『桜の樹の下には』 梶井基次郎
桜の樹の下には
屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ
『桜の樹の下には』
前回の『檸檬』に続いて、今回は『桜の樹の下には』です。わずか4ページの小品ですが、いきなり屍体(したい)が桜の樹の下に埋まっているという、衝撃的なはじまりです。
桜があれほど美しいのには何か理由があるのだ、と桜の美しさに不安を感じる主人公が、死体という醜いものが樹の下に埋まっていると想像することで不安から解放される、という内容です。この「桜の木の下には死体が埋まっている」は都市伝説の元ネタにもなっているようです。
小説の冒頭部分と最後の部分
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二、三日不安だった。しかしいまやっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ ...
... 今こそ俺は、あの桜の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒がのめそうな気がする。
生と死の均衡
著者である、梶原基次郎の生活の背景は『檸檬』をはじめとして、いずれも病鬱と倦怠の世界が中心になっているようです。逆にこのような境遇だったからこそ、文学的作品が生まれたともいえますね。常に、そこには生と死の対比があり、かれの青年期を苦しめ抜いてついに死にいたらしめた結核、それに随伴する神経衰弱がそのまま作品に反映したものです。檸檬爆弾に続きこんどは、屍体爆弾で均衡を取ろうしたのが、次の一節からも読み取れます。
俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になってくる。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心はなごんでくる ...