きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

女子学生、渡辺京二に会いに行く

 

先生、私たちの生きづらさのワケを教えてください
『逝きし世の面影』の著者が贈る
目からウロコの人生指南です

 

歴史家・渡辺京二
津田塾大学のゼミの学生たちによる
奇跡のセッションです!

 

 

 

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渡辺京二(わたなべきょうじ)
1930年、京都生れ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。評論家。河合文化教育研究所主任研究員。熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授熊本市在住。著書に『逝きし世の面影』『評伝 宮崎滔天』『北一輝』『アーリイモダンの夢』『もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙』『近代の呪い』『幻影の明治』『無名の人生』『黒船前夜』など。

 

『女子学生、渡辺京二に会いに行く』
 本書は、歴史家・渡辺京二と、津田塾大学三砂ちづるゼミの学生たちによる、奇跡のセッション。子育て、学校教育、自己実現、やりがいのある仕事 ... いまの女子学生たちの様々な悩みに、近代とは何かを探求し続けてきた老歴史家が真摯に答えていく。私たちの社会に固有の生きづらさの起源を解き明かし、存在の原点に立ち返らせる、生きた思想の書。

以下は目次と「無名に埋没せよ」からの抜粋です。
・  はじめに三砂ちづる
1  子育てが負担なわたしたち
2  学校なんてたいしたところじゃない
3  はみだしものでかまわない
4  故郷がどこかわからない
5  親殺しと居場所さがし
6  やりがいのある仕事につきたい
7  自分の言葉で話すために ー 三人の卒業生
・  無名に埋没せよ渡辺京二

 

 

僕は社会に必要とされていない

 この間テレビを見ていたら、就職難でなかなか就職が決まらないという若い青年の話しが取り上げられていました。その青年が、「僕は社会に必要とされていない人間だ」というふうに言うんですね。僕は、この人は何を言うんだろうと、どこからこんな言葉が出てくるんだろうと思いました。これは場合によっては自殺につながりかねない発言ですね。社会に必要とされていないから、僕はもう生きていてもしょうがないと、こういうふうにつながっていく。

 

普遍的な悩み

 どこでそんな考え方を吹き込まれてきたのか。きっと学校で「君たちは社会が必要とするような人間になりなさい」とか、「社会に役立つような人間になりなさい」とか、そういうことを聞いてきたんでしょう。そうでないと、今のような言葉は出てこないんじゃないかと思うんですね。この青年は特殊かというと、そうじゃない。自分が社会に必要とされているかどうか悩み、結局必要とされていない、自分なんかいらない人間だというふうな、そういう落ち込み方は、わりと普遍的にあるのではないかと思うんです。 

 

生きる権利がある

 昔はまったくの一人の個人というのはなくて、ある家族に属している人間がいる。その家族というのも核家族ではない、大家族である。なぜ大家族かというと、家族が経営の単位だからです。農業や職人の仕事をしていく、他人も含んだ大家族です。そういう大家族があって、村や町内という集団がある。こういうふうに一人の人間はまず生きようとする。生きる権利がある。まず自分が生きるということがあって、社会が必要としようがしまいが、そんなことはその個人には何の関係もないはずなんです。

 

どうぞ生き延びてくれ

 人間というのは、自分のエゴイズムを一番最初に確認することから始まります。自分は押しのけてでも生きたい、ほかのやつが死んでも自分は生き残りたい、というのが出発点であります。たとえば明治の作家、島崎藤村の文学のモチーフは、「自分のようなものでも生きたい」というのが基調でした。自分のようなものでも生きていっていいのだと、それが根本なんでございます。人のためとか、社会のためなんて言うのは、次の次に出てくることで、人間というものは、生んでいただいた以上、生まれてきた以上、生き通す責任があるのです。あなた方の親は、あなた方が自分のために一生懸命生きて幸せになってくれれば、それが一番だと思っている。親は自分に尽くしてくれなんて思っておりません。
 望んでいるのは、生き延びてくれと。そこではエゴイズムがありますから、他人の子どもは死んでも自分の子どもは生き延びてくれ、と思っている。ともかくあなた方の親は、おまえ、どうぞ生き延びてくれ、しっかり生きてくれ、できれば幸せになってくれ、と言っているだけでございます。世の中に貢献しろ、なんて言ってはおりません。

 

