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百人一首 歴史的仮名遣い 


昔のかなづかい
歴史的仮名遣い」

昔は今とかなの読み方がちがいました。
代表的なルールと例を紹介します。

 

①語の頭以外の「はひふへほ」は「わいうえお」と読む。
かは → かわ
こひ → こい
いふ → いう
にほい → におい

②「ゐ」は「い」、「ゑ」は「え」、「を」は「お」と読む。
くれなゐ → くれない
こゑ → こえ
をとめ → おとめ

③「ぢ」は「じ」、「づ」は「ず」、「む」は「ん」と読む。
かぢ → かじ
みづ → みず
散るらむ → 散るらん

④その他
あふさか → おうさか
けふ → きょう
てふてふ → ちょうちょう

 

てふ わが名はまだき 立ちにけり
こひ→こい てふ→ちょう
人知れずこそ 思そめしか 壬生忠見
        ひ→い

 

恋をしているという私のうわさは早くも世間に広まってしまいました。だれにも知られないように、心の中で思いはじめたばかりなのに、という意味です。

恋すてふ
恋をしているという。「てふ」は「といふ」が短くなった形。

わが名はまだき
私のうわさは早くも。

人知れずこそ
人に知られないように。

思ひそめしか
恋しはじめたのに。「しか」は「~なのに」という意味。

 

うわさが広まってしまった芽生えたばかりの恋心

『天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ) 』で平兼盛と対決したときに詠(よ)まれたものです。兼盛が想像で詠んだのに対して、壬生忠見(みぶのただみ)の歌は実際の体験を歌にしたものだといわれています。だれにも知られないようにかくしていた恋心が、周りに知られてしまったとまどいが素直に表現され、純粋さが伝わります。
摂津国兵庫県)の下級役人だった忠見は、歌合のためにはるばる都にやって来ました。歌合に出るのは名誉なことで、勝負に負けた忠見は食欲がなくなり亡くなったともいわれています。

 

西東社百人一首大辞典引用)

 

 

 

 

 

菜の花の沖(二) 司馬遼太郎 嘉兵衛、船を持つ

あらすじ

江戸時代後期、日露関係のはざまで奇数な運命をたどった高田屋嘉兵衛の生涯を克明に描いた雄大なロマン。(全六冊)

海産物の宝庫である蝦夷地からの商品の需要はかぎりなくあった。そこへは千石積の巨船が日本海の荒波を蹴たてて往き来している。
海運の花形であるこの北前船には莫大な金がかかり、船頭にすぎぬ嘉兵衛の手の届くものではない。が、彼はようやく一艘の船を得た、永年の夢をとげるには、あまりに小さく、古船でありすぎたが...

 

鰹節

おふさにとって嘉兵衛という男は、いくらながめていても飽きがこないところがある。たとえば長崎から帰った日、嘉兵衛は木片のようなものを二十本ばかりおふさの前にほうりだした。
「これなに?」
おふさがのぞきこむと、みやげだ、といった。
とりあげてみると、鰹節(かつおぶし)であった。

鰹節は加工の面倒な商品で、おふさや嘉兵衛の田舎である淡路などで自家でこれがつかわれることはまずない。ふつう、調味料といえば、だしジャコとよばれる子鰯(カタクチイワシ)であった。煮干、イリコ、ホシコなどといわれるものである。
... 自分の船を持ちたい嘉兵衛は「黒潮の流れている海まで出て、鰹をざぶざぶと獲りたい。松右衛門はいった「おお、わしは風の中で金をつかんだ。風のかわりにお前は鰹でつかもうというのか」

「おふさ、これが鰹節のだしというものか」
嘉兵衛は家庭で鰹節をつかったものを口にするのは、うまれてはじめてだったのである。
「なんと、美味なものであるなあ」
「これは土佐節か」
「伊豆節」
と、おふさが削りあとのある節をみせた。この時代の伊豆節は土佐節よりもかび付けという加工の一過程で劣っていた。それでもこれほどうまいとあれば、土佐節はどれほど旨かろうと他愛もなく思ったりしている。
「でも、土佐節ではもったいない」
おふさがいった。

