きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

古事記・日本書紀 ドラマティックな物語 

 

世界で最も古い国、日本
そのルーツが古事記にあって
いまの私たちと繋がっている

 

自国の起源を知る

 世界で最も古い国、日本。そのルーツがこの古事記日本書紀にあって、現代の私たちとも繋がっている。よくもまあ、こんなかけがえのないものを遺してくれたものだとつくづく思います。でも、自国の起源を知らないのは、世界広しと言えども日本くらいかもしれません。
 古事記には、たくさんの神様や天皇のことが出てくるのですが、また桃太郎や、一寸法師、浦島太郎、因幡の白兎などの原形ともいえる話しも出てきます。それと近所にあるたくさんの神社・初詣に行く神社の由来、さらに国の成り立ち、祝祭日の起源、文化・精神までもが古事記につまっているのです。

 

古事記』はなぜ書かれたのか

 「この国や天皇の歴史は、真実とはまったく異なり、嘘偽りが加えられている。そこで、天皇の系譜や歴史、神々の物語を選び記して、この国の正しい歴史を後世に伝えたい」ー  第40代天武天皇のことばが、このように「序文」にあります。
 そこで、この使命を与えられたのが、稗田阿礼(ひえだのあれ)太安万侶(おおのやすまろ)の二人の天才でした。そして、30年以上かけて完成したのが古事記です。「古い事を記しました」という意味ですね。和銅5年(西暦712年)に上・中・下の3冊として完成し、天皇へ献上されたのですが、長いあいだ宮中に秘されて公表されませんでした。
 なお、日本最古の書『古事記』は、歴史書でもあり、文学としての評価も高く、日本の宗教・文化に今も多大な影響を与え続けています。

 

古事記』と『日本書紀』の違い

 古事記と同じく、第40代天武天皇の発案でつくられた歴史書が、日本書紀です。古事記と合わせて「記紀」と呼ばれます。両者は記されている内容が若干異なり、お互いに補完しあうような関係になっています。

日本書紀』30巻 720年完成(養老4年)
(漢文 外国向け)   

古事記』 3巻 712年完成(和銅5年)
(変体漢文 国内向け)

 簡単にいうと、古事記は日本人に読んでもらうように書いたもの、そして日本書紀のほうは外国人に読んでもらうために作られました。まあ、当時の外国人というのは、中国(唐)なんですが。でも、この頃にすでにグローバル・スタンダードという発想があったんですね。それは『日本書紀』が国外に向けて、日本という国の正当性や立場を示すためのものでもあったのです。

 

天皇日本国憲法

 日本国憲法には、誰が天皇か? とは書いてないんです。普通の国では、誰々を皇帝(王)とするとかありますが。どうしてかというと、天皇は建国する前から存在していて、むしろ天皇がいるから建国した、ということです。「精霊の守り人」にもでてくる「皇族は神の子孫」ということでしょう。

 

天皇の仕事はただひとつ

 だいたい国の王というのは民と対立していることが多いですね。悪政でいつかは王を殺してやるとか。しかし、日本の天皇は民と対立しないんです。
それは天皇の仕事が「民のために祈ること」で、民もそれをわかっていたからです。
 リンカーンが「人民の人民による ... 」と言ってましたが、日本は 2000年も前からそれを実践してきました。だからこれだけの長い歴史をつくれたのだと思います。


「愛と涙と勇気の神様ものがたり古事記」他引用

 

現代語古事記: 決定版

現代語古事記: 決定版

 

 

 

 

『阿弥陀堂だより』 南木佳士

 

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そう、こういう小説を読みたかったんです

 普段、この手の小説はあまり手に取らないのですが、読メで取り上げられていたので軽い気持ちで読んでみました。しかし、これが予想外に素晴らしく、久しぶりに良い作品に出会えました。お医者さんが書いた小説です。決して華麗でも壮大でもない、しかし、ひっそりとした山里の冬枯れした光景と取り巻く人々の美しさにすっかり心打たれました。寺尾聰樋口可南子主演の映画にもなっています。

 

あらすじ

 作家としての行き詰まりを感じていた孝夫は、医者である妻、美智子が心の病を得たのを機に、故郷の信州へ戻ることにした。山里の美しい村でふたりが出会ったのは、村人の霊を祀る「阿弥陀堂(あみだどう)」に暮らす老婆、難病とたたかいながら明るく生きる娘。静かな時の流れと豊かな自然のなかでふたりが見つけたものとは ...  