人間はなんのために存在しているのか

 自分が生きていくということ、これが一番大事で、なぜそうなのかというと、この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。
 リルケという詩人がいますが、彼は人間はなんのために存在しているんだろうと考えたのね。人間は一番罪深い存在だという見方も当然一面ではありますが、ごく自然に言って、人間は神様が作ったものじゃない。ビックバンから始まった宇宙の進化が創り出したのが人間という存在である。ではなんのために、この全宇宙は、この世界という全存在は、人間というものを生み出したのであろうか。

 

自分の美しさを誰かに見てほしい

 その時にリルケは世界が美しいからじゃないかと考えたんです。空を見てごらん。山を見てごらん。木を見てごらん。花を見てごらん。こんなに美しいじゃないか。ものが言えない木や石や花やそういったものは、自分の美しさを認めてほしい、誰かに見てほしい、そのために人間を作った、そうリルケは考えたのね。宇宙は、自然という存在は、自分の美しさを誰かに見てもらいたいために人間を作ったんだろうというふうに考えたんだねえ。

 

存在意義のない人間なんて一人もいない

 これは化学的根拠なんか何もない話で、とくに理科系の人は非科学的な哲学だというわけだね。でも哲学でけっこうなんだ。これは哲学なんだから。人間は、この全宇宙、全自然存在、そういうものを含めて、その美しさ、あるいはその崇高さというものに感動する。人間がいなけりゃ、美しく咲いている花も誰も美しいと見るものがいないじゃないか。だから自然が自分自身を認識して感動するために、人間を創り出したんだ。
 そう思ったら、この世の中に存在意義がない人間なんか一人もいないわけ。全人間がこの生命を受けてきて、この宇宙の中で地球に旅人としてごく僅かの間、何十年か滞在する。その間、毎年毎年花は咲いてくれる。そういうふうに毎年毎年花を見る、毎年毎年、ああ、暑かった、ああ、寒かったと言って一年を送る、それだけで人間の存在意義はあるんです。この社会に出て行って、立派な社会貢献をしたりしなくても、ごく平凡な人間として一生を終わって、それで生まれてきたかいは十分あるわけです。

 

無名に埋没せよ

 人間はテレビに出るような人物や国際舞台で活躍するような人間にならなくても、ごく平凡でかまわないんですよ。無名の一生で一つもかまわないんですよ。というよりもそれが基本なんです。この世の中で、テレビや新聞などに名前が出てる人たちの比率をとったら、名前も出ないし、そういうことにあまり関心もないという人間が圧倒的多数なんです。圧倒的多数はだから黙って生きて、黙って死んでいくのです。
 自分を取り巻いている自然を十分に楽しみ、男女の仲を楽しみ、生まれた子どものことを楽しみ、あるいは自分を取り巻いているいくつかの人間とのつきあいを楽しむ。もちろん失望や怒りも感じるだろうけど、しかし自分とは違う他人がいて、そのつきあいの中の楽しさもあった。それだけで十分、それが基本です。無名に埋没せよ、ということです。

 

 

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 ライナー・マリア・リルケ
Rainer Maria Rilke  1875 - 1926。オーストリアの詩人、作家。時代を代表するドイツ語詩人として知られる。プラハに生まれ、プラハ大学、ミュンヘン大学などで学び、早くから詩を発表し始める。日本においてリルケはまず森鴎外によって訳されたのち、茅野蕭蕭『リルケ詩抄』によって本格的に紹介される。『時祷詩集』『新詩集』『マルテの手記』など。

影響を与えたもの。ハイデガーサルトル堀辰雄立原道造三島由紀夫安部公房ほか

 

若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)

若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)

 
リルケ詩集 (岩波文庫)

リルケ詩集 (岩波文庫)

 

 

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『スターリンの葬送狂騒曲』

 

ロシアで上映禁止の超問題作
スターリンが死んだ!
真実はこんなにも滑稽で、醜い !?

 

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スターリンの葬送狂騒曲

アーマンド・イアヌッチ(英語版)監督による2017年のイギリス・フランスの歴史・コメディドラマ映画。1953年の ” ヒトラーを超える大量虐殺 ” 独裁者スターリンの死によって引き起こされるソ連内の権力闘争が描かれる。原作はフランスのグラフィックノベル『La mort de Staline』である。製作国はイギリスとフランス。上映時間107分。

 

あらすじ

1953年のソ連・モスクワ。ヨシフ・スターリン脳卒中でなくなる。これにより、側近の高官たちによる最高指導者の座の後継を巡って争いが勃発する。はたして最高指導者はいったい誰になるのか...

