『比較文化論の試み』 山本七平

 

西欧と日本を対等に対比した
両者の比較文化論を試みる

 

比較文化論の試み (講談社学術文庫)

比較文化論の試み (講談社学術文庫)

 

 

山本七平(やまもとしちへい)

 1921- 1991。山本書店店主。評論家として、主に太平洋戦争後の保守系マスメディアで活躍した。1942年青山学院卒業即日入営。ルソン島に派遣される。帰国後に聖書を専門とする出版社、山本書店株式会社を創業。イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』を発売している。代表作に『「空気」の研究』『現代神の創作者たち』など。社会学者の小室直樹との親交が長い。また司馬遼太郎とは正義論について対談している。
 日本社会・日本文化・日本人の行動様式を「空気」「実体語・空体語」といった概念を用いて分析した。その独自の業績を総称して「山本学」と呼ばれる。

 

比較文化論の試み』あらすじ

 経済的破綻に更生はありえても、文化的破綻はその民族の自滅につながる。文化的生存の道は、自らの文化を、他文化と相対比することによって再把握し、そこから新しい文化を築くことしかない。とする著者が日本人とヨーロッパ人、ユダヤ人、アラブ人との差異を、ことばや宗教、あるいは法意識などを通してわかりやすく解明した独特の比較文化論。日本文化の特性が如実に浮き彫りにされ、私たち自身を見直すうえで絶好の書である。

 

ひとりよがりの日本人

 『虜人日記』という本に、日本の敗北の原因を二十一挙げてあるんです。非常に大きな特徴として、精神的に弱い面があったことを挙げている。著者の小松さんは敗戦・ジャングル・収容所を経験してきたんですけど、科学者ですから非常に的確な眼でこの状態を見ておられるわけです。
 その精神的な弱点がなぜ出てきたかという中に、「ひとりよがりで同情心がなかった」というのがあります。なぜそうなったかというと「日本文化というものが確立してないからだ」と氏は言う。日本文化ってのは「普遍性がなかった」。同時に反省する能力がなかった。これが日本がああいう状態になった一番大きな原因だと挙げておられるんです。

 

言葉を重んじる伝統

 われわれの社会では、すべて、なにごとも、ごく自然にやればよろしい、済んでしまって、その”ごく自然にやる”にはどうすればいいのか、箇条書きにしてくれという要求はないんですね。ところが西欧は昔から、なんでも言葉にしなくてはいけないという、極めて強い伝統があります。
 法則とか規定とか生き方とかいうものは、全部”言葉にしなければいけない”。そうしなければ、それの持つ力が発揮できないと考えていたわけです。われわれと大きな差があります。そしてこの差は、現代でもあるんです。
 「人間は裸と裸とで付き合えば、それが本当の人間の親愛だ」と、日本人同士なら言えるんです。ただ日本的な一民族国家ではない多民族多宗教国家群の中へいきますと、何もかも言葉にしないといけないんです。
 この”言葉にする”ことをロゴス化と言います。これは論理化でもいいんですけど、これがすべて、ことを始めるときの基本みたいに出てくるんです。「初めに言葉あり」という有名な「ヨハネ福音書」の冒頭の句がありますね。「言葉は神と共に有り、言葉は神なりき」と続きます。

 

互いの違いを認め合うことが重要に

 戦後、われわれは西欧の伝統の一つの帰結である民主主義と合理主義を、その伝統から切り離しうる一つの普遍的公理として輸入し、その公理に基づいて生活しているとの錯覚の上に生き、何か問題が起きると、その公理の適用が十分でないからだと考えつづけてきました。これは明治の考え方の延長線上の考え方です。明治はこの反動として超国家主義を生み出したわけです。
 では、われわれはどのようにすべきか。西欧であれ、われわれであれ、一つの伝統的文化の結実の上に生きているのであって、厳密にいえば、絶対に普遍化できない基本を共にもっているということです。簡単にいえば、日本文化の結実を公理として他国に適用することもできないし、その逆もできない。
 そして真に相互の理解を樹立しようと思うなら、お互いが別々であることを認めて互いに理解するという以外に方法はないでしょう。