ユダヤ人の迫害理由とキリスト教の誕生
ユダヤ人はなぜ
ヨーロッパで迫害されたのか
イエスはなぜ磔の刑に
処されたのか
ユダヤ人はなぜ迫害されたのか
ヨーロッパの問題を理解するには、キリスト教の基本的な考え方を理解しておく必要がある。キリスト教とイスラム教は、どちらもユダヤ教から分かれた宗教である。そのキリスト教を知るにはユダヤ教を知らなければならない。ユダヤ教の教典といえば、『旧約聖書』だが、この中に「イサクの犠牲」という話が出てくる。
試されるアブラハム
その話はユダヤ人の先祖とされるアブラハムという年老いた羊飼いが主人公だ。アブラハム夫婦は、男の子に恵まれなかった。そこに唯一の神ヤハウェがお告げをした。
「アブラハム、おまえはきっと男の子を授かる」
半信半疑だったが、本当に男の子が生まれた。イサクと名づけたその男の子を溺愛しそして神に感謝の気持ちを捧げるために、アブラハムは羊を焼いて生贄(いけにえ)とした。数年後、神がまたアブラハムにお告げを下す。
「アブラハム、もう羊はいい、イサクを捧げなさい」
大事な息子を生贄にしろというのです。
神への忠誠心が大事な宗教
アブラハムはイサクの手を引いて羊を生贄にする台の上に載せ、イサクの頭の上から剣を振り下ろそうとした。
ところが、そのとき天使があらわれ、こう言った。
「アブラハム、わかった。もうよい。おまえの忠誠心は確かめられた」
『旧約聖書』は、アブラハムのこの行動を引き合いに出して、「人間とはこうあるべきだ」と讃えている。つまりユダヤ教とは「親子の縁よりも神様への忠誠心が大事」という宗教なのである。
律法にそむいた者は死刑に
このように「神が絶対」の厳しい宗教だから、ユダヤ教には生活のあらゆることを定めた神の掟がある。これを「律法」といって、守らなければ人々は救われないとされている。たとえば、安息日の規定。安息日とは「その日は一切の労働をしてはならない。ひたすら神に祈れ」という日。ユダヤ教の場合は、土曜日が安息日と定められている。
土曜日は労働することを禁じられていて、律法にそむいた者は死刑になる。「安息日に働くのは神への反逆だ」というわけだ。食べ物にも決まりがあり、「豚肉を食べてはいけない」というのもそのひとつ。イスラム教にも同じ決まりがあるが、もともとはユダヤ教の律法に由来している。
異民族と融和せず独特の文化を持つユダヤ人
このようにユダヤ教は厳しすぎる律法のため、異民族には広がらなかった。ユダヤ人は歴史上、何度も迫害を受けて土地を追われてきた。ナチスのヒトラーによる迫害は有名だが、それでもユダヤ人が滅びなかったのは「律法を守った者は天国に導かれ、異教徒は地獄に落とされる。われわれは神によって選ばれた民である」という強い信念のたまもの。これを「選民思想」という。
だからユダヤ人は異民族と融和せず、独特の文化を保ってきた。しかし、このことが逆にユダヤ人が嫌われ、差別される理由にもなってきたのである。
律法など意味がない
キリスト教はユダヤ教の分派である。ユダヤ人の大工の子として生まれたイエスが、しばらく砂漠に行って、戻ってきたら説教を始めた。そこで衝撃的なことを言う。
「律法など意味がない」
何を食べてはいけないか、安息日の土曜日に休むか休まないか、そんなことはどうでもいい、と言い放ったのだ。このイエスの言葉を喜んだのが、貧困層の人たち。こっそりと土曜日に働く人もいれば、豚肉をやむを得ずに食べる人もいたからだ。
律法を破ったからといって彼らは罪人なのか。「そんなことはない。心の底から神を信ずれば救われる」とイエスは説いた。律法という形式ではなく、信仰の心が大事。異民族でも、敵のローマ人であっても信仰すれば救われるということになる。これこそキリスト教が世界宗教になった大きな要因といえるだろう。
イエスを危険人物として告発
ユダヤ教の指導者は「律法を汚された」と憤り、イエスを告発した。当時のユダヤは、ローマ帝国の支配下にあったので「イエスは貧困層を集め、ローマへの反逆を煽り立てる危険人物だ」という罪状で告発したのだ。イエスは反逆罪で有罪とされ、磔(はりつけ)の刑に処された。
処刑されたイエスが蘇った
このあと不思議なことが起こる。「処刑されたイエスが蘇った」という話が広まったのだ。イエスがゴルゴタの丘で処刑されたのは金曜日。翌日が土曜日で安息日だ。これを避けて、葬式を日曜日に行なおうとしたら、仮埋葬の墓が開いていて中は空っぽだった。イエスが消えてしまったのだ。
イエスの復活
そのあと、イエスの弟子だった人たちから目撃証言がもたらされた。「処刑されたあとのイエスに会って話をした」という。
「日曜日の朝にイエスは復活した」
「神自らが、人々を悔い改めさせるためにイエスの姿になって地上にあらわれたのだ」こうして生まれたのがキリスト教である。
イエス自身はユダヤ教の改革者で、「私は神だ」とは言っていない。ペテロやパウロといった弟子たちによって神として祭り上げられたのだ。ユダヤ教徒から見れば、律法を守ることは意味がないと説くイエスは裏切り者である。まして人間であるイエスを「神」と呼ぶなど言語道断。
大工の息子であるイエスを神と認めるか認めないか。これがユダヤ教とキリスト教の根本的な違いである。この一点において両者は絶対に相容れない。キリスト教徒とユダヤ教徒が対立する最大の理由なのである。
ユダヤ人は「流浪の民」として有名である。イエスなきあと、ローマ帝国に対する2度の反乱を起こして失敗し、流浪の生活が始まった。定住しなければ農業もできないし、生活も安定しない。土地や建物など不動産も所有できない。だからユダヤ人は、金銀や宝石といった動産(不動産以外の財産)を積み上げるしかなかった。どこにいっても生計が立てられるように、やむなく「金貸し」になったのである。