 

プロダクションノート

・驚愕の”事実”をシリアスとユーモアの絶妙なバランスで映画化
・実在の非道な男たちを演じる名優たち
・イギリスに再現された、50年代のソ連
・現在の世界情勢とリンクする物語

 

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いまの権力闘争や世界情勢とリンク

 脳卒中で倒れたスターリンのために優れた医者を集めようとするが、そういう優秀な人間は粛清(大量虐殺)されているので、もう、しょぼくれたヤブ医者しか残っていないのでした...  思わずシネマ会場から笑いが起きる。随所にクスクス笑えるシーンがあり、ソ連という国のことがよく分からなくても面白い。いまのアメリカ、ロシア、中国などの権力闘争や世界情勢が、妙にリンクしている。笑いごとではないが、思わず笑ってしまう。

 

読書のノルマは毎日500ページ

 スターリンは、かなりの読書家だった。蔵書は2万冊以上で、うち5500冊には「スターリン蔵書」の印が押されていた。ジャンルはマルクスエンゲルス、レーニンなどの社会主義関係、カント、ヘーゲルなどの哲学書、文学書、歴史書、百科事典、ヒトラーの『わが闘争』、マキャベリの『君主論』、毛沢東の著作など多岐にわたり、寸暇を惜しんで読んでいた。「私の読書のノルマは毎日500頁です」と公言していた。Wikipedia

 

 

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オルガ・キュリレンコ
ウクライナ出身のファッションモデル・女優
ほかに「ある天文学者の恋文」などに出演

 

 

スターリンの葬送狂騒曲 (ShoPro Books)

スターリンの葬送狂騒曲 (ShoPro Books)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

21世紀 ドストエフスキーがやってくる

 

いまどきドストエフスキー
知ってる人も、知らない人も読み進めれば、ヤメラレない。こんなに面白かったんだ。

 

本書はロシアの文豪「ドストエフスキー」について語られた一冊です。大江健三郎沼野充義との対談や、「私とドストエフスキー」と題した著名人の執筆文、ボリス・アクーニンほかのインタビュー記事など魅力満載です。

 

 

21世紀 ドストエフスキーがやってくる

21世紀 ドストエフスキーがやってくる

 

 

大江健三郎からのメッセージ

 私は、宗教をもっている人にも、宗教をもってないけれども宗教を探しもとめている人にも、ドストエフスキーを読んでもらいたい。もう老人の私がそうなんですから。
 これから生きていくことをまじめに考えざるをえない人に、じつは読んでも結論は出ないかもしれないけれど、結論に対する過程というものを生き生きと魅力的に書いている、深く誠実に書いている小説家として、ドストエフスキーはこれから文学に向かう人たちにも大きな種子だろうと信じています。
(2006.10.23  山の上ホテルにて。大江健三郎沼野充義との対談より)

 

ドストエフスキーの読みの伝統

 日本でのドストエフスキーの読みには長く深い伝統があるのですが、振り返ってみると、おそらく戦前の批評界で小林秀雄が一つの頂点をきわめたのに対して、戦後文学の展開の中では、埴谷雄高がそれとは別の頂点をなしているように思います。私の見るところ、それに対してさらに次のモードを出されたのが大江さんでした。埴谷雄高が「形而上学的読み」とするなら、大江さんは「方法論的読み」といったらいいのでしょうか。沼野充義

 

 

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フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
Фёдор Михайлович Достоевский
1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕-1881年2月9日〔1月28日〕(59歳没)
ロシアの小説家・思想家である。代表作は『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』など。デビュー作は『貧しき人びと』。レフ・トルストイイワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。

 その著作は、当時広まっていた理性万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し、キリスト教、ことに正教に基づく魂の救済を訴えているとされる。実存主義の先駆者と評されることもある。反ユダヤ主義者としても知られる。Wikipedia

 

カラマーゾフの兄弟』ざっくり要約

 欲張りで女好きのカラマーゾフ家の父、フョードルには4人の息子がいた。長男で良くも悪くも感情的なドミートリィ。父とは不仲だった。次男は頭がいい無神論者のイワン。そして、心優しく純粋無垢な修道僧の三男アレクセイ。もうひとり、フョードルの息子(庶子)で臆病でひねたスメルジャコフが召使として扱われている。
 ある日、父親のフョードルが何者かに殺されて、三千ルーブルという大金が奪われる。無一文のはずの長男のドミートリィは、なぜか大金を持っていた。さて、父親を殺したのはだれか?  (他にも登場人物多数)