 

南木佳士(なぎけいし)

 昭和26年(1951年)群馬県出身。秋田大学医学部卒業。現在、長野県南佐久郡に住み、佐久総合病院に勤務。地道な創作活動を続けている。平成元年に「ダイヤモンドダスト」で芥川賞受賞。他に「医学生」「ふいに吹く風」「エチオピアからの手紙」など。

 

阿弥陀堂だより

 村の広報紙のコラムを書いている、声を失った助役の娘、小百合がおうめ婆さんのインタビュー記事を「阿弥陀堂だより」として載せていた。

... 目先のことにとらわれるなと世間では言われていますが、春になればナス、インゲン、キュウリなど、次から次へと苗を植え、水をやり、そういうふうに目先のことばかり考えていたら知らぬ間に九十六歳になっていました。目先しか見えなかったので、よそ見をして心配事を増やさなかったのがよかったのでしょうか。それが長寿のひけつかも知れません。

... お盆になると亡くなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやってきます。迎え火を焚いてお迎えし、眠くなるまで話をします。話しているうちに、自分がこの世の者なのか、あの世の者なのか分からなくなります。もう少し若かった頃はこんなことはなかったのです。怖くはありません。夢のようで、このまま醒めなければいいと思ったりします。

 

祖先の霊を守る大切な役割

 冬になると、集落は白一色に静まりかえる。炭火の暖房しかなく、身寄りのないおうめ婆さんを、町の老人ホームに入った方が楽に冬を越せるのではないか、などと九十六歳の老体を案じていた。おうめ婆さんに食料や炭を届けるのは区長が交代で月に一度行う役目になっていた。孝夫は区長の田辺のおばさんに聞いてみた。田辺さんは答えた。

 六川集落の祖先の霊は山にいる。古い霊ほど山の奥にいる。おうめ婆さんは阿弥陀堂に入った時点で里の人ではなく、山の人になってしまっている。我々よりもずっと霊に近い存在になってしまっている。
 おうめ婆さんは祖先の霊を守ってくれている人なので、こちらからお布施として食べ物を持って行くのはあたりまえなのである。祖先の霊を守る大切な役割を果たしている人なので、勝手に老人ホームに入れるなどとんでもない。

 おうめ婆さんに運ばれる食料が生活保護的なものではなく、祖先の霊を守ってくれているお礼として提出されているというのはすっきりした説明だった ...

 

透明感のある明るさが悲しみを救う

 はじめにもいったように、華美なところがまったくないんです。美智子のパニック障害の進行が気になるものの故郷の信州へ戻り、徐々に以前の自分を取り戻していきます。その過程は著者の実体験に基づくものでもあるらしく、共感する気持ちが自然に湧いてきます。そして、全体を通して透明感のある明るさが感じられるのです。読み終わって、自分が読みたかったのはこういう小説だったのだと、しみじみ思えるそんな1冊でした。

 

 

阿弥陀堂だより (文春文庫)

阿弥陀堂だより (文春文庫)

 

 

 

 

ガガーリンと神と宇宙飛行犬ライカ



まだ地球に帰還する技術がなかった?
 「地球は青かった」は日本だけ?
天に神はいたのか?


 

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1959年のルーマニアの切手
宇宙船スプートニク2号で飛び立った史上初の宇宙飛行犬イカ

 

宇宙飛行犬イカ

 1957年11月、ライカという名前の宇宙飛行士ならぬ宇宙飛行犬が宇宙に飛び立ち、地球を周回しました。ライカは2歳ぐらいの若い犬で、当時はまだ宇宙船が地上に戻るシステムと技術が確立されておらず、帰還することなく宇宙空間でその短い一生を終えました。ライカの死後も犬による宇宙飛行実験が 50回以上も繰り返し実施され、貴重な生体情報を獲得していきました。
 そして、ついに地上に戻るシステムが開発されると、1960年8月にベルカとストレルカという2匹の雌犬が地球を10回以上周回し、無傷で地球に帰還しました。
ガガーリンの有人飛行(1961年4月)が成功した背景には、ライカのような宇宙飛行犬たちによる知られざる貢献があったのです。

 

動物実験が繰り返された

 犬が実験動物に選ばれたのは、人間と強い絆を育むことができると考えられたからで、また宇宙服とトイレ開発が容易だったためという。モスクワで暮す野良犬だった2匹は条件を満たし、ロシアの科学者によって選び出され、そして、ウサギ、ネズミ、ラット、ハエ、植物、菌類とともにスプートニク5号に乗った2匹は、地球を18周し、無事帰還を果しました。

 

地球は青かった」が有名なのは日本だけ?

