『私の個人主義』 夏目漱石

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

 

漱石の根本思想
近代個人主義の考え方

 

学習院大学での講演の記録

『私の個人主義』は、漱石が1914年に学習院大学で行った講演の記録です。文豪漱石は、座談や講演の名手としても定評がありました。
 明治という新しい時代を迎え、社会が大きく変革を遂げていた当時、若い人たちは、「自分のやりたいことがわからない」という悩みを抱えていました。この悩みはそのまま漱石の悩みでもあったのです。

 

ロンドンで生きる指針を手にする

 漱石は官費留学先のロンドンでノイローゼになり、「夏目発狂セリ」という電報が日本に届けられたほどでした。ロンドンの狭く寂しい部屋で悩み苦しみ抜いた結果、手にした答えが「自己本位」という言葉です。他人に対する気遣いではなく、自分のやりたいことから出発して目的を作っていこうという思いに至ったのです。
 この講演のなかで漱石は、
「多年の間懊悩(おうのう)した結果ようやく自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がした」
「いままで霧の中に閉じ込められたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた」
と語っています。
 漱石は「自分は教師が嫌で、どうにも定まらなかった」と言いますが、結果として国民作家という日本全体の教師になった人です。

 

他人本位への疑問

 漱石は他人本位ではなく、自己本位という考えを持つようになります。ではこの他人本位とはなんでしょうか。本文にこうあります。
「私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまう、いわゆる人真似を指すのです。 ... たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。」
 この発言の背景としてあったのは、漱石の、日本人が英文学を学ぶことに対する疑問でした。英語を母語としない日本人に英文学が理解できるのか。
 この場合、「他人本位」とは、自分の頭で読み、理解し、味わうのではなく、他人の目を借り、解釈をしてもらい、わかったような気になること。イギリス人の解釈や評価を鵜呑みにしてしまう。さらに漱石のこの問題意識は文学にとどまることなく、日本における西洋文化の移入についても通じていく。当時の日本の文化自体も他人本位のものである、と考えていた。

 

自己本位にとどまらず

 自己本位とは、「自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行く」ことであると述べている。さらに、自己本位にとどまらず、他人の個性をも尊重すること。これが漱石が言う「個人主義」と考えることができる。一方、日本文化に関しては、漱石はたとえそれが外発的なものであっても、「上皮を滑ってゆく」ものであったとしても、そうした開化は避けられないと考えていた。そのなかで個人が生きていくには「個人主義」に徹するしかない、考えた。

 

権力や金力の危険性を警告

 漱石は持って生れた個性を自己の幸福と安住の地位をうるために発展させることの意義を強調するとともに、上流社会の子弟として恵まれた権力や金力を個性の拡張のために利用することの危険を警告した。
 英国経験論哲学に養われた漱石は、進化論の教えるように、金力や権力が奸智な利己主義に利用され、「万人の万人に対する闘争」(ポップス)の修羅場を、いかに険悪なものにするかを知らされ、また体験として知っていた。そこで、近代個人主義思想は。「正義」や「義務」や「責任」の観念を導入した「道義上の個人主義」として性格づけられる。

 

漱石個人主義への思い

 何だか個人主義というとちょっと国家主義の反対で、それを打ち壊すように取られるが、そんな理窟の立たない漫然としたものではない。事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもある。国家が危うくなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨張して来る、それが当然の話です。一体国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。
 だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きを置く方が、私にはどうしても当然のように思われます。

(本書解説より)

 

 

『友情』 武者小路実篤 不朽の大失恋小説

 

友情 (新潮文庫)

友情 (新潮文庫)

 

 

友情と恋愛を同時に失った男が
失意の底から這い上がろうとする

 

あらすじ

 23歳にしてまだ女を知らない野島は、女を見るとすぐに結婚を連想してしまう。美しい杉子に出会って以来、片想いの熱にうかされる妄想の日々。親友の大宮に抱え切れない熱い想いを打ち明けるが、事態は思わぬ方向に進み始め ... 
 全身全霊で恋焦がれても、親友が応援してくれても相手の気持ちだけはいかんともしがたいのが恋という難物。不朽の大失恋小説。

