きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『夜と霧』 新版

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

強制収容所での、いち心理学者の体験

 本書はユダヤ人としてアウシュヴィッツに囚われ、奇跡的に生還した著者の「強制収容所における、いち心理学者の体験」が綴られています。。著者のおびただしい小さな苦しみが描写されていますが、新版には壮大な地獄絵図は描かれていません。
 著者のフランクルは、1905年ウイーンに生まれ、ウイーン大学在学中にフロイトアドラーに師事し、精神医学を学びました。第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に送られた体験を戦後まもなく「夜と霧」に記したものです。

 

神の奇跡

 収容者はおおむね、生存競争のなかで良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのです。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰った。しかし、いい人は帰ってこなかった。

 

慣れる存在

 人間にはなんでも可能だという驚き。収容所暮らしでは、一度も歯磨きをせず、極度の栄養不足でも、歯茎はかつての栄養状態の良かったころより健康だった。また、傷だらけの手は土木作業のために汚れていたのに傷口は化膿しなかった。人間はなにごとも慣れる存在だ、と定義した。ドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか。ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。だが、どのように、とは問わないでほしい ...

 

生きる意味

「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(ニーチェ

 生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、頑張り抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人びとはよりどころを一切失ってあっというまに崩れていった。

 

初版刊行と同時にベストセラー

 初版刊行と同時に「アンネの日記」と同じくベストセラーに。2002年に発行された新訳版は、かつて掲載されていた凄惨な写真が省かれ、格段に読みやすくなっています。
 収容所ではクリスマスと新年に大量の死亡者が出たそうです。それは「クリスマスには解放されるかもしれない」「新年には家に帰れるかもしれない」というかすかな希望が打ち砕かれることによって、多くの人が生きる力を失ったからでした。
 フランクルは収容所で離ればなれになってしまった妻に会えると信じて、生きる希望をつないでいたと言います。現実には妻は別の収容所に移送されて亡くなっていました。
 未来を信じ、希望を持つことによってこそ、人はその日その日を生きられる。本書はこのこのを教えてくれます。(一部『まねる力』斎藤孝著から引用)