に入れてお金を稼ぐことができ、さらにその経済力は、親から子どもへと引き継がれていく。「格差が固定されていくこと」が階級社会の定義だとすれば、今はまさに新しい階級社会ができあがりつつある。
 では、新たな階級社会となりつつある今の日本社会を、どう生きるべきか。これは現代日本における最大の課題だ。

 

現代の「新・階級社会」をどう生きるか

 本書では次の二つのことが重要だという。ひとつは、自分に適した仕事を見つけて、頑張って働くこと。経済力と教育力による格差が存在していても法的に定められた身分ではない。江戸時代以前のように、努力しても上のポジションを得られないという本物の階級社会とは違う。
 もうひとつは、「学歴は ”武器” にはならない」と知ること。いまだに学歴がモノをいう社会であるのは事実だが、一方でバブル時代のように東大・京大や一橋、早慶を出ればそれだけで食べていけるという時代でもない。「いい大学を出てもダメなやつはダメ」という時代に。そういう意味で、もはや学歴は「武器」とはいえない。「防具」という表現のほうが正しい。

 

では何が武器になるのか

 それでは、いったい何が学歴よりも大切になるのか。それは教養だという。歴史や政治経済、古典などを含めて、いかに社会のことを知っているか。グローバルで柔軟な思考ができるか。そして最後に、英語や中国語などの語学力が、人生の可能性を広げてくれる。語学は文化・教養でもあり、これを学ぶことで他者の理解につながる。学歴は「防具」、教養は「武器」、語学は「翼」だと。

 

歴史を学ぶ意義とは

 歴史を学ぶ意義は、大きく3つある。まず、今、ここの価値観が絶対のものではない、と知るためである。時代が変われば、国や地域が変われば常識は変わる。それが痛感できる。次に、どんな人でも人生は一度きり、と知るため。歴史に名を残す人たちも農民も、武将も、労働者も、それぞれ一人分しか人生を生きていない。そして最後に、「人は必ず間違う」と知るため。見栄や勘違いから戦いを始めてしまったり、優先順位を誤り暮らしが成り立たなくなったり。いろんな時代、いろんな場所で、いろんな人がいろんな間違いをして、それでも生きてきた。そのことだけでも知ってほしいと。

 

 

 

本書『ニュースの”なぜ”は日本史に学べ』では、日本人が知らない76の疑問に答えています。以下はその一部です

・なぜ江戸は世界一の都市になれたか
・なぜ薩摩藩は幕府を倒せたのか
・日本が戦争に突き進んだ本当の理由とは
・なぜ武家政権天皇を倒さなかったか
・なぜGHQ天皇制を維持したか

・なぜ安倍首相は憲法改正にこだわるか
憲法改正は実現するか
・日本に戦争の危機は訪れるか
・なぜ日本と朝鮮半島はこれほど仲が悪いのか
・中国や朝鮮半島が強気なのはなぜか

・なぜ日本はアメリカに従属したままなのか
・なぜ日本は第二次世界大戦へと向かったか
・なぜ「少子化」が進んだのか
・日本人が外国人を受け入れたくないは本当か
・なぜ格差が起きるか

・なぜ急速に離婚が増えたか
・なぜ日本人は自己主張しないのか
・なぜ日本人は無宗教なのか
・いじめ問題をなくすにはどうすべきか
・歴史を学ぶ3つの大事な意味

など

 

 

 

 

 

 

 

 08-2133

宇多田ヒカル 文学のような作品

 
私の作詞は作曲から始まる

幼い頃小説家になることを夢見ていた

 

 

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宇多田ヒカルの時を超える言葉

 

一貫しているのは、作品の世界に作者の自我の痕跡を残さないような作風と、アルバムごとに日本語とより真摯に向き合ってきたこと

日本語表現の性質については
萩原朔太郎『詩の原理』で語り尽くされている

人生において避けられない出来事があるのと同じように、どんな歌を書くかは私には選べない。その時に書くしかないことを詞にして、歌うことで、私の作詞は完了する

 

 

 

Automatic (1998)

七回目のベルで

受話器を取った君

名前を言わなくても

声ですぐ分かってくれる


鳴ってて、あれ出てくれないかも、そろそろ切ろうかなと思う7回目で、取ってくれた、あれヤバい、もうムリと思ったのに出たからシャキッとしなきゃ、ということが7回で変わる気がした。こわい、出て欲しくない部分もある ... 15歳のときの詩

 

 

 

 First Love (1999)

最後のキスは

タバコの flavor がした

ニガくてせつない香り

明日の今頃には

あなたはどこにいるんだろう

誰を想ってるんだろう

 
もとは小説を書きたかった。本が好きだった。本の世界にいたかった、本の世界で生きていた。子どもの頃って、外に自由がなくて、子どものころ思いどおりになるものがなくて、どうにもならんみたいな。でも本を読んでいれば、そこで何かを感じたときに、誰かもこういう気持ちをしてるんだ、というのが分かるということで、まず書いた人とつながった気がして。たくさんの人が同じ本を同じ文章を読んで、そこに同じ想いを感じると、なんだみんな同じじゃん、ということに救われる ... 作者とつながる

 

 

 

花束を君に(2016)

毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く

ただ楽しいことばかりだったら

愛なんて知らずに済んだのにな

花束を君に贈ろう

言いたいこと 言いたいこと

きっと山ほどあるけど

神様しか知らないまま

今日は贈ろう 涙色の花束を君に


こういう歌はもう書けない。芸術とか創造性をはらんだプロセスのあるものでは基本的に喪失の話じゃないですか。喪失感が大きければ大きいほどそういう作品が生まれやすくなる

 

 

 

道(2016)

私の心の中にあなたがいる

いつ如何なる時も

一人で歩いたつもりの道でも

始まりはあなただった

It's a lonely road

( フッフッフッ )

But I'm not alone

( フッフッフッ )

そんな気分

 
( フッフッフッ )に意味はあるのか? 曲によってここは言葉がない、この音がベストだというのがあって、それが言葉じゃなくても伝わる。ずっと言葉をいっぱい歌っているのだから、どこかに言葉がなくなった瞬間にふわっとした変化を感じる。心のスキみたいなものが必要だと思う

 

 

 

真夏の通り雨(2016)

思い出たちがふいに私を

乱暴に掴んで離さない

愛してます 尚も深く

降り止まぬ 真夏の通り雨

 
止まない通り雨。これは時間の話に戻りますね。だってもしあの瞬間、私が死んじゃったら、私としては降り止まなかった雨になるわけで。自分に次の瞬間がある前提、それがないということです

 

 

 

光(2002)

どんな時だって

たった一人で

運命忘れて

生きてきたのに

突然の光の中、目が覚める

真夜中に

 
「なにがしあわせかわからないです ...(銀河鉄道の夜) 」という宮沢賢治の書いた言葉が好きです。今の苦しんでる状況もその先の幸せに向かっていれば不幸せではないし、今を今だけで評価できない。悲しそうな出来事があっても憐れむ気持ちもない。もしかしたら、今辛そうだけどその辛さが何年後かにその出来事があったために、今より幸せになっているかもしれない、あれがあってよかったと思うかもしれない。そうでないかもしれない。あくまでも今はその途中なんです

なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一足ずつですから。~ 宮沢賢治銀河鉄道の夜

 

 

 

初恋(2018)

もしもあなたに

出会わずにいたら

私はただ生きていたかもしれない

生れてきた意味も知らずに

 
人は生きていく上で、最終的には他者との繋がりを求めますよね。浅いものから深いものまで。その関係性の築き方には誰しもモデルがあって、それはやっぱり最初の原体験というか、自分を産んでくれた人なり、面倒を見て、育ててくれた人たちとの関係だと思うんです。それがその人の一生の中で、おそらく多くの場合は無意識に作用して、他者との関係性に影響していく。その無意識の影響を紐解いては、「何故なんだろう?」と追求したり、時には受け入れようとしたりする。それが私の歌詞の大体のテーマだと思うんです

 

 

NHK SONGSスペシャル「宇多田ヒカル」より

 

 

宇多田ヒカルの言葉

宇多田ヒカルの言葉

 
詩の原理 (青空文庫POD(ポケット版))

詩の原理 (青空文庫POD(ポケット版))

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 07-2079

聞く、聴く、訊く 3つの「きく」

 

「聞く」は意識しないで音が耳に入る

「聴く」は意識して音に耳を傾ける

「訊く」は尋ねる、問う

 

英語ではこんな感じ

「聞く」 hear  一方的に聞こえる(受動的)

「聴く」 listen  自ら傾聴する(能動的)

「訊く」 ask   尋ねる、問いただす

 

 

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「聞く」は、「物音を聞く」「話し声が聞こえる」のように、音や声などが自然に耳に入ってくること。ただし、「聞き耳を立てる」「聞き惚れる」など複合語の場合は、積極的であっても「聞く」を使うのが一般的である。「聞く」には、「言いつけを聞く」「忠告を聞く」のように、従う、受け入れるという意味もある。

 

「聴く」は、「音楽を聴く」「講義を聴く」「国民の声を聴く」のように、積極的に耳を傾けることを表す。「きこえる」は、音や声を自然と耳に感じるものなので、普通は「聞こえる」と書くが、音楽や歌声が自然と耳に入り、その世界に引き込まれることを表す場合は、「聴こえる」と書くこともある。

 

 「訊く」は、「道を訊く」「都合を訊く」のように、尋ねる、問うことを意味する。ただし、「訊く」を「きく」と読むのは、常用漢字にない読み方であるため、公用文では一般的な「聞く」が使われる。尋ねることを表すため、「訊かれる」ことはあっても、「訊こえる」ことはない。

 

 

注意①

「国民の声を聴く」であれば、国民の意見に耳を傾けることを表すが、「国民の声を聞く」では、国民の意見に従うことになる。この場合は、「聴く」を使った方が正しい表現となるが、複合語には「聞く」が使われるなど、最も一般的な表記が「聞く」であるため、完全な誤りとは言い切れない。

 

注意②

その他、「香りを聞く」「酒を聞く」のように、匂いや味の良し悪しを感じ取り、識別する意味でも「聞く」は使われ、「利く」とも書く。酒の良し悪しを鑑定する「ききざけ」は、「聞き酒」と表記することもあるが、一般的には「利き酒」と書かれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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