ユダヤ教徒はますます孤立
ローマ帝国の崩壊後に生まれたヨーロッパ諸国がキリスト教を採用したため、キリスト教を認めないユダヤ教徒はますます孤立した。キリスト教徒から見れば「よそ者のくせに、なぜ俺たちに合わせないんだ。しかも金貸しで儲けているなんて、けしからん」となる。こうした背景からユダヤ人はヨーロッパでたびたび迫害されてきたのである。
* 本書『ニュースの”なぜ?”は世界史に学べ』から備忘録用として要約しています
*使用写真は本書とは関係ありません
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13-2831
上野千鶴子さんの東京大学入学式祝辞
あなたたちのがんばりを
どうぞ自分が勝ち抜くためだけに
使わないでください
異文化を怖れる必要はありません
人間が生きているところでなら
どこでも生きていけます
4月12日、東京大学の2019年度入学式が日本武道館で行われた。
祝辞には女性学のパイオニアである社会学者の上野千鶴子名誉教授が登壇。
2018年に発覚した東京医科大学の性別や年齢による差別的な不正得点調整について言及し、性差別について、がんばりが報われない社会、そして「知」とは何かについて新入生に語りかけた。
上野千鶴子(うえのちづこ)
1948年(昭和23年)富山県出身。日本のフェミニスト、社会学者。専攻は家族社会学、ジェンダー論、女性学。東京大学名誉教授、立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘教授。博士(社会学)。京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業。京都大学大学院。父は内科医。
ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。
その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。
文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。
問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。
ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。
女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。
「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」
ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。
事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。
統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。
2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。
最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。
それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。
そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。
東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。
なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。
女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。
東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。
加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。
「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。
東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。
わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。
こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。
なかったから、作りました。
女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。
どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。
ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。
わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。
あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと... たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。
そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。
これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。
学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。
未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。
異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。
大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。
ようこそ、東京大学へ。
平成31年4月12日
認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長
上野千鶴子
01-4723
仕事ができる人は朝が早い? 村上春樹は4時起き
「成功者は早起き」だとか「朝型人間が成功する」といった考え方が、世の中にはあります。確率から見たら、そうだと思いますが ...
早起きをしてどんなメリットを得たいのか?
早起きをして何をするのか?
自分なりの指針がないと形だけに終わります。
ぜひ皆さんにとっての最適な睡眠スタイルを見つけてください。
『やりたいことを全部やる! 時間術』(臼井由紀)より
『やりたいことを全部やる!時間術』目次より抜粋
・忙しいときに勉強をすると心のゆとりが生まれる
・長く熱心に話すほど人に伝わらない
・1週間は金曜日から始めなさい
・15分以上考えるのは時間の無駄
・お金で時間を買う
・デスクがベストポジションとは限らない
・「朝2時起き」で時間の主導権を握る
・身についた起床時間はずらさない
・なぜ腕時計をすると時間リッチになれるのか
・1つ買ったら2つ捨てる ほか
著名人の起床時間
*以下はネットからの収集データ(あくまでも参考)です。
*今回紹介した書籍とは関係ありません。(赤字は睡眠時間)
2:00 臼井由紀(本記事『やりたいことを全部やる!時間術』著者)
3:00 タモリ(タレント・司会者)
4:00 村上春樹(作家)*午前中は原稿書きと1時間の運動、午後は読書など自由時間
4:00 宗次徳二(CoCo壱番屋創業者)*毎朝広小路通りを清掃している
4:30 ハワード・シュルツ(スターバックスCEO)*6時前に出社
4:30 ティム・クック(アップルCEO)7時間
5:00 マーガレット・サッチャー(第71代英国首相)
5:00 哀川 翔(俳優)
5:00 ジェフ・ペソス(Amazon共同創業者)7時間
5:00 アリアナ・ハフィントン(ハフィントンポスト創業者)7時間
5:00 ベンジャミン・フランクリン(アメリカ建国の父)7時間
5:30 ジャック・ドーシー(Twitter共同創設者)*10kmのジョギング 7時間
5:30 アーネスト・ヘミングウェイ(アメリカの小説家)
5:45 リチャード・ブランソン(ヴァージングループ創設者)
6:00 スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)
6:00 岩瀬大輔(ライフネット生命保険代表取締役会長)*夜はテレビを観ない
6:00 谷田千里(タニタ社長)
6:00 アマデウス・モーツァルト(オーストリアの音楽家)5時間
7:00 小柴昌俊(物理学者・天文学者・ノーベル物理学賞)11時間
7:00 イーロン・マスク(テスラモーターズ会長兼CEO)6時間
8:00 ウィンストン・チャーチル(イギリス元首相)5時間
村上春樹の「働き方」 は規則正しい生活から
長編小説を書いているとき午前4時に起き、仕事をする。その後にランニングや水泳をし、午後は本を読んだり音楽を聞いたりして過ごす。そして9時には就寝という規則正しい日課を繰り返すという。
03-1519
マルサス『人口論』 若き天才の作品
戦争や疫病、飢餓などが
人口増を食い止めるために必要
貧しい人をむやみに助けるべきではない
マルサス『人口の原理』の影響
イギリスの経済学者トーマス・マルサスは1798年に『人口の原理(人口論)』を匿名で出版した。彼は人間の数が食料より速く増えるので、戦争、疫病、飢餓などで人口増を食い止めるしかないと言った。その余りのショッキングな内容に大変な反響と反発を引き起した。
英国の産業革命で大幅に人口が増え、マルサスがいたロンドンでは3人に2人は5歳までに死ぬ有様だった。食べ物には限りがあるから貧しい人をむやみに助けるべきではない、と主張したのだ。ダーウィンへの影響は大きく、それは本当にすごい結論だった。
Thomas Robert Malthus トーマス・ロバート・マルサス
[1766年-1834年] 古典派経済学を代表するイギリスの経済学者。父はルソー、ヒュームと親交があり、その影響を受けて育つ。ケンブリッジ大学を卒業後研究員になり、のち牧師となる。32歳のときに匿名で出した本書『人口論』(初版)は当時のイギリス社会に大きな衝撃を与えた。その後に名前を明かしたうえで第2版を出し、約30年をかけて第6版までを刊行した。
生存権の否定
『人口論』は次のような命題につながる。人口の抑制をしなかった場合、食糧不足で餓死に至ることもあるが、それは人間自身の責任でありこれらの人に生存権が与えられなくなるのは当然のことである。戦争、貧困、飢餓は人口抑制のためによい。これらの人を社会は救済できないし、救済するべきでないとマルサスは考えた。これらマルサスによる生存権の否定は、ジャーナリストのウイリアム・コベットなどから人道に反すると批判を受けた。
ダーウィンに多大な影響を与える