 

f:id:muchacafe:20171124112427j:plain
Wikipedia

武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)

 1885年(明治18年)東京麹町にて、江戸時代から続く公卿の家系の第8子として武者小路家に生まれる。子供時代は作文が苦手だったという。東京大学社会学科中退。トルストイの唱える「隣人愛」と「自己犠牲の精神」に傾倒したのち、志賀直哉有島武郎らと文芸誌「白樺」を創刊。その後は人道主義に改心し、「人間らしい暮らし」を目指す共同体「新しき村」を創設した。1976年(昭和51年)に尿毒症で死去。享年90歳。

 

登場人物

野島 主人公であり、23歳の脚本家。仲田の妹・杉子に恋している。親友の大宮に深い友情を感じている。

大宮 野島の友人であり、一番の親友。26歳の脚本家で、世間に認められている。密かに杉子に心を寄せるが、野島との友情を思い、葛藤する。

杉子 仲田の妹であり、学校に通う16歳。野島を生理的に嫌っており、大宮に思いを寄せる。

仲田 杉子の兄であり、法科生。野島の友達で、無遠慮にものが言える相手。社会情勢のことや恋愛観について野島と話すが、恋愛観においては意見が異なる。まだ若い妹の結婚に反対しており、妹への結婚の申し込みに辟易(へきえき)している。

村岡 早川の親友。帝劇で公演されるような脚本を書ける力をもつ脚本家。27~28歳。大宮の作品に感心する。

一高の生徒 仲田の家で開催されたピンポン大会で、ずばぬけた才能をみせる。村岡を崇拝している。

早川 仲田の友人であり、運動家。野島とは、仲田の家で数回会っている。野島と「神があるなしの議論」で激論を交わす。

武子 大宮の従妹。大宮を崇拝し、兄と呼ぶ。杉子と友人である。感情家で思ったことはなんでも言う、我儘(わがまま)で勝気な性格。下篇において杉子に大宮の居場所を教える。

 

代表的な青春の文学

 タイトルから、さわやかな青春ものの小説と思ってしまうが、結構しつこい印象のするストーリー。まあ、たぶん最後には大宮がおいしいところをさらっていくのだろうと推測がつく。友情に愛情ごとが入り混じってしまうと、友情なんてきれいごとは消えてしまう。しかし、タイトルを『友情』にしたところに青春の根源が感じられ、健全な恋愛の文学として捉えることができる。
 文体は簡潔で分かりやすく、全体として清楚で明るい。このあたりが武者小路実篤の作風であろう。対話がベースなので物語を面白くし、起伏を与えている。

 

 

 

 

『原稿用紙10枚を書く力』 齋藤 孝 

 

原稿用紙10枚を書く力

原稿用紙10枚を書く力

 

 

 

「書く力」を身につけることで
  読書力がつくだけでなく
  考える訓練にもなる

 

書くことはスポーツだ

 話すことが「歩く」ことだとすれば、書くことは「走る」ことに似ている。いきなりでも長い距離を歩くことができるように、長い時間話すことはできる。しかし、長い距離を走るとなると絶対にトレーニングが必要になる。四百字詰め原稿用紙一枚が1キロという感覚だとすると、10キロ程度ならトレーニングをこなせば、だれでも走れるようになる。1冊の本は原稿用紙300枚ぐらいでできている。10枚書ける人は長い文章を書く基礎的な力をつかみ、本を書ける可能性を手に入れたことになる。

 

ブログは書く訓練に適している

 学生なら当然、論文やレポートなどを書かなければいけない機会も多い。社会人であれば、報告書や企画書などさまざまな形で書く力が要求される。ところで、いまでは趣味としてのブログをやっている人も多い。ブログは、ほとんどが無料なので書く訓練にはちょうどいい。記載文字数がわかるので原稿用紙何枚分とか計算しやすい。投稿記事は都合がわるければ非公開にもできる。

