きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

女子学生、渡辺京二に会いに行く

 

先生、私たちの生きづらさのワケを教えてください
『逝きし世の面影』の著者が贈る
目からウロコの人生指南

 

歴史家・渡辺京二
津田塾大学のゼミの学生たちによる
奇跡のセッションです!

 

 

渡辺京二(わたなべきょうじ)

1930年、京都生れ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。評論家。河合文化教育研究所主任研究員。熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授熊本市在住。著書に『逝きし世の面影』『評伝 宮崎滔天』『北一輝』『アーリイモダンの夢』『もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙』『近代の呪い』『幻影の明治』『無名の人生』『黒船前夜』など。

 

『女子学生、渡辺京二に会いに行く』

 本書は、歴史家・渡辺京二と、津田塾大学三砂ちづるゼミの学生たちによる、奇跡のセッション。子育て、学校教育、自己実現、やりがいのある仕事 ... いまの女子学生たちの様々な悩みに、近代とは何かを探求し続けてきた老歴史家が真摯に答えていく。私たちの社会に固有の生きづらさの起源を解き明かし、存在の原点に立ち返らせる、生きた思想の書。

以下は目次と「無名に埋没せよ」からの抜粋です。
・  はじめに三砂ちづる
1  子育てが負担なわたしたち
2  学校なんてたいしたところじゃない
3  はみだしものでかまわない
4  故郷がどこかわからない
5  親殺しと居場所さがし
6  やりがいのある仕事につきたい
7  自分の言葉で話すために ー 三人の卒業生
・  無名に埋没せよ渡辺京二

 

 

僕は社会に必要とされていない

 この間テレビを見ていたら、就職難でなかなか就職が決まらないという若い青年の話しが取り上げられていました。その青年が、「僕は社会に必要とされていない人間だ」というふうに言うんですね。僕は、この人は何を言うんだろうと、どこからこんな言葉が出てくるんだろうと思いました。これは場合によっては自殺につながりかねない発言ですね。社会に必要とされていないから、僕はもう生きていてもしょうがないと、こういうふうにつながっていく。

 

普遍的な悩み

 どこでそんな考え方を吹き込まれてきたのか。きっと学校で「君たちは社会が必要とするような人間になりなさい」とか、「社会に役立つような人間になりなさい」とか、そういうことを聞いてきたんでしょう。そうでないと、今のような言葉は出てこないんじゃないかと思うんですね。この青年は特殊かというと、そうじゃない。自分が社会に必要とされているかどうか悩み、結局必要とされていない、自分なんかいらない人間だというふうな、そういう落ち込み方は、わりと普遍的にあるのではないかと思うんです。 

 

生きる権利がある

 昔はまったくの一人の個人というのはなくて、ある家族に属している人間がいる。その家族というのも核家族ではない、大家族である。なぜ大家族かというと、家族が経営の単位だからです。農業や職人の仕事をしていく、他人も含んだ大家族です。そういう大家族があって、村や町内という集団がある。こういうふうに一人の人間はまず生きようとする。生きる権利がある。まず自分が生きるということがあって、社会が必要としようがしまいが、そんなことはその個人には何の関係もないはずなんです。

 

どうぞ生き延びてくれ

 人間というのは、自分のエゴイズムを一番最初に確認することから始まります。自分は押しのけてでも生きたい、ほかのやつが死んでも自分は生き残りたい、というのが出発点であります。たとえば明治の作家、島崎藤村の文学のモチーフは、「自分のようなものでも生きたい」というのが基調でした。自分のようなものでも生きていっていいのだと、それが根本なんでございます。人のためとか、社会のためなんて言うのは、次の次に出てくることで、人間というものは、生んでいただいた以上、生まれてきた以上、生き通す責任があるのです。あなた方の親は、あなた方が自分のために一生懸命生きて幸せになってくれれば、それが一番だと思っている。親は自分に尽くしてくれなんて思っておりません。
 望んでいるのは、生き延びてくれと。そこではエゴイズムがありますから、他人の子どもは死んでも自分の子どもは生き延びてくれ、と思っている。ともかくあなた方の親は、おまえ、どうぞ生き延びてくれ、しっかり生きてくれ、できれば幸せになってくれ、と言っているだけでございます。世の中に貢献しろ、なんて言ってはおりません。