人口を統計学的に考察した結果、「予防的抑制」と「抑圧的抑制」の二つの制御装置の考え方に到ったが、この思想は後のチャールズ・ダーウィンの進化論を強力に支える思想となった。特に自然淘汰に関する考察に少なからず影響を与えている。すなわち、人類は叡智があり、血みどろの生存競争を回避しようとするが、動植物の世界にはこれがない。よってマルサスの人口論のとおりの自然淘汰が動植物の世界には起きる。そのため、生存競争において有利な個体差をもったものが生き残り、子孫は有利な変異を受け継いだとダーウィンは結論したのである。
人口論の基礎
人口は人間の数が食糧生産より速く増えることで、次のことが予想できる。これらは主に貧困層を中心に苦しめることになる。
① 食糧不足によって多くの人が餓死する
② 環境が劣悪になって疫病が流行し、多くの人が病死する
③ 食の奪い合いにより戦争が起こり、多くの人が戦死する
かなり衝撃的な内容であるため、第2版で「人口が増えれば、それにつれて子供を作ろうとする者が少なくなる。よって人口増加のダメージは減る」という道徳抑制論を唱え、主張を柔らかくした。しかし、この道徳的抑制論は厳しい倫理的問題を抱えていることが分かる。
貧しい人をむやみに助けるべきではない
道徳的抑制論では「それ故に貧困層は子づくりを控える」という理屈を唱えているが、ならば政府が貧困層に金銭的支援をすることは間違っているということになってしまう。なぜならば、もし政府が貧困層にお金を渡してしまえば彼らは生活に余裕ができて子どもを作ってしまうからだ。
例えば、日本がアフリカの国に募金をしたとする。そうなるとその国はそのお金で薬や食料を買うことによって、餓死者や病死者を減らすことができるが、しかしそれは同時に国力を超えた人口を抱えることを意味する。過剰人口は上述した問題を誘発し、結果として貧困は解決しない。アフリカの貧困を解決するには結局は住民たち自身で人口調整をしつつ徐々に発展していくしかない。この論理は今日でも、安易な食料援助、経済援助は無駄だという主張を支えている。世界人口はまもなく100億人を突破しようとしている。
05-1841
『キャンパスの雨』 三好京三
岩手の分校の小学校教師が
都会の大学(通信教育)へ入学
スクーリングで訪れた東京での奮戦記
あらすじ
中年の分校の先生が、大学へのおもい断ちがたく、通信教育の夏季スクーリングでおくるキャンパス生活を、著者みずからの体験をもとに、スポーツ、実験、そしてほのかな恋情など、豊富なエピソードで彩りつつさわやかに描く。学ぶことの苦しみと、その後のよろこび ― あの学園での青春の日々が、なつかしく胸によみがえる。
以下に、ほんの一部を抜粋してみた。
三度目の挑戦
K大学通信教育部の入学試験は、つごう三度目であった。二度落ちていたわけではない。最初落ちて、二度目には合格したのだが、単位を一単位もとらずにいる間に年数が過ぎ、留年の手続きもしないまま、退学した形になっているのだ。それで、最初の入学試験から十三年目、三十四歳にしてあらためて受験し直しているのである。
卒論
「卒論は何にする?」
「近代文学。とても古文は読めないもの」
「そう、わたしは江戸文学をやる。西鶴にするつもりだ」
「わたしも困っている。西鶴にしても近松にしても、多くの学者が何年もかかって調べているでしょう。その学者たちの見解をかいくぐって、独自の解釈をしろと言われても無理な話だ。何しろ、わたしはこれから西鶴を読み始めるわけだから」
キャンパスは雨だった
卒業式の行われる三月二十三日は雨であった。
朝食後も雨は降りやまず、信吉はハイヤーを呼んだ。卒業式は日吉の記念体育館で行われることになっている。
運転手は行先を聞くと、
「きょうは日吉へのお客が多いんですよ」
と言った。
「K大学を卒業するようなお子さんを持たれるなんて、お客さんはしあわせですよ」
「ええ、まあ」
こたえて容子は信吉の腿をつついた。信吉はだまって苦笑している。晴れの卒業式なので洋服も新調して出てきたのだが、それは勿論学生服ではないから、たしかによそから見れば、子どもの卒業式に出席する父兄だと思うであろう。
執念、執念
「先生」
後ろから声がかけられたのでふり向くと、ひたいの抜け上がった初老の男であった。英文科の講義を一緒に受けた実業高校の教師である。
「おめでとうございます」
「やあ、おたがい様。しかし、とうとうここまで来ましたなあ」
「英語がよく切り抜けられましたね」
この大学の英語は特にきびしすぎると、受講者の中には悲鳴をあげる者があった。その英語は十単位が必修である。
「はっはあ」
高校教師は甲高い声で笑い、それから声をひそめて、
「執念、執念」
と言った。信吉は甥の亘から数学の特訓を受けたような努力を、きっとこの高校教師もしたのであろう。
「わたしも、数学が執念、執念ですよ」
二人はあらためて握手を交わした。
大学生活は輝ける青春
三十四歳で入学し、六年かけて四十歳で卒業した。文字どおりの中年大学生であった。喜劇じみた失敗もあったが、それなりの哀歓もあった。中年どころか、初老となった今は、やはりあの大学生活はわが輝ける青春であったと思う。大学に対する餓えがあった。それは必ずしも学問への渇望だけでなく、キャンパスとその雰囲気へのあこがれのようなものでもあったが、中年のわたしは、一日一日、しっかりとそれをとりこんでいた。そして首尾よく卒業したとき、わたしの若いころからの大学劣等感はけし飛んでいた。
06-1455
名著『外国語上達法』を読む
有名私立大学の教授が勧める1冊
そこには習得を容易にするコツがあった
千野栄一(ちのえいいち)
