『ぼくはこんな本を読んできた』② 立花隆の読書論

 

 本書には知的好奇心のすすめや読書論、書斎、仕事場論などについて語られ、また立花隆の中学生のときの作文(読書記録)も披露されています。今回は本書から「見当識」という言葉についてと、紹介されている本のなかで『豊臣秀吉朝鮮侵略』を取り上げます。

 

見当識」という言葉

 医学の世界には「見当識」という言葉があります。病院で患者の意識レベルがどんどん低くなっていったときに、それがどのくらいのレベルにあるかを判断するために、まず、見当識の調査をやるんですね。これは非常に単純な質問で調べられるんです。患者さんに「ここはどこですか」と聞く。それから「あなたは誰ですか」「いまはいつですか」と聞く。そういう3つの質問をするんです。これが見当識の調査なんです。

 「ここはどこ」というのは、空間的に自分を定位づけるということですね。「あなたは誰」というのは、50億の人間が住んでいる人間社会の関係の中で、自分という人間を定位づけるということです。この3つの定位づけをきちんとできる人が、正常な意識を持った人間とされるわけです。

 この質問に答えられずに、「ここはどこ」と聞いても、そこがどこだか答えられない人は、意識レベルがかなり低下していると判断されるわけです。病院の検査では「ここはどこ」と聞いて、「〇〇病院」と答えればいいことになっています。また「あなたは誰」という質問には名前を言えばいいし、「いまはいつ」という質問には日時を言えばいい。けれどもそれが、本質的な意味でこれらの質問への答えになっているかというと、まったくそうではない。「ここはどこ」という問いをどんどん問いつめていったら、この宇宙というのはどういう世界なのかということを考えざるを得ない。また「あなたは誰」という問いにも、本質的に答えようと思ったら、無限の説明が必要になるわけです。「いまはいつ」というのも同じことです。そもそも時間というものは、人間にはぜんぜんよくわかってないわけですね。

 実はこの3つの見当識に対する答えというのは、人類が人類史の総体をかけて、なんとか探り出そうとしてきた目標そのものなんですね。本質的な意味では、その答えはいまだ得られていない。得られていないからこそ問い続けて、どんどん知的欲求を膨らませていく結果になったわけです。この3つの質問に、本当に深いレベルで答えようとしてきたことが、われわれのすべてのサイエンス、文化、文明というものをつくってきた原動力になってきたのではないかと思います。そういう意味において、知的欲求を持つということは、ヒトの社会を支える基盤そのものであり、一人ひとりの個人にとっても、これはものすごく大事なことなんです。

 

豊臣秀吉朝鮮侵略

 戦争責任問題などで、日本と韓国の間に摩擦が起きるとすぐに、向こうの人の反応に、日本は豊臣秀吉以来朝鮮を侵略してきた侵略国家だというような声が出てくることが多い。何もそんな昔のことまで引っぱり出さなくてもいいではないかと思っていたが、本書を読むと、韓国人の間にそういうこだわりが残っているのも無理はないという気がしてくる。

 秀吉の「尽く彼国人を殺し、彼国をして空地となさん」(小早川秀秋に与えた指示)という命令に従って、どんどん朝鮮人が殺されたのである。朝鮮人を殺した数が戦功となった。その数を確認するため「鼻切り」が行われた。切った鼻を軍目付のもとに差し出し、数を確認して鼻請取状をもらった。その鼻請取状が今でも残っており、写真版で収録されている。鼻は塩漬けにして石灰をまぶし、壺に詰めて秀吉のもとへ送られた。鼻は死体から切り取っただけでなく、生きてる人の鼻もどんどん切った。そのために「其の後数十年間、本国の路上に鼻無き者、甚だ多し」と当時の資料にある。

 また人狩りもさかんに行われた。朝鮮人強制連行がこの当時から行われたわけだ。朝鮮から撤退する日本軍の船には、日本兵と、強制連行される朝鮮人がほぼ半々だったという。それが本当なら、朝鮮遠征の日本軍は約14万人(第二次出兵)だったから、大変な数の朝鮮人が連行されたわけだ。連行された朝鮮人は主として農業労働者として働かされたが、かなりの数がポルトガルの奴隷商人に売られ、ヨーロッパに転売されたという。

 追記(耳塚・鼻塚)
 日本軍は戦果の証拠として朝鮮兵士や民衆の鼻だけでなく、耳もそいで秀吉のもとへ送り届けた。そのとき送られた2万人分の鼻や耳が、京都の豊国神社近くの耳塚に埋められたという。

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京都市東山区(耳塚・鼻塚)Wikipedia


 
 

ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫)

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