終末期 米原万理

嚢腫の疑いが癌と診断され 
最後まで生きるための
治療法を模索し挑戦した

 

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 米原万里(よねはらまり)

 1950年に東京都中央区の聖路加病院で生まれる。ロシア語同時通訳・エッセイスト・小説家。代表作に『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』、『オリガ・モリソヴナの反語法』、『ロシアは今日も荒れ模様』など。東京外国語大学ロシア語学科卒業、東京大学大学院露文学修士課程修了。2006年に卵巣癌で死去。
 父親の仕事の関係で、チェコスロバキアの首都プラハに渡欧。9歳から14歳まで少女時代の5年間、ソビエト大使館付属学校で過ごす。
 通訳時代は、エリツィン随行通訳を務める。ロシア語通訳協会会長を務め、また同時通訳の待遇改善にも尽力した。

 

米原万理の終末期

 2003年10月、卵巣嚢腫の診断を受け、内視鏡で摘出手術すると、嚢腫と思われたものが卵巣癌であり、転移の疑いがあると診断される。近藤誠の影響を受けていた米原は開腹手術による摘出、抗癌剤投与、放射線治療を拒否し、いわゆる民間療法にて免疫賦活などを行う。1年4ヶ月後には左鼠径部リンパ節への転移が判明し、手術を提案されるが拒否。温熱治療法などを試みる。

 2006年(平成18年)5月25日に神奈川の自宅で死去したことが、同29日に報道された。享年56歳。生前最後の著作は『必笑小咄のテクニック』(2005年)となった。

 闘病の経緯は米原の著書『打ちのめされるようなすごい本』に掲載されているが、終末期の哲学とも言えるほど壮絶だった。以下にその一部を抜粋した。誰にもいずれ訪れる死、子どもの頃からの読書家だった米原万里は闘病中にたくさんの医学関係の本を読んでいた。特に近藤誠の書物に影響され、治療方法を変更した。本好きで研究熱心な米原が最後まで生きるための治療法を模索し挑戦した。

 

×月×日
 診断は卵巣嚢腫。破裂すると危険なので内視鏡で摘出することになった。「健康保険制度がないため入院費がバカ高いアメリカでは日帰りで済ませる手術です」と執刀医。「入院は五日間で十分です。すぐ仕事に復帰できます」とも。
 それでも、術後は真夜中まで朦朧としていた。麻酔が切れかかったとき、母が危篤状態になったと知らされた。翌朝、車椅子を押してもらって母の病連まで行った。回復不能なのに人工呼吸器が取り付けられた母の身体は温かく、手を握り締めていると涙が止めどなく流れてくる。

 ×月×日
 自らの意志で徹夜したことは数限りなくあるが、不眠症に苦しんだことは皆無な私が昨晩は一睡もできなかった。なのに今夜も眠れそうにない。次々に癌で死んでいった友人たちの顔が浮かぶ。
 嚢腫だと思っていたものが、癌だったと告知された。未転移の一期なのか、リンパ節にすでに転移した三期なのか不明なのと転移防止のため、術後の体力回復を待って再入院、今度は開腹して卵巣の残部、子宮、腹腔内リンパ節、腹膜を全摘した上で、抗癌剤治療を行う、と言う。
 医師が退室して、すぐにインターネットで調べまくる。五年前癌に苦しむ親友Gに送った、近藤誠著『患者よ、がんと闘うな』。Gは乳癌から肺、そして骨に転移している状態で、抗癌剤による苦しみと自殺願望にのたうちまわる最中だったが、大いに触発されて抗癌剤治療を拒み、以後どんどん体力が回復し、仕事と生活を楽しむほどになってきている。穏やかに死を受け容れる心の準備もしている。
 文藝春秋の編集者Fが見舞いに来て、くだんの近藤誠本の文庫化されたものを持参。癌には本物ともどきがあり、本物は発見時にすでに転移しているし、手術という刺激によりさらに増殖を早める。一方でもどきは放置しても転移しない。だから手術も早期発見も無意味というのが、近藤理論 。『抗がん剤の副作用がわかる本』では、癌の九割に抗癌剤は無効と主張する著者が医学界の実名まであげて現在実施されている抗癌剤治療、放射線治療の恐るべき実態を暴いている。これで抗癌剤治療は拒絶しようと心に決めた。

 ×月×日
 予定通り入院六日目に退院。直前に母が息を引き取り、一緒に自宅に戻ることに。

 ×月×日
 左足付け根のリンパ節が固くなっている。嫌な予感がしてインターネットで「リンパ節」「炎症」を検索。腫れが空豆大より大きく硬く無痛の場合は、悪性リンパ腫か癌の転移らしい。

 ×月×日
 覚悟はしていたが、抗癌剤治療を受けた直後の一週間は凄まじい嘔吐と吐き気に襲われ、死にたいと思うほどに辛かった。三週間以上が経過している今も未だに後遺症に苦しんでいる。
 そもそも二年半前に卵巣癌を摘出して以降、何とか肉体へのダメージが大きい手術と放射線抗癌剤治療だけは避けようと、癌治療に関する書籍を読みまくり、代替治療法と呼ばれる実にさまざまな治療法に挑戦してきたのだ。身を以て、本が提案する治療法を検証してきたとも言える。結果的に抗癌剤治療を受けざるを得なくなった。

 ×月×日
 注目したのは、癌細胞が熱に弱いことを利用した温熱療法。このテーマで数冊目を通した。患者が高熱を出すウイルスや細菌に感染した結果、癌が自然消滅した例はかなり昔から医師たちによって観察されて来た。
 そこへ、文藝春秋の担当編集者Fからみ看過できない情報が入る。「当初、放射線と温熱療法の併用で効果を高める治療を積極的に推進してきたものの、現在では、温熱療法は害が無いどころか転移の危険があり、今では全国の主要な病院ではほとんどやっていない」という。週刊文春 2006年3月30日)

 

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)

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