 さて、宇宙飛行士ガガーリンは、1961年4月12日、ソ連人工衛星ボストーク1号で地球の大気圏外を108分で1周し、人類初の宇宙飛行を果たしました。瞬く間に英雄となり、その偉業は人類史に新しいページを開いたのですが、それから7年後の1968年、ジェット戦闘機の飛行中に墜落死し、34歳の若さで他界してしまいました。
 ガガーリンといえば、この名言「地球は青かった」が有名ですが、これは正確な引用ではなく、正しくは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」が英語に翻訳される際、「地球は青かった」に変化して広まってしまったという説があります。日本では「宇宙からみた地球」を表すときの名言として知られていますが、それよりも他国では「天には神はいなかった。あたりを見回してもやはり神は見当たらなかった」の方が有名です。この言葉はキリスト教圏やアメリカ文化にショックを与えたといいます。しかし、記録にはその種の発言は残されていないとも。

天に神はいたのか

 ガガーリンの親友で宇宙飛行士のアレクセイ・レオーノフは著書の中で、ガガーリン自身が好んで語ったアネクドートという小咄(こばなし)で次の話しをしています。おそらく、この中の言葉が彼自身の言葉として一人歩きしているのではないかと言われています。

宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにロシア正教モスクワ総主教アレクシー1世が列席しており、ガガーリンに尋ねた。

総主教「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか」
ガガーリン「見えませんでした」
総主教「わが息子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように」

しばらくして、フルシチョフガガーリンに同じことを尋ねた。総主教との約束を思い出したガガーリンはさきほどとは違うことを答えた。

フルシチョフ「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか」
ガガーリン「見えました」

フルシチョフ「同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように」
(レーニンは宗教を否定しているので)

 Wikipedia他引用)

 

*DVD『ガガーリン世界を変えた108分』

 

 

 

 

 

 

 

 

『ぼくらの頭脳の鍛え方』 立花隆 佐藤優

 

「知の巨人」と「知の怪物」が
空前絶後のブックガイドを作り上げた

 

必読の教養書400冊 

 今、何をどう読むべきか? どう考えるべきか? 「知の巨人」立花隆と「知の怪物」佐藤優空前絶後のブックリストを作り上げた。自分の書棚から百冊ずつ、本屋さんの文庫・新書の棚から百冊ずつ。古典の読み方、仕事術から、インテリジェンスの技法、戦争論まで、21世紀の知性の磨き方を徹底指南する。
 掲載の400冊の書籍については、ぜひ本書を読んでください。教養のための基本書が満載です。

 

「知」の世界への入場券 

立花 脳と読書・読字の相関は脳科学の世界では常識です。日本語の場合、平仮名があって、片仮名があって、漢字がある。それで音と文字と意味とがそれぞれ微妙にずれている。脳はこうしたずれがあればあるほど、その複雑さに順応するために高次の発達をとげるんです。だから日本人の脳はすごくいい脳になった。かつて日本語をローマ字にしてしまえとか、志賀直哉が「日本語を廃止して、フランス語を採用せよ」なんて言いましたが、とんでもない話です。

 佐藤 毛沢東の「書物主義に反対する」(1967年出版)で、彼は文化大革命のときに、民衆を愚民化して操りやすくするためにはリテラシー、読書能力を落とせばいいと考えた。本を読めば読むほど人間は愚劣になる、余計なことは読んで考えるな、まずは行動せよ、と過去の論文を取り出して説いていたのです。中国のように本を読むのはエリートという伝統があるところで、読書文化を絶ち、思考する脳回路を停止させようとしたんです。

 

ウェーバー『職業としての政治』の本質

  立花 今、日本の政治は混迷を深めていますが、マックス・ウェーバーの『職業としての政治』(角川文庫)を挙げました。これは訳によって一番大事なところの訳語がズレている。どの部分かというと、政治で一番大切なのは目で距離を測ること、目測能力だと言っているところ。「目測」という訳語がいちばんしっくりくるんですが、そう訳されていないものが多い。この政治における目測の重要性をちゃんと分かって引用していたのが中曽根康弘です。
剣道では相手の剣の切っ先を見切ることが大事なんです。相手の切っ先の限界より踏み込むと危険だから、その限界を見切る能力が一番の根本なんですね。先ほどの目測力は、この見切りの能力と同じことです。

