きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

映画『杉原千畝 スギハラチウネ』

 

 

あらすじ

 第二次世界大戦時、ナチスに迫害されたユダヤ難民にビザを発給して救いの手を差し伸べ、「日本のシンドラー」とも呼ばれた外交官・杉原千畝の半生を唐沢寿明主演で描いたドラマです。
 堪能な語学と豊富な知識を駆使し、インテリジェンス・オフィサー(諜報外交官)として世界各国で諜報活動に携わった杉原千畝は、1939年リトアニアの日本領事館に赴任。自ら構築した一大諜報網を持って混乱する世界情勢を分析し、日本に情報を送り続けていた。その一方で、日本政府の命令に背いてナチスに迫害されたユダヤ難民に日本通過のビザを発給し、6000人の命を救った杉原の、知られざる信念や信条を描き出しています。

 

杉原千畝という人

 たくさんのユダヤ難民を救っただけでなく、わが身を危険に晒しながらも混沌とした世界情勢の情報を集めていた。杉原千畝は、ロシア語、ドイツ語、フランス語など数カ国語を操る諜報外交官として、満州フィンランドリトアニア、ドイツ、チェコルーマニアなど様々な国に滞在。日本に発信し続けていた。そのためソ連から警戒されていた。

1900年(明治33年)岐阜県美濃市生れ
早稲田大学英文学科中退
日露協会学校(ハルビン学院)修了
外務省職員(1924〜1947年)
ニコライ学院教授、NHK国際部
科学技術庁などの職を転々とする
1986年(昭和61年)死去 享年86歳

 

日本国政府の対応

 リトアニアの人々には、千畝(ちうね)という名前が言いにくかったため、千畝がよく呼び間違えられていた「センポ」というように現地の人に言った。後にアメリカなどから日本の外務省に杉原千畝のことについて質問してくるものがいたが、センポという名前の外交官はいないと日本の外務省は応えるしかなかった。
 戦後、ソ連の収容所から帰国を果たした後、千畝は外務省を辞職。夫人によると外務事務官から口頭で「例の件」も責任を免官の理由として告げられたという。しかし、政府の公式見解では、千畝自身による依願退職とされている。勲五等瑞宝章を受章し、退職金や年金も支給されていることから、杉原にとって不名誉な記録は存在していないというのが現在まで政府の公式見解となっている。Wikipedia