1932年東京生まれ。日本の言語学者。東京外国語大学名誉教授、元和光大学学長。言語学およびチェコ語を中心としたスラブ語学が専門。晩年は「千葉榮一」と表記した。東京外国語大学(ロシア語)卒業。東京大学文学部言語学専攻卒業。ほかに『エクスプレス チェコ語』『プラハの古本屋』『言語学 私のラブストーリー』など。2002年に死去。
著者がここで述べている2つのこと
① 外国語の習得にはその習得を容易にするコツがあり、そのコツを知ることが大切。
② 覚えたことを忘れることを恐れてはいけない。
なぜ学ぶのか、ゴールはどこか
外国語を習うとき、なんでこの外国語を習うのか、という意識が明白であることが絶対に必要である。いい先生、よい教科書、よい辞書があってもうまくこれらの外国語がものにならない人は、目的意識の不足がその原因である。多くの人が英語の学習で涙を流すのは、なぜ英語を学ばねばならないのかについて自分の気持ちが整理されていず、明確な目的がないからである。
必要最小限の知識でいい
ヨーロッパのホテルで食事をするとウエイターが寄ってきて注文をとる。日本人とは英語で、ドイツ人とはドイツ語で、フランス人とはフランス語で応対する。しかしこの人たちは3か国語が喋れるというよりも、「お飲み物は何にしますか?」といういくつかのパターンを知っているにすぎない。すなわち、この人たちは英語でエリオットを読み、フランス語でサルトルを論じ、ドイツ語でトーマス・マンを楽しむという人たちではない。自分の職業に必要な最小限の知識を備えているにすぎない。これで十分なのであり、ここに学習のヒントがある。
人間の能力には限界があって寿命も限られているのであるから、必要なだけの英語ができればよく、それで十分なのである。
上達に必要なのはこの2つ
外国語の上達に必要なもの、それはこの2つ「お金と時間」という。人間はそもそもケチであるので、お金を払うとそれをむだにすまいという気がおこり、その時間がむだにならないようにと予習・復習をするというのである。外国人に日本語を教え、そのかわりにその外国語を学ぶというのはよく聞くが、そうやって上達した人に会ったことがないのは、お金を使っていないからであろう。
毎日少しずつでも繰り返す
外国語の習得には時間が必要である。まず半年ぐらいはがむしゃらに進む必要がある。これは人工衛星を軌道に乗せるまでロケットの推進力が必要なのと同じで、一度軌道に乗りさえすれば、あとは定期的に限られた時間を割けばいい。1日に6時間ずつ4日やるより、2時間ずつ12日した方がいい。毎日少しずつでも定期的に繰り返すこと。
覚えるのは語彙と文法
お金と時間が必要なことが分かったが、それではそのお金と時間で何を学ぶべきなのか。それは覚えなければいけないのは、たったの2つ。「語彙と文法」だ。すべての外国語の学習に際して絶対に必要なのは、この2つである。単語のない言語はないし、その単語を組み合せて文を作る規則を持たない言語はない。
学習に必要な3つのもの
外国語を学ぶためには、次の3つが揃っていることが望ましい。その第1はいい教科書であり、第2はいい教師で、第3はいい辞書である。いい教科書に当たるかどうかで、外国語の習得の難易度は大きく変わってくる。いい先生にめぐり会った人はそのチャンスをモノにすべきである。辞書は文化の一躍を担っている重要な作品である。
繰り返しは学習の母
言語を人間に例えれば骨や神経は文法であり、語彙は血であり肉である。言語において語彙は大切。絶えず単語帳をめくる努力が必要だ。ラテン語の格言がすべてを物語っている。「繰り返しは学習の母である」と。
まずは1,000の単語を覚える
ある外国語を習得したいという欲望が生れてきたとき、まずその欲望がどうしてもそうしたいという衝動に変わるまで待つのが第1の作戦である。その衝動によりまず何はともあれ、やみくもに1,000の単語を覚えることが必要である。この1,000語はその言語を学ぶための入門許可証のようなものである。その単語の記憶を確実にするのには、それを書くことをおすすめする。理屈なしに出来るだけ短時間で覚えること。
頻度の高い単語から覚えること
次にどういう単語を覚えないといけないか。それはよくでてくる単語、言語学的にいえば、頻度の高いものから覚えるべきである。大体どの言語のテキストでも、テキストの90%は3,000の語を使用することでできている。すなわち、3,000語覚えれば、テキストの90%は理解できることになる。残りの10%の語は辞書で引けばいい。これならもう絶望的ではない。そこでもっとも重要なのが最初の1,000語なのである。
本書について
本書は、ある有名私立大学の教員から勧められたものである。「必要なだけの英語ができればよく、それで十分なのである」の一言に、はっとさせられる。完璧を目指さなくていいんだと。今回はエッセンス部分を取りあげたが、詳しくはぜひ本書を読んで頂きたい。文法や学習書のほかに辞書や、発音、会話、教師についても詳しく書かれている。語学上達法の本はたくさん出ているが、名著と呼ばれている本書などを読んでみるのも大いに参考になるだろう。
11-2316
『種の起源』 ダーウィンの進化論
指折りの科学者
チャールズ・ダーウィン
彼の学生生活やビーグル号の旅を
たどりながらダーウィンの
進化論の神秘を説く
(長文です)
地球 ...
数知れないほどの生命が生まれ
子孫を残しては死んでいく
そうして生命はこの星を覆いつくした
学校ぎらいのチャールズ・ダーウィンが
船酔いしながら世界中を探検し
生物学の大問題を解明した
それを本にしたのが「種の起源」である
世間の批判に耐えながら出版した
この科学の名著は生物学に革命をもたらし
人間の世界観を変えてしまう
ビーグル号で旅に出たダーウィンは
どのようにして進化論に至ったのか
Charles Robert Dawin 1809-1882