 

古典や文学について

立花 僕は大学生のときの読書の八十パーセントが小説だったんです。ところが文藝春秋に入社したせいで小説を読むのをやめてしまった。当時の上司に「おまえ、小説ばっかり読んでちゃダメだぞ」と言われて、小説以外の本を読み始めたんです。そしていかに自分がモノを知らなかったか痛感しました。
それでも挙げ出すときりがないんですが、近松や朔太郎、芭蕉など、どれか一作品を挙げることはできませんが、日本語としてすばらしい。日本語の魅力を知るためにもこの三人の作品は読むべきです。

 

インターネット時代の読書

立花 ネット空間にも、本になっているものより水準の高い論文などが山のようにあります。ただ、そういう水準のものに出会う確率は相当低い。グーグルでキーワードを入れて検索するにもやはり基本的な教養が必要です。

 

戦争こそ必須の教養

立花 戦争では、民族も国民性も科学技術も文明も、すべてが凝縮されて表れますからね。戦争について知ることは現代人にとっても必須の教養でしょう。戦争において、弾薬とか食糧をいかに補給するかが決定的な役割を果たすことを明らかにしたのが、『補給戦ー何が勝敗を決定するのか』(中公文庫)です。十九世紀のナポレオン戦争から第二次世界大戦ノルマンディ上陸作戦まで、補給戦がどれほど大切かを分析しています。日本軍も補給戦に失敗したんです。その実例が、『失敗の本質ー日本軍の組織論的研究』(中公文庫)。太平洋戦争では戦闘で死んだ兵士より、餓死した兵士が圧倒的に多いんですね。

 

立花隆による「実践」に役立つ十四条(*抜粋)

*金を惜しまず本を買え
*ひとつのテーマについて、必ず類書を何冊か求めよ
*自分の水準に合わないものは無理して読むな
*速読術を身につけよ
*本を読みながらノートを取るな
*注釈を読みとばすな
*疑って読め
*何をさしおいても本を読む時間をつくれ

 

 

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)

 

 

 

 

百人一首 「歴史的仮名遣い」


昔のかなづかい
歴史的仮名遣い」

昔は今とかなの読み方がちがいました。
代表的なルールと例を紹介します。

 

① 語の頭以外の「はひふへほ」は「わいうえお」と読む。
かは → かわ
こひ → こい
いふ → いう
にほい → におい

②「ゐ」は「い」、「ゑ」は「え」、「を」は「お」と読む。
くれなゐ → くれない
こゑ → こえ
をとめ → おとめ

③「ぢ」は「じ」、「づ」は「ず」、「む」は「ん」と読む。
かぢ → かじ
みづ → みず
散るらむ → 散るらん

④ その他
あふさか → おうさか
けふ → きょう
てふてふ → ちょうちょう

 

てふ わが名はまだき 立ちにけり
こひ→こい てふ→ちょう
人知れずこそ 思そめしか 壬生忠見
        ひ→い

 

恋をしているという私のうわさは早くも世間に広まってしまいました。だれにも知られないように、心の中で思いはじめたばかりなのに、という意味です。

恋すてふ
恋をしているという。「てふ」は「といふ」が短くなった形。

わが名はまだき
私のうわさは早くも。

人知れずこそ
人に知られないように。

思ひそめしか
恋しはじめたのに。「しか」は「~なのに」という意味。

 

うわさが広まってしまった芽生えたばかりの恋心

 『天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ) 』で平兼盛と対決したときに詠(よ)まれたものです。兼盛が想像で詠んだのに対して、壬生忠見(みぶのただみ)の歌は実際の体験を歌にしたものだといわれています。だれにも知られないようにかくしていた恋心が、周りに知られてしまったとまどいが素直に表現され、純粋さが伝わります。
 摂津国兵庫県)の下級役人だった忠見は、歌合のためにはるばる都にやって来ました。歌合に出るのは名誉なことで、勝負に負けた忠見は食欲がなくなり亡くなったともいわれています。

 

西東社百人一首大辞典引用)

 

 

 

 

 

 

 

『菜の花の沖(二)』 司馬遼太郎 嘉兵衛、船を持つ

 

あらすじ

 江戸時代後期、日露関係のはざまで奇数な運命をたどった高田屋嘉兵衛の生涯を克明に描いた雄大なロマン。(全六冊)

 海産物の宝庫である蝦夷地からの商品の需要はかぎりなくあった。そこへは千石積の巨船が日本海の荒波を蹴たてて往き来している。
海運の花形であるこの北前船には莫大な金がかかり、船頭にすぎぬ嘉兵衛の手の届くものではない。が、彼はようやく一艘の船を得た、永年の夢をとげるには、あまりに小さく、古船でありすぎたが...

