きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

吉本隆明 『読書の方法』

 

なにを、どう読むか

偉大な思想家・詩人であり、また類まれな読書家でもある著者が、読書をとりまくさまざまな事柄について書いた、はじめての読書論集成。

 

読書の方法―なにをどう読むか (光文社文庫)

読書の方法―なにをどう読むか (光文社文庫)

 

 

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吉本隆明(よしもとたかあき)
1924 - 2012年。東京月島生まれ。日本の詩人、評論家。東京工業大学電気化学科卒。東京工業大学世界文明センター特任教授。「隆明」を音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い。漫画家のハルノ宵子(はるのよいこ)は長女。作家のよしもとばななは次女。代表作は『固有時との対話』『転位のための十篇』など。2012年、肺炎で死去。享年87歳。
影響を受けたもの。今氏乙冶、宮沢賢治高村光太郎萩原朔太郎など。

 

 

読みおわったらなにもない

 ここ一年間で、小説やら何やら新刊本を百冊近く読んでみたんです。正直な感想を言わせていただけば、やっぱりこりゃまいったなぁー、そうとうひどいなぁー(笑)。
 いわゆる大衆小説には、面白おかしいものがたくさんあるんです。登場人物も、比較的健全ですしね。しかし、たしかに読んでりゃ楽しいが、読み終わったらなにもない。僕自身の中流意識は満足できても、僕のなかの深刻な部分は、” あれ~!? ” と思わざるをえないわけです。やっぱり、主人公に ” おまえ、そんな健全さでいいのか? ” といいたくなっちゃう(笑)。

 

いまの純文学はちっとも新しくない

 ろくな主人公が出てこないんですねぇ。性的不能者、倒錯者、精神を病んでいたり、おかしなやつばっかり(笑)。たしかに病的なのは文学の特権でもあります。病的な登場人物が、文学者の鈍感さの証明だとしたら予言的ですらあるんです。
 ところが、いまの純文学は読んでいても、ちっとも新しくない。この程度の異常さを読み取るなら、経済統計でも眺めていたほうが、よっぽどいい。

 

この次に何を書くか期待させる作家

 たとえば、この東京という都市を扱うにしても、進歩か退廃かという原理的な視点からは、何も見えてこない。東京はきわめて便利で、しかも退廃しているという意味では、不気味な都市なんです。
 そこで未来に挑戦している村上春樹村上龍は、ホープだと思いますね。ときどき、 ” 通俗的でかなわんよな ” とは思っても、成功しているときは、やはり凄い。都市のわからない部分、気味悪いところへ感覚で挑んでいく。この次に何を書くかなと期待させる作家は、この二人だけだね。

 

大女流作家の王道を歩く

 女流では、一時の山田詠美さんには ” これは凄まじいぜ ” って迫力があった。こんなスゲエことをババアになるまで書き続けるのか(笑)。しかし、いまはわかんないところがないんです。あれは、何を書くのかわかっているよさですね。ますますウデも良くなって、大女流作家の王道を歩いている。
 僕は、何から読み始めてもいいと思うんです。現代文学がつまらない人は、夏目漱石とか芥川龍之介太宰治などの一昔前の新古典から読み出すのもいい。むろん評論でもいいし科学本でもいい。

 

書物は滅亡するメディア

 このままいけば、客観的に考えて、書物は滅亡するメディアです。即時性も、同時性も、ない。新たな性格を与えないと生き延びられないかもしれませんね。もちろん、開かれた書き方をする作家も必要だが、開かれた読み方をする読者の出現を期待しているんです。
 ” 自分が読みにくいものばかり書いているのに何だ ” と言われれば、” はい、もうしわけありません ” と言うしかないけれど、なかなか理想通りにはいかないんですよ(笑)。

 

2001年11月・光文社刊
2006年5月初版『読書の方法』より抜粋