それにしても嘉兵衛は鰹節を考案した人間というのはえらいものだと思った。鰹も干物にされた。この魚肉は干せば硬くなるため、古くは堅魚(かたうお)とよび、やがてカツオという音に変化した。後世、生魚を鰹と言い、干したものを鰹干し(鰹節)とよんで分けた。言葉が「鰹干し」から「鰹節」に変化するころには、複雑な加工過程をへた商品としての鰹節ができあがっている。この変化は江戸時代の初期を過ぎたころからである。この考案と完成は、紀州熊野でおこなわれた。ところが。鰹節生産にかけては土佐の成長は目をみはるばかりで、土佐藩はこの製造を準藩営にした。
「御用節」と名づけた。「鰹座」という独占の同業組合があり、評判も市場占有率も本家の熊野の節をおさえこんでしまった。
(わしは、据浜はいらん)
と、嘉兵衛は思っていた。据浜とは寄港権とそこで獲れた鰹を節にする設備の所在地という意味である。五百石ほどの廻船を借りて、そこに製造設備を積めばよいのではないか。嘉兵衛はおふさに自分の脳裏に湧く考えをつぎつぎに話した。かれが考えている鰹船の設計図もかいて見せてやった。おふさは
お船のお金をどうするのかしら)
と、内心、小くびをひねった。

 

薬師丸

その後、嘉兵衛が江戸滞在中に兵庫から飛脚の手紙が届き、和泉屋伊兵衛が嘉兵衛のために十両で買った薬師丸という破船があるが、もしその気があるのなら検分し、修繕できるものならそのようにして兵庫まで乗って帰るがよい、あるいはそれをもって伊豆や安房沖を走って鰹を獲るのもよし、なんなりと存念どおりにせよ、というものであった。

 

 

菜の花の沖(二) (文春文庫)

菜の花の沖(二) (文春文庫)

 

 

 

 

 

ヴェニスの商人 シェイクスピア


あらすじ

ヴェニスの若き商人アントーニオは、恋に悩む友人のために自分の胸の肉一ポンドを担保に悪徳高利貸しシャイロックから借金をしてしまう。ところが、彼の商船は嵐でことごとく遭難し、財産の全てを失ってしまった。借金返済の当てのなくなった彼はいよいよ胸の肉を切りとらねばならなくなるのだが... 
機知に富んだ胸のすく大逆転劇が時代を越えてさわやかな感動をよぶ名作喜劇。

 

ウィリアム・シェイクスピア
William Shakespeare (1564-1616)。国籍 イングランド王国。劇作家、詩人。約37編の史劇・悲劇・喜劇を創作。47歳で突如隠退、52歳没。
シェイクスピアは、作家ではなく脚本家ですので、彼の作品には原作の存在するものも多数存在します。しかし、彼は豊かな感性と才能で、微妙な心理描写を付け加えるなど、人間の喜怒哀楽が会話の中に妙味とともに巧みに描かれており、原作よりも深みのある作品に仕上げているとされています。

 

作品の背景

中世イタリアの物語集「イル・ペコローネ」に、養父が肉一ポンドの証文を書いてユダヤ人高利貸しから金を借りたおかげで、ヴェニスの若者がベルモンテの美女と結婚でき、その美女が男装して裁判官となり名裁きを行うという本の話があります。

 

現代にも意味をもつ作品

1814年にエドマンド・キーンがシャイロックを悲劇の主人公として演じて以来、この作品は単なる喜劇ではなくなった。とくにユダヤ民族迫害の歴史を踏まえると、シャイロックの悲哀には深刻な訴えがこもる。あたかも自分たちが正しいかのように振る舞うキリスト教徒たちは偽善者なのではないか。果たしてシャイロックに改宗を無理強いする権利があるのか。現代においても、いっそう大きな意味をもつ作品だろう。
なお、日本で初めて演じられたシェイクスピア作品は、本作品を脚色した『何桜彼銭世中(さくらどきぜにのよのなか) 』(1885)で、船問屋紀伊国屋伝二郎の肉を切り取ろうとする高利貸桝屋五兵衛の訴えに、学者中川寛斎の娘玉栄が男装して名判官ぶりをみせる。

 

名台詞

悪魔も聖書を引用する、都合のよいようになる(第一幕第三場)
シャイロックを毛嫌いするアントーニオは、金を借りるときにも、シャイロックを悪魔と呼ぶ。激しい民族差別が劇の根底に流れる。

ユダヤ人には目がないのか? 手がないのか。内臓が、手足が、感覚が、愛情が、喜怒哀楽がないとでもいうのか? (第三幕第一場)
まさか証文どおりにアントーニオから肉一ポンドを取るつもりではあるまいなとキリスト教徒のソラーニオやサレーリオに言われて、これまでずっとユダヤ人を差別してきたアントーニオに復讐するために裁判に訴えるというシャイロックの台詞。感動的な見せ場。

 慈悲とは、無理に搾り出すものではない(第四幕第一場)
裁判官を務めるポーシャは、まずシャイロックに慈悲を求める。だが、シャイロックが頑として証文どおりの裁定を望むので、ポーシャは相手が望む以上に証文どおりの判決を下すことになる。