人間観察と宗教

 読み解くうえでポイントとなるのが、本書で加賀乙彦氏のいう、人間観察と宗教でしょうか。ドストエフスキーが考えている「父親殺し」は、実際の父親よりも、イエスを中心とする父、父なる神、ロシアでは大地ということになると。
 無神論者のイワンが持った思想や問いは、「神はいるのか、いないのか」「いるとすれば神がいるはずのこの世界で、なぜ悪が存在するのか。それはいったい何のためなのか」「神がいないとすれば、どのような悪でも許されるのではないか」でした。
 この「カラマーゾフの兄弟」は、ヨーロッパの人が当たり前のように持っているキリスト教的な倫理観に対する違和感を追求した物語なのです。

 

 
対談 加賀乙彦亀山郁夫
二つの「ドストエフスキー」の間に

  加賀 彼が二十八歳の時から四年間シベリアの流刑を受けたことには、二つの意味があると思うんです。一つは、犯罪者とはどんなものなのか。実際に見て、経験したすさまじい体験があったこと。もう一つは、シベリアの地で、読むものが聖書しかなかったこと。彼は四年間、繰り返し聖書を読んだのです。
 ですから一つは人間観察。一つは宗教。それを彼はシベリアで体験したんですね。十年近くシベリアにいて、それからいよいよ後期の五大小説に取りかかります。

亀山 『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』、そして『未成年』ですね。

加賀 そうです。この五大小説は、それまで書いていた小説とは一段違う深さと、完成度を持っている。そういう小説が書けるようになったのは、まさにあの四年間の獄中での苦しみの結果、彼が何かを得たからです。その何かというのは、人間観察であり、宗教であり、もう一つ、癲癇(てんかん)を得た。

亀山 シベリアの獄中で、「癲癇を得た」とおっしゃいましたが、僕にとっては非常に衝撃的です。

加賀 癲癇という病気を「父殺し」の無意識の自罰行為と考えるのは、フロイトの常道です。フロイトの言う癲癇は、ノイローゼのことです。ドストエフスキーの病気は、そんなノイローゼ程度のものではないんです。
 肉体と精神すべてを飲み込むような、何とも抵抗できないすさまじい発作を、彼は何度も起こしている。

亀山 ドストエフスキーは、「父殺し」というテーマと、癲癇の発作、この二つのモチーフを非常に複雑なかたちで結びつけていますね。ドストエフスキー自身、そのノイローゼ状態を癲癇と取り違えていた可能性があったということです。これは真性の癲癇ではなく、茫然自失に似たノイローゼ症状だったのだということに。そのあたり、どうなのでしょうか。

加賀 十八歳のときに父親が死んだあと、二十七、八歳で逮捕され、シベリアに送られた。そのときの肉体的、精神的苦痛があって初めて真性の癲癇という病気が起きたというのが、私の意見です。
 「父親殺し」で彼が考えているのは、実際の父親よりも、イエスを中心とする父、父なる神、ロシアでは大地ということになります。ロシアでは、天に祈るよりも地に伏して接吻したほうが神に近くなる、近づけるというように考えますからね。

*上記は本書からの抜粋であり、一部を省略して掲載しています。

 

 

本書『21世紀 ドストエフスキーがやってくる』の主な内容

対談

大江健三郎沼野充義
ドストエフスキーが21世紀に残したもの

加賀尾乙彦 + 亀山郁夫
二つの「ドストエフスキー」の間に

島田雅彦金原ひとみ
多重人格としてのドストエフスキー

 

 「私とドストエフスキー

安部龍太郎
万能の語り手が創り出す物語

井上ひさし
ドストエフスキーからチェーホフ

奥泉光
歴史について

角田光代
二十年後のドストエフスキー

姜英淑
Master, Master ! 

木田元
色褪せることのないスタヴローギンの告白

金石範
マルメラードフ - 酒瓶の底にあるのは悲しみだ

清水義範
堅くて巨大な雷おこし

多和田葉子
悪霊という熱病

中村文則
心地よい泥濘の始まり

藤田宜永
傍線を引いて読んだドストエフスキー

若木末生
その悲しみの名前は何だろう

 

インタビュー

ボリス・アクーニン
メタテクストとしてのドストエフスキー

ウラジミール・ソローキン
文学という劇薬 - ドストエフスキーをゴム手袋をはめて読む?