 

書けると読書力がアップする

 書く力がつくと、確実に読む力もアップする。本を読むときには、どうやって書いたんだろうと想像しながら読むのが、いちばん理解が進む。逆に言えば、書く側に立ったことのある人でないと、本当は読むことはできないのだ。箱根駅伝をただ見ているだけでは「あの走り方はどうだ」とか言っていても、10キロ程度を走ったことがなければ、本当には何もわからないのと同じこと。

 

書く力をつける読書

「書く力」「書き言葉で話す力」をつけるためには、「読む」という行為が絶対に必要である。よい文章を書ける人は例外なく、膨大な量の本を読んでいる。これからの時代、ものをきちんと考える力がない人は非常に不利になる。
 たとえば、ビジネスマンの立場も二極化されることが予想される。考える仕事、あるいはプロジェクトをつくって遂行していく能力のある人が正社員として会社の中核となり、それ以外の「代わりのきく職種」はアルバイトや派遣社員で構成されることになるだろう。 

 

 書く力とは構築力である

・書くときには公共性の意識が大切になる

・パソコンで「書く力」をつける

・思考の粘り強さも「書くこと」で身につけられる

・文章を書く動機は、人に伝えたい中身があることにある

・価値を下げる文章は書かない

・主張内容とは、書く人の「新たな気づき」である

・アウトプットを意識すると、より上質な読書ができる

・書くための読書という視点を忘れない

・まず素材としての本を選び出せることが大事

・素材とは自分にとっておもしろい、意味があると思えるもの

・レジュメは文章の設計図

・とりあえず量を書く訓練が必要

・推敲して量を縮め、人に読んでもらえるレベルにもっていく

・自分が一番言いたいことを一行目に書く

・凡庸に陥らない一文をつくりあげたい

 

書くための参考にしたい書籍

紫式部源氏物語

シェイクスピアマクベス

バルザック『人間喜劇』

夏目漱石坊っちゃん

ドストエフスキー罪と罰

トルストイ戦争と平和

美輪明宏『紫の履歴書』

太宰治走れメロス

村上春樹海辺のカフカ

・紀貴之『土佐日記

芥川龍之介羅生門

サリンジャーライ麦畑でつかまえて

・林尹夫『わがいのち月明に燃ゆ』

永井荷風断腸亭日乗』など

 

小説は一回書くと癖になる

 お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹は、小説を書くのが楽しくてたまらないし、一回書くと絶対癖になるという。また書くことでより一層、作者の心境もわかるようになる。随筆集や自由律の俳句集も出版している、無類の本好きで知られる。

 

 

ロシア革命100年 上坂すみれ 文春インタビュー

 

f:id:muchacafe:20171103142423j:plain

 

上坂すみれ(うえさかすみれ)

1991年神奈川県生まれ。日本の女性声優、タレント、歌手。9歳のときにスカウトされ、ヴィダルサスーンのCMに日本人として初めて出演する。上智大学国語学部ロシア語学科卒業。2012年に上智大学学業優秀賞を授与される。『ガールズ&パンツァー』のノンナ役ではロシア語を披露している。
ロシアやソビエト連邦が好きで、ロシアについて「文学・歴史・兵器・絵画・音楽、どれも個性的で不思議な魅力に出会える国」と評している。ロシアとの「運命の出会い」は高校1年生のとき、偶然耳にしたソ連国歌「祖国は我らのために」に感銘を受け、以後ロシアに没頭する。愛称は「すみぺ」。

 

