ロビンソンと震災と文学
震災の日に誕生したスピッツの「ロビンソン」
プロデューサーが語る秘話
結成当時はセールスに恵まれず
結成30周年を迎えたスピッツ。これまで数々のヒット曲を世に送り出してきたが、1991年にメジャーデビューした当時はセールスに恵まれず、低迷が続いた。
いくらいい曲を作っても結果を出さなければバンド活動を続けていけないと、1993年4月、初めて外部から招いたプロデューサーが、笹路正徳(ささじ・まさのり)さん。日本の音楽シーンを代表するプロデューサーとして知られ、当時プリンセス・プリンセスや、ユニコーンを手掛けていた笹路さん。バンドの方向性をむりやり変えるのではなく、メンバーが気付いていない長所を見つけ、違った魅力を引き出していくやりかただ。
文学的なマサムネの詞
依頼を受けるまで、スピッツのことをよく知らなかったという。さっそく、それまでリリースした楽曲を聴いてみると「マサムネの書く詞はすごく文学的で、現代詩風というか、独特の世界観がありました」という笹路さん。そして独自の透明感がある歌声。この二つがスピッツの大きな武器になると考えた。
高いキーを活かす
草野さんにこうアドバイスした。「マサムネは、ハイトーンに行ったときの声がいいんだから、それを活かさない手はないよ。高いキーで、もっと声を張って歌った方が聴き手の心に響くと思うな」 実は、草野さんは自分の高い声があまり好きではなく、レコーディングの際もボーカルの音量を小さくしていたのです。
『空も飛べるはず』がヒット
1994年にリリースされた『空も飛べるはず』がヒットし、ライブの動員は徐々に増え、そして翌年あの名曲が誕生します。
1995年4月にリリースされた、11枚目のシングル『ロビンソン』。歌詞の中には一切、ロビンソンという人物は出てきません。「私にも分からないんですよ。マサムネは新曲を書くと、よく適当な仮タイトルをつけていたんですが、『ロビンソン』もそうで、そのまま正式タイトルになったんです。『ロビンソン』はミリオンセラーを記録。スピッツの出世作かつ、代表作となりました。
レコーディングされたのは、1995年1月17日 ... 阪神・淡路大震災が発生した日でした。当時を振り返り、笹路さんはこう語りました。
「みんなで被災地の様子を見ていて「レコーディングどころじゃないな」という雰囲気になったんですが、自分たちはやれることをやろうと、予定通り収録したんです。改めて聴くと、このイントロには、そんな思いがこもっていたのかもしれませんね」