きょうも読書

言葉の迷路を彷徨う

21世紀 ドストエフスキーがやってくる

 

いまどきドストエフスキー
知ってる人も、知らない人も読み進めれば、ヤメラレない。こんなに面白かったんだ。

 

本書はロシアの文豪「ドストエフスキー」について語られた一冊です。大江健三郎沼野充義との対談や、「私とドストエフスキー」と題した著名人の執筆文、ボリス・アクーニンほかのインタビュー記事など魅力満載です。

 

 

21世紀 ドストエフスキーがやってくる

21世紀 ドストエフスキーがやってくる

 

 

大江健三郎からのメッセージ

 私は、宗教をもっている人にも、宗教をもってないけれども宗教を探しもとめている人にも、ドストエフスキーを読んでもらいたい。もう老人の私がそうなんですから。
 これから生きていくことをまじめに考えざるをえない人に、じつは読んでも結論は出ないかもしれないけれど、結論に対する過程というものを生き生きと魅力的に書いている、深く誠実に書いている小説家として、ドストエフスキーはこれから文学に向かう人たちにも大きな種子だろうと信じています。
(2006.10.23  山の上ホテルにて。大江健三郎沼野充義との対談より)

 

ドストエフスキーの読みの伝統

 日本でのドストエフスキーの読みには長く深い伝統があるのですが、振り返ってみると、おそらく戦前の批評界で小林秀雄が一つの頂点をきわめたのに対して、戦後文学の展開の中では、埴谷雄高がそれとは別の頂点をなしているように思います。私の見るところ、それに対してさらに次のモードを出されたのが大江さんでした。埴谷雄高が「形而上学的読み」とするなら、大江さんは「方法論的読み」といったらいいのでしょうか。沼野充義

 

 

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フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
Фёдор Михайлович Достоевский
1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕-1881年2月9日〔1月28日〕(59歳没)
ロシアの小説家・思想家である。代表作は『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』など。デビュー作は『貧しき人びと』。レフ・トルストイイワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。

 その著作は、当時広まっていた理性万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し、キリスト教、ことに正教に基づく魂の救済を訴えているとされる。実存主義の先駆者と評されることもある。反ユダヤ主義者としても知られる。Wikipedia

 

カラマーゾフの兄弟』ざっくり要約

 欲張りで女好きのカラマーゾフ家の父、フョードルには4人の息子がいた。長男で良くも悪くも感情的なドミートリィ。父とは不仲だった。次男は頭がいい無神論者のイワン。そして、心優しく純粋無垢な修道僧の三男アレクセイ。もうひとり、フョードルの息子(庶子)で臆病でひねたスメルジャコフが召使として扱われている。
 ある日、父親のフョードルが何者かに殺されて、三千ルーブルという大金が奪われる。無一文のはずの長男のドミートリィは、なぜか大金を持っていた。さて、父親を殺したのはだれか?  (他にも登場人物多数)

人間観察と宗教

 読み解くうえでポイントとなるのが、本書で加賀乙彦氏のいう、人間観察と宗教でしょうか。ドストエフスキーが考えている「父親殺し」は、実際の父親よりも、イエスを中心とする父、父なる神、ロシアでは大地ということになると。
 無神論者のイワンが持った思想や問いは、「神はいるのか、いないのか」「いるとすれば神がいるはずのこの世界で、なぜ悪が存在するのか。それはいったい何のためなのか」「神がいないとすれば、どのような悪でも許されるのではないか」でした。
 この「カラマーゾフの兄弟」は、ヨーロッパの人が当たり前のように持っているキリスト教的な倫理観に対する違和感を追求した物語なのです。

 

 
対談 加賀乙彦亀山郁夫
二つの「ドストエフスキー」の間に

  加賀 彼が二十八歳の時から四年間シベリアの流刑を受けたことには、二つの意味があると思うんです。一つは、犯罪者とはどんなものなのか。実際に見て、経験したすさまじい体験があったこと。もう一つは、シベリアの地で、読むものが聖書しかなかったこと。彼は四年間、繰り返し聖書を読んだのです。
 ですから一つは人間観察。一つは宗教。それを彼はシベリアで体験したんですね。十年近くシベリアにいて、それからいよいよ後期の五大小説に取りかかります。