 

鰹節

妻のおふさにとって嘉兵衛という男は、いくらながめていても飽きがこないところがある。たとえば長崎から帰った日、嘉兵衛は木片のようなものを二十本ばかりおふさの前にほうりだした。
「これなに?」
おふさがのぞきこむと、みやげだ、といった。
とりあげてみると、鰹節(かつおぶし)であった。

鰹節は加工の面倒な商品で、おふさや嘉兵衛の田舎である淡路などで自家でこれがつかわれることはまずない。ふつう、調味料といえば、だしジャコとよばれる子鰯(カタクチイワシ)であった。煮干、イリコ、ホシコなどといわれるものである。
... 自分の船を持ちたい嘉兵衛は「黒潮の流れている海まで出て、鰹をざぶざぶと獲りたい。松右衛門はいった「おお、わしは風の中で金をつかんだ。風のかわりにお前は鰹でつかもうというのか」

「おふさ、これが鰹節のだしというものか」
嘉兵衛は家庭で鰹節をつかったものを口にするのは、うまれてはじめてだったのである。
「なんと、美味なものであるなあ」
「これは土佐節か」
「伊豆節」
と、おふさが削りあとのある節をみせた。この時代の伊豆節は土佐節よりもかび付けという加工の一過程で劣っていた。それでもこれほどうまいとあれば、土佐節はどれほど旨かろうと他愛もなく思ったりしている。
「でも、土佐節ではもったいない」
おふさがいった。

それにしても嘉兵衛は鰹節を考案した人間というのはえらいものだと思った。鰹も干物にされた。この魚肉は干せば硬くなるため、古くは堅魚(かたうお)とよび、やがてカツオという音に変化した。後世、生魚を鰹と言い、干したものを鰹干し(鰹節)とよんで分けた。言葉が「鰹干し」から「鰹節」に変化するころには、複雑な加工過程をへた商品としての鰹節ができあがっている。この変化は江戸時代の初期を過ぎたころからである。この考案と完成は、紀州熊野でおこなわれた。ところが。鰹節生産にかけては土佐の成長は目をみはるばかりで、土佐藩はこの製造を準藩営にした。
「御用節」と名づけた。「鰹座」という独占の同業組合があり、評判も市場占有率も本家の熊野の節をおさえこんでしまった。
(わしは、据浜はいらん)
と、嘉兵衛は思っていた。据浜とは寄港権とそこで獲れた鰹を節にする設備の所在地という意味である。五百石ほどの廻船を借りて、そこに製造設備を積めばよいのではないか。嘉兵衛はおふさに自分の脳裏に湧く考えをつぎつぎに話した。かれが考えている鰹船の設計図もかいて見せてやった。おふさは
お船のお金をどうするのかしら)
と、内心、小くびをひねった。

 

薬師丸

 その後、嘉兵衛が江戸滞在中に兵庫から飛脚の手紙が届き、和泉屋伊兵衛が嘉兵衛のために十両で買った薬師丸という破船があるが、もしその気があるのなら検分し、修繕できるものならそのようにして兵庫まで乗って帰るがよい、あるいはそれをもって伊豆や安房沖を走って鰹を獲るのもよし、なんなりと存念どおりにせよ、というものであった。

 

 

菜の花の沖(二) (文春文庫)

菜の花の沖(二) (文春文庫)

 

 

 

 

 

『ヴェニスの商人』 シェイクスピア

 

シェイクスピアは芝居を通してこの世のありようを描き、微妙な心理描写を付け加える台詞の天才

 

 

 