袋正
罪と罰』に呼ばれて

評論

加賀乙彦
トルストイドストエフスキー

沼野充義
さまざまな声のカーニバル - ドストエフスキー研究と批評の流れを瞥見する

青山南
アメリカ - 世界のなかのドストエフスキー

井桁貞義
2006年の『罪と罰

浦雅春
笑えなかったドストエフスキー

小森陽一
ドストエフスキイの時代

斎藤環
「赤い蜘蛛」と「子供」

斎藤美奈子
カラキョウ』超局所的読み比べ

中村健之介
ある日のドストエフスキー 宣教師ニコライに会う

野谷文昭
ラテンアメリカ 世界のなかのドストエフスキー

望月哲男
現代ロシア版「ドストエフスキーごっこ」

安岡治子
ドストエフスキーと正教

四方田犬彦
黒澤明の『白痴』

貝澤哉
「厚い雑誌」の興亡 - 19世紀の雑誌読者

番場俊
罪と罰メディア・リテラシーの練習問題

越野剛
てんかんと火事

草野慶子
『白痴』の愛と性とユートピア

粕谷典子
偉大な作家の名もなき日常 - 同時代人の回想から

秋草俊一郎
ナボコフドストエフスキー嫌い

桜井厚二
現代用語としてのドストエフスキー

榊原貴教
ドストエフスキー翻訳文献考

 

ドストエフスキー略年表

執筆者紹介(若い世代に勧めるドストエフスキー作品一作)

 

 

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夏はウナギ 1200年前の「万葉集」に登場

 

夏バテに鰻を食べる、は1200年前から
実は縄文時代から食べられていた

ソクラテスの最後の晩餐にも登場 !?

 

 

江戸時代の平賀源内もびっくり

 「土用の丑の日に鰻を食べる」が習慣になったのは、江戸時代に平賀源内がひろめたとして知られています。しかし、源内はゆえなく夏にうなぎを食べようと言い出したわけではありません。もともと「夏バテには鰻でスタミナをつけよう」という風習があったのを、夏に売れない鰻を夏にも売れるようにと頼まれたため、「土用の丑の日」を鰻の日として利用したというお話し。平賀源内は今でいう、マーケティングの達人だったんですね。実は夏バテに鰻を食べるという文化の歴史は古く、1200年前の万葉集にすでに登場しています。縄文時代の遺跡「浦尻貝塚」から、魚の骨や貝殻などと一緒にウナギの骨も見つかっているということなので、実際はもっと古くから身近な食べものだったようです。

 

万葉集

石麻呂(いはまろ)にわれ物申す夏痩せに良しといふ物ぞ鰻(むなぎ)取り食(め)せ
大伴家持 [ 巻16・3853 ]

 『万葉集』巻十六には「戯笑歌」つまり人をからかって詠んだ歌が多く収められています。やせっぽちの石麻呂さんに詠みかけます。「石麻呂殿に申し上げます。夏痩せに効果てきめんということですぞ、鰻を捕って召し上がりなされ」。少ししゃっちょこばった言い方に、家持のいたずら心がうかがえます。石麻呂さんのほうもたぶん、からかわれていると知りながら、「鰻ねえ」なんて思ったりする。そこをすかさず「痩せに痩せているとはいえ、生きていけるなら儲けもの。はてさて、鰻を捕ろうとして川に流されなさるな」と、先ほど言ったことの揚げ足を取るように詠んでいます。
*鰻「むなぎ」と読む。ウナギの古い呼び方

 

万葉集 Q & A

Q1. 『万葉集』ってどういう意味?
A.  多くの歌を未来に伝えるためのものです。「万(多く)の詩華(詩歌)を集めたもの」とする説や「万代(永遠)に伝えられるべき歌集」とする説などがある。

Q2. どんな歌があるのか?
A. 恋の歌が半数以上。宮廷で詠まれた歌や労働歌まで内容はさまざまですが、半数以上は恋の歌です。

Q3. 「歌」というのは短歌のこと?
A. いまでもおなじみな短歌が中心ですが、長歌も多く残されています。もっとも多いのは、五・七・五・七・七音の短歌ですが、五・七・五・七を繰り返し、最後を五・七・七で締めくくる長歌や、五・七・七・五・七・七の旋頭歌などもあります。このように決まった形で、個人の感情を表現したようです。

