きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

三島由紀夫『豊饒の海』初の舞台化

 

又、会ふぜ。きつと会ふ。

 

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三島由紀夫畢生(ひっせい)の大作「豊饒の海」初の舞台化

四冊からなる大河小説を一舞台作品として創作する史上初の試み。三島由紀夫の「美」の象徴とも言うべき松枝清顕に、東出昌広が出演。

 「又、会ふぜ。きつと会ふ。」という言葉を残し二〇歳で生命を落とした男、松枝清顕。
彼を生涯追い求める男、本多繁邦。
そして本多の前に清顕の生まれ変わりとして登場する人々。
存在とは、世界とは、美とは、
そして「私」とは ... 

 

公演日程 2018年11月3日~12月2日
開場   紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
原作   三島由紀夫
     「豊饒の海」(第一部~第四部)
脚本   長田育恵
演出   マックス・ウェブスター
出演   東出昌大 宮沢氷魚 上杉柊平 大鶴佐助
     神野三鈴 初音映莉子 大西多摩恵 篠塚勝
     宇井晴雄 王下貴司 斉藤悠 田中美甫
     首藤康之 笈田ヨシ

 

 

三島の生涯をかけた遺作

 このうえもなく美しく優雅な悲しみに満ちた壮大な物語は、全四部作で1700ページを超える。ルビはあるものの漢字や比喩も多く、敬遠されがちだが読み進むにつれて、もう後には引けない、三島文学にハマってしまう。ちょっと面倒くさい男、清顕が物事をどんどん複雑にしていくように感じるも、全てにおいて描写が芸術的で美しい。死や仏教、輪廻がテーマになっているが、四作目の「天人五衰」で全てを虚無にし、市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地での自死を選んだことで、結局はどこにもたどりつけない、三島の生涯をかけた作品だったのか。人生において大切なものとは何なのかという、とても強い問いが投げかけられている。

 

劇場でひとときを過ごすということ

 初舞台化された今回の『豊饒の海』は、四部ある作品を一つずつ順に並べていくのではなく、第一部の「春の雪」を全体のベースにし、そこに第二部「奔馬」、第三部「暁の寺」、第四部「天人五衰」を組み込むという方法を取っている。すべての物語が同時に起こっていくという構成だ。劇場で過ごすというその空間や時間は、日常に潤いを与えてくれるひとときだ。

 

 

 *『豊饒の海紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

 

 

 

*過去の記事ブログ『春の雪  豊饒の海(一)』

 

*過去の記事ブログ『奔馬  豊饒の海(二)』

 

 

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豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)

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豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) (新潮文庫)

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豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)

豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)

 
豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

03-1377

帝国主義諸国の植民地政策 小室直樹

 

獣なみの欧米帝国主義国家
ジェノサイドで世界征服を目ろむ

 

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イギリスの帝国主義など

 

帝国主義の全盛

 ナポレオン戦争以後、ヨーロッパ内の戦争と革命、産業革命の完成にともなう経済の再編など、しばらく国内問題に忙殺されていたヨーロッパ列強も、1878年ベルリン会議のころから帝国主義の全盛期になっていく。彼らは全世界を呑噬(どんぜい / のみこむ)せんと、植民地獲得のために征服の進軍を開始した。

 

侵略は国家の存在証明

 当時のヨーロッパは、帝国主義にあらずんば国にあらずといわんばかりの勢いであった。それまでは帝国主義といえば、英仏の専売特許。帝国主義的侵略はヨーロッパでは、国家の存在証明みたいなもの。老舗の帝国主義国たる英仏露に加えて、より強力となったドイツ帝国帝国主義レースに参加してくる。とはいっても、世界中のめぼしいところは、みんな英仏のような先進帝国主義諸国が占領してしまっている。

 

力は正義なり

 19世紀末、20世紀初頭のイギリスときたら、切取り強盗、居直り強盗もいいところ。南アフリカボーア人の国に金とダイヤモンドがごっそり出ることがわかると、さっそく攻め込んだ。ボーア人の国は武名を馳せた民族であっても、結局イギリスの版図となった。
 英仏露をはじめ、帝国主義国は力の信奉者である。「力は正義なり」を地でゆくのだ。ボーア人のように勇敢に闘うか、アルゼンチンのようにイギリスを先生とあがめて、その指導のもと南米一の大海軍国にでもなれば少しはましに取り扱ってくれる。これに反し、まともな武力がないとなると、これは奴隷も同様。いったん、帝国主義国家の植民地になったら最後、万事休すであった。