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ウィリアム・シェイクスピア  William Shakespeare
1564-1616  国籍はイングランド王国。劇作家、詩人。約37編の史劇・悲劇・喜劇を創作。47歳で突如隠退、52歳没。シェイクスピアは作家ではなく脚本家なので彼の作品には原作の存在するものも多数存在します。しかし彼は豊かな感性と才能で微妙な心理描写を付け加えるなど、人間の喜怒哀楽が会話の中に妙味とともに巧みに描かれており、原作よりも深みのある作品に仕上げているとされています。

 


ヴェニスの商人』あらすじ

 ヴェニスの若き商人アントーニオは、恋に悩む友人のために自分の胸の肉一ポンドを担保に悪徳高利貸しシャイロックから借金をしてしまう。ところが、彼の商船は嵐でことごとく遭難し、財産の全てを失ってしまった。借金返済の当てのなくなった彼はいよいよ胸の肉を切りとらねばならなくなるのだが... 
機知に富んだ胸のすく大逆転劇が時代を越えてさわやかな感動をよぶ名作喜劇。

 

作品の背景

 中世イタリアの物語集「イル・ペコローネ」に、養父が肉一ポンドの証文を書いてユダヤ人高利貸しから金を借りたおかげで、ヴェニスの若者がベルモンテの美女と結婚でき、その美女が男装して裁判官となり名裁きを行うという本の話があります。

 

現代にも意味をもつ作品

 1814年にエドマンド・キーンがシャイロックを悲劇の主人公として演じて以来、この作品は単なる喜劇ではなくなった。とくにユダヤ民族迫害の歴史を踏まえると、シャイロックの悲哀には深刻な訴えがこもる。あたかも自分たちが正しいかのように振る舞うキリスト教徒たちは偽善者なのではないか。果たしてシャイロックに改宗を無理強いする権利があるのか。現代においても、いっそう大きな意味をもつ作品だろう。
 なお、日本で初めて演じられたシェイクスピア作品は、本作品を脚色した『何桜彼銭世中(さくらどきぜにのよのなか) 』(1885)で、船問屋紀伊国屋伝二郎の肉を切り取ろうとする高利貸桝屋五兵衛の訴えに、学者中川寛斎の娘玉栄が男装して名判官ぶりをみせる。

 

名台詞

悪魔も聖書を引用する、都合のよいようになる(第一幕第三場)
シャイロックを毛嫌いするアントーニオは、金を借りるときにも、シャイロックを悪魔と呼ぶ。激しい民族差別が劇の根底に流れる。

ユダヤ人には目がないのか? 手がないのか。内臓が、手足が、感覚が、愛情が、喜怒哀楽がないとでもいうのか? (第三幕第一場)
まさか証文どおりにアントーニオから肉一ポンドを取るつもりではあるまいなとキリスト教徒のソラーニオやサレーリオに言われて、これまでずっとユダヤ人を差別してきたアントーニオに復讐するために裁判に訴えるというシャイロックの台詞。感動的な見せ場。

 慈悲とは、無理に搾り出すものではない(第四幕第一場)
裁判官を務めるポーシャは、まずシャイロックに慈悲を求める。だが、シャイロックが頑として証文どおりの裁定を望むので、ポーシャは相手が望む以上に証文どおりの判決を下すことになる。

 しばし待て。まだ続きがある。
この証文は血一滴たりともそのほうに与えていない(第四幕第一場)
ポーシャは、証文どおり、肉一ポンドはおまえのものであるから切るがよいと述べてシャイロックを喜ばせる。しかし、証文には血のことは書かれていないため「血を一滴でも流したら財産を没収する」と宣告する。愕然(がくぜん)としたシャイロックは訴えを取り下げる。

 待て、ユダヤ人。
当法廷はまだそのほうに用がある(第四幕第一場)
ポーシャは退廷しようとするシャイロックを呼びとめ、ヴェニス市民の命を狙った罪ゆえに、その財産は没収、命は公爵の慈悲に委ねると宣告する。結局、キリスト教に改宗するなら、財産の半分をシャイロックの娘夫婦に譲るだけで許すという ” 慈悲 ” をかける。

 あんな小さな蝋燭(ろうそく)の光がなんて遠くまで届くことでしょう!
良い行いも、悪い世の中をあんなふうに照らすのね(第五幕第一場)
ベルモンオトへ帰って来たポーシャが自宅の灯を見て言う台詞。

 

 

 『あらすじで読むシェイクスピア全作品』から抜粋

ヴェニスの商人 (新潮文庫)

ヴェニスの商人 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 04-1934