きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

芥川龍之介 『蜜柑』 薄汚れた小娘は、そのとき

 

乗り合わせた、その娘は 下品な顔立ちと不潔な服装だった

 

舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

 

 

 

芥川龍之介の体験を小説に

 この作品は、芥川龍之介本人の体験を小説としてまとめたものです。発表は1919年(27歳)で、作中のエピソードは1916年(24歳)当時のもの。ほんの数ページの短編です。
 東京大学を卒業後、芥川は横須賀の海軍機関学校にて英語の嘱託職員として働き始めます。この年は「鼻」「芋粥」などを発表した年でもあり、他にも師匠である夏目漱石が死去するなど、小説家としての芥川にとってターニングポイントと言ってもいい年に。
 芥川は横須賀に勤めつつ鎌倉に下宿し、職場に行く際などに横須賀線を利用していました。物語の中では上りということで東京行きの列車となっています。

 

『蜜柑(みかん)』ストーリー

 ある曇った冬の日暮れ、男は列車の中で発車の笛が鳴るのを待っていた。車両には彼ひとりしかいない。彼は「云いようのない疲労と倦怠」を感じていた。そんな中、発車の笛とともに下駄の音が聞こえ、一人の少女が車内に駆け込んできた。

 ようやく発車したのもつかの間、男は娘の下品な顔立ちと不潔な服装を見て不快に思う。娘は傷んだ髪とひびだらけで赤く火照った頬の、いかにも田舎者といった容姿でした。男は気を紛らわそうと新聞を手に取る。列車はトンネルに入り、電燈が灯される。新聞を読んでみても物寂しいながらも平凡な記事ばかり。男にとってトンネルと、田舎者の小娘と、平凡な記事ばかりの夕刊が「不可解な、下等な、退屈な人生の象徴」のように思えてきた。そして居眠りを始める。

 しばらくして男はふと目を覚ますと、先ほどまで向かい側にいた娘がすぐ隣の席におり、列車の窓を開けようとしていた。重いガラス戸がなかなか上がらず、鼻をすすりつつ息んでいる娘の姿に男はほんの少し同情したが、再びトンネルに差し掛かっており、すすが車内に入り込んでしまう。男は娘の行動を単なる気まぐれと思い、窓を開けようと悪戦苦闘する娘を「永久に成功しないことでも祈るような冷酷な眼で眺め」ていた。運悪く、トンネルに入る直前で窓があき、車内はすすだらけに。しかしすぐに列車はトンネルを抜け、外は明るくなり、新鮮な空気が入り込んでくる。

 一方、娘はすすなど気にせず、窓から顔を出している。娘の視線の先には田舎町の踏切があり、その前に頬の赤い三人の男の子が並んでいるのを見つけた。すると男の子は一斉に手をふり歓声をあげ、娘のほうもそれに応えて手を振った。そしてその瞬間、窓から半身を乗り出していた娘が、あの霜焼けの手をのばして、鮮やかな色をした五つほどの蜜柑を投げ、汽車を見送った子どもたちの上へばらばらと空から降って来た。

 そこで男はすべてを了解します。おそらく奉公先に向かうであろう娘は、わざわざ見送りにきた弟たちに向けて、労を報いる意味で蜜柑をまいたのです。私の心の上には切ない程はっきりと、この光景が焼付けられた。そうして、得体の知れない朗な心もちが湧き上がって来るのを意識した。この時始めて云いようのない疲労と倦怠とを、そうしてまた不可解な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れる事が出来たのです。

 

短いが本格的な作品

 『蜜柑』は年少者のためではなく、大人のために書かれた短いが本格的な作品で、作者はこの通りの体験をもった。そのおりの感動の強さが、この作品の美しさの中心である。粗野な小娘に対する軽蔑と嫌悪とが、やがて野性的な純情や人間性の暖かさに対するよろこびといわれる経路は短いながら、的確にとらえられている。
(本書巻末解説)