 

織物産業を梃にしたイギリス経済

 イギリス経済をして世界に冠たるものとならしめたのは、マンチェスター、ランカスターなどの織物産業である。織物産業を梃(てこ)にしてイギリス経済は、スペインを追い落とし、オランダを追い落とし、次々に先進諸国を撃破してヨーロッパを征服した。
 

帝国主義国のやり口

 イギリスの織物産業は、産業革命をもってしてもダッカベンガル織物にはかなわなかった。しかし、このままでは世界征服ができない、となるとイギリスはダッカの織工を集めて手を切り落とす。これが、帝国主義のやり口だ。イギリスは民族殲滅の名人なのだ。ヒトラーユダヤ人を鏖し(皆殺し)にしようとしたが果たせなかった。ところがイギリスは、タスマニア人を本当に鏖しにしてしまった。
*民族殲滅(みんぞくせんめつ)とはジェノサイドのこと。皆殺し、大量殺害を意味し、残らず滅ぼすこと。

 

猛獣狩りにされたタスマニア

 ではイギリスはなぜ、タスマニア人を鏖し(皆殺し)にしたのか。タスマニア人は原始人に近い人びとで、イギリス人と戦う力もなければ意図もない。だから少しの抵抗もなかった。タスマニア人がイギリス人に鏖しにされたほんとうのわけは、オーストラリアに猛獣がいなかったからである。猛獣狩りはイギリス人のお家芸。殺生が滅法に好きで本国では、貴族は狐狩りをたのしむ。
 オーストラリアに漂着したイギリス人。猛獣がいないので退屈で仕方がない。タスマニア島を見ると、原始人が住んでいた。タスマニア人はアメリカのバッファローなみのあつかいで、絶滅してしまった。このようなことはイギリスだけでなく、その他の帝国主義諸国だって、やることといえば、どれも似たもの。

 

ハワイを奪い女王を島流し

 19世紀も末になると、英仏露といったベテラン帝国主義諸国に加えて、ドイツ、アメリカはじめ、めぼしい欧米諸国は続々と帝国主義レースに参加してきた。
 アメリカは、モンロー主義をかなぐりすてて、門戸開放主義を標榜するようになった。「門戸開放」とは、てっとり早くいえば、なるべく外国を侵略しましょうということだ。たとえば、ハワイはカメハメハ王朝下の独立国であったが、アメリカはハワイを植民地にして、女王を島流しにした。また、フィリピンをスペインから奪った。
モンロー主義とは、アメリカと欧州間の相互不干渉を提唱した外交政策

 

 奴隷牧場で大金持ちになった資本家

 だが、アメリカはフィリピンやハワイであまり残酷なことはしなかった。それというのも米大陸で、残酷なことはしつくしてきたからである。アメリカがインディアンに対してどういうことをしたか。これはよく知られている。しかし、アメリカ帝国主義の残酷物語で白眉というべきは、奴隷牧場であろう。
 アメリカは、はじめのうちこそ黒人奴隷をアフリカから輸入していたが、国内生産を思いたった。奴隷のなかでも、商品として一番高く売れるのが白人との混血児である。そこで資本家は黒人の女性をたくさん集めてくる。そして健康で知能のほうもある程度の白人の男を雇う。この男は奴隷ではなく、れっきとした労働者である。種つけ工ということだ。かくして生まれた子どもは奴隷として高く売れる。こうして奴隷商人いや、奴隷牧場主として大金持ちになった資本家はずいぶんといた。

 

獣なみの欧米帝国主義国家

 欧米帝国主義国家は、大国にかぎられてはいなかった。イタリアはいうまでもなく、ベルギーのような小国ですら、帝国主義レースに参加してきた。老いたりとはいえオランダも依然として帝国主義国家としての地位を保全していた。
 大国といわず小国といわず、宗主国の市民が植民地の人びとに対する態度ときたら、まるで人間ではなく、獣なみであった。

 

 

