『逆説の生き方』 外山滋比古 不幸の中で幸福を見つける
教え子に色紙をねだられて
したためた一句が
とんでもないことに ...
浜までは海女も蓑きる時雨かな
瓢水(ひょうすい)
「浜までは海女(あま)も蓑(みの)きる時雨(しぐれ)かな」
この瓢水ってどういう人?
上の句は、著者の外山先生が還暦を迎えた教え子たちに色紙をねだられて認(したた)めた一句。ところがあまりにも高尚すぎてか、受け取った連中は戸惑った様子。
そこで質問が出た。「この瓢水って、どういう人ですか」
それまで一度も作者がどういう人であるかなど考えたことがなかったし、本で読んだのではなく、友人からの聞きかじりの一句だったのだ。旧教師の面目は丸つぶれ。
教え子たち、一本とったと思ったのだろう、笑われてしまう。後日、ネットで調べファックスしてくれた。間の抜けた元教師に教えていい気持ちになったに違いない。教え子たちにとっちめられてはじめて、無知におどろいたのだから、いかにもノンキである。
瓢水は播磨の豪商
瓢水は滝氏。通称を新右衛門という。播磨の豪商であった。千石船を10艘も所有するほど栄えていたが、瓢水の風流によって産を失い、晩年はむしろ貧しかったという。1684年生まれ、1762年歿、享年79歳。生涯、無欲、無我の人で逸話に富んでいる。
瓢水にまつわる逸話
「浜までは海女も蓑きる時雨かな」にまつわる逸話はこうである。 あるとき、瓢水の高名を慕って旅の僧が訪ねてきた。ところが、あいにく不在であった。どこへ行かれたかという旅僧の問いに家人が、風邪をひいて、その薬を買いにいったと答えた。それをきいて旅の僧は、半ばあざけるかのように、
「さすがの瓢水も命が惜しくなられたか」
と言いすてて立ち去った。
帰ってきてこの話をきいた瓢水、「浜までは ... 」の句を紙に認めると、まだ遠くまでは行っていまい、その僧に渡してきてほしいと使いを出した。
この句を見た僧は己が不明を恥じ、とって返し、瓢水にわびた。乞われるまま、その夜は遅くまで語らった、という。
風邪をひいて薬を買いにいったが、別に命が惜しくなったわけではない。もういい年だが、いよいよとなるまでは、しっかり、美しく生きたい。どうせこの年だからといって病をほったらかしにしないで、治る努力をするのは恥ずかしいことではない。
不幸の中に幸福を見つける自由
それを「浜までは海女も蓑きる時雨かな」の一句に托したのである。海女は海まで行けば、どうせ濡れるのだから雨が降って濡れたってかまうことはない。そう思ってもよいところ、時雨が降ってくれば、わが身をかばい蓑を着る。たしなみというもので、床しく、美しい。どうせ濡れるのだから、濡れていこう、というのは考えが浅いのである。
そのように考えると、” 浜 ” は” 死 ” を暗示するように思われてくる。人間はいずれ死ぬ。どうせ死ぬのだから、よく生きる努力など空しい、と考えるのは怠慢である。最後の最後まで、生きるために力をつくすのが美しい ー そんなメッセージを引き出すことができる。瓢水は、不幸の中での幸福を見つける心の自由をもっていたようである。
外山滋比古(とやましげひこ)
1923年愛知県生まれ。94歳。日本の英文学者。言語論、修辞学、教育についての著作が多い。東京文理科大学(現筑波大学)英文科卒業。お茶の水女子大学名誉教授。文学博士。著書には東大や京大でもっとも読まれているロングセラー『思考の整理学』のほか、『知的生活習慣』『乱読のセレンディピティ』など多数。