きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

生は偶然、死は必然 

 


死は、生命の最高の発明
スティーブ・ジョブズ

誰も死にたくない
天国に行きたいと思っている人間でさえ
死んでそこにたどり着きたいとは
思わないでしょう

死は我々全員の行き先です
死から逃れた人間は一人もいない
それは、あるべき姿なのです

死はたぶん、生命の最高の発明です
それは生物を進化させる担い手
古いものを取り去り、新しいものを生み出す

いま、あなた方は新しい存在ですが
いずれは年老いて、消えていくのです
深刻な話で申し訳ないですが
真実です

 

新たなる見解

 「発明」とは、従来みられなかった、新規なものや方法を考え出すことであって、新たなる見解が持てるということ。新境地に立てるということ。そう考えると「死」と向き合って、自分の人生が「有限」だと理解することは、場当たり的な人生の生き方を改めさせ、確かな一歩を歩いて行こうと奮起させる、最高の発明です

 

仏教思想の影響

 ジョブズは、曹洞宗の僧侶である乙川弘文氏を師事し、仏教を改めて学ぶようになりました。彼から禅について学び、精神的に救われたと言われます。成功者となりお金に困らなくなった時でも質素な生活をしていたのも、Apple製品に見られる徹底したシンプルさも、仏教思想の影響があったのでしょう
 人はいろいろな条件がかさなって偶然に生まれ、そして「命」は必ず死を迎えます。お釈迦様の、生は偶然、死は必然、を思い浮かべてしまいます。

 

 

 

 

 

『坊っちゃん』 夏目漱石

 

坊っちゃん (新潮文庫)

坊っちゃん (新潮文庫)

 

 

坊っちゃん』あらすじ

 子どものころから無鉄砲で直情型の ” 坊っちゃん ” 。数学教師として着任した中学で手の焼ける生徒たち、臆病で無気力な同僚、ろくでもない教頭との葛藤を繰り返す。正義感に突き動かされ、反撥を重ねた末に ...

 

テンポがよく痛快

 「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」で始まる「坊っちゃん」は明治39年(1906)、雑誌『ホトトギス』に「吾輩は猫である』と同時に発表されました。語りが生き生きしてて、テンポがよく痛快です。その根底には「尋常なる」生活者のように生きかつ書いたことでしょう。文壇という別世界にではなく、いつも世間の習俗の只中に身を置いて仕事をしていたのです。作家である以上、その眼に映じる人間の真の姿を描かずにはいられない。ところで、夏目金之助(本名)は東大英文科を特待生として卒業し、大学院にも進学。文部省の命で英国留学し、その後、朝日新聞社に入社。いわば、エリートでした。そこに漱石という人間のユニークさが潜んでいるのかもしれません。ぜひ巻末の注釈も読んでください。「坊っちゃん」をより楽しめます。

 

愛する「清ばあさん」の存在

 この小説をいっそう面白くしているのは、清の存在するところが大きい。10年来召し使っている清と云う下女(女中)。
 母が染んでから清は愈々おれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。
 もう松山へ立つと云う三日前に清を尋ねたら、風邪を引いて寐ていた。田舎へ行くんだと云い、「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
 おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落とした。おれも余り嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。
 その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。

 

 

 

サンクトペテルブルク地下鉄爆発について

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先日のサンクトペテルブルクの地下鉄爆発について、Facebookでの投稿記事が目に止まったので、シェア(転載)させていただきます。以下にその全文です。

 

去年、モスクワの人がちょっとだけホームステイしにきた事もあり、様子を聞いてみたところ、意外な話が飛び出した。4月3日、メトロが全面閉鎖で大混乱になるなか、周囲の支援が自然発生的に動き出したと語る。

- UberとYandex taxi(Yandexはロシア版、Yahoo/Googleみたいな会社)がメトロの代わりに無償で人を輸送し始める
- ガソリンスタンドも無償で応援
- レストラン、フードショップが無償で提供
- 街の人もこぞって帰宅困難者を支援

といった状態になり、ロシア随一の文化都市サンクトベルクの実力を発揮したとか。しかし、モスクワだったらそうはならないと。出稼ぎ労働者だらけで帰属意識低そうだし、巨大だし、なんか殺伐としてるし、確かにそうかも。

写真はエルミタージュの広場。学生さんとインテリの街のサンクトは人の距離感が程よく知的な感じの人の多い、運河が多く景色が綺麗な本当に居心地の良い街だった。 まったく、ひどい事する人がいたもんだ。