亀山 『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』、そして『未成年』ですね。

加賀 そうです。この五大小説は、それまで書いていた小説とは一段違う深さと、完成度を持っている。そういう小説が書けるようになったのは、まさにあの四年間の獄中での苦しみの結果、彼が何かを得たからです。その何かというのは、人間観察であり、宗教であり、もう一つ、癲癇(てんかん)を得た。

亀山 シベリアの獄中で、「癲癇を得た」とおっしゃいましたが、僕にとっては非常に衝撃的です。

加賀 癲癇という病気を「父殺し」の無意識の自罰行為と考えるのは、フロイトの常道です。フロイトの言う癲癇は、ノイローゼのことです。ドストエフスキーの病気は、そんなノイローゼ程度のものではないんです。
 肉体と精神すべてを飲み込むような、何とも抵抗できないすさまじい発作を、彼は何度も起こしている。

亀山 ドストエフスキーは、「父殺し」というテーマと、癲癇の発作、この二つのモチーフを非常に複雑なかたちで結びつけていますね。ドストエフスキー自身、そのノイローゼ状態を癲癇と取り違えていた可能性があったということです。これは真性の癲癇ではなく、茫然自失に似たノイローゼ症状だったのだということに。そのあたり、どうなのでしょうか。

加賀 十八歳のときに父親が死んだあと、二十七、八歳で逮捕され、シベリアに送られた。そのときの肉体的、精神的苦痛があって初めて真性の癲癇という病気が起きたというのが、私の意見です。
 「父親殺し」で彼が考えているのは、実際の父親よりも、イエスを中心とする父、父なる神、ロシアでは大地ということになります。ロシアでは、天に祈るよりも地に伏して接吻したほうが神に近くなる、近づけるというように考えますからね。

*上記は本書からの抜粋であり、一部を省略して掲載しています。

 

 

本書『21世紀 ドストエフスキーがやってくる』の主な内容

対談

大江健三郎沼野充義
ドストエフスキーが21世紀に残したもの

加賀尾乙彦 + 亀山郁夫
二つの「ドストエフスキー」の間に

島田雅彦金原ひとみ
多重人格としてのドストエフスキー

 

 「私とドストエフスキー

安部龍太郎
万能の語り手が創り出す物語

井上ひさし
ドストエフスキーからチェーホフ

奥泉光
歴史について

角田光代
二十年後のドストエフスキー

姜英淑
Master, Master ! 

木田元
色褪せることのないスタヴローギンの告白

金石範
マルメラードフ - 酒瓶の底にあるのは悲しみだ

清水義範
堅くて巨大な雷おこし

多和田葉子
悪霊という熱病

中村文則
心地よい泥濘の始まり

藤田宜永
傍線を引いて読んだドストエフスキー

若木末生
その悲しみの名前は何だろう

 

インタビュー

ボリス・アクーニン
メタテクストとしてのドストエフスキー

ウラジミール・ソローキン
文学という劇薬 - ドストエフスキーをゴム手袋をはめて読む?

袋正
罪と罰』に呼ばれて

評論

加賀乙彦
トルストイドストエフスキー

沼野充義
さまざまな声のカーニバル - ドストエフスキー研究と批評の流れを瞥見する

青山南
アメリカ - 世界のなかのドストエフスキー

井桁貞義
2006年の『罪と罰

浦雅春
笑えなかったドストエフスキー

小森陽一
ドストエフスキイの時代

斎藤環
「赤い蜘蛛」と「子供」

斎藤美奈子
カラキョウ』超局所的読み比べ

中村健之介
ある日のドストエフスキー 宣教師ニコライに会う

野谷文昭
ラテンアメリカ 世界のなかのドストエフスキー

望月哲男
現代ロシア版「ドストエフスキーごっこ」

安岡治子
ドストエフスキーと正教

四方田犬彦
黒澤明の『白痴』

貝澤哉
「厚い雑誌」の興亡 - 19世紀の雑誌読者

番場俊
罪と罰メディア・リテラシーの練習問題

越野剛
てんかんと火事

草野慶子
『白痴』の愛と性とユートピア

粕谷典子
偉大な作家の名もなき日常 - 同時代人の回想から

秋草俊一郎
ナボコフドストエフスキー嫌い

桜井厚二
現代用語としてのドストエフスキー

榊原貴教
ドストエフスキー翻訳文献考

 

ドストエフスキー略年表

執筆者紹介(若い世代に勧めるドストエフスキー作品一作)

 

 

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