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中国を分け取りにする帝国主義列強の風刺画
(左から英・独・露・仏・日本)

 

 

 

* 上記の記事は『韓国の悲劇』からの抜粋です

韓国の悲劇―誰も書かなかった真実 (カッパ・ビジネス)

韓国の悲劇―誰も書かなかった真実 (カッパ・ビジネス)

 

 

 

 

 

 

 

 09-2397

石川啄木 『一握の砂・悲しき玩具』

 

貧しさと病苦にあえぎながら
27歳にして世を去った天才歌人

 

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

 

 

生活苦を詠んだ歌人
実は女遊びで借金まみれ
その貧窮は自業自得か

 

 

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石川啄木(いしかわたくぼく)
1886年明治19年岩手県盛岡市生まれ。歌人、詩人。本名は石川一(いしかわはじめ)。1912年(明治45年)結核のため死去。26歳没。写真の左は親友の金田一京助

 寺の住職の一人息子として生まれ、文学を志すも作品は売れず、小学校の代用教員や、小樽日報の記者、東京朝日新聞社の校正係などを務めた。金田一京助など友人から多額の借財を重ねつつ作品を発表するが、肺結核を患い貧窮の中に生涯を閉じる。『一握の砂』『悲しき玩具』など、生活上の詠嘆を題材とした歌集が高く評価されたのは、その死後のことであった。石川啄木の作品は、短歌の「五・七・五・七・七」ではなく、「三行書き」のスタイルで、詩のようなイメージを持たせた口語体の表現が特徴的だ。 (石川啄木 - Wikipedia)

 

 

カンニングがバレて中学校を中退

 「はたらけど  はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり  ぢっと手を見る」この歌のように懸命に生きながらも報われないまま、短い生涯を終えた薄幸(はっこう)歌人という印象が強い石川啄木。だが、実態はだいぶかけ離れていたようだ。幼少期の暮らしは決して貧しくなかった。盛岡中学校中退も期末試験で2度のカンニングが発覚したという理由によるものだ。なお、この中学時代にのちに妻となる堀合節子や親友の岡山不衣、金田一京助らと知り合いになる。

 

文学活動を始めるも家庭危機に

 19歳で処女詩集『あこがれ』を出版した啄木だったが、この出版費用のため、住職だった父が檀家との間で金銭トラブルを起こして寺を追われる。その一方で、19歳の啄木は初恋の相手である堀合節子と結婚。一家が経済的に追い詰められる中、啄木は母校で代用教員として働き始めるが、それでも困窮を極めてゆく。節子は娘を連れて、生活苦や義母との不和に耐えかね、盛岡の実家に帰ってしまった。

 

女性依存と嫉妬深さ

 妻子がある身でありながら、東京では何人もの芸者と交際するなど、非常に奔放である。一方で、妻子に家出されてひどく落ち込むなど、女性に依存する面もある。手紙から妻と友人・宮崎郁雨(みやざきいくう / 歌人の浮気を疑い絶縁するなど、嫉妬深い顔も見せる。

 

『ローマ字日記』を書き始めたころ

 東京朝日新聞の校正係として働き始めた啄木は、雑誌「スバル」を創刊し、同誌上で小説を発表。家出していた節子も親友・金田一京助らの尽力で帰宅する。のちに赤裸々な日記文学として評価される『ローマ字日記』を書き始めたのもこの頃。そこには、貧乏に耐えながら文学に情熱を注いだ一面とは異なる啄木の素顔が、時に露骨な性描写を交えて赤裸々に綴られている。それによると、他人から借りたお金を女遊びや遊興費に使ってしまったり、仕事を無断欠勤したりと、生活苦にもかかわらず奔放な生活を送っていた。

 

『一握の砂』を1910年に出版

 この頃の啄木は、ようやく歌人として評価を受け、東京朝日新聞の朝日花壇の選者に抜擢されると共に、24歳で初の歌集『一握の砂 (いちあくのすな)』を出版する。とはいえ、貧困から抜け出すには程遠く、さらに啄木は持病の結核を悪化させてしまう。病に倒れた啄木は、妻子と父、親しかった歌人若山牧水に看取られ、26歳の短い人生を終えた。この『一握の砂』は全部で551首が収められ、5部構成となっている。

 