 しばし待て。まだ続きがある。
この証文は血一滴たりともそのほうに与えていない(第四幕第一場)
ポーシャは、証文どおり、肉一ポンドはおまえのものであるから切るがよいと述べてシャイロックを喜ばせる。しかし、証文には血のことは書かれていないため「血を一滴でも流したら財産を没収する」と宣告する。愕然(がくぜん)としたシャイロックは訴えを取り下げる。

 待て、ユダヤ人。
当法廷はまだそのほうに用がある(第四幕第一場)
ポーシャは退廷しようとするシャイロックを呼びとめ、ヴェニス市民の命を狙った罪ゆえに、その財産は没収、命は公爵の慈悲に委ねると宣告する。結局、キリスト教に改宗するなら、財産の半分をシャイロックの娘夫婦に譲るだけで許すという ” 慈悲 ” をかける。

 あんな小さな蝋燭(ろうそく)の光がなんて遠くまで届くことでしょう!
良い行いも、悪い世の中をあんなふうに照らすのね(第五幕第一場)
ベルモンオトへ帰って来たポーシャが自宅の灯を見て言う台詞。

 

 (あらすじで読むシェイクスピア全作品)引用

 

ヴェニスの商人 (新潮文庫)

ヴェニスの商人 (新潮文庫)

 

 

 

 

河童・或阿呆の一生 芥川龍之介

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(Wikipedia)

 

芥川龍之介

本名同じ。1892年(明治25年)東京生まれ。東大在学中、23歳の時に『羅生門』で文壇デビューし、夏目漱石門下となる。現実を巧みな技法で描き、菊地寛らとともに「新技巧派」と呼ばれた。その後『地獄変』『蜘蛛の糸』などの傑作を次々と生み出すが、時代の流れに追従できず、社会と自己の矛盾に思い悩んだ挙げく、精神を患い(うつ病か)1927年(昭和2年)7月24日未明に服毒自殺した。享年35歳。

 

或阿呆の一生(あるあほうのいっしょう)

本書には短編小説6編の作品が収録されている。今回はその中の遺稿になった『或阿呆の一生』を取り上げます。なお、この作品と『歯車』は、死後の10月に発表されたものです。
この小説の原稿の出来上がった日時は、友人の久米正雄にあてた附記にある六月二十日という日づけによって知られ、内容は自叙伝の意味を持つものだったこと。そして自殺の動機を、自己の将来に対する「ぼんやりとした不安」のためとしているが、つづいて「僕は僕の将来に対するぼんやりした不安も解剖した。それは僕の『或阿呆の一生』の中に大体は尽くしているつもりである」と述べている。

このように、この作品は自己の生涯の事件と心情を、五十一の短編に印象的にまとめたもので、死を前にした彼の、自己の一生を焦点的に鳥瞰(ちょうかん、俯瞰)した見取図だった。

 

久米正雄あての芥川龍之介からの遺書の一部

僕はこの原稿を発表する可否は勿論、発表する時や機関も君に一任したいと思っている。君はこの原稿の中に出て来る大抵の人物を知っているだろう...  しかし僕は発表するとしても、インデキス(インデックス)をつけずに貰いたいと思っている。
僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしている... (中略)
最後に僕のこの原稿を特に君に托するのは君の恐らくは誰よりも僕を知っていると思うからだ。どうかこの原稿の中に僕の阿保さ加減を笑ってくれ給(たま)え。

 

死を前にした見取図の一部

二十四(出産)
彼は襖側に佇(たたず)んだまま、白い手術着を着た産婆が一人、赤子を洗うのを見下ろしていた。 「何の為にこいつも生れて来たのだろう? この娑婆苦(しゃばく)の充ち満ちた世界へ。-何の為に又こいつも己のようなものを父にする運命を荷(にな)ったのだろう?」

三十一(大地震
彼は焼けあとを歩きながら、かすかにこの匂を感じ、炎天に腐った死骸の匂も存外悪くないと思ったりした。殊(こと)に彼を動かしたのは十二三歳(じゅうにさんさい)の子供の死骸だった。彼はこの死骸を眺め、何か羨(うらや)ましさに近いものを感じた。 「神々に愛せらるるものは夭折す」 *夭折(ようせつ)... 若くして死ぬこと
「誰も彼も死んでしまえば善い」彼は焼け跡に佇んだまま、しみじみこう思わずにはいられなかった。

四十二(神々の笑い声)
三十五歳の彼は春の日の当たった松林の中を歩いていた。二三年前に彼自身の書いた「神々は不幸にも我々のように自殺出来ない」と云う言葉を思い出しながら...

