安部公房 『けものたちは故郷をめざす』
もがいても、どこにもたどり着けない
同じところをぐるぐるまわっているような
一歩も高野から抜け出せない
もしかすると日本なんてどこにもないのかもしれない
安部公房(あべこうぼう)
1924年(大正13年)-1993年(平成5年)。日本の小説家、劇作家、演出家。本名は安部公房(あべきみふさ)。東京で生まれ、満州で少年期を過ごす。高校時代からリルケとハイデッガーに傾倒していた。東京大学医学部卒(医師国家試験は受験していない)。芥川賞受賞。代表作に『壁』『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』『など。1993年に急性心不全で死去。享年68歳。
影響を受けたもの。フランツ・カフカ、ドストエフスキー、エドガー・アラン・ポー、サルトル、リルケ、ガルシア=マルケス、ルイス・キャロル(不思議の国のアリス)など。
あらすじ
ソ連軍が侵攻し、国府・八路軍が跳梁する敗戦前夜の満州。敵か味方か、国籍さえも判然とせぬ男とともに、久木久三は南をめざす。
氷雪に閉ざされた満州からの逃走は困難を極めた。日本という故郷から根を断ち切られ、抗いがたい政治の渦に巻き込まれた人間にとっての、”自由”とは何なのか?牧歌的神話は地に堕ち、峻厳たる現実が裸形の姿を顕現する。人間の生の尊厳を描ききった傑作長編。
人間の生存の条件
生きるとは、つまるところ幼児期の幸福をうばわれて、塀の外にひろがる荒野で生きるということである。それは「葉をむきだし」て「けもののようにしか、生きることができない」ということでもある。人間の生存の条件が、そのようなものであるなら、いまさら故郷への愛慕を語ってもはじまらない。
ここで、この小説を『砂の女』と比べてみるならば、『砂の女』の主人公の行動様式と、この小説の久木久三の行動様式とが、意外に似ていることに気づくであろう。しかし『けものたちは故郷をめざす』の主人公が、脱出をめざして「けものになって、吠えながら、手の皮がむけて血がにじむにもかまわずに」手錠をこわそうとするのにたいして、『砂の女』の主人公は砂丘の村からの脱出が可能になっても、あえて逃げようとはしないのである。これは端的にいえば、一方的な脱出希求と並行して、抵抗をふまえた定住希求が安倍氏の内部に芽生えていたことを示している。
(本書解説 / 磯田光一)より抜粋
新潮文庫(平成30年)23刷改版
昭和45年5月25日発行