「たかり魔」石川啄木

 啄木はいわゆる「たかり魔」で、困窮した生活ゆえに頻繁に友人知人からお金をせびっていた。特に先輩の金田一京助樺太に出張中にも啄木からの金の無心を受けた。このように啄木は各方面に借金をしており、またそのことを自身で記録している。合計すると全63人から総額1372円50銭の借金をしたことになる(2000年頃の物価換算では1400万円ほど)。この借金の記録は、宮崎郁雨によって発表されたが、この後の啄木の評価は「借金魔」「金にだらしない男」「社会的に無能力な男」というのが加わるようになった。

 

傲慢不遜な一面も

 啄木は友人宛の手紙で浦原有明を「余程食へぬやうな奴だがだましやすい」、薄田泣菫与謝野鉄幹を「時代おくれの幻滅作家」と記すなど、自身が影響を受けたり世話になった作家を侮辱したほか、友人からの援助で生活を維持していたにもかかわらず「一度でも我に頭を下げさし  人みな死ねと  いのりてしこと」と詠んだ句を遺すなど傲慢不遜(ごうまんふそん / 人を見下す態度)な一面もあった。

 

人懐っこさと甘さや弱さを晒せる人間性

 往年の文豪には何かと人間的にクズな逸話も多いが、啄木は飛びぬけている。中原中也と並び、文豪2大クズとも言われる(太宰治を入れると3人)。しかし、このような生活ぶりでも妻への想いと、啄木の人懐っこさや憎まれにくい性格も。彼の人間性が彼の作品の質を落とすものではない。クズだと言われても仕方がないかも知れないが、歌人として詠んだ歌や小説は評価が高いものが多い。自分の甘さや弱さを平然と人前に晒(さら)せる人間性が啄木の最大の魅力なのかも知れない。

 

石川啄木終焉の地

 啄木は肺の疾患と診断され、療養のために東京府小石川区久堅町(現・東京都文京区)へ転居した。しかしそれも実らず、第二詩集『悲しき玩具』を構想中であった明治45年(1912)4月に病状悪化で死去。現在、その地の隣接地に石川啄木顕彰室がある。

 

 

 

『一握の砂』

 

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

東海の小島とは日本のことで、磯は北海道函館の大森浜。若き日々の悲しみを詠んでいる。あふれてくる悲しみに耐えかねて心が沈み、涙に濡れたことを懐かしむ気持ち、北海道函館の大森浜での悲しみを回想して歌っている。

 

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る

啄木の生活苦を歌った一首。啄木は中学を中退し文学を志したが、当時の文壇・歌壇は学歴主義の壁があった。「一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと」(『一握の砂』)という歌を残すほどプライドの高い啄木は、満足できる職に就けず職を転々とした。

 

たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず

啄木は母・カツに甘やかされて育っていた。その母に経済面などで苦労をかけ、やせ細らせてしまった。そのことを腕と背中で否応なく実感し、涙を流す啄木の一首。ただし啄木の実妹・光子は、母に迷惑ばかりかけていた兄が母をおんぶするなどありえない、と記している。

 

ふるさとの(なまり)なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく

 ふるさとは啄木の出身地・岩手県である。停車場は東北地方からの鉄道が乗り入れる上野駅を指す。電話が普及していなかった当時、ふるさとの響きが恋しくなった啄木は、それを耳にするためには同駅へ行くしかなかったようだ。

 

 

 

 *参考書籍
『文豪がよくわかる本』(宝島社)
『一握の砂・悲しき玩具』(新潮社)
  ほかにWikipediaなど

 

 

 

 

 14-2954

「真理はあなたを自由にする」 ヨハネ福音書

 
リベラルアーツは人を自由にする」は、「真理はあなたを自由にする」から来ている

 

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国立国会図書館

 

物事の本質を見抜く目

 激変の時代、先が見えにくい時代においては座標軸が不可欠だ。その軸を与えてくれるものがリベラルアーツになる。また、物事の本質を見抜く目、時代を先取りする大局観を養ってくれる。リベラルアーツの起源は、ギリシャ、ローマでは、肉体労働は奴隷に任せ、自由人は「自由七科」と言われる教養を身につけることが求められた。その7つとは、文法、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽だ。
 リベラルアーツのリベラルには、英語の古語において「豊富な」という意味もあり、アーツには「学問」の意味がある。つまり、豊富な学問イコール教養といえる。

