『文豪と暮らし』 芥川龍之介も愛した銀座のカフェ
現存する日本最古の「喫茶店」カフェーパウリスタは文豪たちに愛された場所
創業は明治44年
銀座8丁目、中央通り沿いに佇むカフェーパウリスタ。現存する日本最古の「喫茶店」であるこの店の創業は明治44年12月で、実に106年もの歴史を有する。日本で初めてブラジル直輸入の豆を使った珈琲を提供し、制服給仕による接客やオープンカフェなど、現在のサービスのほとんどはこの店が発祥なのだという。
また、朝日新聞社や電通本社、帝国ホテル、外国商館に程近く、当時東京で最も進歩的な文化人が集まる場所であったことから「銀座カフェーパウリスタ」はすぐに文化人や新聞記者のたまり場となりました。
「銀ブラ」の本来の意味
いわゆる「銀ブラ」の本来の意味は現在言われているような「銀座の街をブラブラすること」ではなく、慶應義塾大学の学生が流行らせたもので「銀座のカフェーパウリスタでブラジル珈琲を飲むこと」なのだとか。そんな言葉を生むほどの銀座の名所は、夢を抱えた学生や多くの文豪に愛された場所でもあった。
菊池寛との待ち合わせの場所
ここに文豪たちが集うようになったのは、かつて銀座6丁目にあった店舗の真向かいに「時事新報」の社屋があり、その主幹を務めていた菊池寛が待ち合わせ場所として愛用していたからだ。菊池に原稿を渡すために、芥川龍之介、谷崎潤一郎、正宗白鳥、森鴎外ら多くの作家や詩人がここを利用し、この店とブラジル珈琲の愛用者となった。
芥川龍之介の遺稿にも登場
友人の谷崎とともに足繁くカフェーパウリスタに通い、自作にも登場させているのが芥川だ。彼はブラジル珈琲だけでなく、店内に置かれていた「グラノフォン」にも夢中だった。グラノフォンとは5銭銅貨を入れると音楽が聴ける自動ピアノのことで、『彼 第二』の中にも「その夜もグラノフォンは僕等の話にほとんど伴奏を絶ったことはなかった」という記述が見られる。
日本初のサービスを愛用した与謝野晶子
またこの当時、店の2階にはこれも日本初の女性専用室「レディースルーム」があった。ここを愛用していたのが与謝野晶子だ。与謝野は平塚らいてうらとともに青いストッキングを履いて銀座を訪れ、このレディースルームで多くの時を過ごし、女性の地位向上について熱い論議を交わした。ここから平塚らの雑誌『青鞜』が誕生したのである。
カフェーパウリスタを愛用した著名人たち
芥川龍之介、徳田秋声、正宗白鳥、宇野浩二、久保田万太郎、広津和郎、佐藤春夫、水上滝太郎、吉井勇、菊池寛、久米正雄、小島政二郎、高村光太郎、高村智恵子、井上ひさし、谷崎潤一郎、与謝野晶子、森鴎外、アインシュタイン、ジョンレノン、オノヨーコ、藤田嗣治、平塚明子、宇野千代など多数。
店舗名 カフェーパウリスタ
所在地 東京都中央区銀座8-9 長崎センタービル1階
電話 03-3572-6160
営業時間 月〜土 8:30〜21:30
日・祝 11:30〜20:00