パリのテロでも現地の人が取材で言ってたけど、こう言う時こそ友愛に気を向けて怒りに飲まれてテロリストの思惑に乗らないようにしないとね、と思った次第。

それと常々感じていたロシア人の国民性。 なんと言うか大事となれば騒がず、腹を決めてそれぞれ黙々とやるべきことをする印象が今回も裏付けられたな、って感じ。ウクライナの政治家も言ってたけど、ロシアと戦争したらアカン、と言うのは本当なんでしょう。


 

 

『ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方』 苫米地英人

 

 

ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方 (PHP文庫)

ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方 (PHP文庫)

 

 

困窮から抜け出したい
人生をより豊かなものにしたい
そう望む人への道標


「速読脳のつくり方」より大切なもの

 いきなりですが、本書におけるテーマは「速読について」というより、どうも別にありそうです。  時代が大きく変化するいま、どうしたら困窮から抜け出せるのか、そんな課題に「年収と読書量は正比例する」は何を示唆しているのか、また恐竜はなぜ滅びたのかを例にとり、生き残り策はあるのか、について明快な回答を示しています。そして最後に、もう一つの職業「人の役に立つ職業」をもちなさい、という。

 

年収と読書量は正比例する

 読書習慣をもつだけで、情報勝者になれるのがいまの日本だ。日本経済新聞社産業地域研究所の調査によると、年収の高い人ほど書籍や雑誌の購入費が高いという結果が出ている。一部の富裕層とワーキングプア。日本人の収入格差はこれからさらに広がっていくことだろう。富める者はさらに富み、貧しい者はそこから抜け出す術すら見いだしにくい状況が今後も続く。
 しかし、「年収と読書量は正比例する」は、その状況を打破するうえで、とても示唆に富んでいる。どうやったらいまの困窮状態から抜け出せるのかと、誰もが模索している中で、「ともかくむさぼるように本を読め、そうすれば出口は必ず見つかる」といっているわけだから。まずは速読など使わなくていいから、本を読むこと、そうすれば自ずと知識量は増えていく。その知識は速読をする際にも有利に働き、さらに多くの本が読めるようになる。

 

日本人の半数が本を読まない

 文化庁が行った「国語に関する世論調査」を見ると「1か月に1冊も本を読まない」と答えた人が全体の46.1%にものぼっている。なんと日本人の半数近くが本を読む習慣がない。また、「月に1、2冊は読む」と答えた人が36.1%、「月に3、4冊」が10.7%という結果。このことから月に3冊読めば、読書家として胸を張れるのがいまの日本だということ。

 

なにを読めばいい?

 読むジャンルについては、小説がベストだという。小説が IQを高めるのには最高の活字媒体だから。「小説を読んで涙を流す」ことで脳は登場人物のキャラクターや境遇を脳内空間の中でしっかり構築している。でなければ、涙を流すことなどできない。文字情報を脳内で、立体的に臨場感をもって構築する能力は、そのままIQを上げるのに直結する、と。
 しかも、小説は情報量も莫大。例えば、時代小説や経済小説は、綿密な下調べをしたうえで書かれている。その1冊を書くために作者は数十冊もの本を読み、資料をあさり、関係者に取材してから書いている。あなたの代わりに作者が本を読み、取材までし、自分の経験談まで吐き出してくれて1冊にまとめたのが小説なのである。

 

恐竜は滅びる !?

 日本の新聞業界、出版業界は今後も大きく変わっていくだろう。その変わり方は決していい方向ではない。出版、新聞各社の迷走に代表されるように、氷河期に向かって進んでいく。一般企業にも言えることかもしれない。つまり、恐竜は滅びる。
 時代が大きく変化するとき、大型化してしまった動物は生き残ることができないというのは、アメリカの新聞業界がすでに証明してしまった。その逆に氷河期に強いのは小型の動物だ。小型の書店、編集プロダクションといったフットワークの軽いところは、大きな利益を見込める可能性が出てくる。

 

小型化と知識量

 さて、一番重要なのはそれがなにを意味するのかということ。私たちはこの現実をにらみながら、どう生きていくかということ。
 サバイバルのヒントは何だろう。それは小型化と知識量だと言う。大型動物が倒れる中で、小型動物がそのニッチに入り込むことで生態系の主役の座を奪うことができる可能性があるということ。生き残ることが、主役の座を奪うことにつながる。

 