チャールズ・ロバート・ダーウィン
イギリスの自然科学者。卓越した地質学者・生物学者で、種の形成理論を構築。エディンバラ大学、ケンブリッジ大学。主な業績に「種の起源」「ビーグル号航海記」「自然選択説」など。73歳没。(チャールズ・ダーウィン Wikipedia)
「種の起源」1859年11月24日初版刊行
学生時代
" Wisdom begins in wonder " Socrates
「知恵は、『なぜ?』から始まる。」
ソクラテス
宗教に束縛されない首都エジンバラ
西暦1825年、近代化の中心のひとつであったスコットランドの首都エジンバラ。宗教に束縛されずに発展していたこの都市ではアイデアが自由に交わされ、北のアテネとまで呼ばれていた。エジンバラ大学、そこは大志を抱く医学生の集まるメッカ。チャールズダーウィンもその中の一人で、当時16歳であった。
すべての現象は科学的に説明できる
化石は昔の生物の残骸だ。それを調べると、生物は徐々に進化していることがわかる。絶滅した種もあった。「種」とは何だろう? それは生物の分類のひとつをいう。2匹の生き物が子供を産んで血筋を続けることができればその2匹は同じ種のものである。生物には創造主がいて、神がデザインしたと考えられていたが、すべての現象は科学的に説明できると考え、調べはじめた。
「なぜ?」から始まる
医学に興味のないダーウィンは、聖職者になってほしいという父親のすすめでケンブリッジ大学に入学する。成績は平凡だったが生物学に関しては色々と学ぶ。聖職者兼植物学者ヘンズロウ教授の植物収集の探検によくお供した。教授は、自然は見て憧れるだけでなく、「なぜ」と問い、答えを求めなければならないと教えられる。そんな彼に、運命の旅が待っていた。
ビーグル号の航海
運命を変えた手紙
ロンドン1831年、ダーウィンは22歳。運命を変える手紙が届いた。ヘンズロウがイギリス海軍ビーグル号に博物学者として乗ることを勧めたのだ。そして12月末に旅立つことになった。ダーウィンの一生を変える旅が始まったのだ。
アマゾンは生命に満ちていた
アマゾンは地球のどこよりも生物の種類が多い。撃ち落した鳥をはく製にして、標本を集めてはヘンズロウに送った。ダーウィンにとってアマゾンの毎日は冒険で、天国にいるかのようにうれしかった。ある日は虫の新種を70匹も捕まえた。アマゾンは生命に満ちていた。イグアナ、カイマン、ヤドクガエル、バク、オオアリクイ、カピバラ、オセロット、ジャガー、ピラニアなどなど。
生物が進化したのではないか
アルゼンチンでは、40体を超える化石を掘り出した。化石から昔と今の生物の間に何か関係があることを発見し、生物が進化したのではないかと考えるようになる。アンデスは地球で一番古い山脈のひとつだった。この山は地面が押し上げられてできたのかもしれない。ダーウィンは海の底から山を持ち上げる力に驚いた。
1835年、ガラパゴス。ガラパゴとはスペイン語でカメのことだ。ダーウィンがガラパゴスで見つけた生物は新種ばかりだった。そして、この遠足のような毎日が大発見につながっていくとは誰が予想できたであろう。標本はかなりの量になっていた。
ダーウィンはのちにいった ... 「ガラパゴス諸島での旅が私の全ての考えの原点であり、ビーグル号での航海が私の全生涯の道を決定した。
新しい説
進化のメカニズムを探求
1836年10月、5年ぶりのイギリス。ガラパゴスと南米は地形も気候も違うのに、生息する動物は似ていた。大陸から移住したのかもしれない。そして生物はそれぞれの島の環境に合わせて進化していったのだろうか。
生命だけが全く変わらなかったとしたら、いずれは地球の変化についていけなくなって絶滅してしまう。やっぱり生命は進化したのだろうか。ダーウィンはその「進化」の背後にある真のメカニズムを探し始めた。
マルサス『人口の原理』の影響
イギリスの経済学者トーマス・マルサスは1798年に『人口の原理(人口論)』を匿名で出版した。彼は人間の数が食料より速く増えるので、戦争、疫病、飢餓などで人口増を食い止めるしかないと言った。
英国の産業革命で大幅に人口が増え、マルサスがいたロンドンでは3人に2人は5歳までに死ぬ有様だった。食べ物には限りがあるから貧しい人をむやみに助けるべきではない、と主張したのだ。ダーウィンへの影響は大きく、それは本当にすごい結論だった。
頼もしい味方がついたダーウィン
時はたち、1839年にダーウィンはいとこのエマ・ウェッジウッドと結婚し、ロンドンの郊外に引っ越した。それからは数多くの著書をだし、植物学者のジョセフ・フッカーや動物学者のトーマス・ハクスリーなどがダーウィンの味方についた。
ダーウィンは文献を読みあさり、大勢の学者と文通し、何万もの植物や動物を飼ったりしながら実験した。
フジツボの研究で世界的権威に
10年間も没頭したフジツボの研究では世界権威になり、一人前の博物学者として認められた。ところが進化論に関しては発表するまで20年も静かにしていた。なぜそんなに時間がかかったのだろうか。
証拠のない説はただの仮定でしかない。その上、進化は人生の間で直接見られるものではないため、多くの間接的な証拠を集める必要があった。ところで、ダーウィンの研究は現在でもフジツボの学問の基盤となっている。
進化論はキリスト教を崩すことに
ダーウィンの進化論説は過激であり、出版をためらっていた。ロバート・チェンバースは生物が神に創造された後、止まることなく変化していることを化石が証拠づけていると言ったが、罰当たりだと猛烈な抗議にさらされた。神が創った完璧な動物が変わるハズがないと。進化論はキリスト教の基盤を崩し、社会をメチャメチャにしてしまうと非難された。フランス革命が起こったのもこういった自由な思想が原因だとされていた。