四十七(火あそび)
彼女はかがやかしい顔をしていた。それは丁度朝日の光の薄氷にさしているようだった。彼は彼女に好意を持っていた。しかし恋愛は感じていなかった。
「死にたがっていらっしゃるのですね」
「ええ。-いいえ、死にたがっているよりも生きることに飽きているのです」
彼等はこう云う問答から一しょに死ぬことを約束した。

四十九(剥製の白鳥)
(中略)彼は「或る阿呆の一生」を書き上げた後、偶然或古道具屋の店に剥製(はくせい)の白鳥のあるのを見つけた。それは頸(くび)を挙げて立っていたものの、黄ばんだ羽根さえ虫に食われていた。彼は彼の一生を思い、涙や冷笑のこみ上げるのを感じた。彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだった。

以上は、五十一の短編から抜粋したものですが、最後の吉田精一氏の解説に次のようにあります。「この作品に詳しいインデックスをつければ、それがそのまま『芥川龍之介の芸術と生涯』ということになるが、我々はただこの文章の奏(かな)でる魂の旋律に、黙して耳を傾けるべきだろう」と。

 

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

モモ ミヒャエル・エンデ 時間の哲学です

 

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

 

あらすじ

町はずれの円形劇場あとに、まよいこんだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。そこへ「時間どろぼう」の男たちの魔の手がが忍び寄ります。「時間」とは何かを問う、哲学的なエンデの名作です。

 

モモの特技は人の話を聞くこと

何か解決策を考えられるわけではないけれど、不思議なことにモモと話しているうちに本人が自分でどうすればいいのか気づくんです。
ずっとケンカしていた男たちの原因を長い時間かけて聞きだし、仲直りさせたこともありました。いつか人々は困ったことがあれば「モモのところに行ってごらん」と言うようになりました。

ある日、時間貯蓄銀行の灰色の男たちが街にやってきて、人々の時間を盗み始めます。みんな時間に追われるようになり、心もギスギスするようになりました。
モモは、今まで遊びにきていた友達たちがやってこないことで、街の異変に気付きます。モモと親友たちは、世の中がおかしいことを大人たちに知らせますが、誰も聞いてくれません。

最後は、時間どろぼうの灰色の男たちと闘うのですが、ここからかなりスリリングな展開になっていきます。ちょうどその頃、モモの前に救世主となる、カシオペアというカメが現れます。カシオペアには30分先の未来がわかる能力があり、ここという時にモモを助けてくれるのです。

 

時間とは何でしょう

この本は児童文学なんですが、時間に追われて現代を生きている大人にこそ、お薦めです。これがとても深いんです。
人間たちに「時間」を倹約させることで、時間を奪う「時間どろぼう」。時間を倹約すればするほど、人々からゆとりある生活が奪われていきます。彼らの姿を現代の私たちに重ねあわせてしまいます。

大人は子どもによく、時間を大切にしなさいって、言ったりするけど、時間を節約して得られるものはなんだろう。そこがよく分からなかったりして。一生懸命に仕事をして、少しでも多く時間をかけて勉強して試験に合格したり。
ところが、今度は自分の時間が失われると、人間は病んでしまう。仕事が忙しすぎてストレスをためたり、育児が辛くなってしまったり。

どれだけ時間を費やしたかによって、自分の中で何か向上するのは確かかもしれません。でも大切なのは、その時間を自分で操っているかどうかにあります。

自分自身の時間の使い方を他人に強制されることは、ただ時間というものを犠牲にして、心の豊かさまで失っていくということなんじゃないでしょうか。

「時間とは、生きるということ、そのもの」です。
現代の時間どろぼうに自分の時間を奪われていませんか。

 

 

 

 

ビンボー魂 風間トオル 時々、神様に出会った 

 

貧乏だから辛いのではなく
空腹だから辛いのです

 

風間トオル

1962年神奈川県生まれ。東京デザイン専門学校卒業。メンズノンノ、メンズクラブ等のモデルを経て、俳優へ。映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』で日本アカデミー賞優秀主演男優賞受賞。

 

5歳のときに母が出て行き、そして父もいなくなった。祖父母との貧乏生活がはじまるも年金だけでの生活。風呂なし共同トイレのアパート暮らし。屋外の洗濯機がお風呂がわり、切り傷はツバで治し、虫歯はペンチで抜く、公園のアサガオを食べて飢えをしのぎ、カマキリも食べた。それでもグレることなく貧乏を知恵と度胸で凌いだ。

