きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『女生徒』 太宰 治 川端康成も絶賛

 

女生徒の或る一日を
のびのびと、感受性豊かに
描いた太宰文学

 

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

 

 

 

読者の日記に基づいて執筆

 「女生徒」は、女性の読者から送られてきた日記に基づいて執筆したものである。この種の作品の中では、長篇「斜陽」を除いては最も長く、ひとりの女生徒の朝から夜までを描いたものだが、筆がのびのびしていて、叙情がすみずみにまでゆきわたっている。太宰の代表作の一つである。文芸時評川端康成らから激賞され、その年の秋、第4回北村透谷記念文学賞牌を受けた。

 

あらすじ

 母と二人暮らしの女生徒の、朝目覚めてから就寝までの一日の経過を綴ったもの。通学中や学校で出会う人々、また家への「お客様」に接して揺れ動く心理が、亡き父や遠方に住む姉の思い出をはさみながら、感受性豊かに描かれている。

 

長い冒頭の一文

 あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合わせたりして、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない ...
 これが出だしの一文です。長いですね。それに句読点が多い。読点が20以上もある。太宰の力の入れようが伝わってきます。とても男性作家が書いたとは思えないような、女生徒以上の女生徒として、読者に話しかけるように書いてあって、読みやすく、そしてまた親しみやすい。本当に器用です。実はこれこそが太宰文学であって、読者へのサービス精神満点なんです。読んでいて飽きないし、どんどん引き込まれていきます。

 

最後の一文

... おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。
  言葉はきれいですが、言葉をぶつぶつきって並べて、読者にぶつけてくるあたり、現代の女子高生に勝るとも劣らない、LINEの会話にも通ずるような描きかたです。(見たことはありませんので、あくまでも想像ですが)


いま、という瞬間は面白い

 いま、という瞬間は、面白い。いま、いま、いま、と指でおさえているうちにも、いま、は遠くへ飛び去って、あたらしい「いま」が来ている。ブリッジの階段をコトコト昇りながら、ナンジャラホイと思った。ばかばかしい。私は、少し幸福すぎるのかも知れない。
  ほかにも繰り返しの表現が多い。「なんだか、なんだか憂鬱だ」、「いけない、いけない。弱い、弱い」、「青く青く、澄んでいる」、「愛して愛して」、「つつましい、つつましい娘になります」など、たくさん登場する。
 文章を書く人なら、太宰の作品には使えるフレーズが数多くある。
 また、「ヴィヨンの妻」や「斜陽」、皮膚と心」「きりぎりす」など、女の物語には、太宰治という作家の、いろんな時期の心の投影が色濃く出ていて興味が尽きない。