 

人間はなんのために存在しているのか

 自分が生きていくということ、これが一番大事で、なぜそうなのかというと、この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。
 リルケという詩人がいますが、彼は人間はなんのために存在しているんだろうと考えたのね。人間は一番罪深い存在だという見方も当然一面ではありますが、ごく自然に言って、人間は神様が作ったものじゃない。ビックバンから始まった宇宙の進化が創り出したのが人間という存在である。ではなんのために、この全宇宙は、この世界という全存在は、人間というものを生み出したのであろうか。

 

自分の美しさを誰かに見てほしい

 その時にリルケは世界が美しいからじゃないかと考えたんです。空を見てごらん。山を見てごらん。木を見てごらん。花を見てごらん。こんなに美しいじゃないか。ものが言えない木や石や花やそういったものは、自分の美しさを認めてほしい、誰かに見てほしい、そのために人間を作った、そうリルケは考えたのね。宇宙は、自然という存在は、自分の美しさを誰かに見てもらいたいために人間を作ったんだろうというふうに考えたんだねえ。

 

存在意義のない人間なんて一人もいない

 これは化学的根拠なんか何もない話で、とくに理科系の人は非科学的な哲学だというわけだね。でも哲学でけっこうなんだ。これは哲学なんだから。人間は、この全宇宙、全自然存在、そういうものを含めて、その美しさ、あるいはその崇高さというものに感動する。人間がいなけりゃ、美しく咲いている花も誰も美しいと見るものがいないじゃないか。だから自然が自分自身を認識して感動するために、人間を創り出したんだ。
 そう思ったら、この世の中に存在意義がない人間なんか一人もいないわけ。全人間がこの生命を受けてきて、この宇宙の中で地球に旅人としてごく僅かの間、何十年か滞在する。その間、毎年毎年花は咲いてくれる。そういうふうに毎年毎年花を見る、毎年毎年、ああ、暑かった、ああ、寒かったと言って一年を送る、それだけで人間の存在意義はあるんです。この社会に出て行って、立派な社会貢献をしたりしなくても、ごく平凡な人間として一生を終わって、それで生まれてきたかいは十分あるわけです。

 

無名に埋没せよ

 人間はテレビに出るような人物や国際舞台で活躍するような人間にならなくても、ごく平凡でかまわないんですよ。無名の一生で一つもかまわないんですよ。というよりもそれが基本なんです。この世の中で、テレビや新聞などに名前が出てる人たちの比率をとったら、名前も出ないし、そういうことにあまり関心もないという人間が圧倒的多数なんです。圧倒的多数はだから黙って生きて、黙って死んでいくのです。
 自分を取り巻いている自然を十分に楽しみ、男女の仲を楽しみ、生まれた子どものことを楽しみ、あるいは自分を取り巻いているいくつかの人間とのつきあいを楽しむ。もちろん失望や怒りも感じるだろうけど、しかし自分とは違う他人がいて、そのつきあいの中の楽しさもあった。それだけで十分、それが基本です。無名に埋没せよ、ということです。

 

 

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 ライナー・マリア・リルケ
Rainer Maria Rilke  1875 - 1926。オーストリアの詩人、作家。時代を代表するドイツ語詩人として知られる。プラハに生まれ、プラハ大学、ミュンヘン大学などで学び、早くから詩を発表し始める。日本においてリルケはまず森鴎外によって訳されたのち、茅野蕭蕭『リルケ詩抄』によって本格的に紹介される。『時祷詩集』『新詩集』『マルテの手記』など。

影響を与えたもの。ハイデガーサルトル堀辰雄立原道造三島由紀夫安部公房ほか

 

若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)

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リルケ詩集 (岩波文庫)

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逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

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