もうひとりのダーウィン
ダーウィンが証拠を集めている間、マレー諸島で生命の神秘の解答に近づく男がもう一人いた。アルフレッド・ラッセル・ワラスは貧しい自学の博物学者だった。熱帯の病気にかかりながらも探検を続け、進化によってできた新種を探してした。そして彼も進化が生存闘争によって生じることに気づいていたのだ。
ワラスとの共同発表
1859年7月、ロンドンのリンネ会でダーウィンとワラスの共同発表となった。ワラスは人がよく、最後までダーウィンと仲が良かった。
ダーウィンの「種の起源」は同じ年の11月24日に出版され、大ヒットし、その日のうちに1冊残らず売り切れた。しかし、その結論が気にいらない人のほうが多かった。「種の起源」は科学者にも衝撃を与え、ダーウィンの進化論は難産の説だった。なお、膨大な証拠があるにもかかわらず、進化を認めない人は今の時代でもいる。
ダーウィンの進化論
環境に順応している生命
生命は環境によく順応している。例えば、ホッキョクグマは私たちがとても住めない北極にいる。あの白い毛はガラスのように透明で光ファイバーのようにできている。この毛を通して、太陽光のエネルギーを体の方に送っていく。
また、ある種のアリは5千万年前から農業をしている。ハキリアリは巣に葉っぱを持ち帰るが、その場では食べない。持って帰った葉っぱをカビに分解してもらってから食べるのだ。カビなしではアリは餓えてしまうし、アリなしではカビも生きられない。
サケはなぜ生まれた場所に戻れるのか
イヌは人間の百万倍の嗅覚を持っている。においだけで誰だかわかってしまうほどだ。もっとすごいのはがサケで、自分が生まれたことろの味を覚えている。川の水は場所によって微妙に違う。まわりの植物や土によって、川に溶け込んでいる成分が異なっている。生れてからサケは故郷を離れ、川を下る。海に出て成熟するまで数年暮らす。その間、故郷の味は一時も忘れてはいない。広大な海から故郷の川を探し、流れをさかのぼり、まわりの水を味見しながら生まれた場所に戻る。生命は奇跡的なほどに環境によく順応して生き抜く術を備えている。
特徴の選択と変種
生物には「変種」がいる。同じ人でも見かけは多彩だ。トマトであれ色々な大きさに育つが、大きいものを選んで交配すれば、大きさを強調できる。人はこうして食物を改良してきた。種なしスイカも小さい種のスイカを選びながら栽培した。犬の種類は多いがほとんどが人間によって改良されたものだ。
旧約聖書にも人間が家畜の飼育をしていたと書いてあり、古代中国の百科事典やローマの記録にも品種改良のルールがしっかりと記述してある。
生存闘争と適者生存
人間が生物を進化させたわけではない。自然界の生物は生き残るのに精一杯だ。サケの場合、2,000個の卵のうち、1,000匹生まれ、その中から150匹が稚魚になり、大人まで育つのはわずか2匹。最後には1匹だけが故郷に戻り、子供を産む。非常にシビアな世界だ。飼育の場合は人が特徴を選択して種が進化していくが、自然界では死ぬか生きるかの「適者生存」の選択が起きる。しかし家畜の改良をする人間はたかが1万年しか存在していない。それに比べ、生命の歴史は40億年、人がいない自然ではどう特徴が選択されてきたのだろうか。
「自然淘汰」による進化論
人が飼育する時と同じく、自然界でも変種がたまに生まれた。子孫を残す前に死んでしまう弱いタイプの者は次の代に自分の特徴を遺伝できない。しかし、有利な特徴をもった変種が比較的多く子孫を残す。こうして世代ごとに特徴が変わっていき、元の種の者と子供ができなくなるくらい変わってしまったときに新しい種ができる。
つまり厳しい自然界を生き延びた変種の特徴が遺伝し、その特徴が積み重なることで進化していくのである。これが「自然淘汰」による新しい種の起源であり、進化論である。
植物の最高の智恵
自然界での試練は無数で、子孫を残す術も問われる。子孫を残すため、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ように何万個も産む者もいる。逆に、ほ乳類は少なく産むが子供を大事に育てる。多くの植物の花粉は風に運ばれ、受粉して種ができる。でも風だけじゃ頼りない。そこで大昔、花から蜜が出る変種があらわれた。虫が花粉を確実に運んでくれるので蜜を作る植物は繁栄した。
親指がもたらした繁栄
人間は何百万年もアフリカで進化し、そこから世界に広がって繁栄した。人間の特徴に親指がある。このおかげで器用なことができるようになった。化石から推定すると、人の祖先は400万年前に木からおり、250万年前に石で道具を作り、肉をもっと食べるようになり、脳が大幅に大きくなっていった。人間で一番特別なのは脳なのかもしれない。ネアンデルタール人のように脳が大きく、人間に似た種は他にもいたが、みな絶滅した。
人間にとって必要な精神世界
他の動物とは違い、昔から人間は死人を葬るとき墓を作って装飾品や大事な物を一緒に埋めた。美術などの芸術も自然界では類を見ない特徴だ。生き残るのに芸術は必要ないと思うが、そういうことを可能にした脳が、他の面で力を発揮している。人間は知識を後世に伝承し、遠く離れた同類に知識や情報を伝え、さらに発展し、複雑な社会も可能にした。進化は遅いから我らと6万年前の祖先とはほとんど同じだ。いまの文明が6万年前の祖先より進んでいる理由は知識の違いである。
現在でも進化論を教えない学校がある
ところで、今でも進化論を否定する人が多くいる。宗教の一部からはとくに嫌われている。人は不思議なことには神という理屈をつけがちだ。聖書は地質学と矛盾し、ダーウィンの進化論説が現れ、人々は聖書をどう解釈して良いのか迷うのだろう。現在のアメリカ合衆国でも宗教団体の圧力で、天地創造説を同等の説として学校で教えようとしているところがある。また進化論を教えていないとこもあるのだ。