Q4.  どんな人が詠んだのでしょうか?
A. 天皇からさまざまな身分の人々です。天皇・皇族や貴族、下級役人だけでなく、兵士、農民などさまざまな人の歌が収められています。老若男女、身分の区別なく、誰もが歌の詠み手だったといわれています。

Q5.  いつごろできたのか?
A. 1300年以上も前です。日本における現存最古の歌集で、奈良時代後半に完成したと考えられています。収められているいちばん古い歌は古墳時代のものとされますが、それが本当にその当時のものかは不明です。

Q6.  誰が編纂したのか?
A. 大伴家持(おおとものやかもち)を含めた多くの人たちです。『万葉集』の編纂者として有力なのは、1割以上の歌を詠んだ大伴家持ですが、複数の人が長い時間をかけて編纂に関わったと考えられています。

 

ソクラテスの処刑

 塚田孝雄著『ソクラテスの最後の晩餐』に、哲学者ソクラテスが裁判にかけられ、処刑される日をどのように過ごしたかが再現されている。かつて彼の弟子だったクリティアスが右翼政治家となり、政敵をたくさん殺したあげくに失脚して殺されたため、ソクラテスは見せしめとして処刑されることに。
 ソクラテスが処刑の日をどのように過ごし、毒杯をあおいだのかも再現される。友人や弟子からたくさんの差入れがあり、妻子が訪れ、牢獄のなかで宴会が開かれる。鰻の蒲焼き、ウツボ、タコなど豊かな海産物からなるメニュー、葡萄酒の銘柄や器まで推理している。

 

NHK 短歌 2013年 08月号 [雑誌]

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マンガで楽しむ古典 万葉集

マンガで楽しむ古典 万葉集

 
ソクラテスの最後の晩餐―古代ギリシャ細見 (ちくまプリマーブックス)

ソクラテスの最後の晩餐―古代ギリシャ細見 (ちくまプリマーブックス)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安部公房 『けものたちは故郷をめざす』

 

もがいても、どこにもたどり着けない
同じところをぐるぐるまわっているような
一歩も高野から抜け出せない
もしかすると日本なんてどこにもないのかもしれない  

 

 

けものたちは故郷をめざす (新潮文庫)

けものたちは故郷をめざす (新潮文庫)

 

 

 

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安部公房(あべこうぼう)
1924年大正13年)-1993年(平成5年)。日本の小説家、劇作家、演出家。本名は安部公房(あべきみふさ)。東京で生まれ、満州で少年期を過ごす。高校時代からリルケハイデッガーに傾倒していた。東京大学医学部卒(医師国家試験は受験していない)。芥川賞受賞。代表作に『壁』『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』『など。1993年に急性心不全で死去。享年68歳。

影響を受けたもの。フランツ・カフカドストエフスキーエドガー・アラン・ポーサルトルリルケ、ガルシア=マルケスルイス・キャロル不思議の国のアリスなど。

 

あらすじ

 ソ連軍が侵攻し、国府八路軍が跳梁する敗戦前夜の満州。敵か味方か、国籍さえも判然とせぬ男とともに、久木久三は南をめざす。
 氷雪に閉ざされた満州からの逃走は困難を極めた。日本という故郷から根を断ち切られ、抗いがたい政治の渦に巻き込まれた人間にとっての、”自由”とは何なのか?牧歌的神話は地に堕ち、峻厳たる現実が裸形の姿を顕現する。人間の生の尊厳を描ききった傑作長編。

 

人間の生存の条件

 生きるとは、つまるところ幼児期の幸福をうばわれて、塀の外にひろがる荒野で生きるということである。それは「葉をむきだし」て「けもののようにしか、生きることができない」ということでもある。人間の生存の条件が、そのようなものであるなら、いまさら故郷への愛慕を語ってもはじまらない。
 ここで、この小説を『砂の女』と比べてみるならば、『砂の女』の主人公の行動様式と、この小説の久木久三の行動様式とが、意外に似ていることに気づくであろう。しかし『けものたちは故郷をめざす』の主人公が、脱出をめざして「けものになって、吠えながら、手の皮がむけて血がにじむにもかまわずに」手錠をこわそうとするのにたいして、『砂の女』の主人公は砂丘の村からの脱出が可能になっても、あえて逃げようとはしないのである。これは端的にいえば、一方的な脱出希求と並行して、抵抗をふまえた定住希求が安倍氏の内部に芽生えていたことを示している。
(本書解説 / 磯田光一)より抜粋