 文春インタビュー

1917年のロシア革命から今年で100年。ソ連大好き声優・上坂すみれへのロングインタビューの概要です。

YouTubeでのレーニン演説やプロパガンダ映像を見聴きしていました
・幼稚園の頃に『ゴルゴ13』を夢中で読み始めたんです
・中学生時代には「ニーチェ永劫回帰って何だろう」と哲学に傾倒
スターリン体制下のジダーノフ批判に衝撃を受けたんです
ソ連史はさまざまな教訓に満ちています
ソ連時代の絵画は、マレーヴィチが好きです
・最後の論文は「労働者・農民赤軍」について
亀山郁夫の「ロシアの歴史は二進法である」という言葉
ゴルバチョフ大統領辞任の約1週間前に生まれたという運命
チェーホフの「サハリン島」を読んで
プーチン実力主義曹操的な感じがします
・モスクワで買った『セーラームーン』の海賊版
・よく「出馬してください」って言われるんですよ
・フルシチョフが好きな理由は「あの叩き上げ感ですね」


サハリン島

サハリン島

 
ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

 

 

 

『人間失格』 やっぱり太宰治はすごかった

 

人間失格 (集英社文庫)

人間失格 (集英社文庫)

 

 

 

太宰治、捨て身の問題作

 

あらすじ

 太宰治の代表作の一つ。道化を演じた幼少期から、情死事件を起こしたり自殺未遂をする青年期まで、主人公の苦悩が3つの手記によって綴られており、生誕百年の2009年に初めて映画化されました。

 

恥の多い生涯を送って来ました

「恥の多い生涯を送って来ました。」そんな身もふたもない告白から男の手記は始まる。男は自分を偽り、ひとを欺(あざむ)き、取り返しようのない過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。でも男が不在になると彼を懐かしんで、ある女性は語るのだ。「とても素直で、よく気がきいて(中略)神様みたいないい子でした」と。ひとがひととして、ひとと生きる意味を問う、太宰治、捨て身の問題作。(本書より)


人間失格』を書くために生まれてきた

 主人公・大庭葉蔵の手記として「第一の手記」「第二の手記」「第三の手記」で始まる本作は、毎日の生活を告白するような体裁ですすみます。なお、以下の解説文を読んでもなかなかそのすごさが伝わりにくいかも知れません。太宰は、これを書くために生まれてきた、とまで言われます。

 

用意周到の緻密な作品

 新潮文庫の累計販売部数だけでも600万部を超え、夏目漱石の『こころ』と並ぶ一大傑作です。この『人間失格』出稿後に玉川上水で入水自殺してしまいます。なので、本作については「勢い任せに書かれた、走り書きのような作品」のように思われますが、直筆原稿から200字詰めで157枚に及ぶ中編の量があり、その内容は構想と推敲が練り尽くされた「用意周到の緻密な作品」と見直されています。
 集英社の新装丁のイラストに『DEATH NOTE』の小畑健氏を起用したことで1か月半で7万5千部を売上げ、大ヒットとなりました。(上記)

 

主な登場人物

・大庭葉蔵
 主人公。東北の金満家の末息子。子どもの時から気が弱く人を恐れているが、その本心を悟られまいと道化を演じる。自然と女性が寄ってくるほどの美男子。

・竹一
 中学生の同級生。葉蔵の道化を見抜く。葉蔵に対し「女に惚れられる」、アメデオ・モディリアーニに霊感を受け書いた陰鬱な自画像を見て「偉い絵画きになる」という二つの予言をする。顔が青膨れでクラスで最も貧弱な体格。

・堀木正雄
 葉蔵が通う画塾の生徒。葉蔵より6つ年上(26~27歳)。葉蔵に酒、煙草、淫売婦、質屋、左翼運動など様々なことを教え、奇妙な交友関係を育む。遊び上手。下町・浅草で生まれ育っており、実家はしがない下駄屋。