生き残り策

 ところで、恐竜はなぜ滅んだのか?  その後、地球上で繁栄するほ乳類たちは、なぜ氷河期を生き残れたのだろうか。答えは、地球環境が変わった後に恐竜のような大型動物には目の前にあるエサがエサとして見えていなかったということ。エサとはこういう形のものだという思い込みが、目の前にある食べ物を認識できなくさせてしまった。要は「本は紙でつくるもの」「著者印税は〇%」といった思い込みだ。恐竜はこういうものから外れるものをエサと見なさない。だから死ぬのだ。目の前にある草や昆虫、もしかしたら石だって食べられるかもしれない。しかし、ティラノサウルスには肉しかエサではなかった。肉しか食べ物として記憶できない。
 白亜紀末、宇宙から隕石が落下して地球の環境が変わったときに、彼らは食べ物がなくなったと思ってしまったがそうではない。食べ物がなくなったのではなく、食べ物の形が変わっただけ。ここに気づかなければならない。では、変わってしまった食べ物に気づくためにはなにが大切なのかといえば、結局ここでも知識量になる。知識の質ではなく、あくまで必要なのは知識の量。圧倒的な知識量がまずあって、その裏付けの上でしか、これらの「質」は評価されないということだ。

 

必ず出口は見つかる

 格差社会の現状において、困窮から抜け出したい、より人生を豊かなものにしたい、そのためには「ともかくむさぼるように本を読め、そうすれば出口は必ず見つかる」と。そして「小型化と知識量」という考え方も重要になるでしょう。いずれにしても、たくさん本を読むこと、そこに答えが必ずあるのだと。

 

もう一つの自分をもて

 読書の真髄は、新しい知識に触れることであり、新しい考え方に触れること。あなたの人格では見えなかったものが、著者の人格になる読み方なら見えてくる。たとえば、太宰治を読む前と、読んだあとの世界は違って見えた気がしませんでしたか。それは三島由紀夫芥川龍之介などもしかりです。読書をすればするほど、著者になりきることが容易になっていく。
 こうした自分以外の人格をもつことは、建設的なことに使うべき能力です。ここで著者は、脳的な理由でもう一つ仕事をもて、もう一つの人格をもて、といってます。それはお金になるか、ならないかは問題ではなく、二つの人格をもつこと、そのことにこそ意味があるのだという。

 

儲かることを優先してはいけない

 もう一つの人格をもつとは、二つの職業をもつこと。もう一つの「職業」とは、お金儲けのためでなく「人の役に立つ」ということで、要はお金にならなくても、人の役に立てば「職業」なのです。
 こう聞いて「それは理想論で、やっぱりお金にならないのは職業とはいえない」と思ったとしたら、それは、あなたが従来の貨幣経済に洗脳されている証拠です。
もう一つの人格は徹底的に人のために使ってみませんか。人類がみなそう思えば、世界は間違いなく変わるでしょう。あなたの親もあなたの子供も、そしてあなた自身も住みやすい世界になっている。もう一つの人格の報酬をしいていうなら、この住みやすい世界ということになるのだと思います。これは報酬の中でも、最高のものではないかと思うのです。

 

 

 

親孝行とは「演技」することです

 

みうらじゅん語録

 

親孝行とは「演技」することです
形から入れば、心は後からついてきます

 

辛いこと嫌なこと全てに
”ブーム” と ”プレイ” という言葉をつけてみる
親孝行プレイ、残業プレイ
甘いもの断ちブーム ...

 

第二次世界大戦っていうネーミングも
第一次、第二次とくれば絶対、
第三次が起きるに決まってるじゃん
「完結編」て打てばいいのに

 

「出来ない」ということが
どれだけ地球に優しいのか、を
考えてみてください

みんな自分の可能性を試しすぎて
「オレ、これも出来るんじゃないか、
あれも出来るんじゃないか」
そう言って鼻息を荒くして CO2を
排出してるんですよ

 

落語でいう「枕」の部分を
大事にしないといけないんですよ
そうしないと興味ない人は聞いてくれないから

 

苦手ということは好きになる要素があるわけで
苦手だから面白いってこともある

 

話し3倍だね。話し3倍じゃないと
人は聞かないから
人の趣味なんてもともと面白くないから
そのまま言ったんじゃ誰も聞かないよ

 

得をすると妬まれるけど損すると面白がられる
僕がバカ業をやっていけるのも
損をしていると思われているから

 

”面白い”って思い込みだから
自分を洗脳すれば操作できるんですよね
面白くないっていう感想は
受け身だから出る考え

 