 

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新潮文庫(平成30年)23刷改版
昭和45年5月25日発行

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生にもわかる 旧約聖書「原罪」

 

禁断の果実を食べたアダムとイブの罪
この人類最初の罪を「原罪」と呼ぶ

 

 

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ルーカス・クラナッハ(父)「アダムとイヴ」
1526年  コートルード美術研究所(ロンドン)

 

禁断の果実

 エデンの園に置かれたアダムは、神から園を自由に歩きまわって、管理する仕事を与えられました。アダムは妻のイブ(エバともいう)とともに、エデンの園の木の実を食べて暮らしていましたが、神によって園の中央にある善悪の知識の木の実を食べることだけは禁止されていました。

 

神への裏切りをそそのかす蛇

 ある日、最も頭のいい蛇(へび)が、イブに向かってこう問いかけます。
「神はどうして果実ならどれを食べてもよいと言わなかったのか」
「食べたら死ぬから」
「あなたがたは決して死ぬことはないだろう。それを食べるとあなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者になることを、神は知っているのだ」
 蛇の巧(たく)みな誘いに心揺れるイブの目に、美しくおいしそうな実が飛び込んできます。イブは禁断の実を手に取って食べてしまい、さらにはそれをアダムにも渡しました。

 

善悪を知り羞恥心芽生える

 すると、互いが裸でいることを急に恥ずかしく思い、いちじくの葉で腰を覆(おお)って茂みに隠れてしまったのです。木の実を食べて善悪を覚えたことから、ふたりには羞恥心(しゅうちしん)が芽生えたのでした。
 ここで「善と悪」とは、「善さ」と「悪さ」の意味ではなく、知識の両極端を指す言葉であり、全体をあらわす。つまり「善と悪を知る者」とは、知らないことは一つもなく、できないものは何もないという「全知全能者」のこと。

 

人類は数々の労苦を背負うことに

 神はふたりを問いただしましたが、アダムはイブに、イブは蛇に責任をなすりつけました。もちろん、一番悪いのは蛇ですから、神は蛇に「お前はすべての生き物の中で最も嫌われるものとして、地を這(は)い、ちりを舐(な)めて、生きよ」と罰を与えます。さらに、女には子を生む苦しみを、男には額に汗して労働をする苦しみを、そしてすべての人間に命の期限を与えました。
 神に問われたイブは「蛇がだましたので食べた」と責任転嫁したので、「全知全能者」にはなれなかった。そこに到達できない限界に気づかされたのです。

 

アダムとイブの楽園追放

 神の命に背(そむ)いたという原罪(げんざい)を背負ったふたりは、楽園を追われました。楽園と人を隔(へだ)てるために、エデンの東には炎の剣を持った天使が置かれます。人間が知識の代償に得たものは、労苦と死だったのです。しかし、神はエデンの園から追い出したが、ふたりに皮の衣を着せて情けをかけたのです。

 

蛇の存在

 『旧約聖書』では、知能の高い存在として描かれている蛇。世界各国の歴史においても、特別な存在として扱われてきた。中国では畏怖(いふ / 恐れおののくこと)の対象となり、西洋ではその容姿から魔的なものとして恐れられてきた。そして日本では、ハブは罪のある者を見わけてかみつくとされ、白蛇は神聖視されている。特異な姿の蛇に対する思い入れの深さは人類共通のものといえる。

 

出展「創世記」第3章
『イチから知りたい! 聖書の本』より

 

 

理解するポイント

 ここでの罪は神の命に背き、また神に問いつめられ責任転嫁したところにあるのではないでしょうか。他のものに責任をなすりつけたことが神の怒りにふれた。そして、「全知全能者」にはなれず、限界に気づかされた。禁断の果実、善悪の知識の木の実を食べて得た、その知識の代償はあまりにも重かったのです。しかし、問題はこの限界をどのようにして生きるかということでもあるのでしょう。

 

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)

 
カラー版 イチから知りたい! 聖書の本

カラー版 イチから知りたい! 聖書の本

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文学はお金より大事なんだぜ 沼野充義

 