 

人を自由にする学問

 リベラルアーツを学ぶ意味は、短期的な成果を追わず、人間としての成長を目指すということ。リベラルアーツは元来、人を自由(リベラル)にする学問という意味であって、自由人と奴隷とを選別する道具としての教養だった。

 

「問う」と「疑う」
 ここでいう「自由」とは何なのか。もともとの語源は、新約聖書ヨハネ福音書の第8章31-32節にあるイエスの言葉、「真理はあなたを自由にする」から来ている。「真理」とは「真の理(=ことわり)」のことである。時間を経ても、場所が変わっても変わらない、普遍的で永続的な理(=ころわり)が「真理」であり、それを知ることによって人々は、その時その場所だけで支配的な物事を見る枠組みから自由になれる、といっているのだ。目の前の世界において常識として通用して、誰もが疑問を感じることなく信じ切っている前提や枠組みを、一度引いた立場で相対化してみる、つまり「問う」「疑う」ための技術が、リベラルアーツの真髄だということになる。そして、あらゆる知的生産は「問う」「疑う」ことから始まるのだ。

 

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 03-0873

ツルゲーネフを凌ぐ美男作家 米原万理

 

 

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Anton Pavlovich Chekhov
Wikipedia

 

 

ロシア文学史上
ツルゲーネフを凌ぐ美男作家といえば
チェーホフだろう

青年時代の写真は
ドキッとするほどセクシーだ

 

米原万理「モテる作家は短い!(1999年)」より

 

 

米原万理(よねはらまり)
1950 - 2006年  ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家。東京外国語大学ロシア語学科卒。主な著書に『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』『オリガ・モリソブナの反語法』など。2006年に卵巣癌で死去。56歳没。

 

日露対訳 チェーホフ短編集【朗読音声付】

日露対訳 チェーホフ短編集【朗読音声付】

 
ツルゲーネフ作品集

ツルゲーネフ作品集

 
ロシアは今日も荒れ模様 (講談社文庫)

ロシアは今日も荒れ模様 (講談社文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 02-0633

「わかりやすく話す」2つのコツ

 

話し上手な人は「。」が多い

① 結論や重要なことを先に伝える
② マルの多い話し方をする

 

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話し上手な人の2つの特徴

 職場などで「何が言いたいのかさっぱりわからいない」「もっと要点を整理して話したらいいのに」などと思ったりしたことがありませんか。自分のことはだれも指摘してくれません。「話しことば」は「書きことば」と違い、話した瞬間に消えていきます。耳で聞いてすぐわかるように話さないといけません。話の上手な人には2つの特徴があります。写真のジョブズはプレゼンやスピーチの名手でした。簡潔でわかりやすく、また感動的なトークも数多くありました。

 

話の全体像を先に伝える

 わかりやすく話すには2つのポイントがあります。1つは、結論や重要なことを先に伝えることです。まず話の全体像を先に伝えること。そして部分的な話をしていく。これで聞き手は心の準備ができます。自分が聞き手だったらやはり大事なことは先に言ってほしいですね。

 

センテンスを短くする

 2つ目は、マルの多い話し方をすること。話の上手な人は一文が短いので、理解しやすく聞きやすい。「~です。~は~です。~でした。そして~でございます」というように読点「。」が続きます。センテンスが長いと、何を言いたいのかよくわかりません。句点「、」ばかりでは、話の行き先が見えません。接続詞で文をつなげるよりも、短く区切って話す方が圧倒的に伝わりやすくなります。

 

文章を書くときにも役立つ

 この2つを意識するだけで見違えるように、わかりやすい話し方になります。また、このことは文章を書くときにも役に立つのです。ここで3つの例題をあげますので、耳で聞いてすぐわかるように直してみてください。

 

例題 ①
午後1時から1時間ほど横浜で用事があるので、夕方の会議は少し遅れると鈴木課長に連絡しておいてください。

 ポイントは、だれに何を伝えるか。「鈴木課長に、夕方の会議に遅れる」ということですね。遅れる理由は、そのあとでよいと思います。さらに、3つに区切りると分かりやすくなります。

