きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『米原万里、そしてロシア』

 

米原万里、 そしてロシア

米原万里、 そしてロシア

 

 

 

対談集

 本書は米原万里が亡くなってからの刊行で、2009年に鎌倉芸術館で開催された『米原万里、そしてロシア展』のときの同名の記念出版物です。おもに回想というかたちでの対談集でしめられ、14ページにわたる写真集が本書を飾っています。

 

「息がつまる」日本

 モスクワから一時間もドライブすれば、ハイウエイの両側には地平線までうねるように続く丘に緑の畑、森、そして清らかな白樺林が現れる。これがロシアで、この大地はずっとモンゴル、そして太平洋にまで続いているのだ。見回せば、電柱やちまちました二階建ての家々が視線をさえぎる、窮屈な日本の空間とはまったく違う。果てしのない空というものがあの国にはある。
 日本に住む、あるいは旅行するロシア人達は、日本の都会の清潔さ、便利さ、人々の親切さをことごとに褒め上げながらも、その実満たされない、兼好法師の言う「腹膨るる」顔をしている。「何でもすばらしいのだけれど、日本ではどこかいつも見張られているような、抑え付けられているような ...  息ができない感じがするので」と、彼らは言うのだ。我々が全体主義、専制主義と思って見下げているロシア人が「息がつまる」というのだから、それはハンパじゃない。

 

抑圧された社会?

 ロシア人というのは日本人のように自己抑制せず、自分の感情をわりと直截に表現することに慣れている。ロシア、ソ連と言えば「灰色」で「抑圧された社会」ということになっているが、実際は大声で罵り合い、論争をするのが日常茶飯事だ。もっともそう見せかけながら、上司の悪口だけは公言しない等、自分の言うことには強烈なコントロールをかけることができるのが、厳しい権威主義社会を生き抜くロシア人エリートのテクニックでもあるのだが。
(元在ロシア大使館公使 河東哲夫談より抜粋)