きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

『笹まくら』 丸谷才一 戦争と戦後の意味を問う秀作

 

笹まくら (新潮文庫)

笹まくら (新潮文庫)

 

 

 

 打ちのめされて

 この『笹まくら』は米原万里の著書『打ちのめされるようなすごい本』で紹介されたおかげで、本書を読んで打ちのめされた? 読者も多いと思う。
 戦争中に徴兵をのがれて全国を放浪し、終戦をむかえ職につくが、不安の日々が続く... という緊張感のある小説。もしも自分が徴兵されたら諦めて応じるか、あるいはどんな手を使ってでも回避するか考えてしまう。丸谷才一の作品は他に『恋と女の日本文学』『輝く日の宮』『別れの挨拶』などがあります。

 

あらすじ

 戦争中、徴兵を逃れて日本全国に逃避の旅をつづけた杉浦健次こと浜田庄吉。20年後、大学職員として学内政治の波動のまにまに浮き沈みする彼。過去と現在を自在に往きかう変化に富む筆致を駆使して、徴兵忌避者(ちょうへいきひしゃ)のスリリングな内面と、現在の日常に投じる、その影をみごとに描いて、戦争と戦後の意味を問う秀作。

 

徴兵忌避について

 いわゆる兵役逃れだが、入隊中に逃れるのは「脱走兵」と呼ばれ、戦闘中に部隊から許可なく離脱すると「逃亡兵」となる。律令時代には兵役から逃れるために戸籍を女子にすることもあった。もちろん、兵役を免れるために逃亡や詐り行為のものは懲役に処せられる。第二次世界大戦中には大学などの理工系は兵役が免除されたため、進路を理工系にするものが増えた。国会議員の息子などは、軍属となることで兵役を逃れ、前線に比べ安全な内地にとどまるものもいたが、一般の市民が兵役を逃れた場合は村八分などにより、親族が肩身の狭い思いをすることや、厳しい官憲の監視があり、ほとんどが兵役についた。

 

国家からの逃亡者

 当時のエリートや文豪たちにも兵役を逃れるものが多くいた。徴兵忌避は国家からの逃亡者である。しかしあの時代、不可能と思われた逃亡に成功するものもいた。夏目漱石が戸籍を北海道に移したという事実から、それはもしかしたら徴兵逃れのためではなかったかと言われている。当時の北海道は選挙権もなく、徴兵制度もなかった。ひょっとしたら「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」は生まれていなかったかもしれない。あの放浪の画家、山下清が、戦争中に徴兵を逃れるために世外の人となって旅をし続けた姿もある。安部公房は徴兵を逃れて終戦満州で迎えた。三島由紀夫は、入営検査の時に軍医が気管支炎を肺浸潤(肺結核の初期)と誤診し帰郷となった。

 

なぜ「笹まくら」という題名なのか

 「笹まくら」とは鎌倉時代歌人の「これもまたかりそめ臥しのささ枕一夜の夢の契りばかりに」という歌から取られている。その歌を知った戦後の浜田庄吉は「(笹が)かさかさする音が不安な感じでしょうね。やりきれない、不安な旅 ... 」と解釈する。戦時中の逃亡生活を思い出しての解釈である。