祖父が亡くなり、祖母の年金だけになって暮らしは更に厳しくなる。中学に入ると唯一きちんとした食事だった給食もなくなってしまい、お弁当を持たせてもらえず、ほとんど毎日、昼食抜きで過ごした。ランチタイムは大抵、タンポポの葉っぱなどを摘み食いしながら、校庭でぼんやりと過ごしていた。

バレンタインデーにもらったチョコレートは20個か、多い年には30個とかあって、それを365日分に分割して冷蔵庫に保管し、大切なエネルギー源として毎日大事に食べた。
ホワイトデーのお返しは、お金がないので公園で拾ってきた松ぼっくり。自分で白く塗ってアクセサリーに。鞄にぶらさげたり、紐をつけてネックレスにしたりして。

 

 ある日、いつものように土手へ行くと、ホットドッグを売るワゴン車が止まっていました。野球の練習をする高校生や、デートをするカップル、キャッチボールをする親子などが次々に買いに来て大繁盛。僕はいつも、忙しそうに切り盛りするホットドッグ屋のご夫婦を少し離れたところから見学していました。

すると、「おーい、そこの坊や」と、どうやら僕を呼んでいる様子。ワゴン車へ近づいて行くと「悪いけどキャベツを切るのを手伝ってくれないかなぁ」と持ちかけられました。「うん、いいよ」と二つ返事で引き受けたのは、暇だったし面白そうだなと思ったからです。教えられたとおりキャベツの千切りを始めたら楽しくて、時間が経つのも忘れて黙々と作業を続けました。

やがて夕暮れ時になり、すっかり客足が途絶えると、「よく頑張ってくれたね。本当に助かったよ」と、おじさんは報酬としてホットドッグを二つくれるというのです。
「もらっていいの?」と尋ねると、「もちろんだよ。さぁ、遠慮なく食べな」と。空腹だったので、嬉しくて、ありがたくて。思えば、あれが生まれて初めてのアルバイトでした。それから毎週、小さなアルバイトをするようになりました。
ホットドッグ屋のご夫婦が「おっ、今日も来てくれたね」といつも笑顔で迎えてくれました。

でも、本当はキャベツを切る手伝いなんて必要としていなかったのだと思います。僕の境遇を見抜いたうえで、ただ施すのでは、この子のためにならないと考えてくれたのだと今ならはっきりとわかるのです。
僕はそういう愛のある大人に育ててもらいました。
時々、神様に出会った。そんなふうに思うのです。

そして、貧しかった幼少時代を振り返って思うのです。本当はお金がないから不幸なんじゃなく、お金に支配されてしまうことが問題なんじゃないかなと。

 

 

 

 

 

 

「バベルの塔」展 東京都美術館 

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神が人間の言葉を混乱させる

人が「天まで届く塔のある町を建てよう」と考えたのは 、煉瓦を焼くという新技術、そして漆喰よりずっと粘着力のあるアスファルトという新素材を発見したからでした。
ところが、人間の計画を知った神は「降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉を聞き分けられぬようにしてしまおう」(旧約聖書11章7節)と考えているのですから、その計画を中断させなければならない悪い企てと見ていることになります。
「天まで届く塔のある町を建てる」こと自体は悪いことではないはずでした。いったいどこが神の目に不適当と映ったのでしょうか。

 

自分の名にこだわった人間

唯一の可能性は、「天まで届く塔のある町を建てよう」のあとに「我々の名をつくろう。そして全地に散らされることのないようにしよう」(11章4節)とあることでしょう。
大事業を成し遂げれば、自分の名前を残したくなるのはごく自然なことですね。でも、神はそこに落とし穴を見ていました。人間が自分の名にこだわるあまり、神の名が忘れ去られるなら、神との対話もあと回しにされてしまう。その時には、私益や国益がぶつかり合う混乱した社会になってしまう。
こうして名前に執着した人間たちは、互いの言葉を聞き分けることができなくされた上で、全地に散らされてしまいました。この町は、神が言語を混乱(ヘブライ語で「バラル」)させたことから「バベル」と呼ばれるようになりました。

 

さて、東京都美術館で開催の「バベルの塔」展は、平日でも大勢の人で人気があります。「バベルの塔」自体の作品は他にも多数あるのですが、やはりこのブリューゲルの一枚が浮かびます。実際の作品のサイズは、59.9×74.6cmと小さいのですが、画面いっぱいにそびえる塔の威容。描かれている人の数は約1,400人とも。虫眼鏡でのぞきたくなるほど、緻密でリアルな細部の描写。そこに描かれた壮大な世界観と、謎多き画家の魅力をぜひ、会場で実感してください。7月2日まで開催です。

 

 

(図説雑学旧約聖書より引用)