・ツネ子
 カフェの女給。22歳で広島出身。周りから孤立していて寂しい雰囲気がある。夫が刑務所にいる。葉蔵と入水心中して死亡する。

・シヅ子
 雑誌の記者。28歳で山梨県出身。夫とは死別。葉蔵に漫画の寄稿をすすめる。痩せていて背が高い。

・ヨシ子
 バーの向かいのタバコ屋の娘。登場時18歳。処女で疑いを知らぬ無垢な心の持ち主。信頼の天才。色が白く、八重歯がある。

・ヒラメ(渋田)
 古物商。40代で東北出身。計算高く、おしゃべり。葉蔵の父親太鼓持ち的な人物。葉蔵の身元保証人を頼まれる。眼つきが鮃に似ており、ずんぐりとした体つきで独身。

 

第一の手記

 作者はまず主人公を人間社会の異邦人として設定する。自分は世界の営みから疎外され、外界との生ける接触感がなく、自分だけが人と異なる内的な自閉世界に住み、生きるためのエゴイズム、生活力が不足していて、人間が信じられず、人間に恐れを抱いているが、けれどどうにかして人間らしい人間になりたい、人を真に愛し、信じたい、自分を偽らず真実に生きたい、弱いけれど美しい人々の味方になりたい、けれどそのため女性にいつもかまわれる人間になったという主人公の性格、宿命を「第一の手記」「第二の手記」で描く。生来の臆病から、主人公の大庭は対人における打開策として「道化を演じる法」を選ぶ。

 

第二の手記

 竹一という友人に道化の陰にかくした自分の本質を見抜かれた衝動や自画像を描いてしまったくだりは、迫力がある。作者はこのような主人公を設定することにより、社会の既成の価値観や倫理を原質状態に還元させ、その本質をあらわにさせる。

 

第三の手記

 この主人公が、自己にあくまでも真実でありながら、人間に対し愛と信頼を求めようとし、そのために人間社会から葬られ、敗北して行く過程を描いている。その敗北の過程を疎外された人間の目を通して、普通の人には見えない社会の偽りを、人間の隠された本質的な悪を浮き彫りにして行く。堀木やヒラメという生涯の敵である、善人の、世間人の皮を被った悪人の本質がはっきりと読者の目にも見えてくる。ケチ、偽善、エゴイズム、卑しさ、意識せざる暴力、それら俗世間の醜さが主人公の目を通して奇怪な陰画のように定着される。

 一緒に入水したツネ子の持つ秋のような寂しい雰囲気、ヒラメ親子のわびしい生活、シヅ子親子のつつましやかな幸福、青葉の滝のようなヨシ子の無垢な処女性の美しさ、これらが心に水のように深く沁み入ってくる。けれどこの美しさは、太宰の魂の美しさは、すべて挫折する。二・二六事件の夜、「ここは御国を何百里」と歌いながら、雪の上に喀血する場面に、心弱く、貧しく美しい日陰者と敗北者と共に歩む、主人公の、いや太宰のかなしさの極限が表現されている。

 アントニウムごっこをして、罪のアントは罰かと思いついた瞬間、ヨシ子が犯される場面は凄絶である。「そのとき、自分を襲った感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも無く、もの凄まじい恐怖でした。... 神社の杉木立で白衣の御神体に逢った時に感ずるかも知れないような、四の五の言わさぬ古代の荒々しい恐怖感でした」という文章に、魂の奥底まで凍るようなおそろしい迫力をおぼえる。

 

永遠の代弁者

 当時の文学青年にとって太宰治は特別の存在であった。敗戦の虚脱と昏迷の中で、太宰治の書くものだけが素直に心にしみ通り信じることができた。そこに自分たちの心情を代弁し表現してくれる唯一の作家を見出していた。大げさな言い方に聞えるかも知れないが、自分たちの存在の根拠を生きて行く理由を、太宰の文学に賭けていたとさえ言える。多くの青年たちが太宰治と共に精神的に一体化し、生き死にを賭けていたひとつの時代が確実にあったのです。

  『人間失格』は作者太宰治の内的、精神的な自叙伝である。もちろん私小説と違って事実そのままではないが、より深い原体験をフィクショナルな方法により表現している。それと同時に自閉的な孤独な疎外された現代人の普遍的な人間像をとらえている。この作品は、ある性格を持って生れた人々の、弱き美しき悲しき純粋な魂を持った人々の永遠の代弁者であり、救いであるのだ。太宰治は『人間失格』一遍を書くため生れて来た文学者であり、この一遍の小説により、永遠に人々の心の中に生き残るであろう。
(本書巻末解説より)

 

 

『蜜柑』 芥川龍之介 薄汚れた小娘は、その時 ...

