きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

小学生にもわかる 旧約聖書「原罪」

 

禁断の果実を食べたアダムとイブの罪
この人類最初の罪を「原罪」と呼ぶ

 

 

f:id:muchacafe:20180710174212j:plain
ルーカス・クラナッハ(父)「アダムとイヴ」
1526年  コートルード美術研究所(ロンドン)

 

禁断の果実

 エデンの園に置かれたアダムは、神から園を自由に歩きまわって、管理する仕事を与えられました。アダムは妻のイブ(エバともいう)とともに、エデンの園の木の実を食べて暮らしていましたが、神によって園の中央にある善悪の知識の木の実を食べることだけは禁止されていました。

 

神への裏切りをそそのかす蛇

 ある日、最も頭のいい蛇(へび)が、イブに向かってこう問いかけます。
「神はどうして果実ならどれを食べてもよいと言わなかったのか」
「食べたら死ぬから」
「あなたがたは決して死ぬことはないだろう。それを食べるとあなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者になることを、神は知っているのだ」
 蛇の巧(たく)みな誘いに心揺れるイブの目に、美しくおいしそうな実が飛び込んできます。イブは禁断の実を手に取って食べてしまい、さらにはそれをアダムにも渡しました。

 

善悪を知り羞恥心芽生える

 すると、互いが裸でいることを急に恥ずかしく思い、いちじくの葉で腰を覆(おお)って茂みに隠れてしまったのです。木の実を食べて善悪を覚えたことから、ふたりには羞恥心(しゅうちしん)が芽生えたのでした。
 ここで「善と悪」とは、「善さ」と「悪さ」の意味ではなく、知識の両極端を指す言葉であり、全体をあらわす。つまり「善と悪を知る者」とは、知らないことは一つもなく、できないものは何もないという「全知全能者」のこと。

 

人類は数々の労苦を背負うことに

 神はふたりを問いただしましたが、アダムはイブに、イブは蛇に責任をなすりつけました。もちろん、一番悪いのは蛇ですから、神は蛇に「お前はすべての生き物の中で最も嫌われるものとして、地を這(は)い、ちりを舐(な)めて、生きよ」と罰を与えます。さらに、女には子を生む苦しみを、男には額に汗して労働をする苦しみを、そしてすべての人間に命の期限を与えました。
 神に問われたイブは「蛇がだましたので食べた」と責任転嫁したので、「全知全能者」にはなれなかった。そこに到達できない限界に気づかされたのです。

 

アダムとイブの楽園追放

 神の命に背(そむ)いたという原罪(げんざい)を背負ったふたりは、楽園を追われました。楽園と人を隔(へだ)てるために、エデンの東には炎の剣を持った天使が置かれます。人間が知識の代償に得たものは、労苦と死だったのです。しかし、神はエデンの園から追い出したが、ふたりに皮の衣を着せて情けをかけたのです。

 

蛇の存在

 『旧約聖書』では、知能の高い存在として描かれている蛇。世界各国の歴史においても、特別な存在として扱われてきた。中国では畏怖(いふ / 恐れおののくこと)の対象となり、西洋ではその容姿から魔的なものとして恐れられてきた。そして日本では、ハブは罪のある者を見わけてかみつくとされ、白蛇は神聖視されている。特異な姿の蛇に対する思い入れの深さは人類共通のものといえる。

 

出展「創世記」第3章
『イチから知りたい! 聖書の本』より

 

 

理解するポイント

 ここでの罪は神の命に背き、また神に問いつめられ責任転嫁したところにあるのではないでしょうか。他のものに責任をなすりつけたことが神の怒りにふれた。そして、「全知全能者」にはなれず、限界に気づかされた。禁断の果実、善悪の知識の木の実を食べて得た、その知識の代償はあまりにも重かったのです。しかし、問題はこの限界をどのようにして生きるかということでもあるのでしょう。

 

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)

 
カラー版 イチから知りたい! 聖書の本

カラー版 イチから知りたい! 聖書の本