一期は夢よ ただ狂え 閑吟集
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
(閑吟集より)
何になるだろう
真面目くさってみたところで
しょせん、人生は短い夢よ
ただひたすらに面白おかしく
遊び暮らせ
閑吟集(かんぎんしゅう)とは
室町時代後期の小歌の歌謡集。永正15年(1518年)に成立。ある桑門(世捨て人、出家した修行者)によってまとめられた歌謡集で、編者は不明。室町びとが感情を託して歌った311首がおさめられている。恋愛歌が中心。小歌230首のほか、大和節・田楽節・早歌・放下歌・狂言小歌・吟詠などを収める。
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
閑吟集のなかのひとつだが、印象に残る歌だ。大意は「真面目に生きたところで何になろう。人生は所詮、幻のようなもの、我を忘れて何かに興じよ」か。
本来は恋愛歌からきているので、根本的には男女愛欲の海のなかで両手両脚を奔放になげだし狂い游ごうよという意味。
くすんで = 真面目くさる、生真面目である、悟りすます
一期(いちご) = 人の一生、生涯
夢 = あっという間に消え去る「はかないもの」の例え
ただ狂え = 狂ったように一生懸命生きればいい
無常観から享楽主義へ
仏教的無常観によって悟りを求める現実拒否の悲観的な考え方を否定し、享楽的に人生を送ろうという現実肯定的な内容の歌。「憂き世(つらい世の中)」を「浮世」としてとらえ始めた室町時代末期の風潮を背景にしている。(weblio古語辞書より)
人生の終わりに思う
我が人生の来し方行く末を鑑みても、可もなく不可もない、しょぼくれた人生がだらだらと続き、ある日だれにも知られず、あっけなく死んでいくのだろう。思いどおりにならない人生前半戦もとうに過ぎ、気がつけば、はや終盤にも達しようかという齢に。ひとは人生の終わりになってやっと「一期は夢よ」、そう思うのだろう。
世間はちろりに過ぐる
ちろりちろり
何ともなやなう 何ともなやなう
浮世は風波の一葉よ
何せうぞ くすんで
一期は夢よ ただ狂へ