 

舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

 

 

 

芥川龍之介の体験を小説に

 この作品は、芥川龍之介本人の体験を小説としてまとめたものです。発表は1919年(27歳)で、作中のエピソードは1916年(24歳)当時のもの。ほんの数ページの短編です。
 東京大学を卒業後、芥川は横須賀の海軍機関学校にて英語の嘱託職員として働き始めます。この年は「鼻」「芋粥」などを発表した年でもあり、他にも師匠である夏目漱石が死去するなど、小説家としての芥川にとってターニングポイントと言ってもいい年に。
 芥川は横須賀に勤めつつ鎌倉に下宿し、職場に行く際などに横須賀線を利用していました。物語の中では上りということで東京行きの列車となっています。

 

『蜜柑(みかん)』ストーリー

 ある曇った冬の日暮れ、男は列車の中で発車の笛が鳴るのを待っていた。車両には彼ひとりしかいない。彼は「云いようのない疲労と倦怠」を感じていた。そんな中、発車の笛とともに下駄の音が聞こえ、一人の少女が車内に駆け込んできた。

 ようやく発車したのもつかの間、男は娘の下品な顔立ちと不潔な服装を見て不快に思う。娘は傷んだ髪とひびだらけで赤く火照った頬の、いかにも田舎者といった容姿でした。男は気を紛らわそうと新聞を手に取る。列車はトンネルに入り、電燈が灯される。新聞を読んでみても物寂しいながらも平凡な記事ばかり。男にとってトンネルと、田舎者の小娘と、平凡な記事ばかりの夕刊が「不可解な、下等な、退屈な人生の象徴」のように思えてきた。そして居眠りを始める。

 しばらくして男はふと目を覚ますと、先ほどまで向かい側にいた娘がすぐ隣の席におり、列車の窓を開けようとしていた。重いガラス戸がなかなか上がらず、鼻をすすりつつ息んでいる娘の姿に男はほんの少し同情したが、再びトンネルに差し掛かっており、すすが車内に入り込んでしまう。男は娘の行動を単なる気まぐれと思い、窓を開けようと悪戦苦闘する娘を「永久に成功しないことでも祈るような冷酷な眼で眺め」ていた。運悪く、トンネルに入る直前で窓があき、車内はすすだらけに。しかしすぐに列車はトンネルを抜け、外は明るくなり、新鮮な空気が入り込んでくる。

 一方、娘はすすなど気にせず、窓から顔を出している。娘の視線の先には田舎町の踏切があり、その前に頬の赤い三人の男の子が並んでいるのを見つけた。すると男の子は一斉に手をふり歓声をあげ、娘のほうもそれに応えて手を振った。そしてその瞬間、窓から半身を乗り出していた娘が、あの霜焼けの手をのばして、鮮やかな色をした五つほどの蜜柑を投げ、汽車を見送った子どもたちの上へばらばらと空から降って来た。

 そこで男はすべてを了解します。おそらく奉公先に向かうであろう娘は、わざわざ見送りにきた弟たちに向けて、労を報いる意味で蜜柑をまいたのです。私の心の上には切ない程はっきりと、この光景が焼付けられた。そうして、得体の知れない朗な心もちが湧き上がって来るのを意識した。この時始めて云いようのない疲労と倦怠とを、そうしてまた不可解な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れる事が出来たのです。

 