【解答例】
鈴木課長に連絡してください。夕方の会議に少し遅れます。理由は、横浜で午後1時から1時間ほど用事があるためです。

 

 

例題 ②
5月30日の金曜日、正午から午後1時まで、会議室と食堂を除く、すべての部屋の蛍光灯の取り替え作業があると、今朝のミーティングで総務部から説明がありました。

細かい説明から入ると、聞き手は理解できません。話の概略「全体像」を最初に伝えると、何をどこまで聞けばよいのか心の準備ができます。そう、全体から部分へです。
ここでの伝えたいテーマは何でしょう。「部屋の蛍光灯の取り替え作業がある」ということですね。情報の出所も早めに伝えます。「今朝のミーティング」より「総務部」が先です。あとセンテンスが長すぎますので、5つに分けましょう。

【解答例】
部屋の蛍光灯の取り替え作業があります。総務部から今朝のミーティングで説明がありました。日にちは5月30日の金曜日。時間は正午から午後1時です。なお、会議室と食堂は除きます。

 

 

例題 ③
このデジタルカメラは、3倍ズームのレンズで、画質も1000万画素と鮮明で、そのうえ値段は39,800円とお買い得の商品です。

全体像を示したあと、細かい説明に入ります。3つぐらいに分けると、わかりやすいです。そのとき「小見出し」をつけると、いっそうわかりやすくなります。販売員がお買い得品のデジタルカメラをPRしています。目的は、お買い得商品のPRです。その理由を3つ挙げています。

 【解答例】
このデジタルカメラは、お買い得品の商品です。理由は3つあります。①3倍ズームのレンズがついています。②画質が1000万画素と鮮明です。③価格が39,800円と安いことです。

 

 

形容詞を使うときは具体的に

 おもしろい、美しいなど形容詞を使うときには注意が必要です。「おもしろい人です」と紹介しても、どんな人かわかりません。具体的なエピソードを話さないとイメージできません。目に浮かぶように話します。

 

話すことは考えること

 センテンスが長いと、話の展開が非常にわかりにくくなります。できるだけ主語と述語を近づけるようにします。「話すことは考えること」、きっとビジネスの場でも役に立つはずです。

 

*例題は「NHKアナウンサーのはなすきくよむ 2003年版」より引用

 

 

 

 

 

 

09-1801

『読書について』 ショーペンハウアー

 

読書は他人の頭で考えることでしかない
必要なのは自分の頭で考えること

ショーペンハウアー哲学を
わかりやすく理解させてくれる
最良の入門書

 

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Arthur Schopenhauer  アルトゥル・ショーペンハウアー
1788-1860  ポーランド・リトアニア共和国グダニスク生まれ。ドイツの哲学者。1820年ベルリン大学講師となったが、当時ヘーゲル哲学が全ドイツを席巻、人気絶頂のヘーゲル正教授に圧倒され辞任し、在野の学者となる。主著は『意志と表象としての世界』。誰とも結婚せず、生涯独身のまま、その一生を終えた。1860年フランクフルトにて肺炎で死去。72歳没。ニーチェワーグナーをはじめ、哲学・文学・芸術の分野で後世に大きな影響をおよぼした。

影響をうけたもの 仏教、ゲーテ、カント、プラトンジョン・ロックシェイクスピアスピノザなど。
影響をあたえたもの アインシュタインフロイトユングモーパッサントーマス・マンマラルメニーチェヘルマン・ヘッセカール・ポパーサルトルツルゲーネフトルストイトロツキーワーグナーなど多数。

wikipedia・本書)

 

 『読書について』
「読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ」... 。率直さゆえに辛辣に響くアフォリズム(格言)の数々。その奥底には、哲学者ショーペンハウアーならではの人生哲学と深いヒューマニズムがあります。それが本書の最大の魅力です。(本書)

以下は本書からの抜粋です

 

 

本を読むとは他人の頭で考えること

 本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。たえず本を読んでいると、他人の考えがどんどん流れ込んでくる。自分の頭で考える人にとって、マイナスにしかならない。なぜなら他人の考えはどれをとっても、ちがう精神から発し、ちがう体系に属し、ちがう色合いを帯びているので、決して思想・知識・洞察・確信が自然に融合してひとつにまとまってゆくことはない。