そもそも存在しない将来に期待なんて
し始めたら不安で仕方なくなる
だから僕は努力して頭をバカにしてる
展望なんて作るな、目標に到着出来なくても
焦るな、他人と比べるな

 

そもそも自分の考えなんて
鼻くそみたいなもんです

 

青春の正体は「無責任」だよ
無責任になれば青春時代は戻ってくるよ

 

大人になると誰かれなしに
ホメてもらいたいんだけど
みんながそう思ってるのでなかなか
順番は回ってこない
だから大人は淋しいんだ

 

 

みうらじゅん(三浦 純)
1958年京都出身
武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒
漫画家、イラストレーター、タレント

 

 

 

 

『とんび』 重松 清

 

とんび (角川文庫)

とんび (角川文庫)

 

 

あらすじ

 昭和37年、ヤスさんは生涯最高の喜びに包まれていた。愛妻の美佐子さんとのあいだに待望の長男アキラが誕生し、家族3人の幸せを噛みしめる日々。しかし、その団らんは、突然の悲劇によって奪われてしまう。
 アキラへの愛あまって、暴走し、時に途方に暮れるヤスさん。我が子の幸せだけをひたむきに願い続けた不器用な父親の姿を通じて、いつの世も変わることのない不滅の情を描く。魂ふるえる、父と息子の物語。(本書より)

 

堀江貴文推薦の一冊

 2006年に証券取引法違反の容疑で逮捕されたホリエモンこと堀江貴文が、長野の刑務所に収監されていた間に1,000冊に及ぶ本を読んだという。小説からノンフィクション、伝記ものから歴史もの、ベストセラーからマニアックな学術書まで、せっかくの機会だと思ってとことん読みあさったそうです。。その中で、もっとも感動した小説が、この「とんび」だったと。NHKとTBSでそれぞれドラマ化されたこともあり、読んだことのある人も多いと思います。堀江さんは、過去の自分と重ね合うところがあり、また収監中の感傷的な気持も手伝ってか、本を読んでこれほど泣いたことはない、というくらい滂沱の涙を流したといいます。

 

 

『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 


 

初の自伝

 村上春樹が、はじめて自分自身について真正面から綴った書き下ろしの自伝です。1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走り始めた。それ以来、世界各地でフルマラソンや100キロマラソン、トライアストンレースを休むことなく走り続けてきた。

 

そうだ小説を書いてみよう

 小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。1978年4月1日の午後1時半前後だ。その日、神宮球場の外野席で一人でビールを飲みながら野球を観戦してた。僕は当時からかなり熱心なヤクルトスワローズのファンだった。空には雲ひとつなく、風は暖かく、文句のつけようのない素敵な春の一日だった。
 僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだった。晴れわたった空と、緑色をとり戻したばかりの新しい芝生の感触と、バットの快音をまだ覚えている。そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれをたしかに受け取ったのだ。

 

文芸誌の新人賞に応募

 秋には作品を書き終えた。できあがった作品をどうすればいいのかよくわからないまま、勢いのようなもので文芸誌の新人賞に応募してみた。現在『風の歌を聴け』というタイトルで出版されている作品だ。その秋には、万年負け犬だったヤクルトスワローズがリーグ優勝して日本シリーズに進出し、阪急ブレーブスを破って日本一になった。僕にとっては二十代最後の秋だった。

 

体調の維持に

 そのあと、店を経営しながら『1973年のピンボール』という二作目のそれほど長くない長編小説を書き上げる。ところで、専業小説家になったばかりの僕がまず直面した深刻な問題は、体調の維持だった。本格的に日々走るようになったのは、『羊をめぐる冒険』を書き上げたあと、少ししてからだと思う。走ることにはいくつかの大きな利点があった。まずだいいちに仲間や相手を必要としない。特別な道具や装備も不要だ。特別な場所まで足を運ばなくてもいい。だから僕はスポーツ種目として、ほとんど迷うことなく、あるいは選択の余地なくというべきか、ランニングを選択した。

 

「まじめに走る」ことの目安

 週に六日、一日に10キロ走る。それで週に60キロ、一カ月におおよそ260キロという数字が僕にとっては「まじめに走る」ことのいちおうの目安になった。その後、ニューヨークシティマラソンを走り、またギリシャアテネからマラソンの発祥地であるマラトンまでを走る。ほかにもホノルルマラソンサロマ湖100キロマラソン、ボストンマラソンなど多数のレースに出場してきた。

 

僕の墓碑銘

 もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。

村上春樹
作家(そしてランナー)
1949-20**
少なくとも最後まで歩かなかった