短いが本格的な作品

 『蜜柑』は年少者のためではなく、大人のために書かれた短いが本格的な作品で、作者はこの通りの体験をもった。そのおりの感動の強さが、この作品の美しさの中心でありる。粗野な小娘に対する軽蔑と嫌悪とが、やがて野性的な純情や人間性の暖かさに対するよろこびといわれる経路は短いながら、的確にとらえられている。
(本書巻末解説)

 

 

 

「サーカス」 中原中也 幾時代がありまして 

 

中原中也全詩集 (角川ソフィア文庫)

中原中也全詩集 (角川ソフィア文庫)

 

 

 

中原中也(なかはらちゅうや)

1907年(明治40年)山口生まれ。代々開業医である名家の長男として生まれる。跡取りとして医者になることを期待され、小学校時代は成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳のとき弟が病死したことで文学に目覚めた。アテネ・フランセでフランス語を学ぶ。東京外国語大学卒業。中也は30歳の若さで死去、生涯で350編以上の詩を残した。

  

「サーカス」 

幾時代がありまして
 茶色い戦争がありました

幾時代がありまして
 冬は疾風(しっぷう)吹きました

幾時代がありまして
 今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)
 今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
 そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
 汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯(ひ)
 安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯(いわし)
 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 屋外(やがい)は真ッ闇(くら) 闇の闇
 夜は劫々(こうこう)と更けまする
 落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルヂアと
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん 

 

 遠さの感覚

 この「幾時代」というのは、歴史上の時代を言っているのではなく、それを繰り返すことによって、遠い過去を暗示している。この詩はこの後でサーカス小屋の中の風景を歌い、最後は「屋外」の暗い夜の時間が「劫々」と無限の未来へ向けて流れていく詩句で締めくくられている。サーカス小屋の賑わいは、そのような無限の時間の中の「現在」という一点、一風景に過ぎない。
(本書解説)

 

遠い過去の悲しみ

 非日常のかそかなる光景を謳い上げることで、暗い時代に生まれた自分らを曝け出そうという試みか。幾時代というのは、現実の人類の歴史だが、詩人はその現実から離れ、飛翔する。そうすることで、あの悲惨な戦争もまるでセピア色に変色した過去の思い出の写真のように見える。
 いくらでも辛い、冬のような時代があった。さらにその冬のさなかに疾風が吹いた。いまじっとそんな過去を回想している詩人は、一杯ひっかけて盛り上がっている。一杯やっているのは屋外のどこかできっと一人なのでしょう。
 突如、サーカス小屋が目の前に現れ、ブランコが揺れはじめます。そうするとあの手に汗握るスリル満点のショーが、途端にその本質的な安っぽさを露呈する。
 その擬音が「ゆあーん ゆよーん」。
 薄汚れたテントの安っぽい木綿が気にかかる。真剣に演ずる人間を照らし、輝かせるための照明の強い光は、かえって安っぽさを見せつけ、さらに華麗に笑顔で軽々とショーを見せている演者が実は必死になっている姿を晒してしまっている。さらにそれを夢中で見ている観客は、人間の知性を失った状態であり、緊張して唾を飲み込む様は堅苦しい。
 一方、テントの中は熱気あふれる夢のような空間であっても、外の現実は暗く、また観客たちが夢中で過ごすほどに、ますます暗くなっていく。堕ち行く人間、暗くなる時代。その中で一時の過去の美しい思い出に浸る人々の憐れさ。そんな悲しみを歌った。
(Yahoo! 知恵袋ベストアンサーより解釈の一例)

 「幾時代かがありまして」という句を繰り返すことで、遠い過去を指し、また「冬」に吹く「疾風」とで、作者のなかにある苦難や失意を表すものなのか。そして突如現れるサーカスのブランコは「見えるともないブランコ」であり、そのブランコは実際には存在しないのかもしれない。心の中に映る自分の姿。また歓声は「牡蠣殻」が鳴るようだともいえる。擬音はブランコの揺れる音か。このリフレインによってこの一遍の詩が成り立っている。