 

多読に走るべきではない

 きわめてすぐれた頭脳の持ち主でさえ、いつでも自分の頭で考えることができるわけではない。そこで思索以外の時間を読書にあてるのが得策だ。読書は自分で考えることの代わりであり、精神に材料を供給する。その場合、私たちに代わって他人が考えてくれるが、その思考法は常に私たちとは異なる。だからこそ、多読に走るべきではない。精神が代用品に慣れて、それにかまけて肝心のテーマを忘れ、他人の考えで踏み固められた道に慣れ、その道筋を追うあまり、自分の頭で考えて歩むべき道から遠ざかってしまわないようにするためだ。

 

反芻し、じっくり考える

 本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻(はんすう)し、じっくり考えたことだけだ。ひっきりなしに次々と本を読み、後から考えずにいると、せっかく読んだものもしっかり根を下ろさず、ほとんどが失われてしまう。

 

本を選ぶときのコツ

 本を読む場合、もっとも大切なのは、読まずにすますコツだ。いつの時代も大衆に大受けする本には、だからこそ、手を出さないのがコツである。いま大評判で次々と版を重ねても、1年で寿命が尽きる政治パンフレットや文芸小冊子、小説、詩などには手を出さないことだ。あらゆる国々の、常人をはるかにしのぐ偉大な人物の作品、名声鳴り響く作品へ振り向けよう。私たちを真にはぐくみ、啓発するのはそうした作品だけである。良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから。

 

反復は勉学の母である

 本を買うとき、それを読む時間も一緒に買えたら、すばらしいことだろう。だがたいてい本を買うと、その内容までわがものとしたような錯覚におちいる。読んだものをすべて覚えておきたがるが、私たちはみな、自分が興味あるもの、つまり自分の思想体系や目的に合うものしか自分の中にとどめておけない。
 そのためにも「反復は勉学の母である」。重要な本はどれもみな、続けて2度読むべきだ。2度目になると、内容のつながりがいっそうよくわかるし、結末がわかっていれば、出だしをいっそう正しく理解できるし、印象も変わってくるからだ。

 

饒舌な者はなにも語らない

 手練手管を用いる書き手について「饒舌(じょうぜつ)な者は、なにも語らない」という言葉があてはまる。どんな場合でも抽象的な表現を選ぶ。これに対して知者は、より具体的な表現を選ぶ。具体的であるほうが、物事はあらゆる明白さの源泉である直観性になじむからだ。
 真理はむきだしのままが、もっとも美しく、表現が簡潔であればあるほど、深い感動を与える。たとえば人間存在のむなしさについて、どんなに熱弁をふるっても、ヨブの言葉以上の感銘を与えるものがあるだろうか。

「人は女から生まれ、つかのまの時を生き、悩み多く、花のように咲きほころび、しぼみ、影のようにはかなく消えてゆく」
旧約聖書ヨブ記』第14章1~2節)

 

 

後世に与えたはかりしれない影響

 ニーチェショーペンハウアーの主著との運命的な出会いは有名だ。ショーペンハウアーの没後5年たった1865年、ライプチヒ大学の学生だったニーチェは、古本屋の店先で分厚い本を目にした。本をパラパラめくると、「いかなるデーモンが私の耳元でささやきかけたのだろう。とにかく『持って帰れ』と言ったのだ」。その後、ニーチェは寝るまも惜しんでこの書に没頭、「あたかも私のために書いてくれた」かのように感じるほど衝撃を受け、ショーペンハウアーを「教育者」と呼んでいる。

 いっぽうロシアの文豪トルストイは1868年、『戦争と平和』の締めくくりとして「必然と自由」論を執筆しているとき、まさにショーペンハウアーの著作と出会う。「今私はショーペンハウアーは多くの人間たちの中でもっとも天才的な人物だと確信します ...  これは信じられないはっきりと、美しく照らし出された世界です」と絶賛し、大作『戦争と平和』を完結させている。

他にもスウェーデンの劇作家・小説家アウグスト・ストリンドベリやドイツの文豪トーマス・マンショーペンハウアーを「言葉の芸術家」と呼んだカフカや、精神分析の先駆者として尊重したフロイトなど、彼が後世に与えた影響ははかりしれない。

 

 

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

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