ガラパゴスの生命と適者生存
生命は常に自分が生きていく時間と空間の隙間を探している。別の世界でエサを探すように進化したウミイグアナは海藻を主食にしているので食べ物には困らない。今ではイグアナの中で一番繁栄している。大昔にエサが減り、海に潜ってエサをとる者が現れた。そうして海に順応するように進化していった。海に住まいを求める進化は正解だった。ガラパゴス諸島は天然の実験室だった。
生き残ることよりも大事なこと
セミは17年の生涯のほとんどを地面の中で過ごし、土からはい出て、残りの2週間で大人になる。オスのセミは鳴いてメスを呼び、相手を求め、子供を作って死ぬ。カマキリのオスはメスと交尾した後に食われる運命にある。子供を作ることは、もしかしたら生き残ることより大事かもしれない。子供なしに死ねば、その世代でおしまいだから。
生命体の持つ本能
本能とは、生まれつき身に付いている習慣であり、不思議なものでもある。 ミツバチの集団を見てみると、女王バチ、オス、中世の働きバチがいて、仕事の分配がしっかりと決まっている。女王の役割は卵を産むことにある。オスは一切働かず、春の交尾シーズンになるまで毎日ぶらぶらしている。が、春になるとオスは互いに殺し合い、勝者だけが女王と交尾し、本望を果たしたところで死ぬ。命がけなのだ。たとえ交尾合戦を生きのびたとしても食料を消費するオスは用無しなので外に追い出され、餓え死ぬ。逆に働きバチはまじめだ。蜜を集めたり、子供や巣の面倒をみたり、女王バチにエサを与えたりし、そして巣を危険から守る。
これらの役割はみな本能によって生まれつき知っているのだ。このような本能はハチの巣全体の利益になるため、自然淘汰によって強調されていったのだろう。自然淘汰は集団でも働くということであり、本能こそ生き抜くのに不可欠なものである。
心理学者フロイトに与えた影響
ダーウィンの時代までは、人間や動物の思考や感情は説明しきれないあいまいなものとされていた。性に関係した本能を科学的に説明しようとしたダーウィンは知らずに新しい分野を開拓し、人間心理学の創始者フロイトにまで深く影響を与えた。
地理による障壁と生物の移住
自由な移動を妨げる地理的な障壁も新しい種を作る大事な要素だ。遠く離れてしまった種は別々に進化し、いずれは別の種になる。地理そのものも時間とともに変わる。巨大な氷河は地面を切り裂き地表を大きく変えてしまう。アメリカとアジア大陸が陸続きになっていた時期、マンモスやバイソンがアメリカに渡り、アジア人種も移住して北米のアメリカンインディアンや南米のインディオとなった。地理の困難を克服できる者は種にとって新しい可能性を切り開く勇者なのだ。
進化に方向性はない
大昔の世界はたった1つの細胞でできた微生物ばかりだったが、時は経ち、多細胞のものが現れ、やがて我々のような複雑な生物が現れた。確かに人間のように複雑な生命に進化するのには時間がかかる。だからといってそれが必然的な方向だとは限らない。環境に適していれば種として繁栄するし、適していなければ絶滅するまでなのだ。進化の方向は周りの環境との戦いによる。
種の絶滅
恐竜の化石はある層でいっぱいみつかるが、層が変わると一切なくなって、ほ乳類が多くなる。何か大変なことが起きて恐竜は絶滅したのだろう。このようにほとんどの種を絶滅してしまう程の出来事がここ5億年に5回くらいあった。こう化石を調べると、いつ、どの種が消えてしまったかがわかる。また天変地異などがなくても絶滅してしまった種はたくさんある。化石の記録によると、種は平均100万年で絶滅している。地球に現れた種すべてのうち、1%しか今は存在しない。
人間も種の絶滅に追いやっている
体が大きければ食べ物も多く必要になるが、恐竜は6500万年前にエベレスト山の大きさの隕石が地球に落ち、環境の変化について行けなくて絶滅したと言われている。とにかく全体から見れば絶滅は良いとも悪いとも言えない。限りある資源の中で起こる進化の必然的な要素なのだ。種が絶滅するのは自然。だが最近では人間が色々な種を絶滅に追いやっている。
エピローグ
哲学と文化に多大な影響を与えた
「種の起源」の影響はダーウィンが思ったより遥かに大きく、後戻りできないほど人類の哲学と文化に影響を及ぼした。それまで多くの人達は自分を神に特別に創られた者と考えてきたが、コペルニクスが地球は宇宙の中心ではないと言った時、人々の宇宙観が変わったように、ダーウィンの進化論は神が人に特別な立場と権利を与えたわけではないことを暗示した。ダーウィン進化論をもとにハクスリーやヘッケルは「人間は猿と共通の祖先を持つ」という研究成果を挙げ、人間は更に特別な存在ではなくなった。
全ての生き物は一つの根源に
大昔、地球を支配していた恐竜が絶滅したのも何かの激変があったためだろう。そのような偶然の出来事がなかったら、今は恐竜の世界になっていたろう。そう考えると現在人間がいるのは運命の気まぐれかもしれない。
ダーウィンは、人間とは自然の中で生き延びてきた生物達の平凡な一員で、全ての生き物は一つの根源を持つだろうと言う。
私たち生命の背後には数え切れないほどの先祖がいる。一つ一つの生涯はたとえ小さくとも、生命の壮大な物語には欠かせない一節だ。その物語は命が自然の中で磨かれてきた歴史でもある。その歴史があるからこそ、今の私たちがいる。
*『種の起源』は世界の名著です。今回の記事はほんの一部に過ぎません。ぜひこの機会に購読をおすすめします。なお、上記はマンガ「種の起源」から抜粋・要約しています。
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