 
『世界は文学でできている』

文学には日本文学もフランス文学もロシア文学もない
面白い文学を面白く読めばいいのだ

 

 

人間にとってお金よりも大事な(本当だぜ)文学のために

 この『世界は文学でできている』に具体的な効用がどの程度あるかは保証できませんが、一つだけ期待したいのは、本書を読んでいただければ、文学をもっともっと読んでみたくなる、そして文学はやはり人間にとってお金よりも、権力よりも、何よりも大事なもので、素晴らしいものだと納得できるということです。
*シリーズ3冊目の『それでも世界は文学でできている』より

 

 

 

対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義

 本書は沼野充義がホスト役になって5人のゲストを順次お迎えし、文学について様々な角度から話し合ったものをまとめたものです。この対談形式の連続講義はもともと、財団法人出版文化産業振興財団(JPIC)が主催し、光文社が共催者となって企画し、東京大学文学部現代文芸論研究室が協力するという形で行われました。最初は「中高生のための読書講座〈新・世界文学〉入門」と銘打たれていました。以下は本書から抜粋したものです。

 

『世界は文学でできている』

① 越境文学の冒険
  リービ英雄 × 沼野充義 言語のはざまを生きる

 ② 国境も時代も飛び越えて
  平野啓一郎 × 沼野充義  ネットは文学を変えるか

 ③「Jブンガク」への招待
  ロバートキャンベル × 沼野充義 世界文学の中で日本文学を読む

 ④ 詩を読む、詩を書く
  飯野友幸 × 沼野充義 詩は言葉の音楽だ

 現代日本に甦るドストエフスキー
  亀山郁夫 × 沼野充義 神なき時代の文学者たちへ

 

 

ポーランドの女性詩人

 沼野充義が選んだ、ポーランドの女性の詩です。「とてもふしぎな三つの言葉」という作品。ポーランド語で書かれたもので、作者はヴィスワヴァ・シンボルスカ。1996年にノーベル文学賞を受賞。
 
とてもふしぎな三つの言葉

「未来」と言おうとすると

「み」はもう過去のものになっている

「静けさ」と言うと

静けさをだいなしにしてしまう

「何もない」と言うと

何もない中に収まらない何かが生まれる

 

 池澤夏樹の評論集『春を恨んだりはしない ー 震災をめぐって考えたこと』(中央公論社)を読むと、表題として引用された上記ヴィスワヴァ・シンボルスカの作品「眺めとの別れ」に同様の現象が生じたことがわかる。
 これは詩人が夫を亡くした後の春を迎えたときの気持ちを書いたものと推測されるのだが、大震災後の春に日本でこれを読めば、自分たちのこととしか読めないのではないか。それはおそらく誤読ではなく、時代や状況を越えて生き、新たな力さえも獲得する文学の普遍的な力を示すものではないだろうか。

 眺めとの別れ

またやってきたからといって

春を恨んだりはしない

例年のように自分の義務を

果たしているからといって

春を責めたりはしない

 

 

シリーズ全5巻

この沼野充義の「対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義」シリーズは全部で5冊ですが、それぞれ独立しているのでどれを読まれても楽しめますし、文学の魅力満載です。以下に概要を記しておきます。

『世界は文学でできている』
文学には日本文学もフランス文学もロシア文学もない
面白い文学を面白く読めばいいのだ
対談者:上記参照

『やっぱり世界は文学でできている』
世界は言葉でできている
東大・沼野教授と新しい「読み」の冒険に出かけよう
対談者:亀山郁夫野崎歓、都甲幸治、綿矢りさ楊逸多和田葉子

『それでも世界は文学でできている』
人間にとってお金よりも大事な(本当だぜ!)文学のために
世界文学の膨大さと多様性は圧倒的だ
対談者:加賀乙彦谷川俊太郎辻原登ロジャー・パルバースアーサー・ビナード

『8歳から80歳までの世界文学入門』
文学には希望がある
本を読むのに早すぎるも遅すぎるもない!
対談者:池澤夏樹小川洋子青山南、岸本佐和子、マイケル・エメリック

『つまり、読書は冒険だ。』
世界文学六カ条
21世紀文学のフロントランナーたちが登場!
対談者:川上弘美小野正嗣張競、ツベタナ・クリステワほか

 

 

それでも世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義3

それでも世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義3

 
8歳から80歳までの世界文学入門

8歳から80歳までの世界文学入門

 
つまり、読書は冒険だ。 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義5

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